1ヤードが遠い 弐
その頃とある学校では。「え?神学の生徒と?!あんたが?」
「あれ?言わなかったっけ?」
同時刻、南條もお昼休みに突入していた。購買戦争に赴く人で教室内は一時的に人口密度が減り、残るのは予め弁当やコンビニで買ってきた生徒だけになっていた。
南條は朝に作ったお弁当の蓋を開けて、いただきます、と手を合わせて厚焼き玉子を口にする。その向かいの机でコンビニパン片手に驚愕に表情を固める短髪女子が1人。
「神学ってあの男子校でしょ?どうやって知り合うのよ。しかも誘わなきゃ寄り道もしないあんたが」
「ほら、私いつも夕方ぐらいにランニングしてるでしょ?その時に運悪く酔っぱらいに絡まれちゃって……、その時に助けてくれたの」
「何その曲がり角でぶつかって始まる恋物語みたいな絵に描いたような話」
「でもロマンチックだねぇ。そんなドラマみたいな出会い」
ふわっとした声で言葉を挟んだボブヘアーの女子生徒。その言葉に対して、短髪女子が眉を寄せて反論する。
「いやー、でもどうなの?神学ってすっごい禁欲的だからさぁ、近付いてきてもただ興味本位でって感じがしない?女の子なら誰でも、みたいなさ」
「でもうちの学校でも神龍寺の生徒と2年も付き合ってる子いるじゃん。人によるんじゃない?」
「まぁそうだけど…。ね、名前なんていうの?」
「えーと……、細川一休っていう人なんだけど…」
「え、細川一休?!」
2度目の驚愕の声にビクッと肩を跳ねらせる。他校の生徒の事なんてそう有名なことはないと思っていたが、どうもそうではないらしい。
「細川一休って、あの細川一休?!」
「な、なに?有名な人?」
「ほら、神学ってアメフトすっごい強いところでしょ?確かそこの選手で、関東じゃ有名なんだよ!えーっと確かこの間の関東大会のやつに………」
短髪女子が携帯を弄って動画を探すと、該当するものがあったのか、盛大な歓声と賑やかな実況の声が携帯から響いてくる。南條が画面を見ると、赤と紫のユニフォームにヘルメットを着込んだ選手たちがフィールドを駆けていた。
「わぁ……すごい…」
「その細川一休っていうのが、今紹介されてる人だよ」
コツコツと画面の中の彼を叩く。歓声の中から聞こえる実況の声は確かに細川一休の名を出し、プレーとその才能ぶりを褒め称えられていた。
「(すごい…まるで別人みたい……)」
そこには、南條の知らない彼がいた。
バック走で相手選手にぴったりと張り付き、飛んで来るボールを見事に弾く。弾くだけでなく、弾いたボールを空中で捉えている。その姿はまるで、獲物を狙う鷹を思い描かせた。ランニングの時には見せない、勇ましくも悠々とした雰囲気に、南條は思わず目を惹かれた。
試合は神龍寺の圧勝で終わり、アナウンサーが各チームの注目選手にインタビューをするべくマイクを向けている。相手チームは負けて気分が落ち込むものの、テレビの前とあって次こそはと再戦に向ける意思を口にしてその場を去っていった。対して、圧勝した神龍寺の選手は、相手が女性ということもあり試合よりも緊張した面持ちだが、勝つのは至極当然だと強豪故のコメントを残してフィールドを後にしていった。
『あ!細川選手!今日の試合も大活躍でしたね!』
『え?あ、あぁ…ありがとうございます』
そして順番は、彼にまわった。彼も彼で女性に免疫がないが為にしどろもどろな様子だが、次の質問で空気が変わった。
『次の試合では泥門の雷門選手との戦いになると思いますが、すばり!どうお考えですか?』
緩んだ表情が消え、まるで突然つまらない冗談を聞かされたような冷めた目に切り替わった。
『雷門?ああ…あのサル君か。別にどうも考えてないッスよ。俺には眼中にもないんで』
『というと…、空中戦でも競り負けることはないと?』
『空中戦No.1は俺ッスから。むしろ、競り負ける方が難しいですよ。努力じゃどうにもならない差があることを、試合で思い知らせてやりますよ』
画面の中で失笑したような表情を浮かべる一休に、何時もと異なる性格を見た。それは、ランニングの時間だけでは決してみられなかった、強者の姿だった。
共に画面を見ていた短髪女子は、頬杖をつきながら率直な感想を漏らす。
「うわー、超強気な発言。よっぽど自信あるんだね」
「でもこのくらいでなくちゃ強豪校の中でエースは張れないのかもねぇー。………佳乃?」
