落ちる、攻める




『お兄様、あの子のお迎えお願いできる?』
「またか…分かった。おれが休みなのを狙って残業してんのか」
『お兄様ってば頼りになるー』

嬉しそうに電話越しに言うのは彼女でも妻でもない。
おれの妹であるラミ。そして、お迎えというのはそのラミの娘であるラムのこと。
夫に浮気されて離婚し、娘を連れて転がり込んだのは一人で暮らしていたおれのマンションだ。
両親は海外を行ったり来たりしているし、他に頼れる家族というのはおれしか居なかったのだろう。

別に自分は一緒に暮している女も居なかったので、その日からラミとその娘のラムと同居生活をしている。

ラミは離婚後すぐに医師として職場へ復帰し、娘を保育園へ預ける事がほとんどとなった。
そして、おれが休暇の時にはこうしてラムの迎えを頼むことも多々。

一時期はおれが結婚しなさそうなのを焦って母親がお見合いを何度もセッティングしていたが、あのぱっとしない保育士を最後に諦めてくれたようで最近は海外に戻って過ごしている。
そんな時にラムの保育園で出会ったのが、あの日お見合いをした保育士だった。

あのお見合いの場ではパッとしなかった彼女であったが、保育園で子供たちに溌溂として関わる姿が印象的で、おれの目を引いた。
しかも、家ではラムが名前先生との話しをよく聞かされて、その先生があのお見合いをした名前だったとは思いもしなかったが。
偶然が重なり合って、少しずつ意識をしだして、それが決定打になったのは一輪のひまわり。

たくさんのひまわりを胸に抱いて、微笑んだ彼女に釘づけになり
その瞬間、彼女に落ちた。

「お見合いをやり直したいんだが…」

今思えばどんな口説き文句だと笑いたくなったが、彼女を引き留める方法がその時はそれしか思いつかなかった。
さすがに無理があるかと諦めかけたが、少しの間の後に彼女から「はい」と返事をもらって年甲斐もなくドキッと胸を高鳴らせ…タイミング悪く他の保育士に呼ばれて立ち去ってしまったのだ。



その時のことを思い出して苦笑しそうになる。
大人になって始める恋はなかなかきっかけもないし、話すタイミングもない。
これが同じ職場であれば少しは違ったのかもしれないが、相手は姪っ子を預かっているだけの保育士。
関われる時間は送り迎えの時間の数分だけだ。

だから、もっと話すにはプライベートの時間が必要。
あのお見合いの時には連絡先すらも交換していないため、連絡先すらも知らない。
だから今日、ラミにお迎えのお願いされたのは好都合でもあった。
連絡先の書いたメモを持って、園に入りラムの居る教室まで向かう。

「すいません、トラファルガーです。ラム迎えに来ました」
「あっ!ラムちゃんのお兄さん、お疲れ様です。少しお待ちくださいね」

名前の姿を捜して教室を見渡すが、見当たらない。
もしかして今日は休みなのだろうか。

「ローお兄ちゃん!やったー!今日はローお兄ちゃんだね!」
「ラム、帰るぞ」

荷物と連絡帳を先生から受け取り、今日あったことを話されて教室を出てからすぐにラムに話しかけた。

「今日は名前先生はいなかったのか」
「うん。お風邪引いちゃったんだってー」
「風邪?」
「うん。昨日は居たのに、先生大丈夫かなぁ」

小さな手を握りながらおれ自身も心配になる。
個人情報に煩い世の中。
先生の住所が知りたいと言ったところで教えてはくれないだろう。

アイツとの繋がりはここの保育園とあのお見合い…。
もしかしたら自分の母親が向こうの母親と繋がっているかもしれない。
ラムを車に乗せて家に向かいながら、今日あったことをラムが話し始める。

「あのね、名前先生がいなかったからね、お見舞いのお手紙書いたんだ」
「へェ、すごいな」
「名前先生はお花が好きだからね、お花の絵をいっぱい書いたの」
「花が好きなんだな」
「そうなんだよ!ラムがね、保育園行くと、一緒にお花見るの!」
「へェ」

歳を重ねていくごとによく喋るようになったラムは拙い喋り方ではあるが、おれでも理解できる話し方になった。
ほんの1年前まではラミの通訳がないと全く理解できなかったというのに。





家に着くまでずっとしゃべり通したラムは、着く頃にうとうとし始め、仕方なく抱っこして自宅のマンションへ。
とりあえずソファにラムを寝かせて、タオルケットをかけた後におれはすぐに携帯を取り出す。

