生きて愛したいと哭いた
-ヴァリアー本部-
機嫌が悪い。
廊下を歩き書類をぺらぺらと捲りながら目を通すも、黙ってると余計に腹が立ってくる。
何に腹を立てているのか、それはカスどもがミスをした尻拭いをさせられたからだ。俺が関与した案件ではないが、先日ボンゴレにちょっかいを出してきた組織の制圧任務があった。任務自体は滞りなく終わったが、どうも数人取り逃がしていたらしい。しかもそれが傭兵崩れで小細工を効かせて抵抗しているようで、始末が難航しているとのことだった。そのため、俺が駆り出されたというわけだ。それがついさっき終わり、取り逃がした奴らに『一喝』してきたところだった。
「自分のミスぐらい自分で何とかしろってんだァ、これだからクソカスどもは使えねぇんだぁ!」
苛立ちを口にするも限界で壁を蹴り飛ばす。近くにいた隊員が怯えたように体を固まらせていた。もはや誰を見ても殺意しか湧かない。それは周囲にも伝わってるのか隊員たちはそそくさと逃げていく。それもそれで腹が立つ。
さっさと部屋に戻ろうと足を運んでいると、
「スックアーロー」
「う"ぉ"あ"?!」
不意に、聞き覚えのある声と共に背中に衝撃が叩き込まれた。苛立ちで多少注意が散漫になっていたのか、背後から近づいてきていることに気付かなかった。
一、二歩よろめいて、ぴたりと動きを止める。この俺に、こんな真似が出来るのは一人だけだ。
「テメェ…何のようだぁ…」
「いや、特に用とかないんだけど。あ、これ私宛の書類?」
しれっと何の悪びれもなく言ってのける女の声。案の定、シバノだ。ジャポネーゼはみんな大人しく、上司に対して失礼なことはしないと認識していたが、こいつに関してはそれは改めた方がいいようだ。
俺の肩より低い位置にある頭を見ると、何故か濡れた痕跡がある。何で濡れてんだ。なんて思っているとするっと自分の手元から書類がなくなった。
「う"ぉ"お"お"い!勝手に見るんじゃねえ!」
「書類の一つや二ついいじゃないケチくさいこと言わないで。…えー何々、これ今日?あ、この後すぐじゃない!」
どんなに怒鳴っても、こいつは怯える様子も畏まる様子はない。怒鳴るだけバカらしいと最近思うが、苛立ってることもあってつい何時もの様に言葉が出る。
ぺらぺらと書類をめくると、げ、と汚いものでも見たかのような反応をした。
その中にはこいつへの任務通知が入っている、それを見つけたんだろう。しかもそれは別任務で交戦が続き人手が足りなくなった救援要請。急を要するためあと一時間後に出発しなければいけないもの、所謂部下の尻拭いといったところだ。
「この後すぐか…面倒」
「放棄してもいいぜぇ、仕事しねぇ奴はいらねぇからなぁ」
「あなたは?」
「俺のはすぐ終わるのばっかだぁ」
「いいなぁ。私のもやってほしいくらいね」
「寝言を言うにしては目ぇ開きすぎだぁ。自分の任務ぐらい自分でこなせ」
「行って任務終わらせて戻ってくるまで結構あるし、その間に充電が切れて死んじゃうじゃない」
「そのまま死ねえ」
「酷いこと言うのね。思い人は大事にすべきじゃないかしら」
「俺は大っ嫌いだがなぁ」
この調子だ。顔を合わせれば、想っているだの好いているだ何だのと。いい加減聞き飽きた。こちらのことも知らず何時もの調子なだけに、余計に癇に障る。
さっさと任務に行けまだもう少しと悶着しているとベルが向かってくるのが見えた。
「あれ?お前らまた一緒にいんの?ししッ」
「あ、ベル」
俺たちを見つけると、愉快なものを見たと言わんばかりににやにやと笑う。またってなんだァ、と言いたいところだが面倒になるのはごめんだし、早いところ切り上げて戻りたかったために閉口する。
「それ、早く洗濯しないと取れなくなるよ」
「いーんだよ別に。汚れたら捨てるから」
「坊ちゃんめ…。もったいないお化けに首絞められろ……」
「終わったんならさっさと報告書出せぇ。前みたいなふざけた報告書出したらぶった斬るからなぁ」
「あーん?誰に指図してんだよ、刻まれたいわけ?」
「んだとぉ…?」
抑えていたイライラが殺気となって漂い始める。このクソガキ、スライスしてやろうかと左腕に力がこもった。
