イタリア旅行記@

「え?休暇?」
「ああ、漸く通ってなぁ。久し振りに出掛けるかぁ?」
「んー、そうねぇ。ヴェネツィアとかどうかしら。水の都」
「お"ぉ"、いいぞぉ」
「でものんびり休みたい気もするわね」
「向こうのホテルでのんびりすりゃあいいじゃねぇか」
「それもそうね。因みに何日取れたの?」
「三日」
「え……、そんなに休んで大丈夫…?」

私とスクアーロで雑務の大半を担っていることもあり、その担い手が三日も抜けたらその間の雑務(ボスのお世話も含め)を誰がやるのか…。そして三日後に鬼のような仕事が来るのではないかと思うと、何だか素直に喜べない。

「大丈夫よ、その間はちゃあんとやっておくから」
「え、本当?大丈夫?」
「問題ねーよ、やるのはレヴィだから。ししッ」
「なぬッ?!」
「うわ…押し付けた……」

そういうことだから、のんびりしてらっしゃいとルッスに言われ、些か心配ではあるが今回はその言葉に甘えさせてもらおう。このところバタバタしていてあまり休めていなかったし。
談話室でそんな話をしていると、唯一会話に参加しなかった幹部が一人疑問を呈する。

「あのー、ベルせんぱーい。質問があるんですけどー」
「あん?なんだよ」
「あの二人、何してるんですかー?」
「見てわかんだろ」
「三十路と三十路過ぎがくっついてて最高に気持ち悪いことしか分からないんですがーゲロッ」
「旅行かぁ、もう何年も行ってないわ…。観光するにしても人一杯よね」
「穴場なら幾つかあるぜぇ。人も少ねぇしゆっくりできる」
「じゃあ案内はお任せするわ」
「お"ぅ"、任せろぉ」
「いいわねぇ、二人水入らずで旅行なんて。私もついていきたいわ〜」
「くんじゃねぇクソオカマがぁ」
「ぬぐぐ…、二人で旅行など不埒だぞ貴様らぁ!」
「そういう思考にいく方がよっぽど不埒なんじゃねーの?ムッツリスケベ親父」
「そうよ〜、やーねぇレヴィったら」
「お、俺は決してそんなことは…!」
「何でアホのロン毛隊長が副隊長の頬っぺた弄りながら会話してるのには誰もツッコまねぇんだよ」
「詳細ありがとクソガエル」
「何のありがとうなんですかー?バカなんですかー?」

カエルの眉間にフォークが刺したが、痛くはないんだろうか。
休暇は明日からだというので準備の為、スクアーロと談話室を後にすることにした。



「さて、行き場所はスクアーロに任せるとして…、旅行なんて行かないから何が欲しいのかさっぱりね…。ひとまず着替えとスキンケア用品と貴重品と…、あと何が要るかしら。化粧品は朝使うから入れとくと面倒よね…」

シャワーを浴びて、あとは寝るだけの状態にして用意したトランクに必要用品を詰めながらぶつぶつと呟く。
そもそも旅行なんて、ヴァリアー幹部の慰安旅行ぐらいなもので私用で行くなんて殆どない。ここまで来るのに必死だったし、仕事任務トレーニングのオンパレードだった。遊びに行く暇があるなら少しでも自分を高める、という思考回路だったから無理もないと思う。

「(でも、)」

骨や臓腑に染みついた激痛の記憶も、泥水を啜る様な苦渋も、纏わりついた葛藤も、生々しく残る身体の傷痕も。全部なければきっと此処には居なかった。
なんだかんだ、やってきたんだなぁと。ここにきて感慨深くなってしまうのは、その分歳を取ったせいか。
そんなことを思ってると、カツン、とノック音の代わりと言わんばかりの足音が聞こえた。
振り返ると壁に寄り掛かってスクアーロがこちらを見ていた。

「ノックに気付かねえとは、随分気が緩んでんじゃねぇか」
「そりゃあ、久方ぶりの旅行だから」

楽しみだもの、というと気を良くしたのか大して追求はせず扉を閉めてベッドに腰掛ける。
夜間帯の任務もないため、ワイシャツに黒いズボンというラフな格好でいる。私も同じような格好をしているが。

「もう荷造りできたの?」
「ああ、何か足りなくなったら現地調達すればいいだろぉ」
「…あー、それもそうね」

確かに、重いトランクを引っ張って街中歩くのも疲れるし、周りの人にも迷惑になりそうだ。必要最低限のものを持って、彼の言う通り現地調達した方が賢いかもしれない。
改めて持っていく荷物を詰め直していると、

