互いに年老いてもこうしてお前と歩きたい


腕の中でぐっすり熟睡している名前。
いつもはおれより先に目が覚めるか、こうしておれが身じろぐとすぐに起きるというのにおれが起き上がってもぐっすりだ。

まあ…それは無理もない話しだが。

昨晩は結局深夜0時を過ぎてからそろそろ帰るかと、先輩ナースに捕まっている名前を引きはがしたが、すでに酔っている状態だった。
足取りも覚束ない様子で仕方なくヒューヒューと囃し立てられる中、抱き抱えて戻ったのだが…たった数分の間におれの腕の中で深い眠りに。
本当はベッドでイチャつきたかったが、明らかに酒の影響で深い眠りについている彼女を起こしてまでヤるには抵抗がある。
というか、最悪、行為の途中で眠ってしまう方がおれにとってはキツイ。

未だに眠っている彼女のあどけない寝顔をずっと堪能したいところだが、そろそろ起こさなくては朝食の時間が終了してしまう。
おれはコーヒーだけでいいが、名前は朝食をしっかり食べる派だ。
起こさなければ起こさないで、きっと残念そうな顔をするだろう。そんな顔はできれば見たくはない。

名前の滑らかで綺麗な頬に手を添えて、柔らかい唇に親指で触れながら声をかける。

「名前、そろそろ起きねェと朝飯の時間終わるぞ」
「ん…あ…さ…?」

寝起きの掠れた声が色っぽくてそそられる。
これが余裕のある朝だったら間違いなく、相手をしてもらっていただろう。

「朝飯いらねェんなら、一発相手してもらうか」
「起きるから、待って!」

微睡んでいるところにおれのその一言で大きく目を開いて完全に覚醒したらしい。

おれが思った通りの反応ではあるが、少しばかり落胆してしまう。
覚醒はしているはずだが布団から出たくないのか、いつまでたっても出てこない名前に覆いかぶさる。

さすがに何かを察したのか、慌てて起き上がった名前はお礼の言葉と頬にキスをした後、スルリと抜け出てさっさとベッドを下りていった。

もう少し甘い雰囲気を楽しんでも良かったのではないかと思ったが、大人しく諦めて起き上がると自分も身支度をするために洗面所へ向かう。

今日で職員旅行も終わり。
行く前は面倒だと思っていたが、名前が居ることで十分楽しめたし、名残惜しく思える。
次は二人きりでゆっくりとまた旅行に行きたい。





木造の古い民家のような建物が立ち並び、食べ歩きのできるような店がちらほら見える。
温泉の独特な匂いもする中、おれと名前は並んで歩き、自由行動を楽しんでいる最中。
名前の手にはすでに温泉まんじゅうが握られていて、それを頬張りながら幸せそうに笑う。そんな顔を見ては、おれ自身もぐっと幸せを噛みしめる。

まんじゅうを持っていない方の手は、おれの指と絡ませ合いながら離れないようにしっかりと繋がれていて、目に入る他部署のスタッフからチラチラと視線を感じた。

「それ美味いか」
「おいひぃよ」
「一口くれ」

返答を聞く前に名前の手を掴んで自分の口元へ運ぶと、そのままかぶりつく。
出来たてのまんじゅうらしく、まだほんのり温かい。中身の餡の味は甘すぎず、重すぎずにいい味だ。

「ローも買えば良かったのに」
「一口で充分だ」
「…どうせ見せつけたかったんでしょ」
「鋭いな」

くくっと笑うと、名前は呆れたように溜息をついた。

「もう充分広まったと思うけど、まだ満足しないの」
「隠す為の我慢が長かったもんで」
「ねぇ足湯だって、入らない?」

立場の悪くなった名前が、遠くに見える大きな看板を指差しながらあからさまに話しの軌道を変えてきた。
自分でも我慢させてきたと思っているらしい。
その分こうして我慢せず堂々と恋人扱いが出来ているのだから、実の所おれもだいぶ満足はしてる。だが、恥ずかしそうな表情や仕草を垣間見れるからこそ、やめられない。