ここの幹部どもはひと癖ふた癖もある実力者揃いだが、癖が強すぎて度々こうした一発触発の事態に発展する。特にこの目の前のクソガキはクソガキ故に、憎らしい口を叩くもんだから余計にそうなりやすい。だが、わざわざ仲裁に入る隊員や幹部などいない。幹部同士の手加減のない喧嘩の仲裁に入って病院に送られたなんて、割にも合わない話だからだ。
丁度いい、我慢の限界だったんだぁ...こいつでストレス発散でもして
「あーもー喧嘩はなしって言ってるでしょ。どんだけ血の気が多いの、どうせ流す血なら献血にでも行ってきてほしいんだけど」
…そういえばいたか、『仲裁役』が。
俺とベルを結ぶ一直線上に堂々と入り、手のひらを向ける。
「う"ぉ"おおい、怪我してえのかお前。どけえ」
「嫌です。やり合って巻き込まれる私の事も考えてくれるかしら」
「はッ、周りのこと考えて剣を振るってたんじゃあ暗殺なんて務まるかよぉ」
「最もだけど、ダメなもんはダメ。ここでバトルして被害を出したらまた上から経済干渉が入るし、それで首締められるのはそちらさんじゃなくて?」
「…ちっ」
ヴァリアーは部隊としては独立しているが、あくまでボンゴレファミリーの一部だ。設備費や修繕費なのど経費はボンゴレの本部から予算として与えられている。だが度重なる破壊や負傷者を出すことは、ボンゴレ全体にとって明らかな『損害』であり『負債』だ。そのことで度々上から予算カットや幹部同士のバトル禁止のお達しがくるが、律儀に守るわけもない。そのため他より幹部間の交流のあるシバノが『仲裁役』としてここにいるのだ。小隊長という地位もつけられて。
「(被害がどうとか損害がどうとか、そんな事に一々気を取られていたんじゃ此処じゃあとてもやっていけるかよ)」
だがその経済制裁は、確かに痛手だ。普通に考えて部下の不始末は上司の責任とされる。かといってあの傲慢なボスが自分達のために頭を下げるなんて真似は天変地異が起きてもしない。故に、そのツケがこちらに回ってくるのだ。上からも、ボスからも。それを考えると今からでも胃が痛くなる。
「はッ、言うようになったじゃねぇか、下手な抗弁より効果があるぜぇ」
「それはどうも」
ベルもそれで興が削がれたのか、舌打ちをしてナイフを仕舞う。
「…つーか思ってたんだけど、お前ら付き合ってんの?」
「な"ぁ…」
口も一緒に閉じとけクソガキぃ…。すぐに反論しない俺にまるで味を占めたかのような意地の悪い笑みを浮かべて、
「あ、もしかしてもうデキてるとかぁー?」
「ふざけた事言ってんじゃねェ!三枚に卸されてぇのかあ!」
おーこえー、とベルはけらけらと笑いながら柴野の隣を抜けていった。チャチな煽りに過剰なまでに反応した自分が鬱陶しい。くそッ、最高に腹が立つ。
「カスが…」
「そんなに嫌がんなくてもいいでしょ。ああ、もしかして照れ隠しかしら?まともな恋愛をしてないからその反応するのは分かるけど。何なら私がお相手になってもやぶさかでは」
直後、腕を振るって五月蠅い口を黙らせた。乾いた音が廊下に響き、よろりとシバノの体が傾いて髪で顔が隠れる。
ざわざわと、身体の中心に嫌悪感に似た感情が渦巻いた。その感情は濁流のように膨らんで軈て怒りとなり、ナイフのような鋭い言葉に変貌する。表情が、目が、冷めたものに変わっていく。
だが、止めるべきだ。今口に出そうとしている言葉は、これまでになくこいつを傷付ける。それどころか、取り返しがつかないことになってしまう。そんな気がする。
出してはならない。
「いつもいつも心にもねぇ事ばっか言いやがって…」
言うな、
言うな、
「鬱陶しいんだよお前。さっさと俺の前から失せろォ」
場が、空気が、凍りついた。
小さい体が、より小さく見える。たっぷり十秒使って、シバノの唇が動いた。
「……あー…そ、か」
頭をゆっくりと持ち上げて、髪で隠れていた表情が視界に映った瞬間、
俺は後悔した。
「それは、悪かったわね。スクアーロ」
絞り出すように、たったそれだけ言って。
シバノは俺に背を向けて、視界からいなくなった。
-自室-
「くそッ…、くそがぁ!」
部屋にあった椅子を力任せに蹴り飛ばす。直後激突音が聞こえ、その衝撃を抑えられず周囲のタンスやテーブルに当り散らしてごろごろと床を転がり音を立てなくなった。あとは空しい空気だけが残る。さっきの苛立ちとは違う、向ける場所もないイライラが噴き出してきて落ち着かない。