「そういえば、出掛ける先勝手にヴェネチアって言ったけど、行きたいところそこでいいの?三日あるし、他にあるならそっちに…」
「俺は別にいい。お前と居れるなら荒野でも地獄でも構わねぇよ」
「……、そう」

イタリア人は口説き文句を恥ずかしげもなくサラッと言ってのける。まぁ、そういうお国柄だし、そうでないとイタリア男はモテないというから恥ずかしいとかそういうことはない(本人はモテるモテないで言ってるのではないだろうが)。
私は日本生まれだが、家柄もあり殆どイタリアに住んでいる。ので、そういった声はかけられたことはある。故にそういった口説き文句には耐性があると自負している。
しかしまあ、それは『一般の男性』の口説き文句に対しての耐性であって彼に対してではない。
なので、何と言うか、十年経っても気恥ずかしくなるもので。

「…どうしたぁ」
「別に」
「照れると返事が短くなるのは、十年経っても変わらねえなぁ?」
「…うるさい。刺すわよ」

言えば照れるというのを知っていて、彼は言ってくる。照れた顔を見るのが好きだと以前言われたことがあり、反抗心から無反応を決め込もうと思ったが逆に露呈する結果となってしまった。ああ、にやにやしてる顔の何て憎らしいことか。
ひとまず荷造りを終えて、ぱたんとトランクの蓋を閉める。

「終わったかぁ?」
「とりあえずね。朝使うものは仕舞えないから完全じゃないけど」

さて、じゃあそろそろ寝ようとベッドの側まで行くが、何時まで経っても彼は退こうとしない。目で訴えるも見返してくるだけで、何を思ったのか後ろを向けというジェスチャーをされた。
なんだろうかと後ろを向くと、突然ガクッと体がくの字に折れた。

「ッ、?!」

腰から引き寄せられ、容易に背面からベッドに倒れ込んだ。完全ホールドされたことが分かったのは、腰に回された腕にがっちりと抱き込まれてからだ。さながら、人形を抱きしめる子供のような感じである。男性にしては細身のくせに身長があって手が大きくて、包み込まれているような感覚に、悔しいが安心する。
首元にかかる長い銀髪と吐息がくすぐったく、少し身じろぐ。

「…添い寝をご所望かしら、大きなワンコちゃん?」
「構わねぇだろぉ?」
「いいけど寝たいわ。明日早いんでしょう?」
「ん"ー……」

気のない返事をされ、退く気はないと言外に告げられる。
ボスの事や日々の業務で疲労困憊した時や長期任務なんかで長く離れた時なんかには、こうすることが多い。ハグをするとストレスが減るというので、恐らくそう言った意味もあるんだろう。まぁ私としてもエネルギー補充になるし、普段威勢のいい彼が時にこうしてくるのが猛獣を手懐けた感と可愛らしいのとで、何と言うか、和むので拒否はしないのだが。
しかし時計を見るともうすぐ日付が変わる頃だ。どうしようか、いっそこのまま寝てもいいかなと思ったが、不意に首元にちくりと小さな刺激を感じた。それと同時に、リップ音が短く聞こえる。
何か、首元に当たっている。いや、噛まれているのか?
そう思った時には、今度は肌とワイシャツの裾の間に腕が潜り込んでいる。何も隔てるものがない脇腹に触れられると、くすぐったさに軽く肩が跳ねた。
これは不味い、どこかでスイッチが入ったか。しかしここで及ばれては折角の休暇の一日を潰してしまう。
流されないよう、背中にある頭を少し強めに叩く。

「…いてぇぞぉ」
「油断も隙もないんだから。ここでダウンしたら予定台無しでしょ。向こう行ってからにしなさい」
「…、言ったなぁ?」

あ、しまった。
にやりと怪しく笑う彼に思わず顔が引きつった。余計なことを言ってしまったか。

「言ったことに二言はねぇなぁ?」
「男じゃないから、無いとは言えないわ」
「まあ、あってもなくても覚悟はしてもらうぜぇ」

ああ、もう予定に組まれているんですか。厭らしい海洋生物だこと。
大体彼の宣言したことは実行される。こう言うのだ、彼の中ではもう決定事項なんだろう。向こうで拒否しようが何しようが、どこかの日で実行される。この休暇、私にとっては休暇じゃなくなるかもしれない。大丈夫かな。
言質を取ったスクアーロは上機嫌になり、私の脇腹に触れていた手を離す。しかしまだ退かないよう。
身動きが取れるようになって、仕方ないなと身を反転させて彼と向き合う。
何時も鋭い目が、今は柔らかい。自信たっぷりに笑うその口元は、今も昔も変わってはいないけれど。でも、その方が彼らしいしそれが彼なのだ。女性のように長く伸びた銀色の髪は随分と伸びて、その端整な顔を隠してしまっていた。
言葉では表さない代わりの、ボスへの揺るがない忠誠の証。
美しいまでの、誇り高い彼の象徴。
いつ見ても見惚れるその姿を追い続け、しかし指先も触れられなかった存在に。
手を伸ばし、髪で隠れた輪郭に指を這わせ、頬にそっと唇を寄せる。
控えめなリップ音の後にゆっくりと離し、

