ポピーをこの手に




トラファルガーさんの唇が触れた頬を指でなぞって、今更ながらカッと顔が熱くなった。
頬にも額にもキスされたし、優しく撫でられて…あの整った顔に見つめられて…もうキャパオーバーだ。
キスごときで騒ぐような歳でもないんだけども、こういうことに無縁だったからこそキスだけでも激しく心をかき乱される。

私は自分の膝を抱えながら、膝に顔を埋めた。

助けてくれて、命の恩人とも言える人から付き合えと言われればノーとは言えなかった。
大体、お見合い相手というのも曖昧な関係ではあったが、今度は恋人同士。
曖昧な関係ではなく、しっかりとした関係だ。

けど、私は本当にトラファルガーさんが好きなのだろうか。

男性に慣れていない私にトラファルガーさんのあの行動はあまりにも刺激的で、そしてすごく心臓に悪い。

口説きに来ると言っていた。
ということは私が曖昧な気持ちで返事をしてしまったことをトラファルガーさんは気がついているのだろう。
申し訳ないが、トラファルガーさんへ恋をしているかと問われると自信を持ってはいとは言えない。

「…疲れた…」

心がこんなに揺さぶられることはずっとなかったから、慣れない心境にどっと疲れが出てくる。
とにかく、心も体も休ませて…全てはそれからだ。

そう思い、大人しくシーツへ体を沈めて窓から見える青空を眺めながら横になった。





「あ、ごめんなさい。起こしちゃった?」
「あれ?!ラムちゃんのお母さんですか?!」
「いつも娘がお世話になってます」

いつの間にか寝てしまっていたらしい。
私はすぐに起き上がるがラムちゃんママは笑って「楽にして下さい」と声をかけてくれる。
さすがに寝たままではダメだと起き上がればラムちゃんママは苦笑した。

「ラムの母親として来てないの。お兄ちゃんの妹としてお兄ちゃんの彼女に面会に来ただけだから」
「同じ病院だったんですね」
「そうなの。ほんとはラムも連れて来たかったけど、他の子が会えないのにうちの子だけ特別というのはね」
「ご配慮をありがとうございます」

笑顔がラムちゃんにそっくりで、きっとあの子も将来はこんな美人さんになるんだろうな。と、勝手に幸せな想像をしてしまう。
それにしても、トラファルガーさんの時も思ったがラムちゃんママも白衣姿だと本当にお医者さんなのだと実感した。
白衣姿を見たことがなかったし、一応情報では医師だということは知っていたが実際にみると本当にお医者さんなのだと。

「ラムちゃんはお元気ですか?」
「元気元気!もう毎日保育園でクタクタになるまで遊んでるのにお家でも元気に遊んで…お兄ちゃんも結構ラムと遊んでくれるから」
「そうなんですか」

言ったら悪いがとても想像が出来ない。
何しろ一番最初にトラファルガーさんとお会いした、あのお見合いでは子どもが嫌いそうな印象を受けたからだ。
そんな彼がラムちゃんと遊んでいるところなんて想像できないのも無理ない。

私の微妙な表情を察したのかラムちゃんママは楽しそうに笑い出した。

「想像つかないでしょ!」
「…失礼ながら…」
「お兄ちゃんのことだからお見合いの時に子どもは嫌だって態度取ったんでしょうけど…。以前お見合いですぐにでも子どもが欲しいと懇願してくることが立て続けに起きてたから予防したんじゃないかな?」

そんな事があったのか。
それならそう言われた理由も納得がいく。
というか、あの時は「おれとは合わねェ」と言っていた彼が何故私の事を構うようになったのだろうか。
考えれば考えるほど分からなくなってくる。

「お兄ちゃんってちょっと言葉足らずなところがあるんだよね…あと口がすごく悪い!でもね…すっごく優しいの。家族だから贔屓目に見てるとかじゃなくて」
「それは…分かるかもしれません」

わざわざ私の家まで来てくれて、診察までして病院まで連れてきただけでなく、入院手続きまでもやってくれた。
それにラムちゃんを見ていれば分かる。

子どもはよく大人のことを見ていると思うのだが、ラムちゃんのトラファルガーさんへの懐き様を見ていれば大切にされているのが分かるし、ラムちゃん自身からもよく遊んだ話しを聞いていたのだ。

「お兄ちゃんと真剣に向き合ってほしいと思ってるの。ラムや私のことを抜きにして。私と娘は勝手にお兄ちゃんのところに転がり込んだだけだから、お兄ちゃんの幸せを逃がすようなことはしたくないんだ」
「!もちろんです!」
「ふふっ!良かった、お兄ちゃんが好きになったのが名前先生で!」

