降り続いた雨が止んだら
イタリア某所にあるボンゴレの総本部。
中世ヨーロッパ的な外観はもはや城に近い、古くも荘厳な佇まいを見せていた。外観がああなら内装も、と思うがゴテゴテピッカピカの成金屋敷というわけではない。ちょっとした部屋ぐらいの幅の廊下に広げられた絨毯、壁に掛けられている絵画や彫刻、通路を飾る調度品などで煩くならない程度に置かれているぐらいだ。
しかし、派手ではないにしろ格式高く、足を踏み入れれば自然と背筋が伸びる程よい緊張感と静けさが漂っていた。
そんな無駄に広い廊下に足音を響かせながら、一人。
ボンゴレ十代目から直々に下った、個人的な話を反芻する。
『あなたに頼みたいんだ。彼の友人として』
『もしご不明な点があればご連絡頂けると助かります』
『相変わらず仕事が丁寧で助かるよ。ありがとう、この件は了解したよ。……ていうか、もっと気楽にしてくれていいのに。今は他の人も居ないんだしさ』
『そういうわけにも…。十代目がそうおっしゃるのであれば砕けた様でお話しする事も出来ますが…』
『十代目にタメ口なんて利かせねぇ』
『…この通りですし、いつまでも中学生相手のようにはいきません』
『ははは…、でも十年前からこんな感じだったような…?』
『私の方では対応を変えてはないので恐らくは。では、書類もお渡ししましたので私はこれで失礼を』
『あ、戻る前に少しいいかな?』
後ろからかかった声に、ノブに掛ける手が止まる。
『……?はい、お答え出来る範囲であれば』
『どう?彼の様子は』
『…別段、変わりはありません。相変わらずあの調子です』
『そう……。何か気晴らしになるものがあればいいんだけど』
『……、仕事の塩梅は』
『仕事には出てるし、完璧にこなしてるよ。目立ったミスがあるわけじゃない。……ただ食事も睡眠もあまり取ってないみたいでね。時々ふらっと居なくなることもあって…、聞けば心配するなの一点張りなんだ』
『その様で。彼の悪い癖ですね』
『俺もそう思うよ。まあ、それが当たり前の反応といえばそうなのかもしれないけどね……』
『……、心中お察し致します』
『それで、あなたに頼みがあるんだ』
頼み?と眉を潜める。
換気のために開けられていた窓から入る風が髪を靡かせる。
『勿論、これは義務や命令で言うんじゃない。人の心配は言われてするものじゃないからね。でも、悲しみに沈んでいる時の傍に居る人の優しさは、ちゃんと伝わるものだから』
『……、あの方の代わりをしろとおっしゃるのですか?』
『そ、そう言うわけじゃないよ!……今の彼は、気持ちも意思も宙ぶらりんの状態だと思うんだ。守りたかったものが無くなってしまって途方に暮れてる。あなたにも、似た経験があるから彼を気にかけているんじゃないかな?』
『…彼をただの上司だと言うには少し枠に収まりきりませんし、烏滸がましいですが友人と言っても差し支えないものだと位置付けています。あの状態の友人を気にかけるのは、私にはごく自然な流れでした。……だからこそ、あなた様の頼みを聞き入れることは出来ません』
『なっ!てめえ十代目のご意向を無下にする気か!!』
『まぁまぁ獄寺君。……あの、どうして出来ないか教えてくれないかな?』
声を荒立てる側近を片手で牽制するとは、マフィアのボスも随分板についてきている。十年前は『意見なんて怖くて言えない!』とおどおどしていた中学生だったとは思えないぐらいの目覚ましい変化ぶりだ。元々の素質なのか、超一流家庭教師に十年のスパルタ教育によって変わらざる得なかったせいなのかはさておきだが。
当然のように掛けられる問いに間を置かずに返答する。
『彼が『本当ならそこに居た筈の人』を追いかけている時点で、他の誰かが傍に居たとしても進展は望めないでしょう。前に進むには彼が自らに負った傷と向き合わなければなりません。それは、私が側について促す事ではないはずです』
『……心の傷は時が解決する、とはよく言ったものだけどね。下手につつかず本人のペースで気持ちの整理をつけさせてあげるべきだと俺も思うよ。だけど、今の彼を一人にはしておけないんだ』
『……、と言いますと』
『いずれは立ち直ってくれると信じているよ。でも全ては希望的で確信は何一つない。それが人の心の良いところであり怖いところだよね』
十代目には何か心当たりがあるのか、過去を思い返すように宙に視線を投げる。
『彼は昔から楽観的で達観的だ。でも決して手は抜かないし真っ直ぐな人だ。深刻な状況でも、細かいことは言いっこなしに『何とかなる』で片付けてしまう。でも、何とかなると思わせてくれる……、うまく言えないけどそんな力を持ってるんだ』
『…存じています』
『十年前の黒曜中の戦いも、ヴァリアーとのリング戦も、未来でのチョイスの時も。俺はその性格に救われたよ』
でもね、と十代目の目から懐古の色が消える。