「今日は、これで引き下がって?」

『待て』を、告げる。
普段私からこういったスキンシップは取らないし言わないので、内心とても気恥ずかしい。まるで悪い女のような言い様は我ながら無いなと思ったが、流石にここで引き下がって貰わないと予定に支障が出る。
スクアーロは少し固まったようだが、すぐ満足げな笑みを浮かべると共に身体を起こし、同じように頬に返した。

「今日のとこは引き下がってやる。明日からは、とことん付き合ってもらうぜぇ?」
「イタリアーノらしくないストレートな文句ね」
「明日、九時に出発する。それまでに起きて支度しとけよぉ」
「Si.九時ね」

そう言って彼は部屋を出て行った。
日付はとうに変わっている。九時までなら充分な睡眠はとれるだろう。
しかし、

「寝る前に、よくもやってくれたわ。あの鮫」

首元を摩りながら、眠れるのは一体いつになるだろうかと。
静かな部屋で一人、彼を恨めしく、身悶えしながら思い悩むのだった。




八時。
天気は快晴。流石に雨の守護者で雨男だと言えど、今日は晴れたようだ。もうここで運を使い果たしたような気がするが、それでもいいだろう。
ベッドから体を起こしてシャワーを浴びに行く。それが終われば着替えて髪を乾かし、何時ものように整える。適当に食事を摂って一服したのち、朝に使ったものをトランクの中へ仕舞い込んだ。支度は昨日のうちに済ませておいた、後から入れるものはその程度で殆どない。

「さて…あいつはどうだぁ?」

もう起きている頃だろう、女の支度は長いというから。今でも充分なぐらいの容姿を更に綺麗にしてくれるのだから、時間がかかっても文句はない。
ふと、昨日のことを思い出す。そっと自分の頬に触れ、柔らかく触れたことに思わず口許が緩む。

「(『待て』、ねぇ)」

昨日、珍しく向こうからのアプローチがあって少し、いやかなり動揺した。そしてそれ以上に舞い上がった。
言葉ではそれなりに返すが、行動に移すことは少ない。本人曰く、照れくさいのだとか。如何に日本の生まれだろうと十年以上イタリアに居るのだ、そういったスキンシップにも慣れが出て来てもいいと思うのだが…、それは国柄というより性格の問題なんだろう。奥ゆかしくてそれはそれでいいんだが。

「う"ぉ"い、起きてるかぁ?」

扉の前まで来てノックするが、反応はない。時間は比較的守る方なのだが、この時間で返事がないということは、つまりそういうことだ。
中に入ると、カーテンから差し込む光で室内が照らされる。物は少ないが仕事の道具や書類なんかで賑やかな感じになっていた。
支度していたトランクは昨日のままだ。準備された着替えも手を付けられず綺麗に畳まれたままそこにいて、シャワーを浴びてる様子もない。そりゃそうだ、ベッドはまだ山をつくっているのだから。
案の定寝ている。ベッド脇まで行って目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。

「う"ぉ"おい、何時まで寝てんだぁ。起きろぉ」
「ん、ん"んぅ…………」

軽く頭を叩くと、もぞもぞ、と寝返りを打って此方側に体を向けた。半分以上夢の中にいながらも刺激に起こされ、うっすらと目を開ける。ああ、何故こうも眠たげな顔というのは艶かしいのか。普段の余裕や強気な態度なんかを全て取っ払った、まるで幼い子供のように無防備な姿。これで三十路だと?最高じゃねぇか。

「何時だと思ってんだぁ、もう八時半回ってんだぞぉ」
「はちじ、…はん………?……八時半?!」

一気に眠気が飛んだのか、勢いよく起き上がる。ばたばたと世話しなく部屋の中を駆けながら、支度を進める。歯を磨いて洗顔保湿して服を脱いで着替えをしようとボタンを二つほど外して袖を抜こうと、………しようと手をかけたところで、じっとりと湿った視線を向けられた。

「……、何で見てるのよ」
「あ"ぁ"?何か問題でもあんのかぁ?」
「私が今何をしようとしてるか分かるでしょ?察しろ」
「態々起こしに来たんだぁ、それくらい大目にみろぉ」
「起こしに来たのと肌を晒すのとじゃ対価が違いすぎるでしょうが!このセクハラ鮫!」

