先輩

それは小さなことから始まった。

「あれ?消しゴムがない」
「えー?どっかに落としたの?」
「そうみたいだね。ラミ借りていい?」

午前中はあったはずだったのだけど、昼休み中に何かの拍子にふっとんでっちゃったのかな。
お昼休みはいつものようにロー先輩とお兄ちゃんとラミでご飯を食べに屋上に行っていたからその間にどこかへいってしまったのだろう。

「それより、この間のお兄ちゃんとのデートは大成功だったみたいね」
「ラミに選んでもらった服、可愛いって言ってくれたの」
「当たり前じゃない。まあ、お兄ちゃんのことだからナマエは何着ても可愛いって思ってんだろうけど」

そんなはずないと苦笑すると教室の一角で大きな笑い声が聞こえてきた。
派手なギャル集団で私の苦手なクラスメイトばかりだ。

「少女漫画かよ!んなわけないでしょー!」
「言えてるー!」

何の話しをしているのか分からないけど、大きな声での笑い声は教室中に響いてラミは顔を顰めた。

「ラミ?」
「…私の思い過ごしならいいのだけど…一応お兄ちゃんの耳に入れとくか」
「?ロー先輩?」
「何でもないわ」








その日から私のものがなくなることが増えた。
シャーペンだったり、ハンカチだったり、上履きだったり、靴だったり。
さすがに鈍い私でも分かった。

私、嫌がらせ受けている。

でも、ラミにもお兄ちゃんにももちろんロー先輩にもバレないように言わなかった。
それは教科書に書いてあった落書きの言葉に胸を打たれたから。

[守ってもらえなきゃなにも出来ないクズ]

だから、誰にも頼らないで私だけで解決しようと決めた。
でも、さすがに上履きはないと困るもので…

「お母さん、新しい上履き買ってほしいんだ」
「ええ?数か月しか使ってないじゃない」
「…うん、でも、引っかけて破れちゃったんだ」
「そう?じゃあ、お兄ちゃんに上履き代渡しておくから一緒に買いに」
「私に頂戴!」

私が慌てて声を荒げるとお母さんは少し動きを止めて、私をじっと見つめた。

「お兄ちゃんと喧嘩でもしたの?」
「ううん。でも、もう一人でも買い物できるよ、さすがに」
「…そう」
「お兄ちゃんには言わなくていいから」

そう言ってお金を受け取ると、それ以上問いかけられる前に私は自分の部屋に戻った。

新しい上履きは履かない時には常に持っておこう。
あと、ローファーも隠されると困るから持ち歩こう。
鞄の中になるべく詰めて…あとは犯人さんにやめるように声をかけないと。
その問題の犯人を捜すのが一番大変そうだ。

「キッドー!夕飯手伝ってー!」

お母さんの声が聞こえてきてお兄ちゃんが隣の部屋から出ていく音が聞こえてきた。
私は寝返りを打って壁を見つめながら考える。

上履きのことをお兄ちゃんが知ったらきっと気が付いてしまう。
嬉しいことではあるが、お兄ちゃんは私のことになるととても鋭い。
それ以外は鈍感なのに。

お兄ちゃんもそうだけど、ロー先輩やラミだって鋭い人だ。
ロー先輩は頭もいいし、回転も速いのだろうからきっと相談すればあっという間に犯人を捕まえることが出来るんだろう。でも、それではだめだ。

「守られてばっかりじゃないんだから…」

涙をのみ込んで、私は自分に言い聞かせるようにそう呟いた。








いつもの昼休み、また4人で集まってそれぞれがお弁当を広げ、私も鞄から取り出そうとして固まった。
お弁当が無くなっている。
入れ忘れたというのはないのだから捨てられたとしか考えられない。

「?どうした?」

ロー先輩に声をかけられてハッとし、すぐにへらっと笑って鞄を閉じた。

「へへへ、早弁しちゃったの忘れてました」
「へェ。おれの食うか?」
「買ってきます」

お兄ちゃんがこっちをじっと見ていたのに気が付いて私はすぐに鞄からお財布を取り出して顔を隠した。
さすがに長年一緒にいる兄妹だから私の表情の変化を見抜いてしまうかもしれない。

お財布を取り出すと、お財布だけを持って私は一人屋上を駆け足で後にした。







売店に向かう前にクラスメイトのギャルの集団が私の前に立ちはだかった。

「ちょっとこっち来て。弁当返して欲しいんでしょ」
「え?!返してくれるの?」

驚きに目を見開いた。
まさか同じクラスの彼女たちが犯人だとは思いもしなかったし、私の何が気に喰わなかったのかも分からないままであったのに。
へらっと笑いながら彼女たちについていくと、人通りの少ない体育館裏まで案内される。
ここまで来てやっと状況を把握した。
ああ、返すつもりなんてなくて、それよりも私自身に何かをするつもりでここへ連れてきたのだ。

