その屋敷、轟然たる黒



「状況は?」
『三分あれば終わる』
「一分で頼むわ」

 人使いの荒い、と愚痴られたのを無視して無線を切る。これは個人戦ではなく集団戦、予定としてはもう此方に向かっていなければならない時間だ。見落としはないだろうが、万が一他に嗅ぎ付けられたり姿を目視されたら余計な仕事を強いられる。自分にとっても相手にとっても気分の悪い事態だ、避けられるアクシデントは避けていかなければならない。
部屋に冷えた風が入り、鉄臭い臭いを外へ連れ出していく。繊細に織られ模様を飾ったカーテンがふわりと舞って、青白い月明かりを中へ導いた。
 それはホテルのスイートクラスの一室のような、上品且つ豪華なものだった。誇り一つないアンティークの本棚、人をダメにするふかふかのキングサイズのベッド、手に触れることを躊躇わせる絵画や調度品がこの部屋の主たる人物の地位を示している。これら一式を揃えるのに、一体何れ程の金を回したのだろうか。
尤も、数ある調度品も絵画もベッドもアンティーク家具も、傷付き砕ければただのガラクタに格下げなのだが。
 さて、と柴野真守が腕時計を眺めると丁度秒針が中央に差し掛かるところだった。
 五秒前。四、三、二、一、

「おまちどおぅ」
「遅いわよ」

 顔を上げれば、正面扉から黒の隊服の男たちが立っていた。メンバーは二十代から三十代手前と比較的若者揃いなのだが、その中でも妙に貫禄のある男がへらりと笑って話し掛ける。

「悪いなぁ、敵さん思いの外しつこくて。まあおまけも出なかったし良いにしてくれ」
「……私だからって甘く見てないわよね?」
「そりゃ自分でそう思ってるって告白か?被害妄想はよしてくれ、遅れたのは敵さんがしぶとかったからだ。それ以上でも以下でもない」
「……分ったわ。回収班及び処理班に通達です。任務完了しました、各々仕事に入ってください」

ノイズの混じる無線の向こうから二言返事が返ってきたのを確認して、再び男に向き直る。

「では本部に戻りましょう。怪我人は」
「Aランクの任務で怪我人なんて居たらそいつは引退時期だな」
「それは失礼したわ」
「あんたが優しいのは知ってるが、この程度で心配されちゃ俺らは悲しいぜ」
「ごめんって言ってるじゃないの」
「ごめんとは言われてねぇなあ」

 煩いなこいつ……という本音はしまって窓際から身を乗り出し下の階のバルコニーから準備されたエアクッションへと着地する。そして更に用意されていた黒塗りの車に各々乗り込み、夜の道に紛れるように建物を後にした。



 これがつい三、四時間ぐらい前の話だ。

「っ、はぁ。はあッ……くっ!」
「ししっ、ほらほら気ぃ緩めてんなよ」

 眼前に向かって容赦なく投げられるナイフを寸前でかわし、且つ周囲に張られたワイヤーを切断しながら回避する。早くに攻守交代をしたいところだが、タイミングが図れない。ナイフだって銃弾と同じだ、持てる数は限られている。『切れる』瞬間を狙えば勝機がと思うのだが、その様子が全くない。どうなってんだあの上着四次元的なアレなのか。
 回避したと思えば次が来る、流れ作業に追われる以上に神経を磨り減らし、徐々に、そして確実に削られる体力と反射神経が焦りを強くする。

「逃げてばっかじゃ、王子には傷一つ付けられないぜ?それとも、狩りを楽しませるキツネのつもり?ししっ、サービス精神旺盛で王子ウレシー」

 少年に緊張感はない。必死さもない。あるのは嬉々とした笑み。それは純粋に戦いを楽しむものではなく、一ミリでも勝てると思って追い縋ろうとする間抜けな相手の姿に対してだ。
さながら、弱小チーム相手に消化試合する選手のように。
 圧倒的な力で直ぐに捩じ伏せられるのに、敢えて隙を作りギリギリの演出をするエンターテイナーのように。
 屈辱的な笑みに怒りを覚えるが、冷静になれと理性が叫ぶ。
(彼の遊び感覚に対して私が命を懸けて漸くパワーバランスが取れてる。分かってはいたけど、悲しいわね)
 相手の一挙一動を見定め、最小限の動きで立ち回らなければ首が飛ぶ。しかし冷静な思考とは裏腹に足は疲労とダメージでそこまでのコントロールが出来ない。暴れまわる心臓に追われて呼吸することさえ苦しい。体力だってガス欠状態だ。最早根性論でどうにかなるレベルではない。それでも相手は攻撃の手を緩めてはくれない。
 思考をフル回転させ、突破口を探りながら飛翔物がつい一秒前にいた場所を通過するのを見る。ナイフを完璧にかわしても頬に細く赤い線が入る。
 床に無造作に転がるナイフを見ながら、

