はじめは、自分が病気にかかってるだなんてショックで、町から連れられてきた時も独りぼっちで寂しくて仕方がなかった。ここには他にも患者の人たちがいるらしいけど、私は一人小さな部屋に隔離されていた。だからここの研究所の人たち以外には会った事はない。


「名前。こんな所に連れられて怖かっただろう?もう大丈夫だ、ワタシの科学でお前の病気を治してあげよう」

『私は何の病気なんですか?』

「ある臓器が小さくなっていく病気さ…。細かい話をしてもお前を不安にさせるだけさ。聞かない方がいい」


マスターと呼んでいい、と言われた。吸い込まれそうな色素の薄い瞳で私を見ると頭を撫でて、可愛い包み紙にくるまれたキャンディをくれた。


「安定剤だ。寝る前に舐めるといい」


マスターが部屋へ訪れるのは診察しにくる時だけ。食事や身の回りの事はモネさんや他の人がしてくれていた。マスターが訪れるのは一日に一回の十五分程。他の人の診察もしているだろうし、新しい薬の研究やら他に仕事もあって忙しいらしい。だけど私にはその十五分が毎日楽しみで仕方がなかった。


『マスターは医者なの?』

「ワタシは科学者だ。最先端の技術でそこらの医者とは比べものにならない治療をも施せる」

『じゃあ私の病気も治る?』

「シュロロ、勿論さ」

『じゃあマスターは私のヒーローだ』


頭をポンと撫でられ、見上げたら無表情で見下ろすマスターの顔があった。マスターの目は吊り上がっているし背も大きいけど、怖いだなんて思った事はなかった。だけど時々マスターと目が合ってぞくりとするのは何なのだろう。


「今日も異常なしだな。ゆっくり休め」

『はい、マスター』


ベッドに入り、掛け布団を口元までかけた所で思いだす。


『あ、マスター。安定剤は?』

「あァ…。忘れたんだ、身体もだいぶ落ち着いてる。今日は舐めなくていい」


私は薬とか詳しい事は分からない。けれどマスターがそう言うのなら大丈夫なのだろう。マスターはこちらに横顔だけ見せてそう答えると、扉へ向かっていく。


『マスター』

「どうした?」

『おやすみなさい』

「…あァ」


扉が閉まる音を聞きながら目を閉じる。私は病気が治ったらここから出ていくのかな。住んでいた町に戻るのは嬉しい。でももう少しここに居てもいいかも、なんて。

私はどんどんここでの暮らしが大好きになっていった。


『ねえ、今度外で遊びたい』

「…?シュロロ、お前もまだまだ子供だな」

『いい?』

「モネに連れていってもらいなさい」

『やったあ!あとね、私マスターの研究室にも行ってみたい』

「…………何故だ?」

『マスターがどんな実験してるのか見てみたい!』

「…………」

『いいでしょう?』

「ダメだ」

『どうし…』

「ワタシの部屋は危険なものが多い。絶対に来てはいけない」

『………』

「分かったな?」

『…はい』



時々マスターは感情のないような顔になる。その後はいつものマスターに戻って私に微笑みながら診察をしてくれた。

感情のない、というか、マスターはいつも優しそうな顔してるのに口が一文字になって不機嫌のような悲しいのか何か考えているだけなのか、よく分からなかった。




*


島から出た事のなかった私にとってここはとても新鮮な場所だった。今日は初めての雪で遊んで、ひんやり冷たくて、楽しかったな。

一緒に連れてきてくれたモネさんと部屋の前で別れ、部屋に入ろう思った時。


…―――ドゴォン!!!


廊下の奥から爆発音のようなものが聞こえた。部屋からあまり出た事のない私はここの構造など全く知らず、見つめる廊下の先は真っ暗で何も見えなかった。


『…マスター?』






…―――ボコォン!!


