1ヤードが遠い

神龍寺学院。
アメフト競技の高校部門では全国トップを争う強豪高として知られている。各ポジションに特化した化け物が揃い、一度対峙すれば戦意を削ぐ程の圧力を突きつける。
しかし化け物には化け物たる所以がある。全国のトップを争うに相応しい精神力と練習量だ。中には練習もせずとも全国に通用する実力を持つ天才的な化け物もいるが、大半は日々血の滲むような努力の賜物だろう。
一切の邪念を払い、炎天下の中で走る様は正にーーー。

「あ〜〜〜〜〜〜〜〜彼女ほしいいい〜〜〜〜〜……」

盛大な溜め息と切々とした願いがロッカールームに響く。
切望する男子生徒の言葉は、他の選手にも波紋を広げていった。

「ほんとになあ……。彼女ほしい……」
「ていうか女人禁制とか今時ないだろ。共学希望」
「右に同じ」
「確か弐組の海崎が他校の女の子と付き合ってるってよ」
「なんだと?!けしからん!」
「世のカップル爆発しろ!くそー!」

これが、男子校の定めというものだろう。
邪念を払い己を律するという学院の方針は、男子校ということに輪をかけて女の子との出会いが制限されているのだ。そのためか、街中ですれ違う同年代の女子や大学生に大騒ぎすることも少なくはない。いざ対面したときに固まってしまうというのもざらである。故に、彼女を獲得できるのは過去に経験ある者や女の子と対面しても平常を保てる軟派野郎に限られてきてしまうのだ。
仲良くなりたいが緊張して話せないヘタレは、こうした傷の舐め合いを繰り返すことを余儀無くされる。そんな彼女に飢える彼らに目もくれず支度を急ぐ生徒が一人。

「そんじゃ、お疲れ様ッス!失礼します!」
「おいなんだよ、今日も直帰すんの?最近連れねーな」
「何かあるのか?」
「え、あー……ちょっとランニングに」
「この後に?!お前バカだなぁすげぇなぁ!」
「ははは……そ、それじゃ失礼します!」

飛び出すように出ていった生徒を、些か疑問視していたが其もすぐに雑談へと移された。……ただ数名を除いては。

********************
行き交う人の声と車の風を切る音の中で波の音が混ざって聞こえる。遠かった弁天橋が次第に近付くにつれて、夜遅いにも関わらずウォーキングやランニングをしている人が往来しているのが見えてきた。
彼は、その橋の側でストレッチをしている女の人の姿を捉えた。

「南條さん!」

彼女はその声に気づいてストレッチを中断、声の主を確認した。
長い髪を一つに纏め、運動しやすいランニングウェアとズボン姿の女性。

「こんばんは、細川くん」
「はぁ、はぁ……す、すんません!遅れました!」
「大丈夫だよ、私も今来たところだから」

はぁ、鬼優しい……。と一休こと、細川一休は彼女の言葉に表情筋を緩ませる。

「でも細川くん、部活終わりだったんじゃないかな?疲れてるんじゃ……」
「い、いえ!そんなことないッスよ!体力有り余っちゃって、寧ろまだまだやれます!」
「そう?無理しないでね」
「な、南條さんも…部活終わり、なんスよね?その、南條さんも無理しないように………」
「ふふ、ありがとう。でももう習慣化しちゃったし、疲れたらペース落とすから大丈夫よ。寧ろ、君には少し物足りないかもしれないけど……」
「俺は、その、あなたのペースに合わせますで!鬼気にしないでください!」
「そう?まぁ、のんびり行こっか」

はい!とやや上擦りな返事をして二人は橋の上を走り出す。
彼にとって、この時間はいつになく楽しみな時間だ。神龍寺はアメフトの強豪高故に練習メニュー、量共に他校と比べて半端ではない。普通の選手ならば帰路に着く為の一歩目が出せなくなるほどだ。しかし、例えへろへろになっても此処で走る時間は何物にも代えられない。寧ろ、この時間を迎えたいが為に練習を頑張っていると言っても今の彼なら過言でもないだろう。
まぁ、端的に言えば、彼女に恋慕しているのだ。
一休はちらと隣を見る。
月明かりに照らされた彼女の肌に伝う汗がきらきらと光っている。比較的ゆっくりなペースではあるが聞こえる短い間隔で吐かれる息、リズミカルに揺れるポニーテール、服の上からでも分かるボディライン、走る衝撃で揺れるおっぱ………