『根拠や理由を求めないということは、逃げ道のない一方通行の道を歩くのと同じだと思うんだ。一つの事に集中して取り組めるスキルは、良くも悪くも内へ内へと閉じこもらせるものだからね。……でも、じゃあもし、その一本道の先が突然絶たれてしまったら、どうなると思う?』
十代目の問いに返す言葉は出なかった。思い付かなかったわけじゃない。十代目ファミリーよりも居た時間は少ないが、彼の性格と思想、これまでの生活史を鑑みれば辿り着くのは容易だ。私でも分かることならば、長所も短所も、十代目はより理解されているだろう。
だからこそ、解せない。
『それは、私などよりも皆様の方が適しているのでは』
『あなたがいいんだ』
『超直感ですか』
『勘だよ』
一コンマのタメもなくはっきり答える若きトップに、理由を聞かない代わりに少し皮肉を交えて返したが、視線を落として自嘲気味に笑った。苦しむ友人に、何もしてあげられない自分の無力さを噛み締めるように。
何がいいのか答えになっていないが、十代目は皆まで言うつもりはなさそうだ。まったく、どこのトップも部下に優しくない。与えられて動くのではなく、自分で見て聞いて考えろだなんて。こんな抽象的な指示じゃ、付いていく方も大変だわ。
ため息をつくと、視線が此方を向く。そこには十年前と変わらない、祈るような色が浮かんでいた。
『これは命令でも義務でもない。でもあなたに頼みたいんだ、彼の友人として。傍に居てあげてほしい』
人の心配を、他人に任せるなんて友人のする事なのか。事情を知らない人ならそう思って当然だろう。
しかし、これは決して忙しさにかまけ業務を振り分ける様な気持ちで出したものではない。十代目だって心配で、出来るなら業務を放り出して彼の元に居たいのだろう。自分の全てをかけてでも仲間を優先するような人だ、気が気でないのは分かる。その上で私に頼んだのは、何か意図があるのだろう。それが何か、分かる様な分からない様な。曖昧なものだが。
しかし、
『……ボスからの頼みは、どんなものであれ指示であり遂行すべき命です。下ったからには私もお応えする義務があります。とはいえ、ボスの頼みとは言え矢張聞き入れられません』
『てめぇ!!』
『だから義務とかじゃなくて……』
『私は特別なことは致しません』
換気のために開けられていた窓の外から、雨の匂いを感じながら意思を告げる。
『私はいつも通りにするだけですよ、十代目。声を掛け、食事に誘い、お酒を共にします。上司であり友人である彼を気にかけるのは、私にとって当然であり自然な流れですから』
執務室を後にして観葉植物とソファに椅子とテーブル、自販機がワンセットの休憩ブースで購入したお茶を喉に通した。
外は少し雲がかかり、夜辺りに雨が降りそうな空模様だ。丁度、自分の心持もそんな感じだなと微苦笑を浮かべる。
「彼の友人として、か……」
彼、というのはボンゴレ十代目を守護する六人の内の一人を指している。
彼とは十年前より繋がりがあり、十年前から上司だった(当時の位置づけとしては未来の上司であり、勿論当人には上司という自覚はなかった)。しかし上司というには余りに世界を知らない野球少年でワンコのようだった。黒サングラス黒スーツ黒い車の三点セットを見ても、サラリーマンかな?と、平和すぎるぐらいの思考を持っていた彼が今や、マフィア最大のファミリーの守護者にまで成長したのだから世の中分からないものである。
そんな彼は実質的に上司で変わりないが、同時に友人でもある。もともと人懐こい人で、十年前も年上だろうが何だろうが関係なく懐に入ってきていた。
「大人になれば少しは礼儀礼節を纏って大人しくなるかと思ったけど、そうもならなかったわね…」
結果、昼食を共にしたり相談事に乗ったり飲みに行ったりと、今も上司であり友人の関係は変わらない。他の守護者より気兼ねなく居られるというのは彼に絆されたせいだろうか。いや、あの彼の雰囲気…固くならなくていいと無条件で人の警戒を解かせる山本マジックにかかったんだろうか。ああそれを絆されてるというのね分かってますよ。まんまと絆されましたよくそう。
まあそれも、今ではすっかり影を潜めてしまったが。
気付けば、ざぁ、と何かが流れる音が窓の外から聞こえてきた。
「……、これは」
雨が降っている。少し前までは雲はあれど晴れ間が見えていたのだが、空がヘソでも曲げたのだろうか。窓際に寄ると、市街地側の空は青々としている。どうやらこの辺りのみに降っているらしい。天気雨か狐の嫁入りかと思ったが、どちらも違うようだ。
青い炎が空を飛んでいるのが見えた。火の玉のようなものではなく、生き物のように炎が意思を持ってある場所の上をぐるぐると旋回している。
あれは、恐らく。
「………、またやってるのね」
ぐっ、とお茶を飲み干してゴミ箱へ捨てる。仕事用の鞄を手にして再び長い廊下を歩き始める。
目的地はヴァリアー本部ではなく、あの旋回する炎の中心。