「オイ、気分はどうだ?」

「…ッァ!!!マズ…ア”アアッ…!!」

「聞き取れねェな?分かるように話せ」

「……ッ……ぐるじ……っ」」

「どうだ。身体は痺れるか?目眩は、吐き気は?」



小さな正方形の窓から中を覗き込みながらシーザーは問い掛けた。

中から激しく床や壁を叩く音が次第に小さくなっていくのを聞きながら、もう終いかとだるそうに呟きシーザーは扉の横にある赤いボタンを押した。




―――ドゴォン!!!!




中で爆発音が響き渡り、扉の下から煙がぶわりと溢れ出す。


「…チッ、早ェな。役立たずが!」


シーザーはバインダーに挟まった紙にたった今の出来事を殴り書き、書き切ると床へ投げ捨てて壁を思い切り叩いた。その時。






『…マスター?』

「……?」


ここにいるはずがない声が聞こえた。シーザーは眉にしわを寄せながらゆっくり振り返った。


『…マスター』

「…………!!…名前?ど、どうした?何故ここへ…ここは危険だから来るなと…」

『…大きい音が聞こえたから』

「ここは危険だ、さァ自分の部屋へ」

『…いまの人………………死んだの?』

「……………!!チッ!!」


反対を向いてしまった背中にもう一度声をかけようとした時、私が入ってきた扉が勢いよく閉まり、ガチャンと鍵が閉まる音が響いた。

次々に他の扉も大きな音を立てて閉まってゆく。


「ここへは来るな、と忠告したよな?名前」

『その、扉が開いてて…』

「それで?」

『そうしたら、マスターが見えて…』

「おれの自室と分からなかったか?今朝話した事は忘れたか?」

『…その、』

「言う事の守れない悪いガキだ!」

『…っ…!!』


ガンッと音が鳴り響く。勢いよく壁に押し付けられ、顎を強く掴まれた。


『…うぁっ!』

「何を見たのか言ってみろ」

『…っぁ…!!……んあっ…!』

「人間が死ぬ瞬間を見たのか…?」

『…っ!!!…っ…』

「それとも死の直前の呻き声が聞こえたか…?」

『……ッ!!…っは…!』

「おっと悪い、喋れなかったなァ…」


マスターがパッと手を離すと私は崩れるように床へへたれ込んだ。首を掴まれていた訳じゃないのに息が出来なかった…?何だかいつものマスターと様子が違う。


「ここへ来た時点でお前に逃げ道はねェ…さァ、何を見たのか言ってみろ」

『…っ、なに、も』


また息が薄くなる。私の周りの空気だけ薄くなったかのよう。息をするにはギリギリだった。

疼くまった私の前へしゃがみ込んで、びくりとする私の顎を片手で優しい手つきで掴んだ。


「…おれが怖いか?」


まただ。

彼の瞳に囚われるとぞくりとする理由は何なのだろう。どうして、私には今この瞳がひどく悲しそうに見えるのだろう。

酸素が薄くなっていくみたいだった。体力はみるみる内になくなっていき、首を横に振るのが精一杯だった。涙が一粒こぼれ落ちる。

マスターの白い服が空気のようにふわふわ浮いているように見えた。まるでガスみたいだなんて意識が白んでいく中でそんな事を思う。


『…ますた、…』


怖いだなんて思わない。こんな時でも怖いって思わない私はどうかしてるのかな。でもそういうんじゃない。この身体をぞくり、とさせる感情は、


「…お前には、見せたくなかった…」


きっと恋しく思う気持ちなんだろう。

何かを言われた気がしたけれど聴覚もどんどん遠のいていってよく聞こえなかった。瞼に何か暖かいものが落ちた気がする。それはまるで睡魔の深い海へ案内してくれるようで。私は次第に穏やかな気持ちになっていったんだ。






白い世界で息をしよう

お前のせいで全てが狂ったよ。



::ミッドナイト革命さま
企画に提出させて頂きました。
ありがとうございました。

20141015