「(いやいやいや!何見てんだ俺!!バカか!鬼バカか!!失礼だろーが!)」
「細川くん?」
「へ?!あ、いや、別に何でもないですよ?!」
「まだ何も言ってないけど……」
「あ、す、すみません……」
「細川くんとこうして走るようになって、暫く経つなぁって。もうひと月くらいになるのかな?」
「え、えーっと……、そうッスね、ひと月くらいですかね?」
「そっかぁ、もうそんなになるのね。君に助けてもらったのがつい最近みたいに感じるけどなぁ」

助けてもらった。
それはひと月前のことだ。


南條は何時ものように弁天橋でランニングをして帰宅しようとしていた頃だった。そこに、酔った男たちが声をかけてきた。

『ねぇお嬢ちゃん、暇?ちょっと遊ばない?』
『いえ…私、これから家に……』
『いいじゃん、少し寄り道するだけ。ね?』
『あの、ですから私………え、わッ!!』
『ッ?!何だあのガキ!』
『待ちやがれ!』

酔っぱらいに絡まれていた南條を引っ張り、退散したのが一休だった。
知り合いの振りをして出来るだけ穏便に事を終わらせたかったが、女の子と会話をしたこともなければ声をかけられただけでどもる女性免疫力皆無の彼にはハードルが高い。強引ではあったが、何とか逃げてこられたのだけ良しとすべきだろう。

『はぁ、はぁ……はッ……ど、どなたか存じませんがあ、ありがとう、ございます…』
『い、いえ………あッ、!』
『…?あ、あの……、』
『あ、えと…、そ、それじゃあ!』
『え?あ、あの!』

顔をあげた瞬間に一休は手を離して一目散に逃げてしまった。
唐突なことで南條は追い掛けることも忘れてその背中を見送った。

『(困ったなあ……。お礼したかったのに…誰か分からない……)』

体格は小柄で、胴着のような制服だった。この辺りでそんな制服を着ているのは神龍寺学院くらいだ。一年生だろうか。そんな推測を立てるが、名前が分からなければお礼のしようもない。
学校名が分かっているなら校門前で待っていれば会える可能性はあるだろうが、其処はあらゆる欲と隔てられた男子校。女の子一人で男子校前で待っているのは流石に周りの視線が痛い。聞いた話では学院には手の早い不良(?)もいるらしく、見付かったらとって食われるという。噂話かもしれないが、女性との接触が極端に少ないとあれば無い話ではない。そうでなくても、そんな話を聞いては一人で待つというのはリスクが高いだろう。
どうしたことか。
うーん、と首を捻って不意と視線を落とすと何かが落ちていた。

『学生証……?さっきの子のかな。…………細川…一休……』


翌日。
同時刻頃、ランニングをしに橋に向かっていた時、彼の姿を見た。南條は思わず駆け寄り、

『あ、あの。すみません』
『へ、あッ!』
『あ、待って、昨日のお礼がしたいだけなんです。それと、落とし物を……』
『………落とし物?』
『昨日の帰るとき、学生証落としましたよね。……細川一休、さん』
『え、な、なんで名前………!』

彼女は驚き焦った一休の顔をしっかり見つめ、小さく笑いかける。

『昨日は、ありがとうございました。お陰で助かりました』
『あ、えと、別に大したことじゃ……』
『何かお礼をしたいんですけど…、生憎私じゃなにも浮かばなくて言葉だけになってしまいますが…』
『………お礼…』
『あ、エッチなのは駄目ですよ?』
『そ、そ、そそそそんなこと!!言いません!!鬼言うわけないですから!!』
『私の出来る範囲で、健全なものでお願いします』
『…………じゃあ、……』



「……それでこうして、一緒にランニングするようになったんだよね」
「あはは……そうでしたね。懐かしいな」

橋を往復してスタート地点で足を止める。首にかけていたタオルで汗を拭う。
一休自身、その事は鮮明に覚えている。何せ、ずっと気になっていた女の子に初めて接触した日なのだから。お礼といわれたときは煩悩が噴き出したが、それは後になっての話で、実際言われた時は頭は真っ白だったのだ。一緒に走ると言葉が出ただけ、彼にとっては奇跡に近い。
彼は満たされていた。遠くから見ているだけの想い人と、短くとも時間を共に過ごせるというだけでも、充分すぎる思いだ。
そして至福の時間は、あっという間に終わりを迎えた。やはり何物にも代えがたいものとはいえ、練習後は些か堪える。帰ってからは入念にストレッチをした方が良いだろう。

