生きて愛されたいと哭いた
-アジト-
朝、と言っても朝にしては日が上がりすぎてる午前中。私はボスに書類を届けて部屋に戻る途中だった。
ぐしょ、と濡れた服の重みに肩を落としながら。
何故かというと書類を届けに行った際、部屋には行った瞬間ワインをぶっかけられたあとだから。しかもしかもグラスごと。スクアーロにしかやらない事だと思って油断してた。
のち、
『何だテメェか』
『テメェこの野郎』
テメェこの野郎は言ってないけども、心の声が漏れ出そうだった。どうやら私をスクアーロと間違えられたらしい。間違えないで下さいとか言えないからそのまま出てきたわけだ。
一旦自分の部屋に戻って、ざっとシャワーを浴びて服も着替えたがお酒の匂いついてないよね。あとでスクアーロに愚痴を聞いてもらおう。きっとそんなことで一々来るなとか言われるんだろうけど。
と、思ったら視界に長い銀髪を揺らしながら歩く彼の人物を捉えた。彼は殺気に敏感だから何でもないように、そっと近づく。
「スックアーロー」
「う"ぉ"あ"?!」
そしてスクアーロの背中をばっしーんッ!と思いっ切り叩いた。
不意打ちだったせいか前によろめきつつも足を止めて、数秒後にゆっくりと後ろを振り返る。
「テメェ…何のようだぁ…」
うわ…不機嫌。何か嫌なことでもあったのだろうか。
「いや、特に用とかないんだけど。あ、これ私宛の書類?」
「う"ぉ"お"お"い"!勝手に見るんじゃねえ!」
「書類の一つや二ついいじゃないケチくさいこと言わないで。…えー何々、これ今日?あ、この後すぐじゃない!」
彼から書類を奪って内容に目を通す。任務の報告書、計画書、通知書など。ボス直下の幹部であるが故に色々仕事を押し付けられたり、部下の尻拭いをしたりと心労が絶えないよう。最近胃薬を飲んでいるのを私は知っている。
さて、その中で私宛の仕事がある。今報告書出してきたあとですぐに任務なのか、休む暇もないなブラックかよ。少し遠出だが、任務内容としてはAランク、別段時間はかからなそうだ。現地の仲間と合流してうちのブツを横流ししてる組織を潰す、というものだ。組織自体は小さいし、何とかなるでしょ。
「この後すぐか…面倒」
「放棄してもいいぜぇ、仕事しねぇ奴はいらねぇからなぁ」
「あなたは?」
「俺のはすぐ終わるのばっかだぁ」
「いいなぁ。私のもやってほしいくらいね」
「寝言を言うにしては目ぇ開きすぎだぁ。自分の任務ぐらい自分でこなせ」
「行って任務終わらせて戻ってくるまで結構あるし、その間に充電が切れて死んじゃうじゃない」
「そのまま死ねえ」
「酷いこと言うのね。思い人は大事にすべきじゃないかしら」
「俺は大っ嫌いだがなぁ」
いつものやり取りにトゲが、というかトーンが低い。しかしそう言いつつも斬り付けてまで追い返そうとしないところは彼の優しさなんだと思う。
そこに私たちと反対からベルが歩いてきた。
「あれ?お前らまた一緒に居んの?ししッ」
「あ、ベル」
隊服は基本黒なのだが、幹部に関してはアレンジは自由である。中にTシャツを着たり裾を変えたりファーをつけたりしている。暗殺業なので姿と返り血が目立たないようにという意味で黒なのだが、ベルの場合は前を開けているためインナーに赤い模様が追加されていた。黒ずんでいないところを見ると、ついさっきまで仕事をしてきたんだろう。
「それ、早く洗濯しないと取れなくなるよ」