「え?ああそう、かもね…」
「こんな子が私らのいっこ下かぁ。凄い子もいるもんだね。才能は不平等だなあ」
「でも私は平々凡々がいいなぁー。強いままでいるっていうのも結構プレッシャーだし」
「そうだねぇ。普通が一番だねー」「ねー、佳乃」
「え?あぁ、うん……」
話は変わるんだけど昨日さぁ、と話題は別へと移る。南條もまた移り変わる話題に耳を傾け、時には相槌を打つがどこかしっくりこない、もやもやした感覚に首を傾げながら昼休みを過ごした。
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何時もの時間、何時もの場所。
南條は何時も通りに弁天橋の端にいた。今日は少し遅れて一休が訪れた。どうやらミーティングがあって時間がかかったらしい。確りストレッチをした後、ゆっくりと走り始める。
「そういえば南條さんって、何でランニング始めたんスか?」
「んーそうね……、私の入ってる部員の子たちは皆運動神経良くってね。頑張って残り練習とかしたんだけど、中々選手で選ばれなくてね。それが悔しくて…それでかな」
「そうなんですか…。努力家なんですね」
「ふふ、そうかな。今じゃ選手として選ばれるようになったから、いい経験だよ」
「へぇ……、南條の学校って、どれくらいのレベルまでいったんですか?」
「ええっと……、ベストフォーかな。今までは予選は抜けられるけどそれ以上はいけなくて…。レギュラーになって下の子達も上手な子達だったからここ最近の成績は凄くいいんだよ」
「それは凄いッスね!鬼格好いい……」
他愛のない話をしながら一休は長い弁天橋を彼女と並走する。並走しつつ、彼女の話を聞きながらも、彼の思考は数時間前の言葉に囚われていた。
『他の子に先を越されなきゃいいけど』
考えが甘かった。いや、浮かれすぎて当たり前な疑問に気付かなかった。
彼女は共学生だ。自分と同じように同性のみで構成され、況してや、あんな禁欲的な環境に属しているわけではない。勿論ある程度学校での出来事や私生活のことは話題にする。しかし、だからと言って友人関係や恋人のあれこれまで話をするほど親密化したとは言い難い(彼としては話が出来て満足していたため、その考えに行き着かなかったというのが正しい)。
実際、学校での南條は一休と会っているときと異なることは考えられる。しかし少なくとも彼から見て、南條は裏表のあるような人には見えない。素直で頑張り屋な、優しい人だ。
さて、ここでクエスチョン。
果たして、自分と同じような感情を抱く人が、学校には居ないのだろうか?
「(そもそも南條さん、好きな人とかいるのかな……?)」
彼の中のバッドエンドは、2通りある。
1つ目に、彼女に相手がいる場合。
2つ目に、彼女に想い人がいる場合。
どちらの道も、一休には身が砕け散る程の威力をもつ事実だ。今後友人に収まるのであれば聞く必要はないが、それ以上を望むならば避けては通れない。
ここで試されるのは、彼の勇気なのだが。
「(か、彼氏とか居るのか…?いやでも正直居ても可笑しくない。こんなお、鬼可愛い人に彼氏がいないなんて、ドラマの彼氏いない歴=年齢の可愛いモデルぐらい可笑しいていうか俺成り行きで一緒にランニングしてるけど迷惑じゃないのか南條さんのことだからきっと迷惑でもそんなことないですよって言)」
「でも細川くんもすごいね、コーナーバック?だったかな。関東で一番だって」
「へッ?!え、お、俺そんなこと言って」
「実は動画で試合の様子見せてもらってね。凄いプレーが沢山だったよ?アメフトのルールとかあんまり詳しくないけど…」
「え、試合?!見てくれたんスか?!」
内心で軽い混乱を起こす。まさか興味を持ってくれるなんて。これはもしやチャンスなのでは?でもまだ彼氏疑惑がいいや嫌いなら態々試合なんて観るものかと脳内会議が収拾のつけられない状態にまで盛り上がる。彼の心は右へ左へと揺れ動いて忙しない。
「今度の試合、観に行ってもいいかな?」
「ほ、ほほホントですか?!で、でも部活とか…」
「多分、午前だけだから大丈夫だとは思うけど…、頑張れば間に合うかもっていう感じになっちゃうかな。間に合わなかったらごめんね
「い、いえ!そんな!ご足労いただいて文句を言うような真似はしません!絶対に!」
「そんなに丁寧にならなくてもいいのに。変なの」