ざわつく心を大人しくさせようとうろうろと部屋の中を歩き回る。
「なんだってこの俺が、こんなことに時間を割かなきゃいけねぇんだぁ…ッ!」
あいつがロクに弁解もしないで黙って行ったことが予想外過ぎて、いつになく動揺している自分が煩わしく、そしてこんな事態になったことが癪に障る。歩いても落ち着かず、ベッドに手荒く座って額に手を当てる。
「(面倒くせぇ…)」
記憶の中で、
『スクアーロ』
記憶の中で、自分を呼ぶ声がした。
『ねぇ、スクアーロ』
ぎりぎりと噛み締めていた万力のような力が次第次第に力が抜けていく。漸く体の中心で暴れていたものが大人しくなり、冷静な思考が戻ってくる。
静かに、視線を落とす。
「(知ってはいたんだ。あいつが、俺を『そういう対象』と見ていたことぐらい)」
あいつが俺たちに対して堂々として居られるのには、『仲裁役』であることとは別に、それなりに理由がある。
元はただの隊員で同じ任務に就いたこともあったが、如何せん女は戦いの役には立たない。多くは現場から遠退き後方支援に回るのだが、柴野は現場に居続けた。だが男との差は大きく、他の隊員からは足手まといのレッテルを張られていたらしい。
そんな劣等感からか、柴野はルッスーリアに格闘技を教わり出した。その頃からよく顔を見るようになったのを覚えている。
『なんだあ、あいつ』
『あぁん、あの子?マモル・シバノっていうの。一生懸命で可愛らしいでしょ〜ん』
『お前の趣味なんて聞いてねぇ。なんでここに居るんだァ、ここは幹部の俺たちが使う場所だろぉ』
『思ったより見込みのある子なのよ?んん〜、そういう向上心のある子って応援したくなるわよねぇ』
『はッ、力をつけたところで足手まといは足手まといだろぉが。どうせすぐにへばって逃げるだろうぜぇ』
初めはそう嘲っていたが、来ない日などなかった。ゲロを吐いても骨を折っても血を流しても弱音は一切吐かずに。そして、足手まといと言わせんとする執念と吸収の良さで次第に力を付けていった。
そのうちベルやマーモンも顔を出してはちょっかいを出していくようになり、鍛練時間以外でも一緒にいる姿を目にするようになった。
かくいう俺も、その姿に感心を覚えていた。攻撃への反応速度も、回避力も、耐久性も力の使い方も、初めの頃に比べれば格段に上がっていて、手合わせしたらどうだろうかとうずうずしていたものだ。実際、手合わせしてあいつが勝てたことは一度もないが、手合わせするのが日課になるほどには愉しませてくれた。実生活でも一緒に過ごすことが多くなっていったのは、言うまでもなかった。
「(何時からだ、あいつの言葉に気を引かれるようになったのは)」
初めこそ上司と部下のような、師弟のような関係だった。それがいつの頃からか境が曖昧になり、暇さえあればあいつの稽古に付き合う理由がわからなくなっていた。
考えれば考えるほど、泥沼ような思考に陥る。ここまで一人の奴に気を取られるなんてよっぽどだと、自嘲しなければ今まで堪えていたものが溢れてしまいそうになる。
そこでふと、時計を見た。
随分時間が経っていたようだ、あれから一時間以上経過している。
「…あ?」
シバノが、あれからここを来ていない。
いつも時間に余裕ができると稽古場にいるか俺の部屋にきては他愛もない雑談をしていた。特に、任務前には準備が整うと出発前までの時間潰しにと、俺の都合もお構いなしによく顔を出していた。
まぁ…ああいったあとだ、来るものも来れなくなるかと思っているとノック音が聞こえた。
「…!し、」
「スクアーロ?ちょっといいかしら?」
「…なんだ、お前かぁ」
何だってなによぉ!失礼しちゃう!とくねくねと身体をくねらせながら文句をいうオカマ幹部に思わず舌打ちをする。勘違いした自分にもだ。
「あら、随分荒れてるのね。カルシウム不足?」
「何の用だぁ」
「ああそうそう、あの子の事なんだけど…ちょっと様子が変だったのよ。何か知らないかしら?」
「様子だと?何だぁ、あいつもう任務に行っちまったのか?」
「一時間くらい前にね。任務に行く前に合って少し話したんだけど、何だか変な風に笑っててねぇ」
思わず目線をそらす。明らかに、それは俺の言葉だろう。しかし、異変を短時間で察知し真っ先に俺のところに来る辺り、このオカマはそういう事には目ざとい。オカマの女の勘というのは、妙に痛いところを突いてくるから厄介だ。
