ゆびきりげんまん


「おれたちはまだ子どもで、今は大人に付いて行かなきゃいけない。10年後の今日、おれたちはもう大人になってる。その時にまた絶対に会おう」
「ほんとに?ロー忘れたりしない?」
「忘れない。名前、ゆびきりしよう」

小さな小指と小指が絡んで、私たちは約束をした。

「10年後のこの日のこの時間にここの時計塔の前で。ロー、忘れないでね」




煩い目覚まし時計の音で目が覚めた。
当時よりも大きくなった小指を見つめて、幼い頃にした約束を思い出す。

親の仕事の転勤で引っ越しすることが決まり、転校する事になった私は当時仲の良かった男の子と泣きながらゆびきりをした。
そんな小さな頃の約束なんてきっと相手は覚えてないだろうが、私にとっては大切な思い出で、その約束相手は初恋の男の子。
願掛けのようにその小指での約束はその男の子としてから他の人とは一度もしなかったし、辛いことがあれば小指をキュッと握るのが癖になるぐらいその約束に支えられてきた。

すっかり大人になって社会に出た私は、今日のこの日のためにダイエットも勉強も頑張ったし、お化粧の練習だってした。少しでも綺麗だと思われたい。そんなことを思いながら、ドキドキする胸を押さえて、何度も鏡の前に立ち姿を確認する。

これだけ支度に時間をかけたのは初めてだ。
あの公園の時計塔の前、まだあの時の時間にはかなり早いけれども、小指を見つめて笑うと待ちきれずに家を出て行った。



もしかしたらあの子は約束を覚えていないのかも。
そんなことを何度も考えたが、あの淡い初恋を思い出すと行かずにはいられなかった。

電車から降りると懐かしい風景を見渡しながら、公園へ向かう。足取りはかなり軽やかだ。
当時は小さな足で行くには遠く感じたこの道のりも、大人になった今ではこんなに近かったのかと。
あの公園で晴れた日も、雨の日も、雪の日でも毎日ここで遅くまで遊んでいたのを思い出して口元が緩む。公園にたどり着くと、10年経っても当時のまま何も変わらずにあったし、遠くからでも時計塔は見えて安堵の溜息をつく。

時計塔を見上げると、あの日の約束の時間にはまだ1時間も早い時間だった。
それなのに人気のない公園に、時計塔の前に、人影が見える。

「うそ…」

ゆっくりとこっちを見て、目が合った瞬間に私の目じりから涙が零れ落ちた。
泣いたら化粧は落ちちゃうし、絶対に笑って「久しぶり」なんて気さくに言うシュミレーションを何度も頭の中で繰り返していたのに。

幼いころは私と目線が変わらなかったのに、大きく成長した彼は身長も見上げるぐらい高くて、髭まで生やしてとてもかっこよくて、変わらない隈も素敵で。胸が初恋を思い出したかのように高鳴るのもしょうがないと思う。

一直線に私のもとへ来た彼は、あの日よりも大きくなった小指を差し出してきた。

「ゆびきり。ちゃんと覚えてただろ、名前」
「ロー!」

軽々と私を抱き上げて、その逞しくなった胸元に私の体はすっぽりと包まれた。
ローが優しく私の後頭部を撫でて、背中をポンポンとあやす様に叩いた。

「ロー、すごく、すごくかっこよくなったね…」
「お前こそ綺麗に…でも、小さい時の面影あるな。しかも、すぐ泣くところも変わんねェし」
「ローこそ、この隈は少しもなくならないね」
「小指見るたびに思い出して、寝れなかったからな」
「嘘ばっか」

からかうように言うローと笑い合って、ローが私の手を握ると小指と小指を絡めた。

「名前」
「…ロー?」
「…また、ゆびきり、しねェか」

せっかく出会えたというのに別れてしまうつもりなんだろうか。
そう思うと止まっていた涙がまた込み上げてくる。

ローが絡めた小指をお互いの目の前まで持ち上げて、もう片方の手で私の涙を指で拭った。

「次にここに来たときにおれは立派な医者になってお前に結婚を申し込む」
「えっ?!」
「それまでは…おれと付き合ってほしい」

つまり、それは結婚前提の交際の申し込み。
私の返事なんて決まってる。
あの日約束した時から。ううん、ずっとずっと前からローのことが好きだったのだから。

絡められた小指に力を入れるとローに笑いかけた。

「ゆびきり、お願いします」

私の返事にローも嬉しそうに小指を振った。

一緒にこれまでの話をしたり、連絡先を交換したり。離れていた日をお互いに埋めるようにたくさん話した。
そして、その日の帰りに私が約束を忘れないようにとローがピンキーリングを買って、その場で私のゆびきりをした小指に。