「さて、今日はこれで帰ろうかな。一休くんはどうする?」
「あ、じゃあ俺も……」
「そっか。それじゃまたね」
「はい、気を付けて帰ってください!おやすみなさい!」

彼女の姿が見えなくなるまで見送った一休は、寮に戻るまで体の疲労を感じながらも表情は緩みっぱなしだった。

*************
翌日の昼休み。
神龍寺学院では購買というものはなく、全員一律で給食が出される。給食といっても精進料理で、育ち盛りの男子高校生にとってはおやつ同然である。些か量に不満はあれど、これも修練。堪え忍ぶしかない。
昼食を終えて、フリーの時間を迎える。周りを見ると雑談や授業の予習に宿題の写し書き、次の授業に使う教室の掃除に向かったりと各々の時間を過ごしている。特にすることの無い一休は、窓の外に広がる空を仰いだ。

「(南條さんも今昼飯なのかな……。同じ給食かな。いや、お弁当ってことも……。…弁当………手作り……手作りか…)」

空を見上げながら想い人の事を考えていると、不意にぽん、と肩に何かが触れた。気づいて振り返ると、そこには菩薩のような微笑みをした部活の先輩方がいた。

「え?」
「一休さん、ちょっと滝壺までご同行お願いします」
「え?え?何で敬語なんスか?え?あの、」



「あ"ーーーーーーーーッッッ!!!!」

ドッパーーーンッッ!!と、滝にも劣らぬ水飛沫を上げて滝壺に放り込まれた。滝壺では精神鍛練の一環で滝に打たれたり泳いだりとしているため溺れることはない。が、寒い。水面に顔を出し、滝壺の水温に身を震わせながら泳いで岸へ戻る。 漸く足がつく場所までたどり着き、体を水面からあげることができた。
水を吸った服の重さを全身で感じつつ、なぜ突然背負い投げを食らわなければいけないのか。内心理不尽さに困惑しつつイラッとしている。しかし簀巻きにして放り投げられなかっただけ良かったと思う。

「げほ、げほっ……はぁ、ちょ、なん何スか一体!」
「何だかんだと聞かれたら!」
「答えてあげるは世が情け!」
「覚えはないのか一休よ胸に手を当て考えろ!」
「ラブリーチャーミーなあの子は誰だ!!」
「一休!」
「貴様!」
「直ぐに帰る理由はあの女の子と密会するためだったのか!」
「この裏切り者!許されると思うなよ!」
「覚悟しろ!!」
「何でどっかの架空生き物捕まえる三人組みたいなノリなんスか…………」

些かげんなりしつつ滝から抜け出すが、風邪を引きかねない。後期ではないにしても滝壺の水温は低い。両手で腕を擦っていると、チームメイトの暴挙を見かねたサンゾーから替えの上着を受け取る。

「サンゾーさん…これは一体……」
「それがねぇ……」
「許さんぞ一休!女の子と密会なんて羨まし……いや、けしからん!誰だあの子は!」
「え、女の子……?…………あッ!!」

女の子との密会。該当するのは一人しかいない。
その言葉をきっかけに、一休に質問が矢のように降り注ぐ。

「そうだよ、誰なんだよ!」
「え、えと、それは……」
「合コンか!合コンなのか?!白状するんだ!」

こうなるから言いたくないんですよ、とは言えない。しかし、このまま黙秘をしていても恐らく彼らは諦めないだろう。練習の時に通常よりも負の感情が付与された強烈なタックルをされるのは目に見えている(此処で洗いざらい打ち明けたとしてもされるだろうが)。
隠していたかったが、仕方ないと腹を括り話をすることに。

「えーっと…実はですね……」



一休の説明に、一同に動揺が走る。

「………お前が酔っぱらいから助けた……?」
「それでお礼に一緒にランニングを…?」
「しかもそれが一ヶ月も前、だと……?」
「そんな感じです…はい…」
「あらなかなかやるじゃない。……で?」

サンゾーがくねくねしながらずい、と一休に詰め寄る。

「告白はもうしたの?」
「え?!い、いや、流石にそれは……。まだ会ってひと月ですし、俺は今のままで充分というか」
「あら、そうなの?」

がっかりしたような反応だが、どこか確信めいた空気が含まれていた。自分の意図をわざとぼやけさせることで、相手に本意を辿らせようとするような声色で彼はいう。

「恋のペースは人それぞれだから口は挟めないけど……、その人共学なんデショ?他の子に先を越されないといいけど…」

ドキッと、心臓が跳ねた。
先輩がやいのやいのと騒いでいる中、一休は黙り込んで焦りの色を滲ませる。サンゾーは確信犯の如く1人静かに微笑むのだった。
そうこうしてる間に昼休み終了の鐘が鳴り、先輩たちはぶつぶつ言いながら帰っていく。じっくり思考していた一休は、気づけば滝壺の縁で取り残され、水で冷えた体をふるりと震わせた。

「ひッ………ぶぇっくしゅッ!」


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