「いーんだよ別に。汚れたら捨てるから」
「坊ちゃんめ…。もったいないお化けに首絞められろ」
「終わったんならさっさと報告書出せぇ。前みたいなふざけた報告書出したらぶった斬るからなァ」
「あーん?誰に指図してんだよ、刻まれたいわけ?」
「んだとォ…?」
殺気が、漂い始める。
この個性あふれる幹部に、唯我独尊のボスの率いるこの組織。みんなが一つの方向を向いて足並みそろえるような纏まりは皆無だ。ボスの力に惹かれて集まり、ボスにかっ消されない程度に勝手自由に動いていく。言ってしまえば、ボスの不名誉に繋がる事以外はお構いなしなのだ(レヴィだけはクソ真面目に従っているが)。
「(あー…、仕事増やさないで…)」
幹部各々が実力者なだけに、売った買ったの喧嘩に躊躇はない。こういった些細なことでのぶつかり合いがバトルに発展するという事は日常茶飯事、そしてそれを止める事もない。
だが、こういった幹部同士の喧嘩で建物が破損、隊員が巻き込まれ数十名除隊したことがあり、予算カットだったり上からお叱りだったりを受けたことが過去にある。そのため幹部同士でのバトルは禁止とされたが、彼らがそれを守るわけもない。口や書面での制約は通じない為仲裁役として、それなりに地位があり、幹部と顔見知りの私がその任を任されたのだ(地位は仲裁役をするにあたって必要なモノであったため、後付されたものだ)。
「(とはいっても、私も平凡な小隊長。ナイフ捌きや剣技、格闘技とかに長けているわけじゃない。彼らの前じゃ吹けば飛ぶ紙ようなものなんだけれど)」
ちらりと隣を見る。
正直、その任は断る事も出来た。幹部同士の喧嘩を仲裁するなど、平々凡々な隊員が首を突っ込めば怪我どころか一生ベッドから起きられない身体にされることだって考えられるからだ。しかも小隊長という地位は、只さえ彼らに目をかけてもらっていることを良く思わない隊員たちの妬み恨みを更に深める材料にしかならない。
それでも、
それでも、危険を承知してまでこの任を引き受けたのは。
「あーもー喧嘩はなしって言ってるでしょ。どんだけ血の気が多いの、どうせ流す血なら献血にでも行ってきてほしいんだけど」
「う"ぉ"おおい、怪我してえのかお前。どけえ」
「嫌です。やり合って巻き込まれる私の事も考えてくれるかしら」
「はッ、周りのこと考えて剣を振るってたんじゃあ暗殺なんて務まるかよぉ」
「最もだけど、ダメなもんはダメ。ここでバトルして被害を出したらまた上から経済干渉が入るし、それで首締められるのはそちらさんじゃなくて?」
「…ちっ」
まあ、ヴァリアー自体暴れ者の集まる物騒な組織とされてるし、ここで建物の一つや二つ壊れたところで「またか」と思われるだけだろう。だが実際問題、破壊による経済制裁で度々苦しめられている。武器を調達するにしても何をするにしても、お金がなければ成立しない。そしてボスも節約とは無縁の金遣いをする、そういう意味では効果は大きい。
彼らもそれは分かっている、だから武器を収めてくれる。何とも手間のかかる事だ。
「はッ、言うようになったじゃねぇか、下手な抗弁より効果があるぜぇ」
「それはどうも」
何とか宥めすかしてバトルを回避したところで、ベルは自前のナイフをくるくると回しながら、
「…つーか思ってたんだけど、お前ら付き合ってんの?」
「な"ぁ…」
あ"ーッ!やめろー!余計なことをいうんじゃない、いや嬉しいけど!
