とある高校生たちの話
「ぐっもーにん!いっちごぉーーー、うッ?!」
ごすッ!と顔面がめり込む程の蹴りをお見舞いする。
いつも通りの朝。ハイテンションモーニングコールを回避した黒埼一護は何事もなかったようにテーブルに座る。
「はいお兄ちゃん、ご飯」
「おう、サンキュー」
テーブルマナーを守って待つ朝食は昨日の煮物とお味噌汁、ご飯、漬け物、サラダ。朝食はいつも妹が準備してくれるのだが、流石学校で小さいお母さんと呼ばれるだけあって小学生とは思えない料理スキルだ。
ゆずからお椀を受けとると背後から再び騒々しい声が飛んでくる。
「おおおおおおい一護ぉぉぉ!!家族のコミュニケーションを蹴りで返すとは何事だ!!」
「朝からうっせーんだよ!もう高一なんだぞ、そんな幼稚なことするわけねぇだろ!」
「幼稚だと?!我が家の規律を乱す奴は、父さん必殺懺悔の蹴りをくげふぅッ!?」
殺られる前に殺る。問答無用顔面陥没パンチでノックアウト。
時間に余裕があるとはいえ、こんなノリに付き合って朝飯が食べられないとあっては間抜けだとバカにされる。
「ったく…朝ぐらい静かに飯食わせろよな」
「そうだよお父さん、ほら、早くご飯食べて」
「うぅ…子供たちがこんなに冷たくなって、俺は、俺は…母さん!父さんは悲しいぞおおお!!」
「まずはそのアホみたいな遺影剥がせ」
リビングの壁に張られたアイドルコンサート広告並みの派手な遺影。縋り付く父親。何と言うか、毎度の事ではあるが本気なだけに呆れる。
食事を平らげて時計を確認する。時間的には十分余裕がある。
「んじゃ、俺行ってくるわ」
「うん、行ってらっしゃーい」
「おい待て!父さんを無視するとは何ご」
声を遮るように無慈悲に扉を閉じる。まだ玄関の中から騒ぐ声が聞こえるが、ため息で打ち消す。コツコツと爪先で地面をノックして敷地外へ出ては空を見上げてみる。
余計に疲れが増した。ため息が出る。
まぁいつものこと、と気分を仕切り直して学校までの道のりを歩き出す。
****************
制服チェックのため朝から頑張る教師の隣を素通りして校門を抜ける。下駄箱で靴を履き替え、生徒たちの声飛び交う廊下を進んでいくと、見慣れたクラス札が見えてくる。クラスの約半数がすでに教室にいるようで賑やかだ。風も声も通気性抜群の開きっぱなしのドアをくぐって不特定多数に向けてテキトーに挨拶する。
「ういーっす」
「あ、黒崎くーん。おっはよー」
声に気づいて辺りを見ると元気に手を振る茶髪の女子がいた。黒崎は軽く手を振り返す。
その姿は主人を待ちわびた忠犬が如く、そしてその女性の象徴である二つの胸の膨らみは、平均より目立つものであり大半の思春期男子をフリーズさせるぐらいの主張力を持っていた。が、そんな思春期男子には残念な報せがある。シュークリーム系女子のその隣で黒髪短髪の、いかにも勝気な生徒が腕を組んでボディーガードしていることだ。うっかりその女子に吸い寄せられると、もれなく空手全国二位の回し蹴りが鳩尾に炸裂してくるのだ。怖いですねえ。
自分の席にドカリと鞄を置くとシュークリーム系女子井上織姫が探すように黒崎の後ろを覗き込む。
「あれ?雲ちゃんと一緒じゃないの?」
「は?あいつまだ来てねぇの?」
「うん、まだ来てないよ」
「どうせ寝坊したー、とかじゃないの?あいつのことだし」
「昨日あれだけ忘れんなっつったのに…」
このクラスになってまだそう時間は経っていないが、あり得ねえなと思う。学校に来ればよりため息をつくことになった。
席に座り、ちらりと時計を見ると八時二十分。直にホームルームが始まる。彼女の家とは近いのだが、さすがにもう高校生。漫画のような玄関先でのモーニングコールはしない。というかしたくない。恥ずかしいし。
仕方ねぇな、と上着のポケットから携帯を取り出しメール画面を開く。
前日に『明日学校あるからな、忘れたら卍固めな。家出る三十分前に目覚ましセットしろ今すぐに。忘れたら卍固めな』と念押しをして目覚ましをセットするところまで見届けた。起きる事は起きているだろう。が、問題はいつもより余裕のある時間に起きた場合の、二度寝と言う事態。二度寝常習犯は今回もその事態に陥っていると考えていい。
二度寝しようとしてんじゃねーよバーカと打って送信。
「(まぁ、これでちゃんと起きるとは思えねーけど)」
ひとまず様子を見る。連絡が来ればそれでよし、来なければ昼休みにでも卍固めの予告と登校の催促をするだけだ。