「…だからってなんで俺のところに来るんだぁ」
「その様子だと、心当たりありそうね。あなた、あの子に何言ったのよ?」
「あ"ぁ?!テメェに関係ねぇだろぉが!」
「関係はないけど〜、あの子、気になることがあると意識が散漫になっちゃうところがあるから、ちょ〜っと心配なのよねぇ」
「………、」
今回の任務内容が頭をよぎった。Aランクの、ボンゴレのブツを横流ししてる組織制圧の救援任務。救援なのだから、大方は片付いているだろう。Aランクと言えど、あいつならそう手間取る内容じゃないはずだ。なんて言ったって、俺たちが叩き上げたのだから。
そう思うのだが、
最悪な惨状が、脳裏にびりついて仕方ない。
「戻ってきたら、ちゃんと仲直りして頂戴ね。じゃなかったら、あなたをコレクションにしちゃうか、も」
「あ"あ"?!できるもんならやってみやがれ!」
「そうそう、その調子で頼むわよ〜。じゃ〜あね〜ん」
軽口を叩いて、ルッスーリアは部屋を出ていった。
再び一人取り残された俺は深いため息をつく。
「戻ってきたら、か」
外は、まだ明るい。
-屋敷-
「制圧完了!負傷者には手を貸せ!これより帰還する!まだ屋敷に残っている者にもそう伝えろ!」
この制圧任務で負傷者はあれど犠牲者はなし。本来なら負傷しないこともヴァリアーの一員ならばクリアしなければならないとは思うが…、それはそいつらの力不足だ。
「(俺くらいになられば、これくらい容易いものだがな)」
屋敷の中で無線から制圧完了の伝達を受け、残っている隊員を探す。生きている敵組織のやつは降伏を奨め共にアジトに連れ帰る。奴らの持ってる情報など大した事もなさそうだが、無いよりはましだ。
壁にあちこち穴が開き、その近くには敵がごろごろしている。それはボスの部屋に近くなるにつれて酷くなっていった。
部屋の前までくると、鉄臭さに顔が歪む。どれだけ凄惨な状態になっているのか、ハンカチで口と鼻を覆って部屋を覗くと、思わず目を疑った。
なんで、
「(なんで、こんなに『キレイ』なんだ?)」
家具も、壁も、殆ど破損していない。窓に至っては一枚も割れていない。他の場所では『交戦の痕』というのが生々しく残っている。それなのに、この部屋に至ってはついさっきまでティータイムでもしていたかのような雰囲気さえ感じる。それが逆に異様で、不気味に思える。
そんな中でも、『交戦の痕』はその存在を主張していた。
絨毯に付いた、バケツの水をひっくり返したような大きなシミの上に横たわる、数人の死体だ。
「(情報では幹部は五人。つまり此処に居るのはボスを含めて六人。六体分そこにあれば、任務は完遂したことを意味するんだが)」
そこには、『七人』いた。
黒いスーツ姿の男たちと、白いスーツに宝石を指に飾ったボス。
そして、ヴァリアーの隊服姿の人物。
体のラインや身長をみて、女だろう。
「(もしかして、いや、もしかしなくても…)」
だが、動く気配はない。相打ちにでもあったのか、相当の怪我を負っているのだろう。隊員の姿を目にしても、声や物音の一つも立てないのがその証拠だ。
ふつふつと、何かが湧く。
『この先がボスの部屋?』
この制圧任務には別に部隊を指揮する者がいる。だが、予想以上に交戦が長引いたために救援を呼んだのだ。
『じゃあこれ投げるから、投げたら撃つのを止めて目を瞑って。その隙に私が行く』
それが、あの女小隊長だ。思い出しただけで、吐き気がする。
ふつふつふつふつぐつふつぐつぐつぐつぐつぐつぐつぐつ。
「(よりにもよって、あの女に。小娘の分際で小隊長?ふざけやがって。どうせ幹部どもの枕にでもなったんだろうが)」
最小限の人員で、最低限の動きで、的確に相手の急所を撃ち、任務を完遂させる。この部屋の様を見れば、その手際の良さは一目瞭然だ。それは確かに一般の構成員や隊員ではやり得ないほどの高い技術だ。誰が見てもそう思うだろう。
だが、それが目障りなのだ。
強い、強い、汚く濁った感情が湧く。長い時間火に当て続けられていた水の様に、マグマの様に。
ふつふつふつぐつふつぐつぐつぐつぐつぐつぼこぐつぼこぼこぼこぼごぼごぼごぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼッッ!!!
