サボテンの花を育てる




「トラファルガー先生、お世話になりました」
「他人行儀だな」
「ふふふ、毎日楽しかったです」

経過も良好で入院から10日後に名前は退院していった。
その間、出勤日はもちろんのこと。
休日もラミがラムを見られる時間だけ面会に訪れた。

最初は緊張していた様子の名前も徐々に慣れていったのか、会話が途切れることなくお互いの話しをしたのだがおれ自身も本当に楽しいひと時だったと思う。
こんなに異性とゆっくりと話したことはあっただろうか。
相手のことをもっと知りたいと貪欲に求めたのも初めてで、知れば知るほど名前へ惚れ込んでいくのも自覚した。

「すぐ職場復帰すんのか」
「はい。明日から出勤すること伝えてあります」
「早ェな…あんま無理すんなよ」
「主治医の意見はちゃんと守りますよ」

ニッコリとした笑顔が眩しい。
退院のお祝いに渡した花束を名前が見つめて、おれの前から去り際に呟いた。

「本当に…その通り…」
「?どうした?」
「ふふ、いいえ。何でもありません。今の私にぴったりなお花だなって」

花が大好きな彼女のために花屋へ足を踏み入れ、何となく惹かれて購入した花束。
女に花を贈ったことなどなかったのに、喜んでいる名前の顔を思い浮かべていたら自然と花屋へ入っていたのだ。
惚れ込んでいる彼女を喜ばせるためならば、こんなキザなことまで恥ずかしげもなくやってしまうらしい。

恋ってのは恐ろしいな…。

そういや確か包んでもらっている間に店員が説明していたが、ちゃんと聞いていなかった。
だが、この花は…ポピーとかいう花だった気がする。

「好きな花はひまわり、だろ?」
「正解です。でも、ポピーも大好きです」
「ひまわりは売ってなかったからな」
「でもお花をもらえたのは嬉しいです。また連絡しますね」
「おれからもする」

そう言いながら笑顔で立ち去って行く彼女の後姿を見送る。

入院中に一緒に過ごしてきたときも思ったが、彼女はよく笑い、表情がコロコロ変わる見ていて飽きない。
癒すような笑顔に何度クラッときたことか。

仕事に戻るため緩みそうになった頬を引き締めて、院内へ戻って行った。





仕事が終わって帰宅後、ラミとラムは風呂に入っているらしく笑い声が聞こえてくる。
朝会ったばかりというのに、明日から毎日会えなくなると思うと無償に寂しくなってしまう。
ここへ連れ込むのはラミが言っていたようにあまりよくないとなれば、おれが向こうへ足を運べばいい。
今夜はもう遅いし、明日から復帰だと言っていたからもう眠っているかもしれない。

「あ、お兄ちゃん」
「ロー君おかえりー!!」

駆け寄ってきたラムを抱き上げて「ただいま」と答える。
おれにしっかり懐いている姪っ子は最初は近寄ることもしなかったが、今ではこんな愛らしい笑顔で駆け寄ってくるのが普通になった。
子どもの接し方が分からなかった最初と違い、ラム同様におれ自身も子どもに慣れたと思う。

こうして抱き上げて少し振り回せばきゃっきゃっと喜ぶ。

「明日から名前先生が保育園に居るぞ」
「ほんと?!わーい!!ラムね、お手紙渡すんだ!」

おれももらったことは何度もあるが、手紙と言っても絵だけが描かれているだけのもの。
喜んでもらいたいと頑張るラムは健気で可愛い。
床に下ろしてやり、おれもシャワーを浴びることにした。

シャワーを浴びながらおれの頭の中は名前のことでいっぱいだ。
これからどっかの休みを合わせてデートをしていきたいが、今後結婚するのであればあの保育園をどうするか。
名前に職場を変えてもらうか、ラミに協力してもらってラムを違う保育園に通わせるのか。
だが、保育園を探すのは相当大変だとラミが以前愚痴っていたのを思い出す。

…いっそのこと園に話しておくか?
保育士の母親はどうしているのだろうか。
今度会った時に名前に確認をとっておくか。

どちらにしろまだ名前から「好き」という言葉を聞いていない。
おれだけが一方的に彼女に思いを寄せているだけだ。
今回の入院中でだいぶ距離は縮まったのだろうが、結局肝心な彼女の想いを確認するほどおれに勇気はなかった。
したこともない本気の恋。それは簡単に人を臆病にしてしまうもの。