「随分大盤振る舞いしますね、そうでもしなければ子狐は仕留められませんか?」
「あーん?王子が手ぇ抜いてんのワカンネーのかよ。本気出したらオマエなんて三秒でバラバラなんだぜ?」
「本気を出したら、なんてニートか実力のない人の言い訳みたいですね」
「カッチーン。あんま調子乗んなよ凡人」

 この場合ナイフよりも注視すべきはナイフの柄に付けられた鋼糸だ。ピアノ線のように細い糸は背景と同化し、空中に姿を潜ませる。それが仮に本体が当たらなくても、カマイタチの如く相手を刻むことを可能にしているのだ。更に言えば、クモの巣のようにランダムに床や壁に張ることで、見えないギロチンと化すことも出来るということだ。
 だがその戦術は、投げるナイフの向きと張られたワイヤーの方向、設置した箇所、相手の動きと自分の動きを全て計算した上でしなければ成り立たない。下手な鉄砲数打ちゃ当たる式では逆に自分が罠に掛かるリスクがあるからだ。
 しかしこの十四歳の少年は、それを涼しい顔でやってのける。彼が天才と言われる所以の一つだろう。
 しかし、と。
 改めて否定させてもらおう。

(ただ逃げてるだけじゃないってこと、教えてやるわ)

 対抗手段や攻撃パターンは異なることが多い。寧ろ違うことがセオリーで当たり前だ。例え同じ武器でも武器のや当人の使い方、タイミング、癖などで攻撃パターンは変わってくる。つまり、異なる手で攻撃されることが常で、自分と全く同じ攻撃をされる経験は殆どないということだ。
 もし、武器の性能も、使い方もタイミングも癖までも同じ攻撃を向けられたら?
 自分自身と戦うようなシチュエーションを展開したら?
 一瞬の隙ぐらい、生まれるのではないか?
 小太刀でナイフを弾き落とし、動線を邪魔するワイヤーを切り落とし、相手のナイフで反撃する。追い込み漁のように距離を取る少年を少しずつ壁へ誘導し、横への回避はワイヤー付きの彼のエモノで塞いでいく。

「……!げ、やっべ…、」

 少年の口許がひくりと引きつった。とん、と壁に背がつく。
 容赦はしない。サーカスで張り付けられたアシスタントのように、拾い上げたナイフで壁に縫い付ける。横への逃げ道はない、袋のネズミ。
 動きを封じられた少年を真正面から捉え、頸動脈を目掛けて腕を振り上げた。
 だが、可笑しいことに気付いた。
 追い込まれているはずの少年は、ベルフェゴールの顔からは焦りの色が消えていた。
 焦りとは逆に、悪魔の様に裂けた笑みを浮かべている。
 この違和感は、一体。
「……なーんてな」

 途端、ぎょっとして首をかっ斬る手に急ブレーキを掛けた。小太刀の刃はあと数ミリのところで勢いを殺され、寸止めを食らう。
 出鼻をへし折ってやったというように意地悪く少年は笑う。

「ぐ、ぅっ……?」
「ガス欠の割にはイイ動きすんじゃん、でもこの程度じゃ王子の玩具レベルだぜ。うまく
誘い込めたと思ったみたいだけど、ザンネン誘い込まれたのはオマエの方だっつーの。しししっ」

 五センチ手前。うっすらと見えるのは、空間と同化して姿を眩ませた細い鋭利な刃。あのまま腕を振っていたら、研いだばかりの包丁で野菜をきるように手首はすっぱりと切断されていただろう。
 漸く気付く。
 ワイヤーに取り囲まれていたのは少年ではなく、柴野の方だと。
ブワッと背中に嫌な汗が噴き出した。思惑が外れ、攻撃は失敗し、お互いに手の届く範囲内だが戦況としては絶望的と言える。
 距離を取らなければと腕を引いたその間際、ドスッと近くで何かが突き刺さる音を捉えた。何かを確認するよりも前に、それに続くように音が周りに降ってくる。