ラムちゃんママが帰った後、ラムちゃんが折り紙で作ってくれたというお花を掌に乗せて小さく笑った。
小さな手で折ったのだろう、歪な形をしたお花なのに一生懸命作ったのが伝わってきて、どんなお花をもらうよりも嬉しいもの。

これからどうなるのかは分からないけど、「おれの女になれ」と強い口調で言ってきたトラファルガーさんのことを思い出す。
言われた時は驚いたけど、不器用な彼なりの真っ直ぐな伝え方なのだと思ったら嬉しく思えた。

口が悪くて不器用なトラファルガーさんのことを、改めて知りたい。
男性は恐いけど。トラファルガーさんなら少し歩み寄ってみたい。





夕食も終わり、もうすぐで就寝時間になる。
今日、トラファルガーさんは朝に来たきり来ることはなかったなと、少しばかり残念に思った。
看護師さんが先生は今日、オペもあって忙しそうですよなんて聞いてもいないのに教えてくれたのだが、本当に忙しかったのだろう。

見たいテレビもやっていないし、こんなに時間を持て余すことがなかったので手持無沙汰になってしまうと色々な考えが頭を支配する。
トラファルガーさんとの恋についてだ。

男性に慣れていない私と、きっと女性関係に慣れているであろうトラファルガーさん。
そんな私たちで上手くいくものだろうか。

小さなノックが聞こえてきてドキッとした。
慌てて返事をすると今朝見た時とは少し疲れている表情のトラファルガーさんが病室へ入って来た。

「お疲れ様です」
「やっとここに来れた」

忙しいのでしたら来ないで休んでください。
そんなことを思ったのに、口に出しては言えなかった。
どうやら私もトラファルガーさんに会いたかったらしい。
その証拠に、私のベッドへ腰掛けたトラファルガーさんの顔を見て飛び跳ねるように心臓が鼓動を速めたのだから。

「昼間、妹さんが来られました」
「ラミが?アイツ来たのか…」
「仲いいんですね」
「まあ…悪くはねェな…」

照れているのか声が小さくなりながらも否定はしない。
クールで冷たい印象だった最初と違い、今では家族想いで優しいという印象が強い。
顔にあまり出ないと思っていたけど、こうして話しをしてみると今の様に少しずつトラファルガーさんの顔の変化が分かってきた。

「ラムちゃんがお花作ってくれたんです」
「くく、花って言えるか?これ」
「立派なお花ですよ。どんな高級な花束よりも嬉しいです」
「そういや名前は花が好きだったな」

トラファルガーさんの問いかけに笑顔で頷く。
小さいときからお花が大好きで、保育士になってからは保育園で子供たちにお花の種類を教える機会が増えて更に好きになった。
教えてあげた時の子どもたちのキラキラした瞳は何度見ても面白くて嬉しい。

そんなことを思い出していたら、じっと見ていたトラファルガーさんが笑い出した。

「今、仕事のこと考えてたろ」
「はい。子どもたちにお花のことを教えたら、目をキラキラさせて聞いてくれるんですけど」
「ラムがよくおれにも教えてくれる」
「そうなんですね」

トラファルガーさんが楽しそうに笑っているのが私も嬉しくなり、自然と笑みが零れる。
その後も消灯時間で廊下が暗くなるまで、トラファルガーさんとたくさん話しをした。

「もうこんな時間か…話し足りねェな」
「本当ですね。ふふふ、楽しかったです」
「おれも。明日も来ていいか」
「もちろんです。あ、でも、忙しかったらいいですからね。少しは休んでいただかないと」
「だから、ここに休みに来てんだろ」

私の頬にトラファルガーさんが手を伸ばしてきて、指の背が触れる。
すりすりと撫でられて、くすぐったさに目を細めるとトラファルガーさんの親指が私の唇をなぞった。

私が目を閉じるとそれを合図に唇が重なる。
朝と同じ様にチュッと小さなリップ音を奏でて、唇から離れてから目を開けるとトラファルガーさんの顔が近くて心臓が飛び出そうになった。

「名前、おやすみ」
「はい…おやすみなさい」

トラファルガーさんが腰を持ち上げると、ベッドがギシッと悲鳴を上げる。
立ち去って行く背中を目で追い、ドアが閉まってからもボーっとそのドアを見つめた。

じわりじわりと私の心へ染み出す熱い気持ち。
何かを予感させるような染みは私の心を浸食していくよう。

一人になった部屋で静かに自分の唇を撫でる。
二回めのキスは甘く感じて、離れていくのが寂しいと思ってしまった。







ポピーの花言葉
『恋の予感』





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