09

 一人に一部屋を与えられた私たちは各々の時間を楽しんでいた。私が真っ先に向かったのはバスルームで、旅の疲れを洗い流すと柔らかいベッドの上で惰眠を楽しむ。
 夢と現実の間を行き来していると、部屋の扉がノックされた。返事をして扉を開けるとそこにはノイが立っていて時間があるかと問うので、首を縦に振る。話があるなら中に上がる? と言うと「警戒心が足りない」とノイは不機嫌そうな声を滲ませ、私の腕を掴んだ。
 腕を乱暴に引っ張りながらも歩調は合わせてくれるノイに思わず吹き出す。怒っているというのになんて紳士なんだ。私の笑い声に反応したノイが振り返り、お面に開いた二つの穴から覗く瞳に視線を奪われた。周囲に誰も人がいないことを確認したノイは、それでも警戒するように声をひそめ、耳に唇を寄せる。

「なぜ、俺だとわかった?」

 耳に直接響く声に肩が跳ね上がり、火照る顔をやり過ごそうと右の手で耳を覆うと、じれたようにノイは同じ言葉を繰り返す。ノイの肩を押して体を離れさせ、視線を合わせる。暗部の面をつけているノイの素顔はわからないし、普段の彼とは違う声音をしているが――それでも彼は彼だ。イタチ、と声には出さず口を動かすと、ノイは動揺したように肩を揺らす。

「姿や声が変わったくらいで、あなたを間違えたりしないわ」

 いったい何年イタチを見てきたと思っているのだと目の前の男を睨むも、そういえば、自分は必要以上にイタチのことを見すぎではないだろうか。……いや、無意識にイタチを目で追ってしまうのは、彼を好きだったときについてしまった癖だから仕方がない。そう、仕方がないことだ。
 誰に問われたわけでもないのに頭の中で言い訳を繰り返していると、背後から何者かが忍び寄る気配がした。振り返る暇もなく肩に手を乗せられ大袈裟に反応をすると、背後の人物に笑われる。忍が背後をとられるなんて、なんて不覚なのだろう。
 気がつけばノイの姿は消えていて、もう少し彼と話したかったと頭の片隅で考えながら背後の人物に二つの瞳を向ける。


「……凛、様?」
「ヘンリー殿、少し時間をいただきたいのだが構わぬか」
「あ、はい。どのようなご用件ですか?」
「婚姻の話だ」

 凛様の言葉をすぐに理解することはできなかった。え、と喉が引きつったような声を出す私などお構いなしに話を進めていく凛様の言葉を慌てて遮る。凛様と婚姻を交わすつもりはないと、再度はっきり告げると、一瞬の間をあけ、彼は床に膝をついた。
 初対面の私をどうしてそんなに気に入ったのかはわからないが、凛様は本気で私との結婚を考えていたようだ。そして、私が結婚を断ったことを本気で嘆いているらしい。

「凛様は、どうして女性とメオトになりたいのですか?」
「…………女性と結婚したいわけではない」
「そうなの、ですか? 孔雀様からはそのようにうかがいましたが」
「兄は、単純だからな。そう言えば面倒な見合い話を押しつけられると思っただけだ」
「……。では、なぜ私に求婚をするのですか?」

 間を空けてから、凛様は口を開く。

「兄が、女嫌いであることは気づいているな? 女を見るだけでしかめ面をしてきた兄が、そなたを引き連れて城に入ってきたときはとても驚いた。女を追い払うことはしても歓迎することなどなかったからな」
「……」
「兄の、傍にいて欲しい。兄にはそなたのような者が必要なのだと思う」
「…………あの、それが凛様と結婚する理由にはならないのでは?」

 曇りのない瞳を真っ直ぐに向けてくる凛様の言葉はちぐはぐだった。彼の言い分ではまるで、私と孔雀様が結婚することを望んでいるようだ。怪しむように凛様をうかがうと、彼はフッと笑みを零す。

「直接私と婚姻することはできぬ。女同士で結婚することはできないからな。だから、兄の名を借りて結婚することになるだろう。……私との婚姻は建て前で、兄と結婚してはくれぬか」
「……は?」
「兄が女を気に入るなんて、この先ないかもしれない」

 声音を変えることなく喋る凛様のやり方はひどく遠回しである。しかし、真摯に孔雀様のことを考えてのことだと表情から伝わる。妹にこんなに気を遣わせるほど女嫌いである孔雀様に呆れるが、そういえば孔雀様が女嫌いになった原因は妹だ。もしかしたら凛様は、孔雀様を女嫌いにさせてしまったことへ負い目を感じているのかもしれない。……だからと言ってなぜ結婚をしように繋がるのだと小一時間ほど問いただしたいが。凛様の無茶苦茶な思考回路に頭を押さえ、再三断りの言葉を紡ぐ。

「私を気に入ったからといって、結婚をしたいとは思ってないでしょう。お言葉ですが、余計なお節介では?」
「では、兄が結婚をしたいと言ったら了承してくれるのか?」
「……」

 凛様の言葉に返事をすることができなかったのは孔雀様との結婚をよしと思ったのではなく、もし孔雀様に真剣に結婚を申し込まれたら私の意志で断ることができないと理解しているからだ。王である者からのプロポーズを断るなんてただの忍に許されることではない。
 なにも言わない私を見て凛様がなにを思ったのかは知らないが、彼は背を向けてその場を立ち去った。

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