「おい」
背後から声をかけられ咄嗟に振り向くと、別の隊員が居た。どうやら同じように残された隊員を探しに来たらしい。
「どうした、誰かいたのか」
聞かれて、心臓が大きく脈打った。この隊員からは女の姿は見えていない。
もしかしたら、まだ息があるのかもしれない。ここで駆け寄り生きているなら応急措置を取って医療班に連絡を取ることが正解なのだろう。
本当なら、いやそうでなくても、それが正しい道だ。
「おい、聞いてるのか。」
「あ?聞こえてるよ」
正しい、が。
「『ここには誰もいない、別を探そう』」
「そうか。なら戻ろうぜ、もう他の場所に隊員はいなかったからよ」
くるりとその言葉を信じた隊員は踵を返す。その後ろ姿を見ながら、もう一度、生きてるかもしれない女に目をやって、
「あばよ、小隊長殿」
その場を後にした。
あれから二時間経った。
以前、部屋の扉を開ける気配はない。外はすでに日が沈み始めて、反対側からは夜が迫ってきていた。
まだかまだかと焦燥が滲み、部屋では待ってられないと談話室に足を運んだ。そこには、ルッスーリアとベル、マーモンが顔を揃えている。
「遅いわねぇ〜…」
「手こずってんじゃねーの?あいつ、爪が甘いからなぁ。うししッ」
「それで済むなら、いいんだけどね」
「なんだぁ、まだ帰ってきてねぇのかぁ?」
俺に気付いた面々が顔を向ける。
「あら、スクアーロ。そうなのよ、一、二時間で帰ってくるって言ってたけどね〜、何かあったのかしらん」
「そうか…」
「しししッ、オカマから聞いたぜ?オマエ、あいつと喧嘩したんだってな?」
「…だから何だぁ」
当人を睨み付けると、ほほほほほとわざとらしく笑って顔をそらす。カスが、ぺらぺらと喋りやがって。気まずさと苛立ちで殺気立つ俺に、ベルはにやにやと厭らしく笑う。
「あいつ、そういうので腕が鈍ったりするからなー。帰ってくんのが遅いのもそのせいなんじゃねーの?」
「うるせぇぞガキぃ!大体、気になるなら連絡でも取ればいいじゃねぇか!」
「それが端末にも無線にも繋がらないのよ。もしかしたら、潰れちゃったのかも」
その瞬間、再びあの姿が浮かんだ。
何をしても反応しない事切れた人間の姿だ。見慣れた、見飽きたはずの光景に焦燥感が大きくなる。
早く、早く帰ってこい。その間抜けな面を早く俺に見せろ。
その時、外から車のブレーキ音が聞こえた。
「(戻ってきた?!)」
そう思った時にはすでにロビーに向かっていた。後ろから声が聞こえたが、気に留めてる場合ではない。
ロビーに辿り着くと任務に向かっていた隊員が次々と車から出てくるところだった。中には負傷した奴もいるようだが、その中にあいつの姿はない。
溜まりに溜まった不安を怒りとしてぶつける。
「う"ぉ"おい!おせーぞテメェらぁ!!」
「す、スクアーロ隊長!申し訳ありません!中々敵もしぶとく」
「奴はどうしたぁ!シバノの野郎は!!」
「え、あ、し、小隊長、でありますか?!」
「そうだぁ!テメェらカスどもの尻拭いに向かったはずだろぉが!」
づかづかと一人の隊員に近付き胸ぐらを掴む。殴られると思ったのか、至近距離で怒鳴られた隊員はひぃっと情けない声をあげる。その挙動にいちいち殺意が湧いてくる。余裕がないのが丸わかりだが、もはや気にしていられない。額がつきなそうなほどに顔を近づけ、さらに威圧する。
「サッサと応えろぉ!シバノはどうしたって聞いてんだぁ!!」
「しょ、小隊長は」
怒号に怯えた隊員は目を白黒させながら、俺の声につられて、
大声で、はっきりと叫ぶ。
「小隊長は、此方には居りません!もうお戻りになられたのかと…ッ!」
は?と間抜けな声が出た。
呼吸が、止まった。
時間さえ止まったような気がした。あらゆる感情が削げ落ちたような、今までどうやって感情が作り出されていたのかを忘れてしまった。温まった体を氷水の中に沈めたように芯まで冷えていく。
得体の知れないものが湧き上がり、正常な思考を奪っていく中で、必死に言葉を思い出す。
今この目の間の隊員は、何て言った?
