お見合い相手=婚約者?




いきなり掛かってきた電話の対応が終わると、私はぐったりとシーツに体を沈めた。
これは明日も仕事をお休みさせてもらうしかない。

今、電話していた相手はお見合い相手だったトラファルガーさん。
ラムちゃんのおじさんで、よく話しかけてくれる保護者の一人。
しかも、見合いをやり直したいと言ってきた。

あの時は勢いに任せて「はい」と返事をしたが、私はあの人が苦手だ。
仕事となれば普通に話せるのだが、やはり“男性”として関わるには難しい。

それより彼はなぜ私の番号を知っていたんだ。
ああ…もしかして見合いをやり直したいとか言ってたから私の母親に聞いたのだろうか。
まぁ見合いをやり直したいと言われて了承したのだから電話番号くらいいいのだが、それにしても今考えてみてもなぜ見合いをやり直したくなったのだろうか。

…ボヤボヤする思考で考えても無駄だと、私は脇に体温計を挟み込んだ。

職場に連絡すれば気にせずゆっくり休んでと園長先生の優しい声に甘えて、明日もお休みを頂き、今日の夕方にでも病院に受診しようと考えていた。

小さな電子音が鳴り、自分の脇から体温計を取り出してみて驚く。

39.5…これはやばいかも…。

通りで今までにないほど体がつらいわけだ。
実家に頼るにも両親は県外に住んでいるし、こんな平日では友人たちは全員仕事だし、万が一、風邪をうつしてしまうのは良くない。

とにかく少し寝てから病院は考えようと、動くのもつらくてベッドへ上がれずラグの上で横になったまま意識を手放した。





インターホンが来訪者を告げている音が聞こえてくる。
その音で目が覚めたが体が鉛のように重くて動けない。
体も熱いのか寒いのかも分からないし、自分がどこで寝ているのかも分からない。

「なっ?!おい!大丈夫か?!」

誰かに抱き起されてやっと目が開いた。
目の前にはなぜかトラファルガーさん。

なぜ家に入ってこれたの?
なぜ住所を知っているの?

そんな疑問は出てきても私の口からは掠れた声しか出てこない。
トラファルガーさんは私の体を抱き上げて、ベッドへ寝かせると脇に体温計を挟んでどこから持ち出したのか聴診器を耳にかけ始めた。

ああ…確かお医者さんをしているとか…お見合いで言ってた気がする。

混濁する意識の中、私のスエットを掴むとトラファルガーさんは躊躇なく服の中に手を突っ込んだ。
熱に侵された頭では抵抗も出来ず、もはやされるがままになる。
聴診器が肌に当たると目の前のトラファルガーさんの眉間に皺が寄っていく。
指先にも何かの器具をつけられて、その数値を見たトラファルガーさんは溜息をついた。

「…肺炎になりかけてんじゃねェか…。体温は…39.8。すぐ病院行くぞ、悪ィが勝手に財布から保険証取るからな」
「あ…ラムちゃん…は?」
「…アイツはラミ、母親がついてる。それより自分の心配しろ」

私の衣服を整えながら「ったく…他人の子どもの心配してる場合かよ」とかぶつぶつ言っている声が聞こえてくる。

病院に行くなら着替えないと。
そう思い服を脱ごうとしてその手をトラファルガーさんに掴まれた。

「着替えなくていい。このままおれが連れていく。お前は寝てろ」
「で、も…」
「救急車呼んでもいいレベルだぞ。さっさと行くぞ」

私のお財布と鍵の入っている鞄を持ち、軽々と私の体を持ち上げると家を後にする。
まるで壊れ物を扱うかのように車の助手席に座らされると、シートベルトまでつけてくれて、至れり尽くせりだ。

だが、何かをしようとしても体が重すぎて動かす気にもなれない。
というより、呼吸をするのにいっぱいいっぱいで何が何だか分からない状態だ。

「入院になると思うが、おれの病棟に入院できるよう調整しておいた」

ぼーっとした頭が一気に覚醒していくようだった。
おれの病棟?おれの病棟?!