「今は誤魔化されてやるか」
「ふふ。優しい恋人だこと」

看板の先に見えてきたのは揃いも揃って、足を曝け出してお湯につけている大勢の人。
どう見ても入り込める隙間などないし、それぞれが話しながらゆっくり浸かっているからこそ空くまでに時間がかかりそうだ。

「…これじゃ無理か…」

残念そうに真っ白い息を吐きだしながら落胆している様子を見ると、おれも心苦しくなる。朝も温泉に入ってたじゃねェかと言いたいところだが、こんながっかりしている姿を見ると、さすがのおれも言葉に詰まった。
どうにかしてやれないかと周囲を見渡すと、後から来た老夫婦も同じ様に並んで溜息をついているのが視界に入る。

「これは無理ねぇ…」
「ばあさん、まだがっかりするのは早いぞ。あっちへ行こう」
「荷物がこんなにあるのよ…」
「わしが持つから登るぞ。あっちは秘境の足湯だからな」

老夫婦の会話が耳に入ってきて、ついそっちへ視線をやる。
確かに老夫婦にしちゃ荷物が多く、ばあさんに至っては杖歩行だ。

まあ、どちらにしろここに居るのは時間の無駄。
再び目の前の足湯に目をやるが、出ようとしている様子もない。

仕方なく「諦めてさっさと散策するぞ」と声をかけようと視線を戻したらいつの間にか名前の姿がなくなっていた。

「お荷物お持ちしましょうか?」
「そんな…悪いわ」

声のした方を見てぎょっとする。
先ほどの老夫婦の会話をおれと同じ様に聞いていたのだろう。
名前は老夫婦に笑顔で話しかけていた。

「足湯行こうとしてるんですよね?私たちも行こうとしてましたから、ぜひ案内してください」

おい、ちょっと待て。
いつの間にそういうことになった。

茫然とするおれの方に振り返ってきた名前は明らかに秘境の足湯を楽しみにしているような、満面の笑みだ。

ああ…あんな顔見せられちゃ何も言えねェ。

「じいさん、荷物はこれで全部か」
「おお!すまんなぁ」
「ありがとう、ロー」
「お前の望みを叶えるにはこれしかねェだろ」

残念そうな顔よりも今みたいな楽しそうな顔の方が見ていたいに決まっている。
となればおれの行動はもう一つしかない。

老夫婦の荷物をおれが持ち、名前はばあさんの歩行介助をし始めた。
こんな時でも職業柄なのか名前はいつでも支えられる位置にさりげなく歩み寄り、足元に気を配っている。

おれも荷物を持ちながらも横に歩くじいさんに視線をやれば、向こうはこっちをじっと見ていたらしくばっちりと目が合った。

「…じいさん」
「おお!すまんね。なかなかの男前で驚いてしもうて。君たちは夫婦か?」
「いや、まだ結婚はしてない」
「そうかそうか。仲がいいからてっきりわしらと同じかと」

じいさんは前を歩くばあさんを見て、表情を柔らかくする。
おれもつられて前を歩く名前を見れば、二人は楽しそうに笑いながら歩いていて、おれまで頬を緩めそうになった。
隣に見知らぬじいさんが居なければ完全に頬が緩んでしまっていただろう。

「綺麗な子だの」
「まあな」

間を開けずに即答すると、じいさんは声をあげて笑い出した。

「否定もせんとは、惚気とる」
「誰でも自分の女が一番だろ。じいさんだって」
「よく分かっておる。わしもアイツが一番だ」

ばあさんにべた惚れなのは先ほど見ていても分かっていた。
じゃなきゃこんな荷物を抱えて、杖歩行のばあさんを連れては来ないだろう。
しかもこの山道を二人で登ろうとしていたことにも驚きだ。

「プロポーズはしたんか」
「これからだ」
「そうかそうか。人生の先輩として一言言っておこう」
「別に頼んじゃいねェ」
「年寄りの意見は黙って聞いておく!」

バシッと勢いよく背中を叩かれて、思わずため息が出た。
患者と話している気分になって、仕事中かと錯覚しそうだ。
せっかく仕事を忘れて、癒されに職員旅行へ来たというのに。

