数多色づく下思ひはC


部屋に戻り、柴野はソファに沈み込んだ。まだ数時間しか経ってないが一週間ぐらいの疲れがどっと押し寄せてくるようだった。サングラスは外した。似合っていないのを気にしてではない、一人で部屋にいるなら気を配る必要がないからだ。決して似合っていないのを気にしているのではない。
晴鳩はというと、幼子が親のあとを付いてくるように小さく跳ねながら主人の足元をうろうろしていた。我が匣兵器はかわいい。疲弊した心を人知れず癒やしてくれる。
気づけば、晴鳩の炎の色は薄い色の水色に変わっていた。

「色んな色に変わるなんて、まるでカメレオンね」

自分でもどの感情がどの色になるかは分からないが、大まかな傾向は分かった。
ベルたちも言ったように、緊張や不安、心配などは黄色から緑。白、青系はリラックスや安らぎを示すのだろう。となれば、嬉しい楽しいといったプラス感情は暖色系と予想できる。ただ、感情とは機微なもので複雑だ。基本色だけで人間の感情の全てが表されるわけではないだろう。
そんなことを考えながら暫くソファでぼーっとしていると、ふとお茶が欲しくなった。気怠いが、独りでにお茶を注いでくれるわけでもない。仕方ないなと立ち上がる。
棚に並ぶアルミ製の茶缶に手を伸ばし、悩ましそうに指を彷徨わせながら、

「煎茶……いえ今日はほうじ茶にしようかしら。ああ、番茶が減ってきてるわね……また買い足しておかないと」

茶缶の一つを手にして、お湯を沸かす。その間に茶葉を急須へ投入した。缶を軽く揺らすと茶葉がぱらぱらと降り落ちていく。
いい匂い、と自然と表情が綻んだ。

「う"ぉ"お"い、真守。居るかぁ」

ノックとほぼ同時に聞こえた声に、柴野は顔を向ける。茶缶を棚に戻して誰かを問うこともせず、どうぞと入ることを促す。
談話室に居た時とは異なり、幾分ラフな格好のスクアーロが部屋に足を踏み入れる。左手には剣を着けていない。変わりに紙袋が腕に掛かっている。

「調子はどうだぁ」
「どうもこうもないわ。強いて言えば、ちょっと疲れてるぐらい。変なトラブルに巻き込まれる気怠さと心せく感じは慣れないものね」
「今日は出る予定もあったんだろぉ。どうしたんだ」
「彼らを待たせるだけのものはあるわ。文句を言っていたけれど、最後にはちゃんと「納得」してくれたわ」
「そりゃご苦労なことだ」

スクアーロはソファに腰掛けて紙袋をテーブルに乗せた。彼は確か今日は非番だったな、と呑気に考えながら紙袋に視線を向ける。気晴らしにどこかへ出掛けたのだろうか。
漸く沸いたお湯を急須へ入れ、ゆっくりと茶葉をお湯に馴染ませながら、漂う香りを肺の奥まで吸い込む。お湯が鮮やかな緑色に変わり芳醇な緑茶の香りが漂ってくれば頃合いだ。
こぽぽぽぽ、と音を立てて湯呑に注いで完成。残念ながら茶柱は立たなかった。
二人分の湯呑を持ってスクアーロのもとへ行く。

「そういやぁ、お前に朗報があるが聞くかぁ?」 
「朗報?」
「これだ」

ガサッと紙袋を差し出す。柴野が袋を手にして中身を確認すると、静かに目を丸くした。
イタリアらしからぬシンプルなデザインの缶が紙袋の中に収まっていた。ラベルには「Tè verde(お茶)」の文字。小さく茶葉の種類も印字されている。柴野からしたら見慣れた茶缶だが、それを目にした彼女からは意外だとでも言うような表情が浮かんでいた。
予想していた反応だったのか、スクアーロは口元を緩ませながら経緯を説明する。

「外出た時にお前がよく行く店に行ってみてなぁ。そこの店主が、お前がその……ギョクロ?の入荷を心待ちにしてたって言うもんだから買ってきたんだぁ。有り難く受け取れぇ」
「……これを、私に?今日何かあったかしら。誕生日ではないしクリスマスにはまだ早いけれど」
「なんだぁ?記念日やらイベントの時だけにプレゼントするような薄っぺらな奴に見えんのかぁ?」
「そういうわけじゃあないけれど……。うん………ありがとう」

柴野は紙袋を胸元に抱えて目元をほころばせる。薄い桃色の目をして笑みを浮べる姿は、年端もいかない少女のようにも見えた。
彼氏としての特権をご満悦な顔をしながら満喫しつつ、プレゼントを貰った子供のような彼女をからかう。

「やっぱ分かりやすいなぁお前。色がついて余計にだな」
「う、うるさいわね。玉露なんてすぐ売り切れてしまうのになかなか入荷しないんだもの。予備も底をついていたし……」
「まさか、店先でもそんなことしてるんじゃねぇだろうなぁ」
「そこまで見境がなくなったりしないわよ。……きっと、多分。自信はないけれど」

肩を竦めて誤魔化すように少し温くなったお茶を喉に通す。

「サーラ……そこの店主と何か話したの?」
「いや、店主は野暮用ですぐ出たから対応は店員だ。美人だったぜぇ。ありゃ看板娘か何かか?」
「あら、あなたのお眼鏡に適う人が居るなんてね。どんな人?」
「肩までありそうな茶髪で、二十代半ばぐらいの女だ。そんとき髪は縛ってたがなぁ。可愛いよりかは美人な顔立ちだ。日本語を勉強してるってのもあって多少は話せるみたいだぜぇ」