傘も持たずに自ら雨に濡れにいくバカのもとだ。
ボンゴレの敷地周辺には木々が植えられている。恐らく当初は木々自体は屋敷を囲っていたが、敷地の拡大や増築、警備面の強化に伴い面積が縮小されたのだろう。整備はされ森林公園のようになってはいるが、生き残った木々は猛々しく育っている。
その中を傘を差して歩く。空は曇り雨が降っているためか辺りは薄暗い。夜の山道を歩いてるような薄気味悪さがある。
「(ボンゴレの敷地内とは言え、匣兵器を遠くに置くことはしない。居るとすればこの近く……、)」
ぴぃー、と鳴き声が聞こえる。見上げれば炎を纏った燕がぐるぐると旋回していたが、此方に気付いたのか近くの木で羽を休める。
「…雨燕、あなたの主人はどちら?」
呼応するように雨燕はキレのある飛行をして奥へと消えた。誘われるようにその方向に足をすすめれば、見慣れた後姿を捉えた。
雨燕が心配するように周りを飛ぶ。それを気にかける様子も、ずぶ濡れになって開き直る様子もなくただ茫然と立ち尽くす。スーツ姿だが撥水効果の限界を越えてたっぷり水を含んだスーツはその爽やかさを失っていた。何時もの頼もしい背中はなく、やつれた木のように寂しげだ。立ったまま死んでるんじゃないかと心配になるほどに微動だにしない。
普段なら切っ先が届かない距離でも鋭く気配を感じ取っているが、彼は無防備にも背中を晒したままだ。背後にいる人物が誰か分かってる上で動かないようで、少し癪に触る。
ぱきん、と態とらしく足元にある枝を折って音を立てる。
「武さん」
イタリア語ではなく、日本語で声を掛ける。
声に反応して、今気付いたかのようにのそりとした動作で振り返った。光を通さない深海の様に重い色に染まった目が此方を向く。取り繕う挙動を取らないのは、少なからず私にその姿を晒しても大丈夫と思ってくれているためか。
全体的に緩慢とした動きで、重そうに口を開く。
「真守さん…。ciao,どうした?こんなところに」
「それはこちらの台詞です。事情は良いのでとりあえず匣兵器を仕舞ってください、最近この辺りの木々が落ち込んでると庭師のコルラードが嘆いて鬱陶しいんですから」
不機嫌に言うが彼はわりぃ、と小さく笑って済ませた。全く、こちらの気も知らないで。
雨燕を匣へ戻すのを確認して、彼に近づく。持っていたタオルで頬を拭うと、濡れて重くなった毛先から水滴が落ちて私の手を濡らした。重ねる手の、何と冷たいこと。健康的な肌の色も、今は色白くなり唇も紫がかっている。長く雨に打たれていたのだろう。
「……風邪を引きます、戻りましょう」
「……、もちっとここに」
「戻りましょう」
「…………、」
半ば無理やりに引くと抵抗はなく大人しく付いてきた。こんなところにいたら気が滅入るのは必然だ。気を滅入らせたかったのかもしれないが、程々にしてほしい。
ぬかるんだ地面を踏み締め、来た道を戻る。
「真守さん、手ぇあったけぇのな」
「あなたが冷たいんですよ。一体どれくらい雨に濡れていたんですか」
「えっと……一時間ぐらい?」
「バカじゃないですか?」
わりぃと彼はいうが、最早呆れて返す言葉もなかった。
宿直室で彼にシャワーを浴びるよう指示し、着替えを脱衣所に置く。幾分調子が戻ったのか、お嫁さんみたいなのなーとかアホなこと言われたがスルーした。彼がシャワーを浴びてる間、キッチンで飲み物の準備をする。冷蔵庫にあった牛乳の賞味期限が切れていないことを確認し、カップに注いでいく。
「宿直室には初めて来たけど、アパートのワンルームみたいね…」
ボンゴレ本部は基本的に完全に人が居なくなる事はない。医療機関同様、夜間勤務の人もいる。建物周辺、建物内部の警備体制、データベースへのハッキング防衛システムなど厳重な守りで固められているものの、それが完璧だとは言えないからだ。
この宿直室は元々仮眠室でベッドだけ置いてある簡素な部屋だったらしいのだが、夜勤の人の要望もありテーブルやらシャワールームやら冷蔵庫やらが押し込められている。複数で対応するため部屋は最早シェアルーム状態だ(中には私物らしきものもちらほらある)。
「(警備体制や高精度な防犯システムがあるとはいえ、どんなに時代が進んでも矢張り人の目、手というのは必要ってことね)」
デスクにカップを二つ置き、リラックス効果目的で鎮座している多肉植物を突いてると、シャワールームから扉の閉まる音がした。タオルで髪を拭きながら、置いておいた予備のシャツとズボンに着替えた山本武が戻ってくる。
「ふー…。わりーな、付き合わせちまって。あんたは濡れなかったか?」
「大丈夫ですよ。さあ、ホットミルクを淹れましたから召し上がってください」
「ん、サンキューな」
肌の色も良くなっている。ちゃんと温まってきたようだ。よしよし。
デスクにあったカップを手にして、椅子に腰を落ち着けて縁に口を付ける。