携帯は鞄の中だし、私が今持っているのは売店へ行くために取り出したお財布のみ。

「あの、私の何が嫌だったのですか?」
「トラファルガー先輩と付き合ってるでしょ」
「っ!」

頭にぱすっと黒板消しが当てられてけほけほっと咳き込む。
どうしよう。
こちらは一人に対して、向こうは6人も居る。

「お?めっちゃ可愛いじゃん」
「いいねー、楽しめそうで」

今度は恐怖で体が竦んだ。
ゾロゾロと出てきた10人の男の子たちは私を囲んで、ニヤニヤと笑っている。
上履きの色を見れば全員同じ色で私と同じ一年生だけ。

「なんであんたらの先輩はきてくれなかったのよ」
「あ?うっせーな、先輩たちは揃いも揃ってこの女の兄貴が怖いんだと」
「ふーん」
「この女が先輩たちにやられなかった理由はそこね」

そんなところでお兄ちゃんに守られていたなんて知らなかった。
でも、確かに中学生の時まではお兄ちゃんの影響でこういうことに無縁だったし、怖い男の人から頭を下げられて挨拶されたりとかもあったのだ。

「私たちはトラファルガー先輩が好きでラミとも仲良くなろうとしたのに、あんたが全部邪魔したのよ」
「してない!私は!」
「せいぜい守ってもらいなさい」
「一人でも戦ってやる!」

私は無我夢中で一人の女子生徒にタックルして髪の毛を引っ張った。
頬を叩いてやろうとすると男が私の手を掴んでぶん投げ、私の体は簡単に宙を舞った。

地面に打ち付けられる衝撃に目を閉じて体をこわばらせたが、いつまでたってもその衝撃は来なくて、代わりに誰かに抱きしめられた感触がする。
ふわりを感じたその匂いはいつも私を優しく包み込んでくれる。

「ロー先輩…」
「…大丈夫か。怪我は」
「な…いです」

地面にゆっくり降ろされてロー先輩が私の頭を撫でて、額にキスをする。

「久しぶりだから、怪我じゃ済まねェかもしれねェが…覚悟はいいな?」

あまりに低い先輩の声に心臓がバクバクいっている。
こんな声を聞いたことがなくて。
バタバタと足音が聞こえてきてそちらを見れば、荒々しい呼吸をしながらお兄ちゃんとその後ろからラミの姿が見えて、私は我慢していた涙が零れ落ちた。

「待て待てトラファルガー。んとに、足早いやつ…」
「ナマエ!」
「ラミ!お兄ちゃん!」

ラミに抱きしめられて、お兄ちゃんがロー先輩の肩に片手を置いた。

「お前がブチ切れたくなる気持ちも分かるしおれだってボコボコにしてェよ」
「…」

「お兄ちゃん…マジ切れだ…」
「え」

私を抱きしめたままラミが呟いた。
相手はもうどうしたらいいのか分からず、それでも男子の方は拳を鳴らしている辺り、やる気らしい。

お兄ちゃんがロー先輩に話そうとする以前に男子生徒の方から拳を振り上げてきた。
その拳をお兄ちゃんが受け止めて、大きく舌打ちをする。

「殺すなよ、トラファルガー」
「分かってる」

10人対2人なのに、その力の差は歴然としていて。
お兄ちゃんもロー先輩も息を乱す様子もなくあっという間に10人を伸してしまった。

「…てめェらは」
「ひいっ」

ロー先輩が低い声で女子生徒の一人、リーダー格の女子生徒の顎を力強く掴んだ。

「アイツに何かしたら女だろうと…殺すぞ」

泣きながら走り去っていく後ろ姿を眺めて、私は茫然としていた。
助けてくれてありがとう。どうしてここへ来れたの。
色々話したいことがあったのに出てくるのは涙だけ。

「隠してもバレバレなんだよ、何年お前の兄貴してると思ってんだよ」
「お兄ちゃん…」
「私なんてだーいぶ前から目をつけてたんだから。まさかこんな早く行動起こされるとは思わなかったけど」
「ラミ…」

俯いて泣いている私の体を抱きしめてくれるのは先ほど、まさにピンチから救ってくれた匂いと温もりで、私もその背中に両手を回して、縋る様に抱きしめた。

「お前を守るのはおれだ。一人で背負い込むなよ」
「ロー先輩…あ、りがとう、ございます」
「無事で良かった」

先ほどの冷たい声とは裏腹にロー先輩はとても優しい声で呟いて、私の心を一気に安心させる。
こうして、私への嫌がらせはなくなり、平穏な生活に戻ることができた。



お兄ちゃんの怒り



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