心臓が足りない
彼女から連絡があった。
業務連絡とか定時連絡とかそういうものではなく、私用のもの。あまり頻繁にする人じゃないがためにちょっとそわそわしたが、並んだ文字を見て焦燥に変わった。
仕事も放り投げバイクに股がり、彼女の居る場所へ向かう。
「くそっ、なんだってんだ……!」
事態は緊急だった。
『助けてください、少し面倒なことになりました』
今日はオフで本部には居ない。彼女の持つセーフティハウスに戻っていて俺も仕事が終わったら向かう予定だった。
初めは冗談かとも思ったが、そもそも相手が仕事中と知ってて冗談を言うような人ではない。いや、言わないわけでもないがこんな悪趣味なジョークは言わないはずだ。
オフでもマフィアはマフィア。敵組織からしたら武器の所持もなく護衛も居ないオフの時こそ狙い目だったりする。とは言え、彼女とて暗殺部隊で動く小隊長。奇襲をかけられても切り抜けられる技術と能力は持ってる。そうそう手詰まりはしないと思うが……。
こうして連絡を寄越してくるというのは相当切羽詰まった状況ということだ。
嫌な汗が、背中を流れる。
「無事でいてくれよ…!」
着いた先はショッピングモールだった。
バイクを雑に停めて、件の彼女を探す。
「真守さん!どこだ!真守さん!!」
反響する声、往来する客から好奇の目…というか、不思議なものを見るような目を向けられるが気にしてる場合ではない。人を押し退けて、辺りを見渡す。
しかし、もっとパニックになっていると思ったが…モール内は特に変わった様子はない。まさか場所を間違えたか?とも思ったが文面を見返しても書いてあるのはこの建物の名前だ。
とにかく、一階の北口付近に居るって言っていたから、まずは彼女の身の確認を……。
「あ、武さん」
声に反応して返ってきた方向に顔を向けると、ソファに腰かけた真守さんがいた。
奇襲で切羽詰まった状況…という感じではない。周囲からも殺気や敵意も感じられない。いや、もしかしたらこの空間には居なくて別の場所で見ているのか?彼女の気の緩さも、彼女なりの演出なのかもしれない。
立ち上がって呑気に手を軽く振る彼女を見て、一目散に駆け出す。
「そんな大きな声で呼ばなくても大丈夫ですよ。というか恥ずかしいので普通でお願、わっ」
「真守さん、良かった……」
それから、思いっきり抱き締めた。
すっぽり収まる感じと彼女の体温に安堵する。とりあえず見た目からは何かされた雰囲気はない。どこか怪我してる感じもない。一安心だ。しかしどこで見られているかわからない以上、気取られないようこっそり状況を確認しなくては。
彼女は遠慮がちにぽんぽんと背中を叩いて戸惑ったように、
「あの、武さん?どうしたんですか?何かありました?」
「それはこっちの台詞だぜ。それで敵は?もう片付いたのか?」
「え、敵?」
「え?」
予想外の反応に、呆気に取られた。
少し身体を離して彼女の顔を見ると、ぽかんとしている。こちらも首をかしげる。
「ええっと、敵と言うのは昨日の残党のことでしょうか。それならもう片付いていますが」
「そうじゃなくて……、あ、まさか盗聴されてんのか?それとも敵がどっかで見張ってるのか?」
「あの、話が見えないのだけど……」
「………だって真守さん、助けてって連絡入れただろ?」
「ええそうです。ごめんなさい、こんなことで呼んでしまって。本当は一人でなんとかしようと思ったんですが、どうにも荷物が多くて手が足りなくなってしまって」
「……………………え?」
え?ともう一回聞く。見れば、床に置かれた手提げ袋の山。確かにこれでは全てを持っていくのは難しい。
………これは、一体?俺は何か勘違いをしてたのか?熱がこもっていた頭が冷めていくのが分かる。
「助けてって、これのこと?」
「ええ」
「敵の奇襲で動けないとかそういうことじゃなくて?」
「なくはありませんが、今日はそれじゃありません」
「あの連絡は、荷物が一杯で持っていけないから迎えに来てってことか?」
「お恥ずかしながら…」
ぽこん、と彼女の頭にチョップした。
「あいたっ」
「紛らわしいだろ。あんな文面」
「そ、そんなに変でした?」
「変。あれじゃ奇襲に遭ったのかと思っちまうだろ。現に思ったし」
「いつもの通りにしていたんですけど…」
……確かに、仕事で煮詰まったり多忙を極めると『助けてください』って連絡来るときあるな…。でも状況が状況だろ、そう思うって。
はぁーーーーーーーーーーーーーーー、と深く長いため息をつく。「な、何故そんなに長いため息をつくの?!そんなにおかしかった?」と真守さんは少し狼狽する。慌てる彼女も可愛い。いや、じゃなくてな。
「今度からは仕事でも私用でも『助けてください』じゃなくて、『手伝って』にしてくれ。俺の心臓が持たねーよ…」
「ご、ごめんなさい。次からは気を付けます」
「よろしい。ていうか、こんな一杯何買ったんだ?」
見たところ中身は食材だったり服だったりしてるようだが…衝動買いでもしたんだろうか。ストレス発散?