「今日はもう仕事は無いのですか?」
「ああ、終わってるぜ。今日はデスクワークばっかだったからな。あんたは?」
「概ね、ですかね。戻って少しやることがありますが仕事自体は一段落ついています」
「そっか。真守さん、ずーっと仕事してるイメージだからさー、ちゃんと休めてんのか心配になっちまうよ」
「まあ仕事ばかりというのは間違ってはいませんかね、暇を持て余すよりはマシですが…。何故でしょうね、本来はヴァリアー幹部の不必要な戦闘の仲裁をするというだけだったはずなのに、ボンゴレ本部側の仕事まで回されるようになって…」
「真守さん、何でもやれちゃう人だからじゃね?」
「『何でも』はやれませんよ、やれる範囲内でしかやれません。それより、あの頭の固い財務官に本部内に歩く歩道とエスカレーターの設備させてください。私たちはともかく、九代目や他の老君には優しくありませんよ」
「あーそうだなぁ、ちっと掛け合ってみるな」
そこでふつりと、話題が切れた。普段は何てことないのだが、今日は時計の針の音が異様に重く聞こえる。話題を探すも適当なものが思いつかず、まるでエレベーターの中に居るような気まずい沈黙。
何故なのか、それはお互いに理解している。
静かになって数十秒、沈黙に耐えられなくなったのか口蓋を切ったのは彼の方だった。
「……何にも言わねぇの?」
「何か言う必要がありますか?」
いや…、と彼らしくなくバツが悪そうに口籠る。
「あんた、いつもこうして来てくれるだろ?だからほら、何か悪ぃなって」
「悪いと思ってるなら、少しは控えるなり何なりしてください。自分で水浴びしといて風邪を引くなんてお笑い草ですよ」
「ははッ、そうだな。風邪には気を付けねーとな」
「……、」
誤魔化すようなぎこちない笑みは、より寂しさを浮き彫りにさせた。
彼は分かっている。自分が周囲に迷惑をかけている事を理解している。その上で、その細くも逞しい身体の内側に負った傷に立ち竦んで前に進めなくなってしまっていることも。
グズグズになってるくせに何もない風を装っている様の格好悪くて、情けなくて、
「なあ、真守さん。俺」
何て、切ないのか。
「俺、どうすりゃいいかな」
カップを持って俯いたまま、弱った口調で問われる。
「俺は、守るために力をつけてきた。黒曜中の時もリング戦の時も未来に行った時も。負けちまって、仲間に迷惑が掛かったり傷ついたりするのを見たくないからさ。剣を身につけて、匣兵器も使えるようになって、初代守護者の力も引き継いで……今じゃ二大剣豪って言われるようになっちまった。そこまで言われるぐらいに力をつけたって、俺自身も自負してるつもりだ」
なのに、とカップを握る手に力がこもる。
「自分の大事なモンさえ守れなかった。絶対に守る、守ってみせるって覚悟を決めたのに。それなのに、守れなかった。こんなザマじゃ、誰も……ツナたちだって守れやしない。守護者としても失格だ」
悔やんでも悔やみきれず己の無力を呪うように、悲しくて仕方ないのに打ち立てた信念も貫けなかった自分を責める様に言葉をこぼす。血を流しそうなほど、強く唇を噛み締める。
ここに、ボンゴレ雨の守護者、二大剣帝の山本武の姿はない。
あるのは、愛した人を失い途方に暮れ、疲れ切ったただの青年の姿だった。
「……十代目が心配されていましたよ」
「ツナは、なんて?」
「………、信じている、と」
そっか、と浮かぶ笑みには辛さしかない。それ以外の感情の表出の仕方を忘れてしまったように、彼の表情は固まってしまっている。
「でもツナには悪ぃけど……今回ばかりはダメだ」
もはや顔をあげる余力もないように項垂れ、似合わないか細い声で言う。
「こんなんじゃ、とても戻れねぇよ。どうやって戻りゃいいんだよ。戻ったところで、足を引っ張っちまうだけだ。誰も守れないんじゃ何のために力をつけたのか分からない。部屋に戻ってももうあいつは居ないんだ。街中で家族連れやカップルを見るだけで手が震えて、『本当だったら一緒に居たのに』って思っただけでゾッとする。それがずっと続くなんて、耐えられる自信がない。そうなるくらいなら、そうなっちまうぐらいなら、いっそ」
「武さん」
流れを塞き止める様に遮る。それ以上は聞きたくないと、反射的に出たものだった。しかし慰める言葉も励ます言葉もそれに続くことはなく、再び沈黙に沈黙を重ねる。
図りかねていた。一体どんな言葉を掛けられるのかと。
慰め。励まし。叱責。同情。導き。何が適切なのか。どれが正解なのか。いや、もしかしたらどれも当てはまらないのかもしれない。どれもハズレで彼を更に傷付ける刃物なのかもしれない。それほどまでに、彼は追い詰められている。
「……、あなたは」
ぽつりと溢した声でさえ、この空間には十分に響く。
「あなたはよくやりました」
高校最後の大会で敗退した息子を慰める母親の様に、
優しく、辛さを少しでも和らげるように。