海外へ行っている母親へ電話をかけてみれば、数コールの後に眠そうな母の声が聞こえてきた。

『どうしたの、ロー君』
「母さん、おれが最後に言ったお見合いを覚えてるか」
『当たり前じゃないの。向こうのお母さんとは大学の同級生でね』
「そうだったのか…ってことはおれの見合い相手の連絡先とか住所とか知ってんのか?」
『うーん…まぁ、向こうのお母さんに聞けば分かると思うけど…なになに?まさか今更になって気になっちゃったの?』
「いいから聞いたら教えてくれ」
『やーっとフラフラしないで身を固める決心がついたの?!いいわ!すぐにお母さんが調べてあげる!』

とりあえず一旦電話を切って、溜息をつく。
別にフラフラしているつもりはなかった。
ただ、誘われれば女と寝てたりしていただけで、彼女というものも作ったこともあったし…フラフラしていたつもりはない。

最近はラミやラムの居る生活に慣れてしまって女とそういうことも全て断っていたため、こうして女を口説くために自分が動くのは何年ぶりになるかも分からないくらい昔の話しだ。

携帯がメールの着信を知らせ、おれはすぐにメールを開いた。
そこには電話番号と住所。
住所はおれの家から車で30分から40分ほどの距離にあるアパートのようだ。
ラムも居るし、ラミが帰ってくるまでは動くことが出来ないが電話だけでもしておこう。

電話帳に名前を入れて番号を入力する。
最初からこうしておけば良かった。
そうすればこんなまごついている時間もなく、スムーズに事が進められたというのに。
だが、これで母親同士もおれ達がまた見合いの延長をしていることに気が付いたわけだ。
少しばかり面倒だが、仕方がない。

電話をかけるボタンを押すと、無機質な呼び出しコールが聞こえてきた。
年甲斐もなくドキドキと鼓動を速める。

『…は、はい。どちらさまでしょうか?』

掠れた声で恐る恐る尋ねる声が聞こえてきて、おれはすぐに名乗る。

「トラファルガー。お前の見合いの延長を申し込んだ奴」
『…えっと…』

戸惑っている声色だ。
確かにあの見合いの延長を申し込んでからだいぶ時間は経っているとはいえ、まさか忘れられているとは思わなかった。

「…ラムのおじ」
『ああ!ラムちゃんの!ごほごほっ、あ、すいません…』

痰の絡んだ咳き込む声が聞こえてきた。
呼吸も少し苦しそうだ。

「受診はしたのか」
『ゲホッ…いえ…』
「熱は」
『今は…38です…』

予想以上に高い。

「他に症状は」
『大丈夫です。では、また』
「あ、おい!…切りやがった」

とりあえずラムの夕飯を準備し、今度は自分の病院に電話をかけた。
ラミの職場はおれと同じ総合病院の小児科だ。
何時ごろ帰れるのか確認して、出来ればすぐにでも名前の元へ行きたい。

「循環器のトラファルガーだ。小児科の妹に繋いでくれ」
『あ、先生お疲れ様です。すぐお繋ぎしますね』

受付のスタッフはおれの声を聞くなり、すぐに小児科に繋ぎ始める。

『お兄ちゃん?』
「ちょっと出掛ける用事が出来たんだが、お前は何時ごろ帰れる」
『もう帰れるには帰れるんだけど』
「けど?」
『看護師さんたちとお茶してから帰ろうかなって思ってた』
「すぐ帰って来い」

クソっ。おれはお前の旦那じゃねェんだぞ。
妹の自由奔放さに呆れるが、電話を切る前に肝心な事を書き忘れそうになった。

「あ!待て、今日の内科の外来担当誰だ」
『知るわけないよ』
「すぐ調べられんだろ。さっさと調べろ」
『もー…人使いの荒い…』
「お前にだけは言われたくねェよ」

人に娘を任せて優雅にお茶しに行くつもりだった奴が何を言うのか。
別にラムをみるのが嫌というわけではないが、今は一刻も早くアイツの様子が知りたい。

『うーん…非常勤の先生みたいよ』
「…分かった」

電話を切って今度は名前に再びかけるが、今度は電源を切っているのか繋がらなくなった。

どうなってやがる。
まさか先ほどのやり取りで着信拒否とかないよな。
だとしたら携帯を充電していないか?
意識失って倒れてるとかないよな…

考えれば考えるほど最悪な事しか思い浮かばず、おれは自宅にあった予備の聴診器を鞄に入れ、一応薬も何種類か鞄に詰めた。
1時間ほどしてやっとラミが帰ってきた頃にちょうどラムも起き始める。

「お兄ちゃんごめんね、どうぞ出かけて」
「ああ。夕飯は準備してある…あと、今夜は帰って来ねェかもしれねェから、鍵掛けて寝てていい」
「え?お泊り?」
「分からねェ」

相手は病人なのでどうこうするつもりは全くないが、ラミは意味ありげにニヤっと笑う。

「私たちに気にせずどーぞどーぞ」
「ローお兄ちゃん、お出かけ?」
「また明日な。ラミと2人でしっかり飯食べろよ」
「うん!」

可愛い姪っ子の頭を撫でて、飛び出すように家を後にした。





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