内緒でキスして



冬に入り、温まった車内から外に出れば肌を刺すような寒さを感じる。
吐き出す息が白くなり、外気温の影響によって体温は一気に下がっていく。

終業時間間近に差し迫った頃に緊急オペに入ることとなった今日。
オペが終わって病棟に上がれば、当たり前だがすでに夜勤者の時間帯。
一緒に日勤だったナマエは先に電車で帰ったらしく、おれは久しぶりに一人で家に帰った。

「ただいま。…?」

玄関に入れば見慣れない女性の靴がある。
ナマエの友人でも来ているのか、それとも新しい靴でも買ったのか。
いつも通り廊下を突き進みリビングのドアを開ければ、ソファにゆったりと座り、我が家の様に寛いでいる見覚えのある女性の姿。

「…こんばんは」
「あっ!ロー、お帰りなさい」
「お帰りなさい、ローさん」

いつもと変わらない顔でそう返してくれるナマエの横にはナマエの母親が座っていた。
この時間に居て、服はしっかり部屋着であることから泊まる気で来ているのだろう。
突然の訪問に動揺してしまいその場で立ち尽くしていると、ナマエが慌てて立ち上がりおれの傍へとやってきた。

「お母さん、いきなり来て泊めてほしいって」
「ちょっと観光がてら様子見に来たのよ。一週間ぐらい泊めてもらえる?」
「だから今日だけって私何度も言ったでしょ」
「ダメなの?ローさん」

立ち上がっておれの目の前まで詰め寄ってきたナマエの母親を無下には出来ず、思わず「大丈夫です」と頷いた。
結婚を視野に入れているおれがここで拒否できるわけがない。

妹のラミにもしつこく言われたが、結婚を進めたければ花嫁の母親を敵に回すなと。
一週間というのは結構長いが、一人娘を心配して様子を見に来たのであれば安心できるようおれも気を回す必要がある。何が何でも嫁に頂く気満々だからな。

「ローさんに聞いたら大丈夫って言うしかないでしょ!」
「そう?断ることだってできるわよー、アンタを大事に思ってなきゃね」
「そ、そういう話してんじゃないって…」

母親の指摘に珍しく顔を赤くして、ナマエは母親から顔を背けるとおれの背中を押し始める。

「と、とにかくローは着替えて」
「ローさんお世話になるわねー」

ぐいぐいと背中を押されて寝室へ入ると、ナマエがドアを閉めてすぐに抱きついてきて、おれも背中に両手を回して包み込む。

すでにシャワーを浴び終わった後なのかふわりとシャンプーのいい香りがおれの鼻を擽る。
ピケとかいう肌触りのいいモコモコの部屋着を着たナマエを抱き締めるのは、おれの癒しだ。
いつもだったらこのまま抱き上げてベッドまで連れて行くが、ドアを隔てたその先にナマエの母親が居ると思うと流石に気が引ける。

ピッタリくっついていた体を少しだけ離してやると、おれに抱きしめられたまま見上げてきたナマエは事の経緯を説明しだした。

「私が帰ってきたらすでに玄関で待機してて…。でも、ローが嫌なら明日帰らせる事も出来るし」
「嫌なわけねェだろ」
「…私はあんまり良くないけど…」

遊びで付き合う程度の女であれば義母が泊まり込むなど速攻で拒否だが、ナマエは違う。それに結婚を考えると2人の問題でもなくなってくる。
特にナマエは家族との関わりを大切にするタイプだ。

気疲れはするだろうが、まあ、大丈夫だろう。
おれよりも腕の中に居るナマエの方が不満そうだ。

顔を顰めながら何かを少し考えたナマエがおれの視線に気が付いて、唐突に触れるだけのキスをしてきた。

「心配って歳でもないんだけど」
「いくつであろうと、娘なんだから心配だろ。安心して帰れるように泊まってもらった方がいい」
「…こうしてイチャイチャも出来ないわよ?」
「なら、今堪能させてもらおうか」

ナマエの頬を撫でて唇を親指でなぞってから、再び唇を合わせる。
触れるだけのキスを繰り返していたが、物足りなくなって少し開いている口内に舌を突っ込んでこじ開けた。

我慢…確かに一週間は長い。
友人やコイツの弟ぐらいであれば多少イチャつけるだろうが、さすがに母親が隣の部屋に居るというのに濃厚な行為をするわけにもいかない。
進められるところ…キス程度なら大丈夫だろう。

そんなことを考えながらキスをしていたら長かったらしく、おれの胸に両手を置き突っぱねだした。
最後に下唇を啄ばんでから解放してやると、呼吸を乱したナマエが上目使いで睨んでくる。その顔が最高にそそられると何度言えば分かるんだ。





あれから1週間。セックスはもちろんのこと、キスすらも満足にできていない。
泊まる事になった日の次の夜に、「みんなで寝よう」とか提案されて、まさか川の字で眠る羽目になるとは思いもしなかった。
自分から大丈夫だから泊めようと言い出したが、手を出せる距離に居ながら手を出せない状況というのがここまでキツイものだとは…。

その川の字で眠るようになった時には、なぜか中央で寝たいという母親を押しのけてナマエが真ん中になってくれたのは助かったのだが、下手に触れる事も出来ず悶々とした地獄のような日々を過ごして。
やっと今日、自宅へ帰宅するらしい。

「生理中だと思えばいいじゃない」と我慢するおれの様子を見て可笑しそうに笑いながら言ってきたナマエには、黙って呼吸を奪うぐらいの濃厚なキスをしてやった。
だが、正直なところ物足りない。それどころか中途半端に気分が昂ぶっただけだ。

