お前のことが知りたい


大学病院で研修医として働き、その後もそのまま大学病院で数年働いたある日。
院長に縁談を進められた。院長の娘だ。
結婚はまだ考えていないと断れば、付き合うだけでもと。
数回会って食事をしたり、話したりしたが、全くその女に惹かれずに別れを告げた。

休みも少なく、女が出来ても抱くぐらいで恋人らしいことも特に何もしてこなかった。
それでも寄ってくる女は居たし、性欲処理に困ることはなかったな。
だが、めんどくさいことに院長の娘がおれにヨリを戻したいとか言って院長からも頭を下げられ…もうこの大学病院を辞めようか考えている時に、ここの小さい総合病院の院長に声をかけられた。

毎日が退屈そうだな。
ここの病院に来れば、休みはきっちり与えられるし、年収も変わらない。
それに、ここに来ればあんたはきっと退屈しないよ。

なんだこのババアと最初は引いた目で見ていたが、あの大学病院にも嫌気がさしていたし、何より日常の変化を望んだおれは大学病院を辞めてこの病院へやってきた。






そこで出会ったのが、看護師の苗字・名前だ。

第一印象は綺麗な女。
ナチュラルメイクに整った顔、スラっとした手足に、真っ黒で艶のある髪は綺麗に纏まったお団子にして。

仕事も出来て、後輩からも慕われていて、患者からも人気だ。
真っ直ぐおれを見てきて、報告も的確かつ指示を出しやすい。
他の医師からも一緒に処置をしやすいと言われているし、おれも実際に病棟で処置する時は苗字が補助に付いたときが一番やり易かった。
こちらが指示を与えなくても、次の動きを察して行動する。そんな女。

「あの看護師さん、本当に思いやりがあるのよね…感動しちゃった」

認知症患者が落ち着かずに騒いでいるときに、手を握って話を聞きながら付き添っていたと。
同室者患者の家族が感動したようにおれに訴えてきた。
今時、珍しいタイプの看護師。

「トラファルガー先生、この患者さんのオペってどうしてこのオペ式なんですか?」
「なぜこの点滴なんですか?」
「この間、先生がオペした術後管理で参考書にあったのですが先生が手術後に使用する薬剤が参考書と違って、どうしてですか?」

そしてこの知識欲。
初めはおれと関わりを持ちたいだけの女の話題提供かと思ったが、それにしては熱心にメモを取りながら聞いたり、おれが話す内容を掘り下げてまで聞いてくる。
しかも、しっかり調べてから。勉強熱心で根っからの看護師だなと。
おれが居た大学病院にすらそんな看護師は居なかった。まあ、下心の持った上で聞いてくる看護師はたくさん居たが。

「先生。スミスさんの術後の指示をいただいていいですか」
「分かった」

仕事も早く、後輩のフォローがない日やリーダーでない時は定時でピタッと帰る。
ステーションであまりプライベートな話もしないためそのプライベートは謎だ。

そんな女が初めてで、新鮮な気分になったからなのか

おれはあっけなくその女に落ちた。
いや、興味を持ち始めた?…違うな。興味を持ってる時点でこの女に惚れたのだと自覚した。

落とすことは数えきれないほどあるが、こちらが落ちたのは初めての経験だった。
どうしたらプライベートなことを聞けるか、少しでもいいからあいつの情報が欲しい。
そう思いながらも、仕事では全く隙を見せない女に、まるでガキのように見ているだけの日々を過ごしていると、おれにチャンスがやってきた。

病棟と手術室のメンバーで開催されたおれの歓迎会だ。
席は決まっているわけでもなく、自由に座れるため仕事をさっさと切り上げると苗字が退勤したタイミングでおれも病院を出た。

真っ直ぐ会場である居酒屋を目指し、案の定ほぼ同時に到着し、おれはすぐに苗字の隣に腰をかけた。








おれにお疲れ様です。と言いながらお酒を注いでくれ、愛想笑いをされる。
コイツとの距離。それが遠いと感じる理由の一つがこの愛想笑いだ。反対の隣に居る新人看護師や患者にするような笑顔じゃなく…まぁ、誰も違いなんざ意識してねェんだろうが。