小隊長は、此処には居ない?
瞬間、ガソリンに火を付けたようにそれが爆発した。
「そ、…んなわけあるかぁッッ!!なんでテメェらの後に行って、先に戻ってこなきゃならねェんだぁ!くだらねぇことほざいてると三枚に卸すぞぉ!!」
「ほ、本当です!組織のボスの死亡を確認して、負傷した隊員は皆連れて戻ってきたのです!」
「『負傷した隊員』は?」
背後から疑念の声が聞こえた。
声を聞きつけたルッスーリアたちが隊員たちに訝しげな視線を送る。
「それって、『死亡した隊員』は置いてきたってことかしら?」
「ッ?!え、あ、そ、そういうわけでは!!決してそういうわけではッ!!屋敷の部屋は全て調べました!無論ボスの部屋にも、何処にも居ないと報告を受けて…!」
「受けただけ?実際に見てねぇってことかよ?」
「ッッ?!い、いや、その……」
途中から言葉が入ってこなくなった。色んな情報が頭の中を走り回っている。気が動転すると人は正しく状況を把握することが出来なくなるのだと、初めて知る。
その時、後ろで控える一人の隊員が目に入った。誰もがこの場に緊張し、重い空気に足を震わせている。そいつも同様だが、視線を落とし異様に汗をかいている。他の隊員に比べてそれは不自然に感じ取れた。
胸ぐらを掴んでいた隊員を横へ押しのけ、その隊員の前に立つ。俺に気付いた男は大袈裟なぐらい大きく肩を揺らした。
「おいお前…、あいつがどうなったか言ってみろぉ」
「は、はい…ッ!し、シバノ小隊長は、その、単独でボスの部屋に突入されたのですが、その後どの部屋にもいらっしゃず行方知れずで…、」
「それで」
目を泳がせて必死に言葉を紡ぎだす。抑えようとしているようだが、鼓動が此方まで聞こえてきそうなぐらいに酷く動揺している。何かを隠し通そうと、急ピッチで理由を作り上げているように映った。
「そ、それで、ボスの部屋を確認しましたが敵の幹部とボス含め七人の遺体しか」
「七人だぁ?」
その瞬間、男はハッとした。まるで、致命的な過ちをしてしまったというような絶望的な顔で。
決定だ、これ以上聞く必要はない。
「が、は ッ?!!」
男の首元を一閃する。遅れて短い悲鳴が聞こえ、ふわりと首は胴から離れる。三秒ほど男の頭は宙を舞って赤黒い放物線を描き、地面の上を転がった。周囲の隊員の声色が動揺から恐怖に変わる。
司令塔を失った身体には目も向けず、近くに停めてあったバイクに跨がる。アクセルを全開に噴かし、同僚の声を流してアジトを出た。
「……何してやがんだぁあいつは…ッ!」
けたたましい音を立てながら、あっという間に姿を消したあと、残された面々は数秒間立ち尽くした。その姿を見送ったルッスーリアは心配の色を滲ませながらも、いつもの調子で隊員たちに呼びかける。
「…あの子の事は、スクアーロに任せましょ。さ、皆そんなところに突っ立ってないで、早く仕事して頂戴。勿論、『それ』の片づけも、よろしくねん」
自分がどういう道を通ってきたのか、記憶にない。とにかくバイクを走らせ続けた。途中で何度か横から車が飛び出してきてクラクションを鳴らされたような気がしたが、全部無視だ。
屋敷は山中にある別荘。そこに繋がる道は一本だけだ、敵の侵入経路を限らせることで迎撃しやすくしているんだろう。ロクに道が舗装されていない一本道を速度メーターが振りきれんばかりに駆けあがる。
「冗談じゃねェ…」
爆発しそうな感情が伝わるようにハンドルを握る手に力がこもる。
頭の中は真っ白で大音量で鳴る鼓動に邪魔されて大して思考が回らないくせに、必死に頭ごなしに否定する。
「そんなことが、本当であってたまるかぁ!!」