ホームルームが始まり、号令がかかる。黒崎は周りとワンテンポ遅れて立ち上がり、号令と共に座る。
担任からの連絡と出席確認の声をのんびり聴きながら、彼は何も変わらない世界をぼんやりと眺めるのだった。
****************
やってしまったと思った。
「あー…、」
一人ベッドに座ったまま疲れたように呟いた。朝の爽やかな日の光を浴びながら、現在の時刻を確認する。
十二時三十分。朝じゃなかった。昼だった。
「(目覚まし鳴って…、でもまだ三十分ぐらい余裕あると思ったら時間が飛んだ…)」
どんなスタンド攻撃……とこれだけ盛大な遅刻を目の当たりにすると最早焦る気にもならない。
今いるとこから学校まで徒歩で三十分はかかる。無論、そういった事態に備えての近道も用意しているのだが短縮できる時間はせいぜい五分前後。伝説長距離ランナーでもなければ現代まで生き残った忍びでもない雲色 椿には、どんなに早く向かったところで授業には間に合わない。諦めたらそこで試合終了云々以前に『無理』なのだ。
一人窓際のベッドからぼんやりと空を眺める。
「今日は休むかなー…」
どちらにしろ、あと一限で解散になるんだ明日拳骨一発と説教で欠席がチャラになるのなら楽なものだよっしゃ三度寝すっかなーと布団にもぐりこむも、先ほどからずっと点滅している携帯が目に入る。何か来てる、と携帯に手を伸ばし開くと一通のメールが届いていた。送り主は隣の家のツンツン頭だ。
「(あいつもマメだなー…、早く来いとか、どうしたとかそういうのかな)」
ぽちぽちとキーを操作して文面を確認する。まぁ早く来いと言われても卍固めをされるのなら行く気などありはしないのだが。仮病を使おう。どうせ向こうからはこちらの様子など見えはしないのだからーーーー。
『二度寝しようとしてんじゃねーよバーカ』
送り主には千里眼のセンスがある様子。
初見ならばストーカー被害の如く畏怖のひとつも感じるが、彼女はその現状を捉えた的確さに逆に笑ってしまう。
本来なら返すべきなんだろうが、返したら今度は電話での説教を受けることは目に見えている。というか寝起きの頭で文章を打つとギャル語以上に難解な文章になりかねない(本音は打つのが面倒くさいだけだが)。ここはスルーするのが定石だろう。
私はなにも見なかった夢の世界へさぁ行こう!と海原へ出る新米ボッチ海賊のように声高らかに心の中で叫んで目を閉じると今度は電話(ラブコール)。
思わず舌打ちした。
面倒がりながらも割りとはっきりしてる意識のまま通話ボタンを押す。
「あーい」
「あ、やっと出たか」
「おはよう」
「何してんだよ」
「心と体を労ってた」
「明日学校あるから寝坊すんなよっていったじゃねえか。ったく、まだ家なんだろ?早く来いよ」
雲色は改めて時計を見る。時刻はすでにお昼を回っている。予定的にはあと五限目を受けて帰宅のはずだ。本来なら慌てて向かいスライディング土下座でもすれば許してもらえるだろうが、拳骨は免れない。以前、体罰だ訴えてやる!と担任に抗議したところ、『大丈夫だ、殴る相手ぐらい選んでいる』と笑顔で宣告された雲色にはそれを逃れる術はない。
たった一限のために行くなんて面倒くさい何か理由を作らなければ...とサボる策を練っているとふととあることが浮かんだ。
「ごめん、今体調悪くてさ…」
「蹲って苦し気な声出せば休めると思うなよ」
後早く来ねーと宿題倍にするってよ。職権乱用反対。
雲色の作戦は五秒で見抜かれ早く来いよと念を押されて通話が切れた。ツーツーという等間隔に鳴る機械音を聞きながら数秒間携帯を眺め、閉じる。
窓からはまるで神の御加護のようにが日の光が差し込んできている。仕方ないなぁとぼやきながら、ボサボサの髪を手櫛で直して雲色 椿の世間より一足遅い一日が動き始める。
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殴るという行為には二種類ある。一つは体罰。悪意のもとで行われる行為は暴力と同義であること。もう一つは愛。対象を思いやり時に手を上げることで相手を律し言動に修正をかける。
だがこの痛みを作った担任が含ませた意味は前者8割、後者2割といったところだろう。10回以上叩くなんて悪意しかない。
「雲ちゃん、大丈夫?」
「まさか出席簿の角で殴ってくるとは思わなかった…」
「登校日のことを忘れて、遅刻する君が悪いんだろう?当然の処罰じゃないか」
