「きゃっ!」
聞き慣れ過ぎたその声のする方へと視線を向ければ、予想通りの人物が泣きそうな顔でそこにいた。
口から零れる自分の溜息が呆れ意外の甘さが含まれていることにも、最近ではもう慣れてしまった。
「竜崎」
低い位置にある枝に長い髪を引っ掛けて慌てている彼女の名を呼ぶ。
一瞬肩をビクつかせてこちらを見た後、安心したように笑うその仕草は、俺の中の独占欲や優越感を満たしていく。
それに心の中だけで笑って、涙目の竜崎の傍へと足をすすめる。
「おまえは相変わらずだな」
「うっ……ごめんなさい」
複雑に絡まってしまっているその髪へと手を伸ばす。
恥ずかしそうに俯くその姿を横目で見ながら、どこか懐かしさを感じた。
あれは、いつだったか。
既に竜崎先生の孫だということは知っていた、合同合宿の時だったかもしれない。
今と同じように枝に髪を引っ掛けて困っている竜崎を目にしていた。
けれど足をすすめるよりも早く、越前がそこにはいた。
からかうように竜崎に言葉をかけながらも、その指先の動きはやさしく俺の目に映った。
頬を染め、それに反論する竜崎の姿が今でも俺の脳裏に残っていた。
「…合同合宿の時も、こうして髪を引っ掛けていたな」
「え?」
「そのときは越前が今の俺のように、おまえを助けていた」
細い髪に指を絡めながら問いかければ、少しの沈黙の後何かを思い出したように声を上げる。
「あの頃はいつもリョーマくんにからかわれてたんです」
「いつも?」
「はい。部活のときに会うたび髪の毛長すぎって」
「それは、」
からうというよりも…
小学生の男子が好きな女子をイジメてしまうという、あれではないのか?
言葉にはできずに、視線だけで問いかえる。
もちろん、少しだけ鈍い所のある彼女には全く通じなかったが。
「好いていたのか?越前のことを」
「え」
俺の質問に瞬きを何度も繰り返したと思えば、不意に竜崎の手が伸びてきた。
なんだ?と構えようとしたときには、既に小さな手のひらが頬に触れていた。
「…竜崎?」
「私、ずっと真田さんしか見てませんでした」
珍しく、少しだけ怒ったような視線と言葉の強さに驚く。
下から見上げるように強い視線をいくら向けられても全く怖くはなかったが、見たことのないその表情がひどく新鮮に映った。
「真田さんしか好きになったりしません」
その言葉に、なんとなくだが竜崎が何を言いたいのかを理解する。
瞳のその真っ直ぐな様子がまるで気持ちの強さを表しているようで、くすぐったくて頷くことで彼女に答えた。
それだけで真剣な表情からとろけるような笑顔へと変わる。
俺の前でだけ見せると思われる種類の笑顔が愛しくて、顔を少し下げて額を重ねた。
「本当はね、」
照れたように頬を赤くさせ、重ねた額にすり寄ってくる姿はまるで子猫だ。
「ああ」
「本当は、あの頃よりどんどん好きって気持ちが大きくなってくのが……少しだけ、怖かったりするんです」
頬は赤いままなのに、不安そうに少しだけ眉を顰める。
その表情に胸が痛んで、力を込めすぎないように注意しながらも竜崎の頬を両手で包んだ。
「怖いとは、どういう意味だ?」
「だって好きが止まらなくなったら、わがまま言って真田さんのこと困らせちゃいそうです」
「おまえはもうすこし我儘なくらいが調度良い」
そう言って、からかうように笑ってやるとやっと不安そうな表情をといていく。
「本当に?」
「ああ」
「もしかしたら、泣いて真田さんを困らせちゃうかもしれませんよ?」
確かに竜崎に泣かれたら慌ててしまう自分を想像できた。
けれどこの笑顔を消したくなくて、言葉にはしないままでいよう。
「おまえが泣いたらこうして抱きしめていよう」
言いながら、少しづつ距離を縮めていく。
目指すのはそのあかい唇。
「ん、」
頬からこめかみ辺りを滑り、小さな頭を抱え込みながらも、唇は離さないまま。
あやすように撫でていく。
「おまえの我儘なら、全て受け止めよう」
視界が滲むほど近づいた距離のまま、告げた。
「…はい」
徐々に涙で潤む瞳を誘惑と受け取り、もう一度唇を重ねた。
もし、いつか俺が困るほどの我儘を竜崎の口から零れる時がきたとして。
その時は手を取り、こうして口づけをおくろう。
涙に濡れるその瞳ごと抱きしめて。