「最善を尽くし、彼女のために動いた。誰があの場に居ても、あれ以上のことは出来なかったでしょう。だからご自分を責めるのはもうお止め下さい。あれは、誰にも予期できなかった不幸な事故なのですから」
彼からの返事はない。掛けられた言葉を吟味するように、彼はピクリとも動かない。
お前は悪くない。相手が悪かった。運が無かった。タイミングが悪かった。それは出会ったマイナス場面において誰もが取り得る使い勝手の良い言葉だ。肩を落とす友人が居たならば、まずそう声をかけるだろう。それが当たり前で、優しさだからだ。
だけど、それは。
過去にすがるなと。どんなに辛くても悲しくても過去は過去だ諦めろと言っているようなものだ。
受け取る側によったら、これほど残酷な言葉はないだろう。自分の無力を、運命を改めて突きつけられたも同然なのだから。
「……、かよ…」
彼は、
「……『不幸』なんて言葉で、片付けられるかよ」
彼は、笑っていた。
まるで全く検討違いの話を聞かれたような、呆れを通り越した笑み。
彼の言葉に悲しみ以外の感情が乗る。
悲しみに押し潰された声に、力がこもる。
「わかんねーよな、あんたには。あんたはずっと此方に居て、奪うことはあっても奪われたことなんてねーんだから」
力なく俯いていた顔がゆっくりを上がり、黒く濁った目に色が宿っていた。
強い、強い、『怒り』の感情が、牙を剥く。
「俺は、俺の力でここまで来た。守りたいって、皆に迷惑かけるにはいかねーってその一心で修行してここまで来たんだ。皆と居たい、そのために頑張って腕を磨くのは当然だろ?…そうだよ、そのために俺は剣技も身体も鍛えた。全部大事なものをこの手で守るためだ!!それなのに…、それなのに大事なもんが守れなくて何が守護者だよ!!責めるに決まってんだろ!?そんな簡単に気持ちの整理なんてつくかよ!あんたに分かんねぇよ、個人プレーで仲間を守る必要のない組織にいて、奪われる側の気持ちなんて!!」
押し殺していた本音が咆哮となってぶちまけられる。それでも、胸ぐらを掴んだり衝動的な行動に移らないのは辛うじて残る理性のおかげか。
「不幸な事故だった?だからもう悔やむなって言うのか?そんなことで割り切れたらこんなグズグズ悩んでねぇよ!ふざけんなよ!!俺には悲しむ暇もねぇっていうのか?!これじゃ何のために力をつけたのかわかんねぇ。…生涯をかけて守りたいって、そう思えたのに…あと一秒早けりゃ守れたかもしれないものを目の前で無くして悔やむなっていう方が無理に決まってんだろ!!あいつが何したってんだ!何であいつが居なくならなきゃならないだ!おかしいだろこんなの!!!」
黙って聞いていた。言葉を挟む余地がなかったわけではなく、青年の内側から噴き出した言葉の数々を受け止めたかった。ここで言葉を塞き止めてしまったら、それこそ壊れて戻らなくなってしまうと思ったから。
失えば戻らない。その自然の摂理を彼は知らずに来た。理屈では理解していても、実際はテレビに流れるニュースのように他人事でしかないのだ。
彼自身も、失うなんて思いもしてなかったのだろう。守りたいと思ったものは満身創痍になりながらも何とか守ってこれた。自分が相手のために全力を尽くせば守れるのだという自負が自信に手を貸してきたのだろう。それがどんなに自惚れた、思い上がったものかも知らずに。
だから、今こうして立ち尽くしている。
あまりに『不幸』な青年は解決する術を持たず、どうにかしたいがどうしていいか分からず。
まるで迷子の子供の様に、その大きな体を縮ませている。
「……、少し、ホッとしたわ」
決して綺麗なものじゃない、未練に濡れた男の吐き出された言葉にそう返した。
「あなたがこのまま『そっか』って笑って居たら、正直手の出しようがなかった。こんなデリケートでシビアなこと、第三者から口を出すなんて筋じゃないもの」
「……だったらなんだって言うんだ。どんなに叫んだって、逆切れしたって助けられなかったことに変わりはない。大事なもんも守れなかった俺に、一体何が守れるって言うんだ」
「そうね、何も変わらないわ」
あっさりとそれを認める。
「私たちが守れる範囲なんて、精々その手の上にあるもの、目と手が届く範囲のものだけ。全部守り切れるなんて、人である以上不可能なのよ。どんなに努力しても、どんなに力を付けても溢れてしまう命はある。時には、手のひらにあったはずのものも指の間をすり抜けてしまうことだってあるわ。この世界なら、なおさら」
「じゃあどうしろってんだよ。目の前の悲劇を、夢から覚めたみたいに忘れろっていうのか?あんたは、そんなことが出来るのか?」
「衝動的になるのはよせと言ってるのよ」
宿敵を前にしたような殺意に似た怒りが、静かに肌を痺れさせる。
分かっている。自分がどれほど、この傷ついた青年に酷いことを言っているのか。