これはまた勃発するかと思ったが、スクアーロは不意を突かれたようで少々固まっていた。これは意外な反応だ。
そんな彼の反応を見て、分かりやすい挑発をする。
「あ、もしかしてもうデキてるとかぁー?」
「ふざけた事言ってんじゃねェ!三枚に卸されてぇのかあ!」
おーこえー、とベルはけらけらと笑いながら私たちの隣を抜けていった。よかった、今度こそ回避できた。そう安堵しつつ、もう一度隣を見てみる。
イライラが募っているような感じだ。自分より年下にからかわれちゃあ腹も立つだろう。でもベル、いい追加仕事して行ってくれた。ぐっじょぶ。
「カスが…」
「そんなに嫌がんなくてもいいでしょ。ああ、もしかして照れ隠しかしら?まともな恋愛をしてないからその反応するのは分かるけど。何なら私がお相手になってもやぶさかでは」
直後、頬に衝撃きた。
体の中心が揺さぶられ、遅れて音が耳に伝わる。はた、と呆気に取られて何が起きたのか、衝撃で思考が飛んだために正しく認識できない。ただ、纏わりつくような空気に心臓が圧されている。
「いつもいつも心にもねぇ事ばっか言いやがって…」
振ってきた言葉で我に返り、相手に向いていたはずの視線が外れていることを自覚した。しかし飛んだ思考は中々動かず、言葉さえまともに浮かんでこない。体の中で響く心臓の音が五月蠅くて、頭の中で彼の言葉が繰り返されるもそこから先に繋がらなかった。
「鬱陶しいんだよお前。さっさと俺の前から失せろォ」
それは、
怒り呆れ反発気鬱あしらい、今まで受けた反応にあった感情は削ぎ落とされた平坦で無機質な声色だった。声のトーンや放たれた言葉一つ取っても、そこに照れだとか困惑だとか混在する感情はない。
あるのは、明確な拒絶。
ナイフで胸をひと突きされたような、シンプルで致命的な言葉に動揺を隠せなかった。
「…………あー…そ、か」
なにするんだとか、叩かなくてもとか、この場をうまく切り抜けるための言葉が出てこない。どんな表情をした方がいいのかも分からない。今作れる表情を作ろう。
思い頭をゆっくり動かして、彼に言葉を返した。
「それは、悪かったわね。スクアーロ」
やっと絞り出した声で、そう言って。
彼が次の反応をする前に私は彼を視界から外してその場を後にした。
暗殺部隊のアジトにしては些か豪壮なロビーに出て、椅子に座りこむ。
さっきのは中々効いた。というか、大ダメージ、瀕死だ。
「(少しタイミングが不味かったかしら。まぁ謝罪も何度も言うと真剣味が減るっていうし、そういうものか)」
でも、さっきのも、これまで言ってきたことも嘘はない。それなりの付き合いをしているし、互いに互いの思考や性格なんかは概ね把握している。寧ろ、彼とは幹部たちの中で最も多くの時間を共有している。ウソかホントかなんて、分かってくれていると考えていた。
だがそれは楽観的な希望的観測で、傲慢な考え以外の何物でもない。ただの押し付けがましいエゴ、なのだ。
上司と部下、それ以上の特別な繋がりなど彼の中ではきっとなかったのだろう。
『おらおらァ!ガードがおせーぞォ!!』
『い、ッ!ぐぁッ…、あッ?!』
遠くもない、何年も前の記憶の中で、二人の男女が剣を振り合っていた。
相手は幹部でボスの右腕、片や一般構成員。力の差など歴然だった。十五、六歳の構成員は尻もちをついて、喉元に切っ先を突きつけられる。
『これで通算千三百五十七敗だなァ』
『何で数えてるんですか……。悪趣味ですよ、人の負け数えるなんて』
『そう思うなら一回でも俺に傷負わせてみろぉ』
『悪趣味なのは自覚してるんですか』
『るせェぞォ!!おら、さっさと立てぇ!』
『うッ?!あぶ、喋りながらなんて卑怯ですよ!』
『温ィこと言ってんじゃねぇ!』
大人びた雰囲気のある十七ほどの『先生』に怒鳴られ、雨の様に繰り出される突きを必死に防御する。重い衝撃を受けすぎて腕が、びりびりする。
『ほう、これぐらい受けれる様になったかァ。だがまだまだだなァ!!』
『これでもギリギリ…、ひ、ぃッ?!ぎ、がァ…!!』
