ナルシッサ成り代わり

 スリザリン寮の談話室で一冊の本を読んでいると頭上に影が被り、反射的に顔を上げると、ルシウスが立っていた。ごきげんようと挨拶をしてまた目線を落とそうとしたのだが、隣にルシウスが座るので、仕方なく、しおりを挟んで本を閉じる。こういう時のルシウスを蔑ろにすると、面倒なことになるのだ。

「朝食も摂らずに、またそれを読んでいるのか?」
「ええ。ルシウスも読んだらいかが? とても面白いわよ」

 少なくとも二十回は目を通した歴史書を手渡そうとすると、不愉快だというようにルシウスは片眉を動かす。この素晴らしい歴史書を前にしてそんな反応をするルシウスこそ不愉快以外のなにものでもないが、罵倒の言葉を飲み込み、にっこり笑ってみせる。マルフォイ家の長男に逆らうのは正しい判断ではなく、こうして当たり障りのない対応をするのがベストだろう。

「ふふ、ルシウスは歴史が苦手ですものね。なら、これは面白くないかもしれないわ」

 気がつかなくてごめんなさいと言うと、なにを思ったのかルシウスは私の手から本を抜き取り「暫く借りる」と男子寮への階段を上っていってしまう。苦手だと言われたことが気に入らなかったのかしらと小首を傾げ、歴史書がなくなり、手持ち無沙汰になった私も寮に帰ろうと腰を持ち上げた。


ルシウス視点
 無意識に手中の本を睨みつけていたらしく、ルームメイトがどうかしたのかと心配そうに声をかけてきた。ポーカーフェイスが得意である私が怒りを表に出すことは滅多になく、感情的になった自分を恥じて歴史書を机の上に投げ置くと、自分のベッドに寝転がる。――ヘンリーのことになるといつも余裕がなくなってしまう。ぼんやりと一人の少女に想いを巡らせているうちに眠りに落ちていき、目が覚めたときには休日の半分が終わっていた。
 机上にある本を見ると寝る前の出来事がリプレイされ、寝起き早々嫌なことを思い出したと顔に手を乗せる。歴史書が嫌いなわけでも、読書が嫌いなわけでもなく――むしろ、私もこの歴史書には一度目を通したことがあり、素晴らしい本だと感心した。それなのになぜこの歴史書を見て嫌悪しているかというと、ひとえに、ヘンリーを心酔させているのが気に入らないからである。そう、ただの嫉妬だ。嫉妬なんてくだらないと思うかもしれないが、ヘンリーがこの本に対する熱の入れようは並大抵のものではない。本に夢中になり夜更かしなんていうのは当たり前で、真面目な彼女が一日授業にも姿を現さずになにをしていたかと思えば、歴史書に対するレポートを自主的に作成していたという。これを聞いた先生は、怒るべきか褒めるべきか悩み、しかしそのレポートの見事な出来に、一日の無断欠席を不問にした。

 サラザール・スリザリン

 体を起こし、歴史書のシンプルな題名に指を這わせる。本の題名になっているサラザール・スリザリンは、私が所属するスリザリン寮を築き上げた人物で、彼の偉業は素晴らしいものばかりだ。スリザリンの生徒なら誰しもがサラザールを尊敬しているだろう。しかし、ヘンリーがサラザールに向ける感心は尊敬の域を逸脱しており、もしサラザールが「死ね」と命令すれば戸惑いなく命を捨て去るほど心酔している。

「彼女の心は、サラザールのものなのだろう」

 ぽつりと零した言葉はやけに響き、虚しさが胸の中を渦巻く。
 ヘンリーと出会ったのは幼少の頃で、年を重ねるごとに、愛が芽生え、恋心が育っていき――ブラック家の娘である彼女と婚姻関係を結ぶのは難しいことではなかったが、いまだヘンリーの心を私のものにすることはできないでいた。一時はヘンリーのことを諦めようともしたが、それは自分の首を絞めるのと同意義で、女々しくも婚約者という枠組みに縋っている。