別に彼を痛めつけたいわけではない。彼の言葉が響かなかったわけでもない。寧ろ言葉を一言一言聞き入れ、かみ砕き、吐き出された苦悩や想いを全て汲み取って、剥き出しの感情を理解している。
だからこそ、彼の言葉には同意しない。同意できない。
「あなたは二充分なほどに力をつけた来た。ボロボロになりながらも、『失うかもしれない』状況下でもその手で平和をもぎ取ってきた。運命さえ味方につけてバッドエンドをハッピーエンドに変えてきたじゃない。その力は決して無駄なものなんかじゃないわ」
「実際にあいつは居ない。守るべきヤツが居なくて俺が居るってことは、そういうことだろ。だったらそんな理屈、役になんて立たない」
「そうかしら」
吐き捨てる様に言う彼に、簡単に反論する。
「じゃあ今まではどうだったの。格上の相手を前にして力が及ばないと知ったとき、仲間が危機に晒されたとき、背を向けて他の人に任せてきたの。もしそうなら、多分もっと早い段階で失っていたでしょうね。それならそれで、こうして悩むこともなかったのかもしれないけれど」
「それは……」
「でも、そうじゃないんでしょ。自分の非力を押し付けて、仲間の足手まといになるのは嫌だったんでしょ。だからどんなに立ちはだかる壁が厚くても剣を振るうことが出来た。それはあなたが仲間のためにそうしたように、あなたの仲間だって同じだったはずよ」
「……だけどその理屈じゃあいつは救われない」
「うん?」
項垂れたまま、彼は言う。
「欲しいのは何時だって結果で、方法論や途中経過じゃない。それがこの世界のそれに、もうどんなに叫んだって逆切れしたってあいつは帰ってこないんだ。明かりの付いていた部屋は二度と付かないし『ただいま』って声に返される言葉もない。些細なもんだよ、普通なら気にも留めない普通の事だ。でもその些細な事が俺にでっかい穴を開けてったんだ。あんたに分かるか、その大きな穴がどんなに深くて、恐ろしいものか。あんたに、分かるのかよ」
十代目は言った。彼は良くも悪くも真っ直ぐな人なのだと。それは、私だけでない周知の事実だと思う。
真っ直ぐな彼が貫きたかった道を失えばどういう行動に走るのか、十代目も私も予想は難くなかった。…いや、この場合には、例え信念が折れようが折れまいが関係ないんだろう。そう思う事が、人として至極当然の反応だ。
自分の隣に居た、大事な人を失う。顔を合わせれば名前を呼ぶ、在る筈の当たり前がなくなる。もう手を握る事も出来ず、思い出の中ででしか会う事ができない。特別な思い出よりも日々の小さな習慣や仕草が、欠けてしまった存在の輪郭をより鮮明に、より残酷に浮き彫りにさせる。それが、何よりも彼の心を抉っている。
泣いてもいいのに。顔を涙と鼻水で濡らして喚いたって誰も文句は言わないのに。きっと彼だって、都合のいい言葉を喚き散らして袖をぐしょぐしょに濡らしたいほどの思いが渦巻いてることだろう。それでも感情を殺しているのは、時間が彼を大人にさせてしまったせいか。彼が自らに打ち立てた誓いに、後ろ髪を引かれているせいか。
「今まで何とか出来てしまったから、そんなにも意固地になってるのかしらね」
人の悲劇なんて、下手につつくものではない。ましてや諭して立ち直らせようなんて考えない方が相手のためだ。そっとしておくのが一番いい。だって塞ぎ込む気持ちも、喪失したものに執着する思いも、彼が感じているものそのままに理解する事は出来やしないのだから。全ては想像で、自分が経験したものを物差しにして推し測ってもそれは全くの別物なのだ。
だが、『大事な人』が際に立たされ、一人涙を堪えて静かに立ち去ろうとしているのなら話は別だ。
聞こえた言葉の意味が分からないというように彼は顔を上げて、
「……なんだって?」
「だからね、もっとシンプルに考えましょうよ。あなたが普通と称していた当たり前の事を振り返りましょ。守護者の使命とか身に付けた力がどうとか『些細な事』はさて置いて」
視線が交差する。
さあさて、どんなに自分が恵まれているのか知らず一人閉じ籠って悩む後輩に、先輩から有り難いお説教でもしてやろう。
「ねぇ、あなた本当に仲間に助けを求めずに一人で塞ぎ込んでこのまま終わってしまうつもりなの?」
彼の唇が動くが、音は出なかった。
彼の前で、ゆったりと笑って見せる。
「助けてもらえばいいじゃない」
頬杖をついて、さも当然のように。
「助けてくれって、言えばいいじゃない」
呆然としている山本武の目の前で、こめかみを人差し指でとんとんと小突きながら続ける。
「気に入らないなら力で示せ。弱い者は淘汰され強い者が蹂躙する。それがこの世界の理だった。でも、あなたはそのルールに則る事だってできたのに、ルールに反して戦ってきた。だってそのために戦ってるわけじゃないもの。傷付けられそうになってる仲間のために、理不尽な暴力に涙を堪える人のために戦ってきた。だったら、あなたがそのために戦ってきたのなら自分が不利になった時にだってその手札を使ってもいいはずよ」