ガゴンッ!!と突然ハンドル操作が利かなくなった。隆起した地面にタイヤが乗り上げたのだ。勢いは殺されず、モトクロスの様に高々とバイクごと宙に放り投げられる。
バイクと共に宙を跳ぶと屋敷が見えた。あそこに、あいつがいる。
着地を待てずハンドルから手を離し、バイクを踏み台にして更に跳躍する。
重力に沿って一直線に屋敷の三階部分へと落下していくが、無論そこに入り口はない。
なければ、作るまで。
「ぉ"ぉ"おおおおおおおおおおッッ!!」
外壁に直撃する間際に剣を壁も窓も切り刻んで中へ浸入する。瓦解する壁の後で、爆発音がしたが目を向ける事はない。
銃撃戦の激しさを物語る痕がつけられている廊下で、ゆっくりと立ち上がる。
すぅ、と空気を吸い込んで、
たった一人、取り残された女に聞こえるように、
一気に、吐き出した。
「シバノぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
びりびりと空気を震わせ、建物全体が揺れたような気がした。
しかし聞こえるのは反響した自分の声で、それ以外は聞こえてこない。絶叫があっけなく空気に吸い込まれ、いよいよ否定してきた事が色濃くなり始める。きっと過去の自分なら、結論は出ている、諦めろと一蹴して必死な姿を嘲笑うだろう。
だが、それでも、諦めることができない。
自分の目で、確かめるまでは。
「くそがぁ…!どこに居やがるッ!出てきやがれぇ!」
壁を斬り、調度品を刻み、撒き上がる風塵を払い除け、内側で暴れる感情が手足を操り体現する。
ボスの部屋に単独で乗り込んだという話だった。なら、居るとすればその部屋だ。担当の任務ではないが、間取りや内容は頭に入っている。
窓ガラスや壁の破片、無数の薬莢が散らばる廊下を進み、交戦の時間の止まったままのスーツ姿の男達を飛び越える。
その場所に向かうために、ひたすら足を動かした。少しでも緩めれば、後ろから手を伸ばしてくる『最悪の結末』に絡め取られて動けなくなってしまいそうな気がする。
暫くして、漸く辿り着いた。
ここだけが、戦いの痕跡が最も薄く、最も濃い戦いがあった。時間が経った今でもそんな雰囲気が漂っている。
半開きになった扉を強引に蹴飛ばして、中に足を踏み入れる。
「う"ぉ"おおおいッ!!シバノぉ!どこに居やがる!」
窓ガラスも割れていない部屋には、床に血の沁み込んだカーペットと幹部とボスの死体が転がっている。それらを取っ払えば再び使えそうなぐらい『キレイな』戦いが起きた部屋の中に、
『それ』は、横たわっていた。
「シバノッッ?!!おい、しば」
咄嗟に駆け寄りその小柄な体を抱き上げた瞬間、
何かに、亀裂が入る音がした。
反応が、ない。
ぴくりとも、芋虫ほどにも動かない。腕や頭は糸の切れた人形のようにだらりと重力に抗う事を止めている。唇も青くなり乾ききっていて空気の一つも動かさない。
彼女を抱き上げたまま、目の前の事実に心臓を凍らされた。
理解が、追いつかない。五感で感じ取っているはずの至極単純な事実を理解するまでの道のりが、異様に長い。結果は出ているのに、認めたくないと感情が受けいるのを全力で拒否している。
言葉を失って数十秒。
俺は、笑っていた。
「おい、おい、おいおいおいおいおいおい、どうなってんだぁ。何してやがる、おい、起きろォ、寝てんじゃねェぞぉ」
思わず、笑ってしまった。この事態を理解するのを放棄した。これは芝居だ。きっとそうだ。そうでなくては困る。ヴァリアーの幹部が叩き上げた女が、たかがAランクの任務で命を落とすはずがない。
そう思いながらも、亀裂の音は止まない。
「起きろっつってんだぁッ!いつまで寝てやがる!さっさと目ェ開けねぇと叩っ斬るぞぉ!!」
胸ぐらを掴んでガクガクと揺さぶっても、