さっきは大人びた雰囲気と言いはしたが、否定させてもらおう。稽古をつけている時の様子は間違ってもそういう印象などない。自分と同じように、楽しいことを楽しいと表現する無邪気な子供そのものだった。
少年が青年になり、少女が淑女となる頃には、誰より、彼に惹かれていた。
手合せ後に剣の手入れをする彼に言葉をかける。
『あの、質問の許可を頂けますか』
『なんだァ』
『不躾かもしれませんが…隊長は何故左手を落とされたのですか?』
『何今さら…。……奴の技を理解するためには、両手があっちゃあ完全に理解はできねぇ。だから左手を持たないテュールの技を理解するために、この左手は捨てたんだ。その結果、奴を上回り倒した。お前も肝に銘じとけぇ、技を理解し磨くのに身体を惜しむなってなぁ』
『それは…私も左手捨てろってことですか?』
『俺の技を理解したきゃなァ』
『…私は、まだそこまで行けません。五体満足でいる事の方が、技を理解する事より大事ですから』
『なら、お前は一生俺には勝てねぇな』
『むッ。でも私はルッスーリアさんやベルさんから多くの技術を教授頂きました。無論隊長の剣技もです。技の数で隊長を越えて』
『俺の剣技をもう理解したとは、舐めすぎた発言じゃねえか。傷どころか服に掠り傷も負わせられねえくせに』
『い、今でなくてもいつかやってやるです!』
煩い声も、傲慢な態度も、大雑把な性格も。
何より、その誇り高さに。
全てに惹かれたのだ。
『はッ、剣帝を倒したこの俺をちょっと鍛えたぐらいで超えられると思うんじゃねぇ。ま、それでもここまで追い縋ってくるぐらいにまで成長したのは褒めてやらんこともないがなぁ』
『隊長から…そのお言葉をいただけただけでも光栄ですよ』
『…その隊長ってのやめろ、あと堅苦しい敬語もだァ』
『え?』
今でも、意外な申し出だったと思う。
『いい…んですか?』
『あ"ぁ?何か文句でもあるのかぁ?』
『あ、いえ…。ただ…純粋に、戸惑ってて』
『はッ!そうだろォ、この俺から褒美をもらっておいて文句言いやがったらその口縫い付けてやるぜェ』
『でも、…嬉しい、です。純粋に、嬉しいです。私、貴方にずっと
『鬱陶しいんだよお前。さっさと俺の前から失せろォ』
深いため息をつく。
気付けば、もう出発しなければならない時間になっていた。任務前はいつもはスクアーロのとこ顔出すが…、今日は止した方がいいだろう。あんなことがあった後でどんな顔して会えばいいのか分からないし、何よりまた何か拒絶の言葉でも言われたら任務どころじゃなくなってしまう。…今でも割と任務どころではないのだが、何とか意識を切り替えなければ。
「ん"ーーーー…」
「あらん?どうしたのこんなところで」
「ルッスーリア。あー…今から任務なの」
「あら、そうなの?スクちゃんならさっき部屋に入っていったのは見たけど、行かなくていいの?」
「あー…もうすぐ出なきゃいけないし、今日は良いわ」
「珍しい、どういう風の吹き回し?」
「私にだってそういうときがあるのよ」
「…そう。ま、死なないようにね。でも死んだらアナタを初の女性コレクションとして加えてあげるわね〜!」
「そこは火葬か埋葬でお願いします。じゃ、行ってきます」
サングラスの向こうで疑問の色を抱く視線を感じたが、何食わぬ顔でアジトを後にした。
-任務先-
予定より遅くなってしまった。早く終わらせないとまたボスにワイングラス投げられる。
激しく金属音が鳴る中、私は敵のボスを粛清すべく奴らが居るであろう部屋まで走る。あちこち交戦状態で悲鳴や床に崩れる音がほぼ絶え間なくしている。これはいつまで経っても慣れそうにないものかと思っていたが、今日は別段そういう気分にはならない。
「(言われたことを引きずっているせいか。まぁ、その通りなんだけど)」
「シバノ小隊長!」
「分かってるわ。音が止んだら一気射撃して」
思った以上に声が平坦になっている。怖がられてないかな、何て野暮だろうか。廊下に座り込み、壁を盾にマシンガンの雨をやり過ごす。弾が壁を削り破片が一緒に飛ばされていくのを横目で見ながら、銃に弾倉を装填する。