ぴくり、と柴野の肩が僅かに動いた。
その僅かな挙動に気付くわけもなく、彼は続ける。

「彼女が山程ある茶葉のことを色々教えてくれてなぁ。その茶葉の種類とかどの食事が合うとか何とか。まあ店員なら紹介する上で知ってて当然なんだろうが。彼女に勧められたら余計な買い物もしちまいそうになるなぁ」

ふ、と彼は口元を緩ませる。
店員との雑談など別段珍しいものでもない。雑談して常連や顔馴染みになるのはよくあることだし、そもそも見知らぬ人に声を掛けるハードルは日本よりも低いように感じる。自分のストライクゾーンにかかれば、息をするように口説くお国柄だ、当たり前といえば当たり前かもしれない。
暗殺者とはいえ、眉間にシワが寄っていなければ容姿は決して悪くない銀髪美男子スペルビ・スクアーロ。女性ならば噂したり声をかけてしまいたくなる気持ちは分からなくない。件の女性も、意図はどうであれきっとその例に漏れなかったのだろう。

「あらそう。盛り上がったのなら何よりね」
「ただの世間話だ。お茶の淹れ方なんて耳が腐るほど聞いてるんだ、今更聞かされてもなぁ。彼女の身の上話の方がまだ魅力的だ」
「そう?美人の店員さん相手なら少しぐらい聞く姿勢も変わるんじゃない?どうやら話を聞き入ってしまうほどには絆されたようだし」
「別に絆されちゃねぇが、イイ女だったのは確かだなぁ。勤め先がバールだったなら通うんだが、残念だぜぇ」
「それを絆されてるというのよ」

だが、何だろうか。何故だろうか。面白くない。自分のときにはお茶の話など聞く耳を持たなかったくせにと、柴野の額に僅かにシワが寄る。
じわ……と絵の具が滲むように淡い青色の炎が紫色に侵略されていく。

「……いいのよ、あなた非番でしょう?せっかくの休みなのだし、休みらしいことをしたら?ああ、街にでも繰り出して女のコと楽しくお喋りしてきたらどうかしら。あなたなら何もしなくても集まってくるでしょ」
「休みらしいことぉ?そんなこと考えるのは働き過ぎの日本人ぐらいだ。なんだ急に。棘のある言い方しやがって」
「別に。私は私で自分の尻ぬぐいをしなければならないの。自分で招いたことだけれど、そうでなくとも忙しいのよ。お土産、ありがとう。有り難く頂くわね」

柴野は席を立ち茶缶を棚に並べた。せっかく淹れたお茶はもう冷めてしまっているだろう。また淹れ直さなければ。

「(スクアーロは良いものを良いと言っているだけだ。美味しい料理を美味しいと褒めているのと同じ。そこに好意もなければ恋慕の情もない、ただの感想)」

だが、それをただの感想と受け入れるには話題のチョイスも彼女の心理耐性も良くなかった。そう、これは八つ当たりであり『やっかみ』なのだ。それを認めたくないのは自分の恋情がまだ幼いせいなのだろう。それも含めて、可愛くないなと柴野は自己嫌悪する。
著しく恋人のテンションが悪くなった事に、スクアーロは怪訝な表情をしていたが、ああ、と察した。
ソファには、紫の炎に包まれた晴鳩が座ってうとうとしている。

「……妬いてんのかぁ?」
「…………別に」
「何だぁ、俺が他の女に気を緩めたと思ったかぁ?」
「そんなこと無いわ。ただの世間話なんて、誰だってするもの。今回はあなたのストライクゾーンに入った女のコがいて、テンションぶち上がったってだけの話でしょ」

ギシッ、と物音がする。恐らく席を立った音だ。彼には、もう気付かれているだろう。
スクアーロは柴野の背後に立ち、その顔を覗き込む。どんな顔をしておけばいいのか分からないので、とりあえず澄まし顔にしておいた。

「……何よ」
「いいや?ルッスーリアの言う通り、イイもんだなと思っただけだぁ。不本意ながらな」
「あら、もしかして私はからかわれていたのかしら?このヤカン(♀)、まだ結構熱々なのだけど特別に熱烈なキスをさせてあげてもいいのよ?」
「無機物に性別なんてねぇだろぉ。話したことは事実だ、だが雑談のネタに過ぎねぇ。安心しろ」
「日本人は妖精なのよ。そんなことをしていると、そのうちうっかり消えてしまうかも」
「そりゃ困るなぁ。俺はお前のそういうとこも愛しているが、表現が足りねぇかぁ?」

くく、と目を細めて笑う。額に唇が触れる。
何だか、バカバカしくなると柴野は溜息をついた。強がっても意地を張っても、この銀髪男の前では結局薄っぺらくなってしまうのだ。諦めてしまえばいいのだが、この強情な性格すら彼は愛しているというのだからいつまでも踏ん切りがつかないでいるのだ。この、拙い恋愛観をも。懲りもせずに。
桃色の瞳が深い海色の瞳とかち合う。スクアーロはそれを見て、更に愉快そうに笑うのだ。

「……やっぱり分かりやすいなぁ」
「……うるさいわね」

次第に、桃色が赤橙色に色を変えていった。
スクアーロの指が柴野の下顎を掴み、顔を上へ向せる。

「……その色は何だぁ?」
「さあ、何かしら。当ててみたら?色なんてなくても、私は分かりやすいんでしょう?」

目を細め、赤と橙色の合わさった双眸が彼を捉える。
スクアーロは、ハッと不敵に笑った。

「当然だなぁ」



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