何故今さら説明しなければならないのか、そんな調子で言う。
「困難にぶち当たったときも、自分じゃ解決できないことも彼らが手を差し伸べてくれたんでしょ。彼らだってあなたの心境ぐらいきっと察してる。あなたの辛さを真に理解しなくても、黙って傍に居てくれるわ。それなのに、大事な人を守れなかったことも力不足の自分を晒さないのは、彼らに失望されまいとするあなたの甘えに過ぎないわ」
「…………、」
「あなたにはどんな悲しみも苦しみも一緒に分かち合い泣いてくれる人たちが居る。頼り頼られやってきた、今までそうして来てうまくいってきた。だったら、苦しくて仕方ないことも、前を向けない事も、死にたいぐらいなんだってことも晒け出せばいい。忘れる必要も、顔を背ける必要もないわ。もしかしたらみんなで顔を突き合わせて終わるかもしれない。ぐじぐじ悩んだって結論なんて出ないかもしれない。でも、それでも最後の最後で、少しでも前を向く足がかりになれば、やっぱりそれは正解なのよ」
彼らはまだ未熟だ。マフィア最大のファミリーを担う力量を兼ね備えたとしても、精神力まで伴うわけじゃない。無論強く居続ける、守り続けることのプレッシャーも尋常ではないし追うよりも追われる方が神経を使う。
だからこそ、彼らは仲間で助け合い、未熟な手を取りあい、支え合わなければならない。個々の力が如何に強くても、一人より皆が居る方が差し伸べられる手は多いのだから。一人で立てないのなら手を貸してもらえばいいだけのことだ。だって、彼らはまだ子供なんだから。そうやって、彼らはここまで来たのだから。
彼は、山本武はそこまで言われて小さく笑っていた。
「……、でも、また思い出して潰れる。部屋に戻る度に、アルバムを広げる度に、道で男女を見かける度に。たとえ立ち直れたとしても、『本当なら』っていつまでも縛られていつかきっと崩れる」
「じゃあお酒でも飲んで吐き出しましょう」
気軽に、本気で告げた。
「食事して、お酒飲んで、理性とか見栄とか意地とかまどろっこしいもの全部取っ払って吐き出しましょう。『何とかなる』といって何とかしてしまう、そんなあなただからこそ居なくなったら困るって人だっているのよ。何とかなるし、何とかしてくれる。例え何度あなたが挫けそうになっても周りが腕を引きあげて、肩を貸してくれるわ。あなたの仲間は、そういう人たちでしょ?」
「……、きっと、あいつは俺を恨んでる」
「じゃあ謝りましょう。彼女の前で」
一コンマも置かず即答する。
「守れなかったことも、力不足だったことも言い訳せず全部。そして次こそは必ず守ると誓えばいい。彼女の元に行くまでは、彼女がもっと傍に居たかったと思えるぐらい最高に、素敵に生きてやろうじゃないの。彼女だって、いつまでも守ってあげられなかったことを悩まれるより、盛大に謝られてそのあと能天気に笑って居てくれる方がきっと安心するわ」
山本武は、しばらく動けずにいた。
全ては守れない無力さを知り、人を失う苦しさを知った彼はあまりに大きな傷を負った。どれだけ知った風なことをいっても、彼の傷の痛みは彼にしか分からない。私が言ったことはあくまで主観で、私個人の意見だ。彼の中でどこまで響いてるのか、はたまた響いていないのかは確かめる術はない。
それでも、と。
冷たくなってしまったホットミルクを置いて、彼の元へひざまづく。俯いた顔を下からちらりと覗けば、少年のように涙を堪える姿があった。
そっと、震える手に指を添え、包むように重ねる。
「それでも、あなたの中で雨が止まないのであれば傍に居ましょう。共に食事をして、お酒を酌み交わし、愚痴を吐きましょう。これはエゴですが、あなたを愛し、共に生きたいと思う人たちが居る事を、どうか忘れないで」
「っ、ふ………ぅ…」
やがて、ぼろり、と。
今まで溜め込んでいたものが決壊するように、子供のように顔をくしゃくしゃにして、
凍った涙腺から、涙が溢れた。
後日。
「ありがとう、真守さん」
例によって例のごとく、必要書類を届けて戻る際に言葉を投げられる。
ドアノブを回す手を止めて、十代目の方へ目を向けた。
「……何がでしょう」
「山本のこと。ありがとう、真守さん」
「……、私は言いたいことを言っただけです」
「それでもだよ」
真っ直ぐ向けられる視線を少しずらす。お礼を言われると、ちょっと戸惑う。
彼の辛そうにする顔を見続けるのも嫌だったし、彼の荷を少しでも軽くしてあげたいと思ったことは事実だ。しかしその働き掛けが正しかったのかは当人が判断することで私じゃない。ここで勝手に評価するのは筋違いだろう。それでもありがとうを連発する十代目に、視線をずらしついでに気になっていたことを聞いてみる。
「十代目は……、このことを予想されていたので?」