この任務が終わって戻ったら、いつものように話ができるだろうか。出来ればそうなる事を望んでいるけど、彼の性格上、切り捨てた相手に慈悲を与えるようなことはない。それが、彼がここまで上り詰めるための大きな要素でもある。
彼の中で、邪魔だと思われた時点で詰みなのだ。
そう思うと、もう戻る気も失せてくる。
「(けど戻らなかったら戻らなかったでボスに灰にされるし…)」
マシンガンの音が止んだ。弾切れだ。二人もいて一緒に弾切れになるなんて武器の使い方を知らないんじゃないだろうか。瞬間一斉射撃をし、銃声の中に二人分の悲鳴が聞こえたのを確認すると一気に廊下を走り抜ける。
私情でマフィアを抜けれるなんて甘い事、あるわけがない。しかも私は小隊長、幹部でもないけど構成員とも違う。それなりに任務も一任され、部隊を指揮する立場にもなったこともある。そんな人が突然行方を眩ませれば、一体どうなる事か。あまり考えたくはない。
「くッ…悪あがきを…」
「この先がボスの部屋?」
「なっッ?!…はい、そうです。ですが敵が多く突破が難しく……」
「…じゃあこれ投げるから、投げたら撃つのを止めて目を瞑って。その隙に私が行く」
「ッ?!……分かりました」
壁に背を預け、銃声が少なくなる。弾切れした人が出たか、ボスを逃がすために人員を減らしたか。どちらにしても好都合だ。
途中拝借した閃光弾を宙に向けて放り投げる。目を瞑って一、二秒後、瞼越しにも分かる強い閃光が瞬き、モロに受けた敵は悲痛な悲鳴を上げる。光が弱くなると視界を奪われ眩暈を起こしたようにふらつく敵に、的確に、無慈悲に弾を撃ち込む。一人二人と倒れ、道が開く。
その途中でも道を阻む敵を撃ち、弾を切らした銃を拾い取り換えながら暫く廊下を走ると、一つの大きな扉の前に辿り着いた。力の誇示するように扉の左右に像まで置いている。明らかに他と違う、ここがボスの部屋だ。
突撃して首を取るのもいいが、ボス一人だけを部屋に置いておくほど連携が取れていないわけはないだろう。中にはボスを守衛、避難させるする人物が数名いるはずだ。入った瞬間蜂の巣にされる事間違いない。
私は酸涙ガスのピンを抜いて素早く部屋の中に入れる。
「?!なんだこれは!」
「う、ッあぁ!目が、くそッ!」
「酸涙ガスだ!早くボスを安全な場所へ…!」
それを合図に扉を蹴り開け、扉を盾にガスに紛れて悶えるスーツの男たちを即行で床に伏せさせた。扉を開けたことで充満していたガスが漏れ出るが若干残ってる。ちくしょう目が痛い。
涙目になりながらもボスを見ると想像してたのよりもずっと若い人だった。若頭、というやつだ。
若頭だけがマスクを使って部下が伏せられたことに狼狽えている。床にいくつかマスクが転がっているが、ガスは殆ど流れ出た、マスクも必要ないだろう。私の姿を認識した若頭は周囲の惨状も合わせて現状が絶望的と知る。
「くそ…ヴァリアーめ…!」
「ボンゴレのブツを横流しなんて中々度胸があるけど、ちょっとおイタが過ぎましたね。いくら無能なボスでもこの有り様と状況を見ればこの後の展開、どうなるか分かるでしょう?」
「くそ…こんなとこでやられるものか!」
喚く若頭に銃口を向けながらカチリ、と銃のシリンダーを回す。
苦手な光景のはずだ。自分の手で、生きてる人間にトドメを刺すなんて。でも心は冷めきってさざ波もたたない。まぁ、ヴァリアーの人たちからすればいつまでもトドメを刺すことに戸惑ってるなと言われるから、これはこれでいいのかもしれないが。
怯えた若頭の額に狙いを定めて、人差し指を引いた。
パァン!という発砲音が炸裂し、遅れて薬莢の落ちる音がした。
無慈悲に弾は発射され、肉と骨を貫いた。もう硝煙特有の臭いも鉄くさい臭いもここに来るまでに麻痺してしまったが、間近では改めてその生々しさが鼻につく。
尾を引いた発砲音が静かに空気に消え、代わりに建物中に響く悲鳴や銃声が聞こえてくるが、次第にやみ始めてきている。完全に鎮静するのは時間の問題だろう。あとはもう帰るだけ…、早く帰りたいような、そうでないような。複雑な思いではあるが結果は報告しなければならない。