「逃がさねーよ」

 ひたりと、皮膚に細い糸が触れる感触を身体のあちこちで得た。
 殺人ワイヤーが三百六十度、まるで張り巡らされた赤外線の網を潜り抜けるのに失敗したように、一歩たりとも動くことが許されない状況が出来上がっていた。バランスを崩せば、その細く鋭利な刃物が皮膚に食い込み、肉ごと削ぎ落とされる。
 しかし、問題はそこではない。それ自体は多少身体の一部を犠牲を払えば潜り抜けられる。今懸念し真っ先に何とかしなければいけないものは、このワイヤーの網ではない。
 何か、ある。
 自分の頭上に、まだ何かが。

「まあなんつーか?前よりはマシか。受け流すことも反撃の機転も及第点には程遠いにしても、確かにブタから子狐ぐらいには進歩してる。良かったな、王子がこんな評価するなんて滅多ねーんだぜ?泣いて跪いて喜べよな」

 ぎらぎら。ぎらぎらと。
 円陣を組んだオリジナルナイフの一群が、切っ先を向けて冷たく見下ろしていた。数十の銃口を一斉に向けられたような、恐怖と緊張感に背筋が凍り付く。泣いて跪いて喜んでる場合ではない。
 このままでは間違いなく串刺しにされる。一刻も早くこの場を切り抜けなければ命すら危うい状況だというのに、内側で鳴り響く鼓動音に邪魔をされ思考がうまく回らない。だが止めるな。致命傷を受けず、如何に少ないリスクでここを抜け出せるかを考えろ。
 考えろ、考えろ、考えろ考えろ考え

「何したって無駄だぜ」

 カシャン、と。
 セッティングが完了した音が届いた。
 打開策を手繰る思考が、切断される。

「じゃ、バイバーイ」

 切り裂き王子が笑う。遊んで、遊んで、心行くまで遊んで友達と別れる間際の、無邪気な笑み。
 壁に縫い付けた少年の手が、指揮を振るうような軽さで振り下ろされる。ナイフの一群が雨のように空気を裂きながら一斉に降り注いだ。
 逃げられない。どう足掻いても抜け出すよりサボテンにされる方が早い。こうなれば肉を切って骨を断つ。死ぬ程のダメージを回避できればいい、向こうもこれでチェックメイトのつもりだ。この攻撃を凌ぐことが出来ればまだ勝機はある!
 柴野は身体を犠牲に、向かってくるナイフに立ち向かおうと身を翻そうと

「う"ぉ"お"い!そこまでだクソガキぃ!!」

 ……動かそうとした、その寸前。飛んできた怒号と共にナイフが凪ぎ払われた。
 金属がぶつかり合う音を聴きながら、風に舞う葉のように飛ばされるナイフを眺めた。呆然とした、といってもいい。ついでにワイヤーも断ち切られている。

「クモの巣みてぇに張り巡らせやがって!鬱陶しいぞぉ!!」
「……ちっ」

 助かった……のか?いやひとまず目の前の危機が去ったのは確かだ。そう思った途端力が抜けて、柴野は体を支えきれず崩れるように床に座り込んでしまった。砂袋を全身に付けられているように身体が重い。こんな状態で動いていたとは、結構力がついてきたのでは?と自画自賛したくなるぐらいには疲労が限界に来ていた。
 漸く身体の自由を取り戻し、割って入ってきた人物を見る。そこには長髪で銀髪の、つり目の男が眉間にシワを寄せて立っていた。

「貴重な戦力をてめぇの遊びで潰すんじゃねぇ!この間も補給の雑魚新兵六人が除隊になったばっかりだろおが!!」
「邪魔すんじゃねーよカスザメ。テメーから切り刻んでやろーか?」
「はっ!やれるもんならやってみろ!てめぇみてぇかクソガキに出来るとは思えねぇがなぁ!」

 銀髪の助っ人(?)も売り言葉に買い言葉で、一触即発の場面だ。これで彼らがバトルしてくれれば休むことができ、上手くすれば退散できる。役割上、本来ならそのバトルを見過ごしてはならないのだが今の状態では割って入ることはできない。したくない。寝たい。超寝たい。
 どちらにしろ、休まなければ無理だ。体力が少しでも回復すれば……。

