来年も、期待してしまいそうだ。
三月十三日。さて、何の日か。
日本じゃあサンドイッチの日だとか新撰組の日だとか言うようだがそんなもの俺には一ミクロンも関係ない。知ったことか。じゃあ何か。それを自分の口から言うのは性格上、性に合わない。分かってくれなんていうつもりはないが、忘れられているというのも気に入らない。
しかしまあ、自分も大人だ。忘れられているぐらいでキレたりするほど沸点が低いわけでもないし今まで頓着なかったのだ、今更特別感を出すのも変な話だろう。今日も今日とて任務なのだ、むしろそれどころじゃない。
どかどかと早足に歩を進める。歩く様子からも表情からも苛立ちが伝わってるのか、すれ違う隊員は皆体を強張らせていた。
談話室に先客が居るがお構い無しに入り、堅苦しいスーツを脱いでどかりとソファに座り込む。
「あらん、お疲れさまスクアーロ。護衛の方は問題なく?」
「ねぇに決まってんだろぉ。ったくあのクソガキ、護衛なんて面倒なこと押しつけやがって…」
「しょうがないじゃないのよ〜、手が空いてるのあなただけだったんだもの」
「暇してるみたいに言うんじゃねぇ!大体、こういう仕事はあいつの領分だろぉが。何で俺に回ってくるんだぁ」
「あの子はあの子で忙しいのよ。仕事は分担しなきゃねん」
「あら、なんの話?」
ひょこりと談話室を覗き込んだ真守が茶封筒やら何やらを抱えて歩み寄る。
「良い話かしら?それとも悪い話?」
「ただの仕事の愚痴だ」
「護衛の仕事、そんなに嫌だったの?いいじゃない、護衛と言っても暴れられたでしょう?」
「守りながら戦うのと敵を殲滅するのとじゃワケが違うんだ、存分になんて程遠いぜぇ」
「ワガママねぇ」
やれやれ、なんて溜め息をつくルッスーリアに舌打ちをした。
と、その数秒後ドアが三回ノックされた。扉を隔てたまま、声が通ってくる。
「ルッス姐さん!そろそろ時間になります!」
「あらやだ。んじゃ、アタシはアタシのお仕事に行こうかしら。またね
ん」
「いってらっしゃい。気を付けて」
真守の言葉に、ルッスーリアは軽く手を振り返して応え談話室の扉を閉めた。
細かい理屈は忘れたが、気を付けて、と言うと生存率が上がるとかで真守は必ずその言葉をつけて送り出す。こんな仕事だし気休めだけどと言うがその通りだ。たった一言で生存率が上がるのなら二重三重にも重ね掛けるだろう。
だが、所詮は気休めの言葉。自分の生存率は自分で上げるもの、それでもだめなら死ぬものだ。偶然とか奇蹟とかは宛にならない。
それでも、統計を理由に語られるよりはずっとマシだ。
談話室には二人残され沈黙が流れる。無言の空間に居るのは慣れたものだが、話さない理由もない。
真守の腕に抱えられた封筒や紙の束を見て、一応聞いてみる。
「………お前はもう仕事ねぇのか」
「ないように見える?そうだったら嬉しいけれどね。そっちは?」
「これから本部に行くところだ」
「あ、本部に行くならついでにこれお願いできるかしら。行く手間が省けて良かったわ」
「んなもんテメェでいけぇ!俺を小間使いすんなぁ!」
いいじゃないケチ、と唇を尖らせて不貞腐れる。そう言いつつも、こいつもそれなりに仕事を持っているのは確かだ。恐らくその手に抱えられているのはこの後片付ける予定のものだろう。慢性的な睡眠不足なのは知っているが、その中でも何とかやりくりしてきている。眠れることに越したことはないだろうが、この仕事女はきっと寝やしない。今更どうこうしようったって無駄だろう。
自分の仕事を終わらせるため、ソファにかけていた上着を持って彼女の横を抜けていく。
「……ありがと」
「…………ったく。作ってやった貴重な時間を無駄にしてたらただじゃおかねぇぞ」
分かってるわよ、なんて言う言葉はイマイチ信用に欠ける。どうせ別の仕事に入り浸るんだろう。仕事を片付けるので手一杯。そんなことは重々承知している。
今日が何の日か分かってんのか。
なんて、大事にしてなかったものに拘るのもどこか滑稽な気がして口には出せない。女でもあるまいに。
クソ、と一人で悪態をつく。
「ああそうだ。ねぇ、ちょっと待って」
「あぁ?なんだぁ、まだ何か押し付ける」
き、と言葉はそこで途切れた。緩めたタイを引っ張られ、そちらに体が傾く。
軽くだが、触れた柔らかい感触に一瞬何が起きたか分からなくなった。暗殺者がそんなことで動揺するなと同業者からは言われるだろうが相手が相手だ、動揺するのは無理もない話だと俺は思う。この談話室に誰も居ないのが救いだ。
触れていたものが離れると見慣れた、日本人らしからぬグレーとブルーが混在した瞳がこちらを捉える。逆も然り。
余裕のあるような態度の中で、わずかに視線を彷徨わせる。ああ、照れてやがる。自分からやったくせに。
だが、その慎ましい矛盾がどうしようもなく。
「Buon compleanno.スクアーロ。道中気を付けて」
応える前に真守は足早に談話室を出て行った。しん、と状況に置いて行かれた俺が静かな空気に残される。
たっぷり十秒。そっと覆った手の下で、口元が緩く弧を描くのを止められなかった。奴の腕から引き抜いた茶封筒にしわが寄ってしまったが、そんなものを気に留めることはない。
一人、部屋に突っ立って顔を手で覆った。
「……ああ、クソ。柄にもねえ」
自分も、あいつも。
誕生日なんて平日に付加価値が付いたにすぎない。年齢を重ねていくほど、特別な日という感覚は薄くなる。実際、俺はそうだ。そもそも特別な日という感覚すらなかった。ルッスーリアのやつはそういうのを祝いたがるが…俺は何を騒いでるんだと冷ややかに見ている方だ。
「(だがまあ…、これじゃ)」
にやける顔を引き締めようと深呼吸をして、しかし上機嫌になる気分は残ったまま彼女の後を追うように談話室を出ていった。
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