「まっ!ゲホゲホ!」
「大人しく寝てろ」

ダメだ。
今は何も言い返せないし、何も考えられない。
重たくなる瞼を重力に逆らうことなく閉じると、私の意識は再び沈んでいった。





随分と眠った気がする。
そのおかげなのか、すごくスッキリした。
目を開けて目の前の天井を眺めながら、漸くまどろむ頭の中も一気に覚醒する。

「病院?!え?!あれ?!」

腕には針が入っていて、その手が起きた時にズキッと痛んだ。
鼻にはテレビドラマで見たようなチューブがつけられていて、指先にも体にも何かがくっついている。
こんな医療ドラマのような状況は初めてだったので動揺した。
そもそも熱を出すことが人生でほとんどなかったため、恐らく入院したらしいこの状況が初体験。

キョロキョロと周囲を見渡せば、どうやら個室のようでベッドは私のだけ。
病室を見渡してから、最後に目に入ったのは頭上にあった小さな文字に私の名前と担当看護師の名前、そして主治医のところに書いてあるトラファルガーの字で冷水をかけられたかのように一気に目が覚めた。

そうだ、思い出してきた…。
私はなぜかやってきたトラファルガー先生に診察されて病院に連れてこられて、なぜかその病院に入院させられている。
しかも、私の記憶ではお見合いの時に循環器であると言っていた気がするが。

「失礼します。検温しにきました。あ、良かった…目が覚めたんですね」
「あ…はい。えっと…」
「今トラファルガー先生に連絡しますね」

入って来た看護師さんにそう言われて、とりあえず頭を下げた。
色々聞きたいが、目の前の看護師さんに聞いたところで詳細を知っているのは連れてきた張本人である主治医のトラファルガーさんなのだから。

『先生、お疲れ様です。苗字さん、起きました。はい…はい…分かりました。失礼します』

電話を切り終わった看護師さんは私の熱を測りながら「すぐ先生お見えになります」と、点滴を交換したり血圧を測定し出して大人しくされるがまま横になる。
症状も聞かれて答えていると、数分後にはドアが開かれて白衣を羽織ったトラファルガーさんが入ってきた。

「お疲れ様です、トラファルガー先生」
「バイタルは」
「熱も37.8まで下がりました」
「サチュレーションは」
「酸素2リットルで98です」

目の前でのやり取りをボーっと見つめる。
何だか変な感じだ。
私の知っているトラファルガーさんはラムのおじさんという印象と、あの冷たくされたお見合いでのシーンしか知らないのだから。
こんな本当に医者っぽいトラファルガーさんを見るのは、何だか変な感じだ。

「…分かった。後はおれが診察しておくから他回ってていい」
「分かりました。失礼します」

看護師が退出するとばっちりとトラファルガーさんと目が合う。

「あ…ありがとうございます…」
「入院手続きはおれが勝手にさせてもらった。両親は県外だし、緊急連絡先はおれにさせてもらったぞ」
「えっ?!な、なぜです?!」
「見合いやり直し中なら、お前はおれの婚約者でもあんだろ」

当たり前のように言ってきた事実に首を傾げるばかりだ。
見合い中の相手は婚約者なのか?ということは、この状況だと、もしかして付き合っているということになるのか?

「えっと…どこをどうツッコめば…」
「それよりお前あんなセキュリティがすっかすかのところに一人で住んでいたのか」
「すっかすか…そうですけど」

寝転がって話すのが気まずくて体を起こそうとしたら、額に掌が当てられて枕に後頭部を押し付けられた。
そのまま私の腰元のベッドに腰を降ろしたトラファルガーさんは、腕を組んだ。

「起きるな、寝てろ。それと鍵を開けっ放しにしておくなよ、不用心過ぎる」
「鍵かけるの忘れてました?」
「忘れてたからおれが入れたんだろ。…まぁ、あの状況じゃ運が良かったけどな。お前あのままだったら夜中には呼吸止まってたからな」

その言葉を聞いて、背筋がぞっとした。
確かにあの状況は思い出すと恐ろしい状況だったのだと思う。
となれば目の前のトラファルガーさんは私の命の恩人ともいえる人だ。

「命を助けていただき、ありがとうございます」
「…礼は言葉じゃねェのが欲しい」
「?何か買えばいいのでしょうか?」
「おれの欲しいもんは金じゃ買えねェ。別にものも強請ろうと思ってねェよ」

金には困ってないもんで。と嫌味を言われて私は失礼ながらも眉をひそめてしまった。


「なら、何を…」
「おれと付き合ってほしい」
「えっ?」

思わず聞きなおした。
付き合う?それはもしかしてお買いものに付き合うとかお約束な間違いではなく、男女の関係のことをさすのか。
私が何も言えずにトラファルガーさんを凝視していると、トラファルガーさんは私から視線を少し外した後に再び私へ視線を戻した。
私の顔の横に片手を置いて、顔を覗きこまれる。

「おれの女になれ」
「は、はい」

断ることが出来なかったのは命を救ってくれたという建前があったからなのか。
それとも目の前で照れたように言い直し、返事を聞いた途端に嬉しそうに笑ったトラファルガー先生の顔にキュンっとしてしまったからなのか。
今の私には判断できなかった。








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