「てめぇも座り込んでねぇでさっさと立てぇ!こんなクソガキに一杯食わされてんじねぇぞ!俺が一から叩き込んでやる!」
「い、いや。待ってください。発言させてください」
「許可するぜぇ!」
「ルッスーリア様と組手してベル様の相手をして、更にあなた様との稽古というのは、現実的にも体力的にも無理が」
「限界なんて決めつけてんじゃねぇ!限界は越えるもんだぁ!!」
「ですよね知ってましたならばせめて十分間の休憩をください」
「五分にしろぉ!!」
「ちょっとお、あんまり苛めないでよ〜」

 結局三分間のインターバルを経て、二時間の稽古をする羽目になった。




「……アンタって結構ドMよね?」

 消毒液を染み込ませたガーゼを押し当てながら、白衣を着た男は言う。
 歳は三十代半ば。昔用心棒をしていたらしい立派な体つきはそのシャツの上からでも見てとれた。胸元にはVARIAの紋章が縫われている。彼が隊服を着ていないのは、戦闘員ではなく非戦闘員の医療班だからだ。腕についてる腕章が何よりの証拠だ。
見た目も声も中々渋めではあるが、開口一番に新宿二丁目張りの口調で全てを持っていく彼は、隊員の中ではちょっとした有名人である。
 医療班の長、チェザーレ=エラルドが開口一番に浴びせた疑惑に、顔をしかめる。

「誰がドMですか、唐突に失礼な」
「だって〜、こんなになるまで稽古やら組手やらするなんて、ストイック通り越して自分を痛め付けることを楽しんでるにしか思えないのよね。それとも、傷は男の勲章派?」
「確信もないのに想像で皮肉るのは止めてください。今回は組手だけのつもりだったのです、それをあのバカ王子……」
「大方、組手が終わって帰ろうとしたところにベルフェゴール様が『王子の相手しろよ光栄だろ?』とか言って無茶振りしてきた、というところなのよね?」
「……そんなところです」

 冗談じゃないぞおいと思う前に扇状に広げたナイフが飛んできた、という何とも冗談じゃない話である。
 チェザーレは手際よくガーゼを当てて包帯で固定しながら、

「そうでなくても、毎度毎度幹部相手によくやるわよね。もうちょっと自分の身体を大事にしなさいよね。綺麗なお顔が台無しよ?お嫁に行く前なのに」
「ボンゴレ最強の暗殺部隊では高い身体能力と暗殺技能、任務の成功率が物言うことを考えれば、私が幹部と鍛練してる理由については想像が容易いかと思いますが?」
「んもう、冷めてるわねぇ。アタシ、あんたの将来がちょっと心配になっちゃう」

 困ったように言うが、そこに真剣味はない。言ったところで意思が変わるとは思ってないのだろう。
 ぶつ切りしてしまった話題の代わりというように柴野は話を切り替える。

「にしても、除隊になった方々は災難でしたね」
「全くね。暇だからワイヤーの切れ味を試すだかでみーんな除隊。ベルフェゴール様もヤンチャなものよね。ああいうの、アンタの役職権限とかで止められないの?」
「『仲裁役』なんて役職名だけです、実際は何の権限もありません。強いて言うなら、部下の指揮を執れる、幹部相手に実力行使することが許される程度のものです。まあ、どちらもまともに出来てるとは思えませんが」

 そもそも、と付け加えて、

「本来、経済措置はお上のやることですが、頭のお堅い役人が書類を持って来たところで聞くわけありませんし、返り討ちに遭うのは目に見えています」
「返り討ちにしたらしたで、余計な揉め事になるしねえ…。かといって、経済措置を素直に受けて何とも思わない訳でもないし。お上からしたら、ヴァリアーほど扱いにくいものはないのよね」

 チェザーレはやれやれと頭を振った。幹部と同様の組織に属していながらも、そこは同意しかねるようだった。
 ヴァリアー。
 歴史と伝統を誇るマフィア最大の組織、ボンゴレファミリーに属する一部隊でありながら、独立した組織。その歴史と伝統の裏で暗躍し、全ての汚れ仕事の請負人。そこに集められた人物の中には、各分野で『やらかした』過去を持つ者も多い。その過去が故に表舞台に立てなくなった者、異常な性癖が表で認められなかった者、力を求めて自ら裏の世界に足を踏み入れた者……経歴や入隊の理由は様々だが、何にしても上層部からしたら組織の闇を請け負う人選としてはこれ以上のものはない。

