脳筋上司に嘘は効かない
ノックをすると短い生返事が返ってきた。
室内に足を踏み入れるとデスクで仕事をしていた人物が視線を向けずに言葉を投げてくる。
「おせぇぞぉ」
二十代の男性だった。長い銀髪と隊服の上からでも分かるすらりとした体格。街で見掛けた男たちが「へいそこの麗しの女神、下界へようこそお茶でも如何かな?」とうっかり声をかけてしまうレベルの線の細さだ。だが、正面に回ってみてほしい。研いだ刃先のような鋭い眼光と溢れんばかりの威圧感を前にして、麗しの女神などとは口が割けても言えまい。
柴野は軍人のように姿勢を正し、男の前まで歩み寄る。
「回収したモンは」
「はい、こちらに」
高級そうなデスクに置いたのは、先程の任務で回収した茶封筒だ。金庫に入れられていたとはいえ、年期が入っているためか枯れ葉のように変色している。力加減を間違えれば簡単に破れてしまいそうだった。しかし、目の前の上司はそんなことお構いなしに封筒を手にして中身を確認する。
「……ダミー掴まされてねぇだろうな」
「ターゲットが所定の金庫から資料を運用していたことは諜報班から既に報告を受けていました。中身の確認もしましたが報告のものと一致しています」
目を動かし資料を流し読みすること十秒。内容を把握するや否や飽きたように雑にデスクに放った。
「すでに居ねえやつらのリストになんの価値があるんだか」
「価値というのはそこに有るときよりも無くなるときの方が上がるものでしょう」
シバノは放られた書類に視線を動かす。
「禁じられているものほど手を出さずにはいられない……それがさらにボンゴレから『禁忌指定』と『破棄』の命令が出たとあれば、より価値を釣り上げたことでしょう。使える使えないは別にして、とりあえず手元に置いておきたくなりません?」
「一般人ならともかく、俺にその理解を求めるのは間違ってると思うがなぁ?」
「しかし研究に関する資料や技術は人材も含め全て破棄、処分したと聞いていましたが……本部でもヘマをすることがあるのですね」
「完璧に仕事ができる上層部なんてファンタジーだ」
「そうですね。この組織には、重く暗い怨恨より明るい殺意の方が似合います」
それにしても、と世間話の代わりにと柴野は今回の仕事の話を振った。
「この禁弾研究、五年前のはずですが……何故今になって回収なのでしょうか」
「使えるから回収したんじゃねぇ、これは隠蔽だ。『漏れがあった』という事実の回収に過ぎねえ」
「先程、回収することの意図をぼやいていませんでしたか?」
「こんな五年前の尻拭いを今さらさせられたんだぞ?上のクソ野郎どもの無能さに悲しくもなるだろぉが」
キレてるように思いましたが、という揚げ足取りは命取りだ。ぐっと飲み干す。
スクアーロは次の書類に手を伸ばしながら言う。
「このボンゴレだからこそ、事実の隠蔽は必要不可欠だ。情報の一切を禁忌扱い、その上破棄隠滅を命じたくせ始末ができてねぇんじゃあ示しもつかねぇ。お前、あの作戦に参加しておきながら知らねぇとはな、よっぽど情報に疎いとみえる。その程度でよくやってこれたもんだ」
「部下はただの駒、余計な情報は必要ない動けと教えられましたので」
「そいつぁ教えた奴が正解だな。だが他に何が必要だと?体面を保つために不都合を消し去り、不祥事を握り潰す。それができれば二充分だろぉ。辻褄合わせこそ、上の仕事だ」
裏舞台で走り回り、しかし『何かが起きている』という気配をも感じさせない技術を持つ暗殺という存在。それ自体が汚れた仕事にはおあつらえ向きなのだ。配備される人材も与えられる仕事も組織の質に適したものが宛がわれる。それ自体はスクアーロも不満には思っていないが、あるとすればテメェのケツはテメェで拭けという点だろう。
スクアーロは資料を一通り流し見て飽きたように手を止めた。紙に向けられていた視線が柴野に向く。
「書類の受け渡しはてめぇで行け。『ソラーリオ』という店が本部のクソ野郎との待ち合わせ場所だ」
「承知致しました」
柴野は短く答え、ぴしりと背筋を伸ばして頭を下げる。
……正直、更なる罵詈雑言を覚悟していたが、この程度で終えて良かったと安堵したのは無表情の裏に留めた。
この男、スペルビ=スクアーロは気にくわなければ待ったなしで手が出るタイプの男だ。それが如何に不条理で理不尽であっても、敵も味方も容赦しない。作戦無視や独断行動、裏切りといった行為で手が下されるのであればまだ納得はできるのだが、目の前に歩いて邪魔だったから殴ったと言われてはたまったものではない。
ため息をこらえてテーブルに散らばった書類を再び手に収める。
柴野の仕事はまだ終わらない。回収した書類を本部の人間に渡して、そこで漸く一区切りだ。
もうひと踏ん張り、と自分を奮い立たせてその場を去ろうとするが、スクアーロに呼び止められる。
「おい待て。まだ話は終わってねぇぞぉ」
「……はい?」
柴野は足を止めて、キョトンとした顔でスクアーロを見る。
「たかが資料回収すんのに随分時間かけてきたじゃねぇか。向こうでお茶会でも開かれてたかぁ?」
「任務自体は滞りなく完遂致しました。ただ、部隊内で少々トラブルがありまして。しかしそちらはすでに解決いたしました、態々お耳に入れるほどのものでは」
「報告しろ」
ギクリ、と僅かながらに肩を震わせた。
「い、いえ。このような些細なこと、ご報告するほどのものでは」
「クソカスごときが判断してんじゃねぇ。いいからさっさと言えぇ」
柴野の背に嫌な汗が滲む。これは予想外だ。
任務から帰還した際に幹部にその報告をするのが筋だ。本来は隊の指揮官である柴野がするのだが、今回はピオが先に帰還している。報告をするとしたら彼が妥当だろう。如何に癖のある隊員が集まっている組織とはいえ、大枠のルールはある。それに則らないという命知らずはまず居ないだろう。先に帰還させたピオも例に漏れないはずだ。
(ピオのやつ……最低限の報告しかしなかったのかしら。でも逆に好都合ね)
任務達成という最低限の報告しかされてないのなら、多少強引な後付けをしても誤魔化すことはできる。あんな間抜けなトラブル、口が裂けても言えない。言いたくない。
とはいえ下手に想像めいたことを言えば墓穴を掘る可能性がある。そうなっては元も子もない。柴野は事実をねじ曲げない程度に情報を伏せた報告文を高速で頭の中で作り上げる。
そこで、ふと気付いた。
何故彼は、こんな些細な事を聞きたがるのだろう?