「いやまあそうなんだけどさ」
雲色は未だ痛む頭を擦る。やはり殴る相手ぐらい選んでいると言うだけあって容赦がなかった。サボり常習犯の出席確認の時にはスルーなのに、よく先生なんてと思うが実際に教壇に立てるのだから世の中不思議だ。
それにしても、と隣からのんびりとした声がクラスの声に紛れて届く。
「来るの遅かったね。雲ちゃんの家そんなに遠かったっけ?」
その問いに雲色の肩がぎくり、と動いた。
実際、裏道やショートカットを使って本気で急げば20分程度で登校できる。が、正直言ってそれはかなりの体力、気力の消費が伴う。朝だから余計にやる気も起きない。
そこで悪魔が囁いた。
理由はなんであれ、「登校」していればいいんだから何時に着いたかは問題ないんじゃね?と。
いやいや駄目だよと理性の味方天使も負けじと反論するが、万年五月病重症者の雲色の心の天秤はあっという間に寄り道の方へ傾いたのだった。
だが流石に、「急ぐのがダルかったからお店で時間調整して遅くなった」などというクズ発言はしたくない。
雲色は適当に誤魔化すことにした。
「んー、まぁバスの時間とかあったからねぇ。渋滞とかさ」
「あー、なるほどー!そこで雲ちゃんは、運転手さん、前の車を追ってください!とか言うんだね!いいなぁー、一度は言ってみたい台詞だよねぇ」
「ごめん、ちょっとよくわからないんだけど」
奇妙な妄想を展開する井上は放置して、雲色は窓に背を預ける。そこに追求の言葉が後を追ってきた。
「何が渋滞だ、お前バスなんて使ってねーだろ。どーせ店でサボってたんじゃねえのか?」
本日二度目の、ぎくり。
体裁を保てたと思った矢先の事態に、てめぇこのやろうと視線を向ける。
「…雲色さんが嘘は言わないことに定評があるの知らないでしょ」
「知るかよ。初耳だぞそんなもん」
「駄目だねえ、何年お友達やってんのー?分かれし」
「初耳だっつってんだろ!無茶ぶりすんな!」
怒鳴るド派手なオレンジ髪の少年、黒崎一護。
見た目と態度から、不良と間違われる率9割9分以上を誇る彼が例の千里眼の気がある人物である。付き合いとしては彼の不良の原点である中学からで、たつきの方が友人歴は長い。
オレンジ髪の少年、黒崎一護と睨み合いを続けていると、頭に埃を被った放送器から予鈴が響く。次は古典だ。
ざわめきを残しながら着席し始める生徒を見ながら、ギリギリまで話を続ける。
「一護ほんとに一言多いよね、だから彼女出来ないんだよ」
「言質取った。それはサボったことを認める発言だな」
「サボってないし。エネルギー充填のためにカフェに寄ったら置いてあった漫画が面白くて読み耽ってただけだし」
「それを一般的にサボりっていうんだよ」
「ていうかその髪の色何なの?バカなの?死ぬの?」
「話変えてんじゃねーよ!つか生まれつきだって言ってんだろ、…お袋の遺伝なんじゃねーの?俺にもわかんねぇよ」
自分の髪をいじりながら、匙を投げるように言う。
確かに目や口などのパーツは、基本的に親の遺伝を受けている。初めは似ていなくとも、よく知らないご近所さんから「あらぁ、お母さんそっくりねぇホホホ」と話を振られるぐらいには似てくるものだ。だが彼の家族にこれほどまでの蛍光オレンジの髪の身内はいない。動物にもアルビノという親と違う毛並みや目の色で生まれてくる種がある。こいつもそうなのかなぁ、レアじゃん、と根拠のない仮説を立てるも、入ってきた教師に気付いてあっという間に消されてしまった。
「(あ、)」
急いで席につこうとした瞬間、雲色は重大な過ちに気付いた。
この教科では決してしてはならない、致命的ミス。
次は古典だが、内容自体はそこまで至難ではない。鬼門は担当の教師である。和服と縁側が似合う物腰の柔らかいスキンヘッド(ハゲ隠滅説があり)なのだが、約束事に厳格である。宿題を忘れたとなればRPGに出てくるガテン系武器屋のおっさんへと豹変することで生徒教師内では生きる都市伝説となっている。以前その伝説を確かめようとわざと宿題を忘れた不良勇者が居たが、今や七三分けのガリ勉に生まれ変わって昔を見る影もない。
雲色はそっと黒崎に耳打ちする。
「宿題やり忘れた。貸して」
「悪態ついたさっきの今でよくそんなセリフが出るな」
宿題回収の声は、5秒も経たないうちにかかった。
古典教師が見たことのない笑顔で近付いてくる。
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