もう用のなくなった銃が手から滑り落ちる。赤い液体が地面に散らばり、若頭も赤く染める。高級なカーペットも台無しだ。
だが、違和感があった。
何時まで経っても、目の前の若頭は事切れない。それどころか固まった表情が、徐々に三日月のように裂かれた笑みが浮かんでくる。
それは、『若頭の』血液ではない。
自分の脇腹から、流れ出ているものだった。伏したはずの男が、自分の背後から脇腹を撃ったのだ。
「調子に乗りやがってクソアマがァ…」
背後から怨嗟が聞こえる。だがここまできても、何が起きてるかわからなかった。
実感があったのは、二度目。
ダンッガンガンッ!と連続する発砲音の直後、肩と足に弾丸が突き刺さり衝撃で体が大きく振り回される。
「なん、いッ……うぎぁ!がぁ!」
強烈な痛みが傷口を通り全身を貫いてくる。膝から崩れ落ちるも何とか身体を支えるが、いつ倒れ込んでもおかしくはない。
これは、まずい。まさか仕留め損なうとは。このままでは私が仕留められてしまう。
先にあっちから…と視線を後方に移すと前方から寒気がぞっとが襲ってきた。その正体を確かめず咄嗟に無事な足で横へ飛ぶとそのひとコンマ後に銃声が目の前を通っていく。誰かの濁った断末魔が微かに耳に届くも気に留められない。ろくに受け身も取れずに汚い床を転がる。
「ぅ、がはッあ、げぼごほごほッ!!」
転がった衝撃で這い上がってくる熱いものが堪えられず吐き出される。吐瀉物ではなく、赤黒い液体が眼前に広がる。体勢を立て直そうとするも、意思に反して体は動かなかった。
身体が、鉛のように重い。四肢を放り出したまま、身じろぎするのが精いっぱいだった。
動きが取れなくなって、自分が思っている以上の事態の深刻さを理解した。心臓の音が警鐘のように激しく鳴る。
「ちッ…、生きてるならそこから退くか避けるかしろノロマが。…ボスのこの俺が丸腰でいるとでも思ったのか?お前は俺を無能といったが、これじゃどっちが無能か分からんなぁッ!」
ベキリ、と不穏な音がしたと同時に。
左肘が、奇妙な方向に折れ曲がったのが分かった。
ぼやけた意識を強引に引き上げられ、破裂する。声が潰れるほどの絶叫を建物に響かせ、凄まじい激痛から逃れるように体を捩じらせる。
「(怖い、怖い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い)」
痛みが恐怖となって、身体を、頭を、支配していく。
今まで『生き残る』ことに必死だったおかげで無視で来た痛みが、今日は鮮明に鮮烈に脳を直撃してくる。心が折られる、痛みが引き連れてくる恐怖。自分が死ぬのだという恐怖に心の底から打ち震えた。
『狩られる側』が、こんなにも恐ろしいとは。
死が、こんなにも恐ろしいとは。
「(このまま意識を失えたらどんなに楽だろうか)」
意識を失えば確実に首を刎ねられるだろうが、今は早くそうしてくれと望むばかりだ。痛みに耐える精神力が仇となったことが恨めしい。
もぞもぞと芋虫が動くように身体を動かす。戦うわけではない、此処から離れみっともなく逃げるために。戦う意思など、もうとっくに折られている。それでも若頭は口笛でも吹ような気軽さで、タバコの火を足で消し潰すように赤紫色に変色した腕を押し潰した。
「あ"ッい、ぎゃああぁぁ…………ッッッ!!!」
「おーおーイイ声で鳴くじゃねえのー。そそるねえ、女は男の下で鳴いてる方が可愛げがるってもんだぜぇ?男を見下すもんじゃねえよ」
「ぐ、ッ…このクソカス、がぁ……」
「あぁ…?死にぞこないがほざいてんじゃねえぞごらあッ!!」
サッカーボールを蹴るように、つま先が脇腹にめり込んだ。抵抗する余力もない身体はくの字に折れ曲がり簡単に吹っ飛び転がっていく。カシャン、と腰のホルダーにあった無線が床を滑っていった。無線からは何か音がしていたが、無造作に踏み潰される。
「ぎゃははははははッ!!ガキが生意気な口叩いてんじゃねぇよ!!ザマァねぇなあ!!」
形勢逆転した余裕と、小娘にコケにされた怒りを浴びせながら近づいてくる。だが受けたダメージと出血量で意識が朦朧として、何を言っているのか認識出来なくなっていた。