顔の真横に剣を突き刺しても、
何のリアクションも、取らなかった。
絶叫に応える者はなく、部屋の空気に空しく霧散していく。
そして再び無音が部屋を支配した瞬間、
「あ……、」
認めてしまった。
もうどれだけ否定しても、結論を認めてしまった以上、目を背けることが出来ない。頭が、心が、その結論で埋め尽くされる。
彼女が生きている、それを証明することがもう出来ない。
ガラガラと、足元が、ここまで自分を支えていたものが、
崩れ落ちる音がした。
「あ、ああ」
柴野真守は、居ない。
身体は存在しても、自分の名前を呼ぶ柴野真守は、どこにも居ない。
「ああ、あ、ぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!!」
途端に全方位から心を圧迫される。剣帝と二日間に渡り死闘を繰り広げた時でもこんなに苦しめられたことはない。
人の死に傷心することなど、一生ないものだと思っていた。ニュースの中で流れる他人の死と同じように無関心でいるのだと、思っていた。死んだ人間に一々花を手向ける様な真似をしているなら、こんな仕事はしていない。
だが違った。
死が、辛い。
痛い。
苦しい。
切ない。
経験してこなかった感情が、鉄砲水の様に一気に溢れ出てくる。どこまで行っても真っ暗な世界に放り込まれるような、絶望感に虐げられる。
冷たくなってしまった小さな体を抱きかかえながら、もう一つの事実を認める。
あの時は。
別に特別な思いなどなかった。
『はぁ、はぁ…っ、ぁ……い、一回も勝てないなんて……』
『はッ、剣帝を倒したこの俺を、ちょっと鍛えたぐらいで越えられると思うんじゃねぇ。ま、それでもここまで追い縋ってくるぐらいにまで成長したのは褒めてやらんこともないがなぁ』
『隊長から…はぁ、そのお言葉をいただけた、ッだけでも…光栄です…』
『…その隊長ってのやめろ、あと堅苦しい敬語もだァ』
『え?』
補充の利く構成員という中に埋もれず、自分に誇りを持って業の研鑽に励むその姿勢に対する、褒美のようなつもりだった。
『いい…んですか?』
『あ"ぁ?何か文句でもあるのかぁ?』
『あ、いえ…。ただ…純粋に、戸惑ってて』
『はッ!そうだろォ、この俺から褒美をもらっておいて文句言いやがったらその口縫い付けてやるぜぇ』
『でも、…嬉しい、です。純粋に、嬉しいです。私、貴方にずっと』
思えば、あの時からなのかもしれない。
俺の中で、あいつが弟子から一人の女として認識を改めてたのは。
だけど、
『充電が切れて死んじゃうじゃない』
あいつが真っ直ぐで、誇り高かったからこそ。
『こんなにもあなたのことを想っているのに』
それを簡単に口にするあいつの心が、分からなかった。
もしかしたら、遊びなんじゃないかという不安がよぎって仕方なかった。
これで俺が本気になって、実は遊びでしたなんてあまりに無様すぎる。
だが、それが間違いだったのだ。仮にあいつが本気でなかったとしても、俺はあいつに手を伸ばすべきだった。
「情けねぇ…。お前はずっと、あの時から俺に向いていてくれていたのになぁ。でももう、もう、目は逸らさねえ」
もう聞くことのできない彼女の声が、記憶の中で自分に語りかける。
『でも、…嬉しい、です。純粋に、嬉しいです。私、一目見た時から貴方がずっと目標で、叶うなら』
「ずっと」
『傍に居たいと、想ったんです』
「傍にいる。俺の隣は、お前だけだぁ」
この先も、お前とまた巡り合える時まで。
お前に、この想いを伝えられるまで。
(2017.8.28)
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