「今日は何か聞いてこないのか」

せっかくのチャンスをフイにしないよう、話題を提供すると少し考えた後に思いついたように問いかけてきた。

「…えーっと…休日は何してらっしゃるんですか?」
「休日?くくく、いきなりだな」

突然の予想外の問いかけに適当に答えるが、おれの本当の狙いはお前のことだ。
だが、話しているうちに思ったがどうやら新人の方がおれに気があるらしい。
めんどくせェとは思ったが、この新人はいい仕事をしてくれた。

おれの質問に全く答える気のない苗字の情報をべらべらと話してくれる。
途中で逃げるようにトイレへ行った本人の居ない間にもこの新人は個人情報をしっかりと漏えいしてくれた。

「お前は男居るのか」
「私ですかぁ?いませんよぉ」

一応、自然とあいつの情報を話しやすいように目の前の新人の情報から聞き出すことにした。このガキの情報はどうでもいいんだが、少しでもアイツのプライベートな情報を引き出すには仕方がない。

「あいつは?」
「先輩も今は居ないんですぅ。もったいないですよね、美人なのに。あ、でも、合コンの参加回数はかなり多いって言ってましたよ」

今は、ということは過去には居た訳か。
合コンにも何度も行ってるってことは男に興味がないってわけでもないんだな。

「歳はいくつなんだ」
「私はまだ21です」

お前じゃねェよ。心の中でツッコみをいれるが、この新人は貴重な情報源だ。潰してしまえばあいつの情報が手に入らない。「若ぇな」と適当に返答を返し、肝心なあいつの年齢を問いかけた。

「…あいつは?」
「先輩は確か…29って言ってた気がします。最後の20代だって騒いでましたから」

おれとそんな変わらないな。年下だとは思っていたが、おれの1つ下だったのか。

「トラファルガー先生はおいくつなんですかぁ」
「30」
「ちょうど脂ののってくるいいお歳ですよねぇ」
「トラファルガー先生お疲れ様です」
「ここで飲んでたんですね」

まだ聞きたいことは山ほどあったがどうやら時間切れらしい。
次々と看護師や他の職種のスタッフも挨拶をしに来ては、自己紹介をしていった。
適当にあしらっていたが、ふと、視界のすみに苗字の姿が見えて、溜息をつく。

どうやら彼女はこちらのこと、ほんの一ミリも興味がないらしい。
距離を縮めるどころか少しも進んだ気がしない。難しい女だ。
逃げられれば追いかけたくなるのは男の性分だ。



お開きを告げる言葉を外科の診療部長であるボルドー医師が話しているときに、ささっと自分の連絡先を書いてそばに置いてあった苗字の鞄に忍ばせた。
まさか自分がこんな手を使うとは思わなかったが、もどかしい日々を過ごしたおれは少しでも進展を望んだ。

歓迎会も終わり、二次会に参加しない苗字を見て、おれもすぐに帰った。

その日の夜は久しぶりに携帯を手放せなかった。もともと携帯に執着するタイプでもなかったから、こんなことは初めてだな。
シャワーを浴びるときもわざわざ浴室に持って行ったし、トイレの時も、キッチンで水を飲むときまでも。

まるで初恋をしたガキの気分だ。
恋愛に関してこんなに必死になることもなかったし、女のことを知りたいと思うなんて…自分でも笑えるぐらい滑稽だ。

しかも、電話番号を鞄に忍ばせるなんて人生で初の行動だ。
振り向かせるのに必死だな…
そんなことを思っても、手に入れたいと思ったおれは行動せざる負えなかった。

日付が変わっても連絡はなかったが、ドキドキとしながら携帯を片手にベッドに入った。

朝まで、おれの携帯が鳴ることはなかった。






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