「本部の偉い人達にとっては、ヴァリアーは敷地内に居るが放し飼いされた猛犬のようなもの。手を噛まれないようにしたいでしょうし、勝手な行動を取らないよう『首輪』を付ける必要があるのでしょう。そこで取ったお上の選択は、ハンムラビ法典式の監視型経済措置」
「目には目を歯には歯を。逆に目や歯以上にボコボコにされそうなのよねぇ……。あんまり頭のいい措置とは思えないけど」
「ですが効果としてはあります。綺麗事を抜きにすれば、世の中金が全て。戦闘部隊とあってはさらにその傾向が強くなりますから」

 武器や訓練できる環境は絶対的に必要となる。加えて幹部は各々の武器にこだわりを持っているとなればそれなりに金銭的余裕がなければならない。そうでなくても環境調整や修繕改修、武器の調達、モチベーションを保つための質の良い食事……全てにおいて資金は必要となる。
 上層部は、そこに目をつけたのだ。

「損失を出せば自分達の首がしまる。その名の通り仲裁して不必要な戦闘やそれによる被害縮小、軽減を目的として設置された役職。一種の経済措置」

 それが『仲裁役』。
 柴野に与えられている仕事であり、肩書きだ。

「何故それで私に白羽の矢が立ったのかは疑問しかないのですが」
「アンタが一番彼らに食い付いてたからじゃないの?」
「実力を買われてというよりは『誰も学級委員に立候補しないからアイツでいいんじゃね?』的な空気を感じましたがね」

 しかし、ヴァリアーは実力至上主義だ。過程など評価されない。
 構成員から幹部補佐(仲裁役の役職を与えられる上で後付けされたもの)という急な昇進への不信感、男所帯の中で一、二割程度しか女が居ない環境。戦闘での力もさることながら、通常業務でも引けを取らない『実績』を示さなければ余計な反感は買い、周りは従わないだろう。
 そういった個人的な理由と、上層部直々のお達しによって柴野は現在の地位を受け入れたのだ。
 別に構成員のままでよかったのに、と思わず深い溜め息が溢れる。

「おっさん臭いわねぇ。上からも下からも挟まれて疲れてる中間管理職のサラリーマンみたい」
「今から全国のお疲れリーマンの気持ちが分かります。世界中のお父さん、お疲れ様」
「さ、顔と腕はこれぐらいでいいかしらね。他も診てあげるから上も脱いでちょうだい」

 チェザーレの指示に従い、上着を脱いでタンクトップ一枚になり固いベッドに腰掛ける。服の裾を捲り上げ、脇腹の傷を見せる。出血自体は治まり固まった血を消毒液で剥がしていくと、ガーゼが薄紅色に染まっていく。
 肌を露出することに抵抗がないとは言わないが、以前より免疫はついたと柴野は思った。何度も処置してもらっていることもあるが、彼の性格も相俟って警戒心は随分と薄くなった。
 誰もいない医務室に男女がマンツーマンってそれなりに危険では?とか思ったけど心は女って妙に安心感あるよなーなんて考えながら消毒液の痛みに時折顔をしかめていると、ふと手が止まった。何かと思い視線を下すと、何だか脇腹の辺りを見て唸っている。

「……?どうかされましたか?」
「シバノ、アンタって女の割りに結構良い身体してるわよね」
「え、ああ…幹部の方とやってますから。これで脂肪でぶよぶよしてたらショックで立ち直れませんよ」
「ウエストの辺りなんてイイ感じにきゅっと引き締まってるし、太腿の肉付きも中々…。おしりも小さいのね、ヒップラインも素敵。前からふくらはぎもイイ線してるって思ってたよねえ」
繰り出されるボディへの誉め言葉に、一抹の不安を感じる。
「………………………あなた、女性には興味がないのでは」
「そんな風に明言した覚えはないわよ?好みは色々あるけど。ん〜、ここも良い形してる」
「あの、何故左右を塞ぐのですか?」
「傷の処置をしようとしてるだけよ。逃げられちゃうと消毒できないんだもの」
「猫の爪切りじゃないんですから逃げてませんし逃げません!あなたご自分の体格自覚されてますか?!目の前の圧迫感が凄まじいんですが!圧迫面接(物理)みたいになってますがーーーっ!!」