「ミス・ブラックが呼んでいるよ」

 思考に耽っていた私を呼び戻した声に顔を上げ、小さく息を吐き出す。歴史書の返却を催促にきたのだろうとあたりをつけ、本を小脇に抱えながら談話室に姿を見せると、ヘンリーが駆け寄ってきた。走り寄る彼女は可愛らしく、表情を緩めながら彼女の頭を撫でようとして、ふと我に返る。ヘンリーが走り寄ってきたのはこの歴史書のためであり、私のためではないのだ。

「ルシウス、怖い顔をしてどうしたの?」
「……いや、なんでもない。それより、」
「嘘を言わないで。あなたがそんな顔をすることなんて滅多にないわ。……私には、言いたくないこと?」

 眉を下げてしおらしく尋ねてくるヘンリーは、間違いなく私を心配してくれていて、胸が締め付けられる。この愛らしい少女を自分のものにしたいという欲望が胸を渦巻き、彼女の頬に手を添え、残酷なことを口にした。

「この歴史書を私に譲って欲しい」

 歴史書というのはサラザール・スリザリンのことであり、ヘンリーがなによりも大切にしているこの本を他人に譲るなんて身の引き裂かれる思いだろう。だが、ブラック家の両親・親族に私の機嫌を損ねるなときつく言われている彼女は、私の申し出を断ることなど許されず、実質、ヘンリーの選択肢は一つだけだ。
 酷い頼みをしているという自覚はあり、彼女はどんな顔をしているのだろうと、遠慮がちに顔を覗き込み、そして、ヘンリーの表情を見て驚く。丸く大きな目をきらきら輝かせているヘンリーの顔には負の感情など一つもなく、なんと、本を譲ることを快諾したのだ。

「私たち、きっといい夫婦になれるわねっ」

 今まで彼女からこんなに嬉しいことを言われたことはなかった。婚姻の交渉も私一人で進め、恋仲であるというのは表面上のものだけで、ヘンリーから甘い言葉をもらうのは初めてに等しい。あまりの嬉しさに思考が飛びかけ、首を振って我を取り戻す。

「本当にこの本をもらっていいのか?」
「ええ! ルシウスもサラザール様の素晴らしさに惚れてしまったのでしょう? こんなに嬉しいことなんてないわっ」
「そ、そうか」
「私は予備用の本があるから、遠慮しないでもらってちょうだい」
「予備……用?」
「そう。ほら、これ」

 溢れんばかりの笑みを浮かべているヘンリーがローブの中から取り出したのは私が持っている本と全く同じもので、予備用以外にも保存用と観賞用があると言う彼女に軽く目眩がした。

「予備用、保存用……観賞用……、……ヘンリー」
「なあに?」
「予備用があるなら、わざわざ私を呼び出す必要はなかっただろう。……私も、暇ではないんだ。考えて呼び出して欲しい」

 悔しさから放った憎まれ口に、嬉しそうにしていたヘンリーの表情が一気に曇る。罪悪感を感じたときには全てが遅く、睫を下げたヘンリーは申し訳なさそうに謝罪をした。

「お、ルシウス」

 歴史書を両腕で抱えたヘンリーが談話室を小走りで後にするのを見送っていると、入れ違うように現れたルームメイトに声をかけられる。機嫌が悪いからといってそれを表に出すことなく片手を上げて応えると、彼は安堵したような表情で走り寄ってきた。

「機嫌、直ったみたいだな」
「心配をかけたようだな。すまない」
「いいよ。それより、ミス・ブラックと仲直りできたのかい?」
「……仲直り?」
「ああ。ルシウスの機嫌が悪いと教えたら、自分が機嫌を損ねてしまったかもしれないと落ち込んでいたから……喧嘩でもしたんじゃないのか?」

 首を傾げるルームメイトに詳しく話を聞いて、頭が痛くなった。彼女は歴史書の返却を求めるために私を呼び出したのではなく、機嫌が悪いという私を心配して呼び出したらしい。自分が会ったら余計に機嫌を悪くするかもしれないと、呼び出すのを戸惑っていたという言葉を聞き、悲しそうなヘンリーの顔が頭をよぎる。気づけば、彼女を探すために、足を動かしていた。

121217

ルシウスは、好きな子ほどいじめてしまうタイプだと思います。ナルシッサ成代/サラザール様に盲目/ルシウスの嫉妬などなど、素敵な設定を考えていただきありがとうございました!
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