いいから後ろ向きなさい!と、部屋から追い出す選択を取らないところがまたいじらしい。だが拗ねられては折角の予定が崩れる。仕方ないが後の楽しみに取っておくかぁ。
俺は荷物を取ってくるといって部屋を一度離れた。




「ああごめんなさいね。もう少しで終わるから」

戻ってきたときにはすでに着替えも化粧も済んでいて、あとはグロスを付けて終えるところだった。
いや、見るべき点はそこではない。

「(おいおいおい、これはどういうことだぁ?)」

何と言うか、隊服と私服のギャップというのがここまで破壊力があるとは想定していなかった。普段コートやらズボンやらで殆ど肌の露出のない隊服姿ばかりを目にしていたせいか、久しぶりに見る私服姿はまさに目の保養だった。
彼女の性格上、派手な色のものや露出の多いものはあまり着たがらない(三十路になって必要以上に肌を露出するのは見苦しさを感じてしまうらしい)。そのためスカートの類ではなくパンツでいる事が多かった。それはそれで、足のラインがはっきりするから別に構わなかったのだが。
ハイウエストのロングスカートが入ってくる風に靡いて細い足首をちらつかせている。風俗や露出の多い派手な女の色気とは違う、清楚な色気が漂ってくる。

「あ"ー…、くそッ…やられたぜぇ…」
「…何の話?」

何言ってんだこの鮫、というような不思議そうな顔をして最後の仕上げと言わんばかりにグロスを手にする。

「…、!う"ぉ"い、ちょっと待てぇ」
「え?」

近付くと、まるで主に呼ばれた子犬のようになんだなんだと疑問を視線に乗せて率直に向けてくる。うるせえ子犬かお前はよぉ構うぞ。
彼女が持っていたグロスをひょいと摘まむと、あ、と声を上げる。そんな声をスルーしてグロスを纏ったブラシを出しながら、

「引いてやる。こっち向けえ」
「…ちゃんと引いてよね」
「たりめーだぁ。早くしろぉ」

身体を俺の方に向けて、顔を上に向ける。
何故か目も閉じて。
ああ、こいつは。
これでも『待て』と言う気じゃないだろうなぁ?
決して派手でない楚々とした化粧に映える薄桃色の唇。ほんのり頬も赤みを帯びてるのは化粧のせいか、それとも。

「(これで我慢しろって言う方が、無理な話だ)」

グロスを引くはずの手は顎の下に向けられ、代わりに吸い寄せられたように唇を重ねる。軽いリップ音がして、柔らかい感触が伝わってくる。
真守は想像していた感触と違って驚いたのか、身体が跳ねる。グロスが肌や服に付いちゃまずいと無理強いせずに唇を離すと、何事かと目を丸くしている彼女の表情が見えた。
十年経って、多少の事では動じなくなったものだが、こういったことにはまだ耐性は低いようで。

「……ちゃんと引いてって、言ったじゃない」
「こういうのはご所望じゃなかったかぁ?」
「〜〜〜、喧しかッ!」

引かないなら自分で分かった分かった引いてやるからじっとしてろとやりとりをして、今度こそグロスを引いてやる。
その頬の赤みは化粧のせいか、それとも。
なんて、聞く方が野暮だ。



一言出掛けてくる声をかけてくると聞かない真守について、談話室でたむろしている幹部どものところへ足を運ぶ。

「あっら〜〜〜可愛いじゃないのよシバちゃ〜んッ!コレクションにしたいわ〜〜ッ」
「なんでしたっけこういうの、鬼瓦にも化粧?」
「わー日本語だけじゃなくて諺も勉強したのかしら。勉強熱心で素敵よ、是非意味まで詳しく聞かせてもらいたいわこのクソガエル」
「わー鬼瓦だー、ヘルプミー」
「スクアーロも決まってるじゃな〜い、気合入ってるわねぇ。んふふふ」
「う"ぉ"おおいッうるせぇぞテメェらぁ!!」
「ちょっとベル、あのカエル刻んどいて。お土産沢山買ってくるから」
「ティアラ五個で手を打ってやるぜ?」
「それはちょっと懐と相談……」
「か、可憐だ・・・…」
「あなた攻略対象は十代でしょ。その視線は向けないで」
「おい、ムッツリスケベ雷親父はさっさと仕事いけよ」
「なんだとッ?!」
「テメェらこそ仕事しやがれえ!う"ぉ"い、行くぞ真守ぅ!!」
「ちょっと、引っ張らないでちょうだい!ええとじゃあ、行ってきますね」

九時三十分。
漸く準備が整い、ヴェネチアに出発した。


(2017.10.19)

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