出勤や帰宅途中の車の中では多少キスをさせてくれるが、普段は家の中で所構わずキスをしたり抱きしめていた。おれからすればこの状況はなかなかの苦行だ。

やっと今夜からは2人きりだと分かってはいるのだが、今日の仕事中に欲求が我慢の限界を迎えた。



今日は一緒の日勤でおれの患者はオペも入院もない。
病棟で処置の記録をカルテに打ち込み、時計をちらっと確認する。
ちょうど昼過ぎ。看護師の休憩はホワイトボードに割り振っているのを確認したから、もう休憩になるだろう。

「休憩行ってくるね、バーキンさん」
「いってらっしゃぁーい」

隣で同じ様に記録をしていたフランシスに「休憩行ってくる」と声をかけてナマエの後を追った。

「…先生も休憩ですか?」
「悪ィか」
「別に…わっ!!」

休憩室に向っている途中のカンファレンス室にナマエの腕を掴んで連れ込むと、素早くドアに鍵をかけた。

「…強引ですね、トラファルガー先生」
「家でイチャつけねェんだから少しはイチャつかせろ」
「出勤前と帰りはイチャついてるじゃない。しかも、お母さんは今日帰るのよ?」
「とりあえず今、お前を補充させろ」

細い体を抱き寄せて、腕の中に閉じ込めると少しだけでも満たされる。
おれの背中にナマエの両手が回されて、胸元にコテンと頭を預けてきたナマエの甘えた仕草に胸が締め付けられた。
可愛すぎて今すぐにでも襲いたいぐらい。

ここで脱がせるわけにもいかないため、せめて口内は犯させてもらおうと顎に手をかけた瞬間、おれの手は叩き落とされた。

「休憩中でも仕事中です」
「…お前…究極のツンデレかよ…」

さっきまでの甘えたお前はどこいったんだよ。
幻覚でも見てたのか、おれは。
そう思うぐらい切り替えが早すぎる。

おれの言葉に顔を顰めると、おれの胸に両手を置いて少し距離を取り始めた。
もちろん離す気のないおれはナマエの腰に両腕を置いて引き寄せる。

「いえ、先生ほどでは」
「いや、おれ以上」
「離して、ください」
「断る」

ぐぐっと力を入れて逃げようとするが腕力で負けるわけがない。

「じゃあ一緒に休憩するから、とりあえず離して」
「離れたくねェ」
「っ!耳元でやめてっ」

顔を赤くして力が緩んだ隙に一気に顔を近づける。
唇を奪うと、驚いて固まっているナマエの後頭部を掴んで口づけを深くした。

呼吸も力も奪うように口を塞ぎ、逃げようとする腰も掴んで引き寄せて、体を密着させる。
時折「んっ…」と艶っぽい声が聞こえてきては、おれを欲情させた。
後頭部を掴んでいた手を少し下にずらせば、綺麗に纏められた髪の毛のお蔭で顕わになっているうなじに触れる。

キスだけで満足するかと思っていたおれの欲求は満たされることなく、触れれば触れるほど強欲に求めたくなってしまう。

うなじからもっと下に手をずらし、白い白衣越しに背中をなぞると指先に下着の金具が引っかかった。
慣れた手つきでその金具を白衣越しに外してやると、目を閉じてキスを受け入れていたナマエが大きく目を見開く。
その瞬間に唇にぴりっとした痛みが走り、仕方なく貪っていた唇を解放してやった。噛みつかれたらしい。

「はっ、はぁ、ロー!」
「ちょっとした悪戯じゃねェか」
「はぁ…貴方いくつだと思ってんのよ…」

ナマエは胸元を押さえながらおれから距離をとり、背中を向ける。
「はい」と、何かを促してきたが恐らく外した下着を元に戻せということだろう。
先ほどは見えずに手で触れていたうなじがしっかり見えて、思わず腰を少し屈めてそこにキスをした。

「っ!もう!何してるのよ!」
「ここにキスしろって意味だろ?」
「違うに決まってるでしょ!分かっててやってるわよね?!もう自分で直す!」
「悪かった悪かった。おれがやる」

こんなやり取りも久しぶりな気がしてつい調子に乗ってしまったが、本気で怒っている様子でもなく、ナマエ自身も楽しんでいるように見える。
パンツスタイルの白衣は上下別れており、裾から両手を侵入させて金具を掴んだ。

だが、このまま止めてしまうのももったいない。

「…あ、悪ィ。手が滑った」
「…どう手が滑ったら胸を揉む状況になるのよ」

金具を掴んでいたおれの手はズボッとそのまま前へ突っ込ませ、直に胸へ侵入させた。
久しぶりの温かく、柔らかい胸の感触は控え目に言っても最高と言える。

「あー…やべェ…生き返る…」
「じゃあ、そろそろいいわね」
「もう少し」
「はぁ…お腹空いた」

おれの膝の上で飯を食ってていいから胸揉ませろ。などと言えば今度こそ本気で怒りだすだろう。
大人しく両手を胸から背中に戻し、外れたままだった下着の金具を元の場所へ戻すとナマエはすぐにくるっと体を反転させ正面で向かい合った。

「我慢してたのは、ローだけじゃないのよ」
「…お前…このタイミングでそういう可愛いこと言うか…」
「ふふふ。帰ったら久しぶりに二人きりでゆっくり過ごそうね」

我慢していた分、手加減できる自信がねェと呟けばナマエは「それはこっちのセリフよ」と、妖艶に微笑んだ。相変わらずいい女だな。

おれも鼻で笑いナマエの顎に手をかけ、おれと目を合わさせると唇を奪う。

「上等だ」

この日の晩は久しぶりの二人きりを満喫して、おれ達は愛を深め合った。



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