 視界一面を覆う男の胸板を押し返そうとするが、びくともしない。如何に鍛えているとは言え、一回り以上違う体格差を前にしては手も足もでないのだ。この元用心棒の筋肉だるまに真正面から力比べしたって勝ち目などない。
 画面の圧迫に圧され、頭がベッドにつく。

「どこ触ってるんですか!そんなところに傷なんてありません!」
「バカねえ、ナイフとワイヤーで刻まれて無事なわけないでしょ?鉤爪つけた仮面の貴公子とクンフー少女が戦ったら絶対服も肌もボロボロになるんだから。跡にしたくなければ大人しくなさい。いやでもホント、良い身体付きしてる…」
「ジャッポーネのオタク文化を覗かせるのと急に素で話すのやめてください本気度が高まるので」
「ジャッポーネのオンナノコって、壁ドン好きなんじゃないの?」
「ぶつかって生まれるトキメキどころか拭いきれないトラウマになりますよ!ちょ、っと!やめ、いい加減に…やめろっつってんでしょうがあ!!」

 顎下からの掌底打ちに仰け反り白衣着た筋肉だるまはガタガタガシャーーンッ!!と派手な音を立てて倒れ込んだ。ラックに乗せていた器具が床に散らばる。
 これ以上好きにさせてたまるかとマウントを取り腕を拘束することにした。大柄な姿からは想像のつかない女言葉で元用心棒のオタク筋肉だるまは文句を言う。

「ちょっとお!痛いじゃないのよ!」
「私の方が痛かったですよ!主に心が!身体は男でも心は女と言っていたのに女もイケる口なんて聞いてませんよ!!」
「勝手な思い込みを人のせいにしないでちょうだい。あーら、この程度で顔を真っ赤にするなんて仲裁役様は初ねぇ。そんなじゃやっていけないわよ〜?」
「私の未来予想図にはあなたの思っているようなものはありません!」
「はっ!もしかしてアンタ、ロールキャベツル女子?これも演技だというの?!恐ろしい子……!」
「変な設定付け加えないでください!それ以上口を開くとぶん殴ってさしあげますよ!!」
「大体何よマウント取ったりして!やらしいことする気でしょ!エロ同人みたいに!エロ同人みたいにぃ!!」
「どこで覚えてきたんですかそんな煽り言葉!あなたホントに影響を受けや」
「…………う"ぉ"お"い」

 ビクゥ!と、不意に聞こえた第三者の声に肩が震えた。
 この組織に居る以上、気配というものには敏感でなくてはならない。夜中の山中のような暗闇の中でも、ラッシュ時のスクランブル交差点でもターゲットに気取られず任務を完璧に遂行してこそ、最強の暗殺部隊だ。無論、これだけ口論していても、だ。
 動きと共に、時間が止まる。
 来客者は別に奥ゆかしく感情を制御できる大和撫子という訳ではなく寧ろ正反対で思ったことを拡声器顔負けの大声で言い放つ人なのだが、この時には微動だにしないというか表情に変化がない。それが逆に彼に多大な衝撃と誤解を与えていることをひしひしと感じるのは私だけだろうか。
 銀髪の来客者は切れ長の目を更に細めて、まるで親友の意外な一面を見てしまったような引き気味のテンションで言う。

「………………お前にそんな趣味があったとはなぁ」
「いや、これは!違います誤解です勘違いです!!こんなオカマッチョとはなにも!」
「いや、気にするなぁ。今さら特殊性癖ごときで取り乱しはしねぇ。ここの連中はみんなそうだからな、お前がオカマとヤリ合おうって趣味があったって不思議は」

「私にはそんなアブノーマルな性癖趣味嗜好なんてありません!私は!ノーマルですッ!!」
「あらいらっしゃ〜い。アナタも混ざるかしら〜?」

 この状況を楽しむかのように笑うチェザーレの襟首を掴んで落とす勢いで締め上げながら、オネェに手を出した幹部輔佐という不名誉な認定を受ける前に必死に抗議をすることになった。
 ちなみに、夜が明ければ普通に仕事があったりする。


(2018.5.3)


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