腰には拾っておいた拳銃が一丁残されている。だがこの状況で、確実に相手を葬るのは不可能に等しいだろう。痛みと恐怖で身体は強張ってうまく動かせないし、恐らく、動こうと力を込めれば更なる出血を生み、身じろぎさえできなくなるだろう。
だが、もう生きて帰る事ができないのなら、殺されるぐらいなら。
せめて。
「こんな小娘がヴァリアーなんてよっぽど人員不足だったんだなぁ!ヴァリアーの底が知れるなあ!」
一際大きな声で発せられた言葉に、ぼやけていた意識が鮮明になった。
ふつふつと、消えかけていた活力がボロボロの身体の底から生じてくる。
それも知らず、まるで王様のように悠々と大手を振って、男は恥も体裁もなく叫ぶ。
「ここから出た後に広めといてやるよ!ヴァリアーなんてボンゴレのお飾り、クソカスみたいな集団だってよお!!ぎゃはははははッッ!!!」
プツン、と。
頭の中で何かが弾け飛んだ。
腰に差していた拳銃を引き抜いて迷いもなく、問答無用で引き金を引いた。
体が動かないとか、勝ち目がないとか、動いたら死ぬとか、そんな『ちっぽけな事情』など頭になかった。
あったのは、たった一つ。
このクソッタレは、絶対にこの手で始末する。
あれからどのくらい時間が経っただろう。
体は横たわったまま、指先一本も動かせない。手足がどの方向に剥いているのかもわからない。身体に何発弾をもらったのか、思い出すことも出来なくなっていた。
眼球だけが何とか動き、何とか情報を得ようとする。
見栄を張るように揃えられたアンティーク家具、周囲には倒れた男たちと、若頭のものであろうごてごての宝石で彩られた手だけが視界に映った。扉の向こうの廊下では黒い何かが此方を見たが、それが何か認識して理解するほどの思考はもうない。
銃声も声もなにも聞こえない。任務は遂行され、組織は制圧されたのだろうか。だとしたら、もう部隊は引き上げてしまっただろう。制圧が終わった後でも私の体がここにあるということは、そういうことだ。
「(そとは…ゆうがた、か……)」
予定の時間より大幅に遅れていた。瀕死であることを伝えようにも無線は潰されたし、身体は動かないし眠い。
末端から感覚はなくなり、冷たくなってきていた。
もう、数分もない命なんだろう。
ルッスーリアと手合せした時はもっとボロクソにされても生きていたが、人は何か執着するものを見失うと呆気なく死ぬのだと、初めて知った。
死ぬ場所が、こんな知りもしない、ましてやこんな下衆と一緒だなんて冗談キツイよ神様。
「(す、 、あーろ...)」
ああ、夕日も瞼も落ちてきた。ここで目を瞑れば、もう二度と、起きる事はないだろう。
死ぬ間際だと言うのに、心はなんて穏やかなのだろうか。まるで鬼のような量の仕事が終わってやっと眠りにつける、そんな安心感まである。
でも、その前に。
「(ごめん)」
戻れそうにないから、思うだけで許して。
瞼が、ゆっくりと、静かに。
「(さっきは、ごめんなさい)」
でも、私の気持ちに嘘は無いの。
視界を狭めて、
落ちていく。
ねえ、
スクアーロ。
私は、好になってほしいとか、愛してなんて言わない。もちろん、そう言ってくれる事が一番望ましいけれど。
でも貴方はどこまでも意地っ張りだから、私のほしい言葉は絶対にくれないでしょう。
向けられるのは剣先ばっかりで、私に瞳は向けてくれない。
私は貴方の異変にいち早く気づけるのに、貴方は私の気持ちに気づいてくれないんだから。
まぁ、それならそれでも構わない。
でも、でもね。
私が居なくなって、初めて私の気持ちに気づかないで。
私が貴方を映せなくなった世界で、
私が居なくなった世界で、
愛されたって、意味は無いのだから。
「(ああ、…な、 んて)」
この間際で、貴方をこの目に映せたら、どんなに幸せに逝けるだろうか。
ああ、どうか、どうか、
その気持ちを、知らないなら知らないままで。
「(なん て、き。れいな、ぎん 、ろ)」
(2017.8.16)
prev /
next