おれが嫌そうな顔をしているのにも関わらず、じいさんは話し続けた。

「かっこつけずにストレートに伝える」
「…わかった」
「充分男前だからの」
「知ってる」
「…謙遜という言葉を知らんのか」

その日出会った赤の他人に謙遜するほど人が出来てねェもんで。
そう心の中で毒づいて、適当に返事をしている間にやっと到着したらしい。
おれ達の前を少し離れて歩いていた名前の嬉しそうな声色で感嘆の声を上げているのが聞こえてきた。

やっとじいさんのプロポーズ話しから解放されると思うと、おれも嬉しくなる。

じいさんと共にばあさんと名前の元へ追い付くと、驚いた。
そこには天然温泉の湧いている場所で、先ほどのように整備されているわけではないが景色も登って来ただけあって自然を見渡せるほど。まさに絶景だ。

「すげぇ…」
「荷物ありがとう。幸せになぁ」
「…どーも」

じいさんに荷物を渡し、おれは名前の横に立つと老夫婦が背中を向けた途端に名前の腰を強引に掴んで引き寄せた。

「いい度胸じゃねェか」
「ふふふ、荷物持ちご苦労様」
「褒美はあんだろうな」
「もちろん」

口角を上げ、唇を寄せようと顔を近づけたが寸前のところで名前の人差し指がおれの唇に添えられた。

「今、あげるとは言ってない」
「…なら奪うまでだ」
「あ、んんっ」

抵抗しようとする手を掴んで、噛みつくようにキスをする。
おれと唇が合わさると名前の瞳は自然と閉じていくが、おれは名前越しに老夫婦と目が合って仕方なく触れるだけのキスにして解放した。





他に客も居なく、本当に秘境というのにふさわしい足湯でおれと名前は並んでゆったりと堪能した。
幸せなひと時はすぐに時が過ぎ去り、おれたちは集合の時間に間に合わせるために老夫婦より早めに出ることに。

一応、挨拶をしてから帰りは名前と山を下りていく。
もちろん、手はしっかりと握りしめて。

「あんな穏やかな…仲のいい老夫婦になれたらなぁ」

おれの横を歩きながら、ポツリと呟いた名前の言葉は小さな声だとしてもしっかりとおれの耳に届いた。

その夢はおれが叶えてやる。

そう言おうとしたが、寸前のところで口を閉ざす。
近いうちプロポーズをしようと考えていたおれは、ここで指輪もなしにプロポーズ紛いの言葉を吐いてどうするのだと耐えた。
いや、前々から離す気もないし、結婚を前提に付き合っていることは何度も言ってきたが…。

おれがそんなことを考えながら黙っているのに気が付いた名前は、慌てて首を横に振った。

「あ、いや、結婚をせっついてるわけじゃないから」
「おれは別に…いや、そうじゃねェ。今考えてたのは別のことだ」

名前の言葉にこっちが慌てる。名前にとって今の間はおれが結婚をせっつかれて反応に困っていると思ったのだろう。
そんなことは全くないし、そう思われても困る。

おれは名前の肩を引き寄せて、額同士を合わせた。
綺麗な睫が揺れて、おれの突然の行動に戸惑っているのが伝わってくる。

「なりたいじゃなく、なる。前から言っているが、おれはお前を手放す気は一ミリもねェからな」

本当は指輪を準備して、夜景の見えるレストランで言いたかったのだが。
おれが黙っていたところを悪い方向に考えて、プロポーズ前にギクシャクすんのだけはごめんだ。
だったら何も考えずにおれの気持ちを伝えてやったほうがいい。
これじゃじいさんの言う通りじゃねェか。

「愛してる、名前」
「ロー…私も愛してる」

おれが立ち止まれば、同じ様に歩みを止めた名前の手を引っ張って腕の中に閉じ込めると力強く抱きしめる。
これ以上の言葉はプロポーズのその日まで我慢だ。
だが、今の言葉で充分伝わったのか名前は柔らかく微笑んでおれの唇にキスをした。

おれはお前と、これからもずっと一緒に歩んでいきたい。

その言葉を伝える様におれも優しいキスを名前へ返し、おれたちは集合場所へと向かう。
こうして職員旅行はあっという間に終わり、おれたちはまた日常へと戻っていった。





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