ああこれ、と彼女も袋の山を見て、
「なんか、あ、これ武さん似合いそうだなあとか好きそうだなあって思ったらいつの間にか沢山に…」
勿論自分のもあるけど、と恥ずかしそうに照れながら言うのは、ズルいと思います。オフの時も俺のことを考えていたなんて言うのは止めてくれ。愛しさが止まらないだろ。
癒し成分を多分に受けて、眩しくて直視出来ないというように俯きながら、もう一回ため息をついた。
「……………………、許す…。何かもう、許すわ……」
「え?何ですか?」
「いや、何でもねー」
仕事終わったらセーフティハウスに直行しよう。何を買ったのか気になるし。
しかし真守さんの家に戻る前に問題があった。
紙袋を手にして、さて戻るぞと言うときに思い出した。
「あ、でも俺バイクで来ちゃった」
「え、何故……」
「だって敵襲とかだと思ったし…車よりバイクの方が速いからさ」
「んん……、まあ誤解するような連絡した私も悪いし文句は言えませんね。でもどうしましょう?二人で持ってバイクで行くわけにもいかないし……」
「んー、じゃあ俺も一緒に真守さんち行くよ」
「でもバイクはどうするんですか、ここに置いておくわけにもいかないでしょう?」
「回収してもらう。さっきから着信すげーし、連絡ついでに。真守さん、ここまで来るのにバスとか使ってきたんだろ?」
「そうですが……、職権乱用…?十代目に怒られませんか」
「何とかなるって!さ、行こうぜ!」
「……何とかなるって魔法の言葉ね……」
呆れたように彼女は言うが、少し嬉しそうに口許が緩むのを俺は見逃さなかった。
基本休みも合わないし、二人っきりっていうのも少ない。だからこれは俺にとっては臨時収入的なアレで、予定外の至福の時間だ。堪能する他ないだろう。
バイクの回収を頼み、改めて荷物を持って彼女の家へ歩き出す。矢張、往来する人からちらちらと忍び見るような視線を感じる。スーツで背中に竹刀持っててって、やっぱ派手だったかな。いや、でももしかしたら他の人から見たら新婚さんみたいに見えてんのかなー。俺としては後者の方が嬉しいけど。
のんびり歩きながら、
「真守さんちで一服しようかな」
「まだ勤務中でしょう。荷物置いたらすぐに戻ってくださいね」
「折角来たのに冷てーなあ、ちょっとぐらい休憩してもだろ?」
「………仕事が終わったら一服でも何でもしていいから。今はちゃんと職務を果たしなさい」
「よぉし!俄然やる気出てきた!」
「現金ね…」
そう言いながら、そっと、真守さんから手を握ってきてくれたのはちょっと意外で。握り返せば、初めて彼氏と手を握った女子高生みたいに照れくさそうに笑う。
もしかして真守さんも一緒に居たいのかなあ、なんて都合良い解釈をして勝手にドキドキしてる。口にはしないけど。
「(ホント、分かりやすいけど予測出来ねーなあ)」
それがいいんだけど、と勝手に納得してると右側から訝しげな視線を感じた。
「何をにやにやしているので?」
「…いや、別に?」
「あなたがそうやって惚けるときは大体不謹慎なことだというのは知ってますよ?」
「べ、別に如何わしいことなんて考えてねーよ!いや、ホント!」
「……その様子だと全く無くはない、という感じかしら?目が泳いでいますが」
「ホントだって!今回は違うって!」
「今回、『は』?へぇ……ちょっと鎌かけてみただけだけど、そう」
「あ、いや。……そりゃ俺だって男だしさ、不謹慎なことも考えなくはねぇけど。可愛いなあって思うぐらい良いだろー?」
「………………、開き直らないでください」
何故か拗ねられてしまったが、それも可愛い。うちの彼女がこんなに可愛いのは当たり前、ってやつか。
ガサッと紙袋同士がぶつかる音を聴きながら、たまに仕事の電話に応えながら荷物を届けに行ったのだった。
本部に戻れば(真守さんが送ってくれた)獄寺にぎゃんぎゃん怒鳴られたのは、言うまでもない。
(2018.5.5)
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