だが、おれの中に諦めの文字はなかったのは確かだ。

シャワーを浴び終え、浴室を出ると部屋は静かになっていた。
二人用の寝室のドアを静かに開けて確認すれば、二人はぐっすり眠っている。
静かに部屋を後にしてリビングへ戻れば、ラップのかかった料理の隣に紙切れが置いてあることに気が付く。

〈名前先生の退院祝い。二人でデートしてきてね〉

そう書かれている封筒を開ければ、中にはチケットが二枚。
花のガーデンと書かれたチケットはどうやら、たくさんの花を見られるような大きな施設の入場券。
花が好きな名前なら喜びそうだ。

おれは携帯でチケットの画像を撮り、LINEで名前に送ってみる。

〈一緒に行かないか?〉

シンプルに誘いの言葉を並べ、送ってみた。
眠っているだろうと思っていたが、思いのほかすぐに既読がついて返事が返ってくる。

《行きたいです。でも、私に使ってしまってもいいんですか?》
〈ちょっと電話出来るか〉

起きているのなら声も聞きたいし、電話で直接話がしたい。
既読がついたあとにおれの携帯が着信を知らせて、出てきた名前を見たら浮かれそうになった。

「もしもし」

『こんばんは、夜遅くにすいません』

「いや、声を聞きたかったからちょうど良かった。まだ起きてたんだな」

『こんな早くは寝ませんよ』

クスクスと楽しそうに笑う声が聞こえてくる。
今日の朝に話したばかりだというのに、もう声が聞けただけでこんなに気持ちが浮かれてしまう。
若いときの恋よりも、大人になってからする恋のほうが感情が激しく揺さぶられている気がする。
相手が名前だからなのかは分からないが。

『そこの花のガーデンはずっと行きたかったところだったんです。でも、車で行くような場所なのでなかなか行くことが出来なくて』

「そうだったのか。おれが車で連れてってやる」

『ありがとうございます。じゃあ、私の今月の勤務をあとで送りますね』

「その方が助かる。ラムの迎えがない日で合わせねェと」

『そんな遅くならなくても…お迎えの時間に間に合わせれば』

「夕飯も一緒に食いたいし、せっかくのデートなんだ。時間を気にせず一緒に居てェ」

できる事なら朝まで一緒に過ごしたい。
電話越しに照れたような声で礼を言ってくる名前の顔がものすごく見たい。
声だけでもと思っていたが、声を聞いたら顔も見たくなる。どんどん欲が出てきた。

「…そういや、お前の保育園って保育士の子どもはどうしてるんだ」

『?普通に同じ園に居ますよ?』

「ってことはおれとお前が付き合ってること、園にバレたとしても問題はねェんだな。仮に一緒に暮すことになっても」

『トラファルガーさんは既婚者ってことでもないですし、問題はありませんが…』

「いや、仕事に問題ねェなら今はとりあえずいい」

思わぬ朗報だ。
これで名前が一緒に暮したとしても仕事と保育園は問題はない。
後は名前が家に帰ってからも仕事みたいにラムの面倒を見ることになるかもしれないという点だ。
そもそも、おれはラムから話しを聞いているだけで実際に二人がどれほどの仲なのかも分からない。

…そのうちおれの家に連れ込むか。

「とりあえず、行く日が決まったらLINEする」

『はい。楽しみにしてお待ちしておりますね』

「電話は毎日していいか?」

『ふふふ、毎日してて飽きちゃいませんか?』

「そんな簡単に飽きるんだったら入院中、毎日話に行かねェよ」

嬉しそうに礼を言う名前の顔をやっぱり見たくなる。
出来るなら入院中、毎日していたようにあの柔らかい唇に触れたい。

「電話すんのいいけどな…」

『何です?』

「やっぱ直接、顔が見てェな」

今、どんな顔をしているのだろうか。
恥ずかしそうに顔を赤くしてんのか、それとも困ったような笑顔を浮かべているのか。

この距離感がもどかしくて、不安定。
どうしたらおれの言葉一つで向こうの反応が分かるようになるのだろうか。

『ローさん…』

「ん?」

『それ、私もです』

電話越しに小さな声で呟く名前の声は、聞き逃しそうになるがおれの耳はしっかり聞いていた。
心臓が鼓動を速め、胸も顔も熱くなった気がする。

おれが言葉に詰まらせていると慌てて名前が『あ、お、おやすみなさい!』と電話を切り、「あっ、待て!」と声を出したがすでに画面は変わっていた。

溜息をついてその場で片手を顔についた。
思っていた通り、顔は熱くなっていて心臓もバクバクいっている。

恋心がおれの鼓動のように、勢いよく加速した気がした。








サボテンの花言葉
『枯れない愛、燃える心』






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