「忘れないのに」
「お前、無意識に小指触るの癖になってる」

久しぶりに会ったその日に気がつくぐらい無意識に何度もしてしまっていたのか、ローの観察力が鋭いのか。
どっちもな気がする。

「これあれば、小指触るたびにおれ思い出すだろ?」
「なくても思い出すよ?」
「浮気防止」
「それはぜひローにもつけたいね」

これだけカッコよく成長しちゃって、私の初恋は実ったけれど、今度は不安な日々を過ごしそうだ。
ローの顔を見ながらそんなことを言ったらくくっと笑い出して、そんな顔もカッコ良過ぎて。

「お前が思ってるより、おれはお前のことしか考えてねェよ」
「うーん」
「……実は会いたくなって我慢出来ずに、お前の家の近くまで行ったことがある」
「ええ?!」

なんでその時に会ってくれなかったの?!もしかして、私を一目見て幻滅してしまったの?!
そうは思っても、口に出すとウザい女と思われそうで何も言えずにローの言葉を待った。
ローは少し言いにくそうに私から視線を外して、ポツリポツリと話し続けてくれる。

「お前と友だちの会話を聞いて、すぐに帰った」
「私と友だちの会話?」
「お前が…このゆびきりの約束があるから、約束の日までは精一杯自分磨きする。何でも頑張れるって言ってた」

それはよく言ってた言葉だから、心当たりがあり過ぎて何も言えなくなった。

「それ聞いたら、おれだけ我慢出来ずに会いに来たなんて立場がねェだろ。だからおれも…いや、我慢出来てなかったな。会いに行ってるし」

苦笑するローに私は胸が熱くなった。
ローがそんなに私のことを思ってくれてたなんて、全く思わなかった。

「初恋だったからな…」

ローも初恋だったなんて、思ってもみなかったから私は目を丸くして驚いた。それでも、私の気持ちも伝えたくて、繋がれた手にギュッと力を込めて口を開いた。

「お互いに初恋が実ったんだね。私もずっとローが好きで、好きって思いばっかり強くなって、約束の日まで耐えるの辛かったなあ」

私がローの顔を覗き込みながらニッコリ笑うと、ローがいきなりしゃがみ込んだ。

「なに?!ローどうしたの?」
「…お前…可愛すぎだろ…それ反則…」

顔を上げたローが私に触れるだけのキスをしてきて、私は顔に熱が集まった後に唇の感触を確かめるように自分の唇撫でた。

「き、キスした…」
「顔真っ赤」
「だって、初めてだし…」
「おれも」

額と額をコツンと当てて、ローが私の頬を優しく包み込んだ。私もローの頬を包み込むと、小指に光るリングにやっぱり頬が緩んでしまう。

「これからは、今まで会えなかった分、いっぱいいっぱい会おうね」
「ぜってー離さねェからな」
「こっちのセリフだよ」




それからお互いの家を行き来しながら、ローが大学卒業後に同棲を始めた。
研修医になったローは医学生の時も忙しそうだったけど、さらに忙しそうに毎日を過ごしていて、喧嘩もしたりしたけど、それでも小指のリングがいつも2人を自然と笑顔にさせた気がする。

数年後の週末の夜に、私はローに連れ出されて車の中で揺られてた。

「どこに行くの?」
「いつも言ってんだろ。着いてからのお楽しみ」
「ふふふ。はーい。じゃあ、いつも通り目を閉じて寝たふりしておきます」
「いつも通り口開けてよだれ垂らした間抜け面で寝たフリしとけ」

こうしてローがドライブに連れてってくれる時、大抵が着いてからのお楽しみ。私は目を閉じてウキウキと到着を待ってる間にいつも眠ってしまうのだけれど。
目を開けたら海が広がってたり、綺麗な夜景だったり、豪華なホテルだったり。ローと一緒に出かけられる日はそんなに多くない。でも、目がさめるたびに驚かされる事ばかりだ。

「名前、着いたぞ」
「ん…」
「涎拭かなくていいのか?」
「ええ?!」

すぐに起き上がって腕で拭い取るけど、濡れてる気配はなくて、ローが意地悪そうな笑いをしてるところを見たらからかわれた事に気がつく。

「もー…あれ?ここ…」
「じゃあ、あの場所に行くか」

ローの手を取って、2人で歩き出す道は、小さい時を思い出させた。こうして手を繋いで毎日歩いてた道が、あの時と変わらない風景なのに、あの時と違うと感じる。
それは、あの日の約束を小指にあるピンキーリングが思い出させて、これからのローの言葉に期待してしまっているからかもしれない。

時計塔の前に来ると、ローが私を見て、私もローを見て。
ピンキーリングのついている小指とローの小指が絡まって、目の前に持ち上げられた。

「ゆびきり、覚えてるか」
「うん…もちろんだよ…」
「名前、おれと結婚してくれますか」

涙で視界が滲んで、何回も瞬きをして、ローの照れた顔が見えた瞬間にその体に抱きついた。

「お願いします!」

私の小指の隣に、新しいリングが輝いて、私たちの小さい時から始まった約束は幸せな形となって果たされた。


 

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