ふふ、と口許に手を当てて笑う彼女にくらりとキた。
「あんなサル君には負けませんから!圧倒的な力の差ってやつを見せつけてやりますよ!」
「でも、向こうも細川くんたちに勝つよう練習してるんだし、油断大敵なんじゃないかな」
「そんなことないッスよ!決勝までこれないような弱小チームに負けはしませんって」
彼の言葉に、南條は引っ掛かった。
「どうだろうね。もしかしたら、ってこともあるんじゃない?」
「万に1つもありませんよ、前にサル君に会って実力を見ましたけど、大したことなかったですし。俺の敵じゃあありません。努力が才能に勝ることなんて、ありはしませんよ」
「……私は、そうは思わないかな」
ぴたりと、走っていた足が止まる。
一休が彼女の方を向くと、彼女は数歩前に止まっていたのか少し距離があった。その視線の先で、一休を真っ直ぐ見詰める南條がいた。橋の上、隣を抜ける車のヘッドライトに照らされ、存在感を見せる彼女の言葉は様々な音のする中でも、不思議とはっきり聞こえた。
それは、彼女のはっきりとした対立だった。
「挫折を味わったからこそ、人は強くなれると思うよ」
今までの柔らかな言葉ではなく、凛とした、信念のような強い言葉。
一休は些か不意を付かれたように目を丸くして黙り込んだ。
「私にはアメフトのことは分からないけれど、どんなことでも才能がすべてだとは思わないよ。強くあり続けることも大変な道だと思う。けれど、敗北した人の勝つ事への執着と努力は決して侮れないものだよ」
牽制されていると感じた。いや、警告なのか。だがこの言葉の重みの正体はそれとも違う。
彼女の言葉に乗っている、この感情はなんだ?
「努力したら必ず報われる訳でもない。でも」
でも、ともう一度強調して、
「敗けて、挫折して、自分の弱さを知って、それでも立ち上がれるのは、才能にはない力だと思う」
多くが打倒上位を目指して努力している。それは紛れもない事実だ。中には彼女の言う通り、敗北しても立ち上がる者はいるだろう。
「負けたから、強くなれる……?」
だからこそ、胸くそ悪かった。
「そんなの、ただの負け惜しみじゃないッスか」
たった一言で、彼女の言葉を一蹴した。
彼の中で、舞い上がっていた心が冷めていくのが分かった。視線が、弱者を見下す侮蔑を含んだ冷ややかなものに変わる。
「勝ちへの執着なら、その辺のやつには劣らない。負けてから強くなろうじゃ遅いんですよ。俺たちに敗けた奴らがリベンジできてないのがその証拠でしょ。そんなの、悪足掻きに過ぎない」
「……でも」
「有り得ないッスよ。強い奴は強い、弱い奴は弱い。それは覆らない。下位争いなら努力で何とかなるかもしれないけど、上位争いは努力でどうにかなるもんじゃない、圧倒的な才能…それが全てだ。貴女だってそう……」
ハッとした。
街灯の下、真っ直ぐ見詰めていた視線は切々として地面に落ちる。その姿を目にすれば、心臓は締め付けられるような圧迫感に襲われ激しい鼓動に連動して視界がぐらつく。
何か不味いことを言った。それが何か解らないが、今の状況は不味いことだけは理解した、何か弁解せねばと口を開く。だがさっきのような饒舌な言葉は喉の奥へと引っ込んで、戸惑った情けない声が漏れるように出ていくだけだった。
「いや、あの、……南條さ」
「……あぁ!ごめんね、私そろそろ帰らないと。……それじゃあ」
明らかな思い付きのような切り出しに、決定的な何かを突き付けられたような気分になった。
南條は彼の横をすり抜けて、街灯に照らされながら帰っていく。
再び一人残された一休は、自身が口にした言葉と彼女の談話を思い返した。
『部員の子ってみんな運動神経良くってね。選手に選ばれなかったの』
『負けたから、強くなれる?そんなの、ただの負け惜しみじゃないッスか』
『今じゃ選手として選ばれるようになったから、いい経験だよ』
『下位争いなら努力で何とかなるかもしれないけど、上位争いは努力でどうにかなるもんじゃない、圧倒的な才能…それが全てだ』
『…あぁ!ごめんね、私そろそろ帰らないと。………それじゃあ』
「(あれ……、?)」
思い返すが、何が悪かったのか一休には思い当たらなかった。しかし彼女の表情や雰囲気からして何かがいけなかったのかは確かだ。何がだ?と自問自答して検索するも該当せず。
ただ分かっているのは、
今、非常に不味い状況にあるということだ。