「…どうかな。でも俺たちじゃきっと、安い言葉しか掛けられなかった。彼の苦痛を想像したとしても、言葉は想像の範疇を出ないただの一般論だ。傾聴はできても真に共感することは難しかったと思う」
だけど、と。十代目は言う。
「守れるものの限界と、俺たちより人の死を眺めてきたあなたなら、きっといい答えを出してくれるって思ったんだ」
「……超直感ですか」
「勘だよ」
どことなく複雑な気持ちもするが、彼が元気を取り戻したのならそれでいいにしよう。しかし教師やカウンセラーの真似事は、これまでにしてもらいたいものだ。
聞くことも聞いて、改めて退室しようとドアノブに手を掛ける。
「真守さん」
「……、まだなにか」
「真守さんは、バカ言うなって怒るかもしれないけどさ」
十代目はまるでヒーローに憧れ夢見る少年のように、しかし決して絵空事にしない強い意志で語る。
「俺は、俺たちはちっぽけなものだ。守れるものだって、きっと限られてる。でも、例えそうであっても俺は守ってみせるよ。仲間も、家族も、勿論あなたたちだってね。それがボスとして、友達としての俺の覚悟だ」
ああ。本当に、眩しい人だ。目が眩んでしまいそう。彼の言葉を聞くと、結論を出したはずなのに自分だってそう出来そうとその気にさせられてしまう。余計な希望を抱かされる。
彼には前を向けと発破をかけたが、私もまだまだのようだ。これはまた、愚痴を溢しに誰かをバールへ連れていかなければ。
私と違う、清々しく羨ましいぐらいの価値観を持つ彼に、ぽつりと呟く。
「………あなたも、人の悪いお方です」
「え?」
「何でもありません。では、失礼致します」
廊下では何か工事が始まっていた。どうやら歩く道路とエスカレーターの設備をするらしい。これで少しは移動も楽になる。
どうせなら、設備だけじゃなく書類はメールで済ませられるようにしてほしい。ヴァリアー本部から来るのだって楽じゃないのに。……無理なんでしょうね、きっと。ハイハイどうせ希望的観測ですよちくしょう。
そんなことを思いながらロビーを通り、バイクを停めてある駐車場に向かう。その時、後ろから誰かが小走りで走ってくる音を捉えた。振り向く前に、聞きなれた声が届く。
「真守さん」
「……、ああ武さん。どうされたのですか?」
「えっと……その、この間のお礼と謝りたくてさ。……ごめん。すげー酷いことを言って」
「全くです。いくら気落してるとはいえ、限度がありますよ」
「うっ……ほ、ホントに悪い…」
「……でも、前を向いてくれたのですね」
「まだちょっと引き摺ってるけどな。でも、随分気分は楽になったよ」
「左様ですか」
あれから本部に行く用事もなく、彼からも連絡がなく少し心配していたが、いつもと概ね変わりない様子だ。安心した。
一緒に歩いて、駐車場まで他愛のない雑談をする。
「…なぁ、夜一緒に飯食わね?」
「ええ、構いませんよ。十七時頃でいいですか?」
「おう、時間になったら迎え行くよ。場所は歩きながら決めようぜ」
「分かりました。本部に来たらスクアーロに剣の修行に付き合わされないよう気を付けてください。ここ最近、物足りないようなので」
「あはは…、そりゃ気をつけねーとな」
あっという間に愛車の前にたどり着き、チェーンを外してバイクに跨がる。側でその様子を見ていた彼は、何か思案するようにじっと此方を見つめる。
「なぁ、外してくれてもいいんじゃね?」
「……、流石にノーヘルで警察のお世話になるのはちょっと」
「ああいや、ヘルメットじゃなくて敬語の方な。だめか?」
「……言った筈ですよ、あくまであなたは友人である前に十代目の守護者であり上司。失礼な真似はできません」
「でもさー、スクアーロだって一応上司だろ?敬語じゃねーじゃん」
「……、あれは上司(仮)ですよ。付き合いも長いですし、感覚としては同僚に近いんです」
「でも友達に敬語使われてると、何か距離遠いようで寂しいんだぜ?」
「そ、それは…」
「じゃあさ、二人だけの時は敬語なしでどう?それならいいだろ?」
「……、それなら、まぁ」
押されると、やっぱり弱いとつくづく思う。相手が年下、ということがあるせいか。母性本能なんてものが私にあるのかは知らないが、何故だか甘くなってしまう。……、それを母性本能というのだろうか、困ったものだ。
バイクをふかして、彼の元を去る。サイドミラー越しに映っていた彼の姿はあっという間に見えなくなった。
先日のことと、今の彼のことを思い返すと、自然とため息が出た。
「………ほんと、世話が焼けるんだから」
風もあるせいか、曇っていた空の隙間から青空がちらつきだした。
もう、雨の心配はなさそうだ。
バイクを走らせながら、ヘルメット越しに小さく笑う。
「…今日は、とてもいい天気になりそうね」
(2018.4.15)
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