彼は実力主義であり、結果至上主義だ。どんな任務であれ、目的が達成されていればそれまでの過程は気にも留めないのが常だ。報告の中で気になる点があれば別だが、任務達成と問題なしの報告があればそれ以上の深掘りはしてこない。
そんな大胆で大雑把、細かいことなどお構いなしで定評のある上司が、『問題なし』とされた出来事の報告を何故求めるのか。
イヤな予感が頭をよぎる。その予感を察したように、俺はなぁ、とスクアーロが口蓋を切った。
「……お前には一定の評価をしてんだぁ。幹部には及ばねぇカスだとしても荒くれどもの無法地帯、操縦し切れなくなるのも無理はねぇ。女の身で纏めあげるのはさぞ苦労することだろう。よくやってると思うぜぇ」
スクアーロの口元は緩く弧を描き、その口からは罵詈雑言は出てこない。良いことなのだが、逆に不穏な気配を感じさせる。あと微笑ましい映像でも見ているかのような笑みに刻まれた眉間のシワが深くなっているのは気のせいだと信じたい。
「あの、スクアーロさま……」
「任務もそうだが、デスクワークの手際良さ。クソカスばかりの中でお前はマシな方だ。些か細かすぎるとことろはあるが、まあ目を瞑ってやる。クソカス相手とはいえご苦労だったなぁ。その苦労ついでにもう一つ聞かせてくれねぇか」
もはや隠せなくなった青筋を浮かべたまま、ガタリと席を立った。左手に携えた剣が、ギラギラとした光を放ってくる。
スクアーロは剣呑な光を鋭い眼差しに宿らせながら、
「先に戻ってきたカスから『小隊長と馬鹿が、チキチキ☆車と楽しい追いかけっこタイヤ痕サービスもあるよ、をやるということで先に帰還致しました』っつーふざけた報告に対する弁解、勿論あるんだよなぁ?」
なんて事前情報与えてんだあいつーーーーーーーーーーーーーッッ!!!!と柴野は頭の中で絶叫した。真っ当な釈明など一切期待していないようなじっとりと湿った視線を向けられ、ポーカーフェイスがぎこちなく横を向いた。
スクアーロの顔は笑っているがその口角はひきつっている。言葉には最早苛立ちが隠せていない。
「クソ真面目なお前のことだ、さぞ納得できる報告があるんだよなぁ?」
(ぎゃああああああああああ!!め、めちゃくちゃ怒ってらっしゃるううううぅぅぅぅ!!!!)
視線が痛い。何か言えるもんなら言ってみろという、選択肢がハイかイエスしかないような、沈黙も肯定も否定も誤魔化しも全てバッドエンドに繋がってるような絶望的な圧がとても痛い。
沈黙に耐えかねた柴野は内心テンパりながらも平常を装って(いるつもり)、固く閉ざしていた口を開く。
「な、何かの間違」
「減らず口叩いてんじゃねぇッッ!」
ゴガァンッ!と強烈な音が小さな部屋に響き柴野の体が電撃を受けたように一気に硬直した。動作としてはデスクを殴り付けただけなのだが、デスクの表面が奇妙に変形してしまっている。加えて咆哮のような一喝に、彼女の冷や汗は更に加速していく。
スクアーロは額に青筋を浮かべながら、
「仕事を円滑にだとぉ?下らねぇことに時間割いてクソカス如きに二十分も掛けたってのかぁ?なめてんのかぁッ!!」
「やっぱりどれをとってもバッドエンド直通ルートだったのですねそんな気がしていました!も、申し訳ございませんしかし聞いてください奴の報告は言葉選びが悪いだけで決して我々は遊んでいたわけではなく!!」
「ゴタクなんざいらねぇんだよ……何より問題なのはこの俺が!直に!鍛えてやってんのにその体たらくはなんだってことだぁ!クソミソカスどもに手なんざ焼きやがって!!俺が弱ぇみてぇじゃねぇかぁ!!」
「ただ任務を忠実且つ確実にえ、あ。うえ、ええええっ?!そっち?!そっちなのですか?!いえそれも含め申し訳ございませんんんんんんんんんんんんん!!」
柴野の必死の弁明も空しく、理不尽スパルタ系上司の剣が空を切り刻み追いたてられることとなった。
二時間後。
鍛練場で屍のように倒れノロッテヤルと小声で呟き続ける柴野の姿が発見されるのだった。