桃色エール!


多分私は今、人生で一番の勇気を出そうとしている。

建物の陰に隠れてお守りをぎゅうっと握りしめる。自分でもよく思いきったと思う。渡せる自信なんてものはこれっぽっちもなかった。渡している自分の姿なんて全く想像できないのに、菅原くんがありがとうと笑ってくれる顔は簡単に浮かんだ。たかだかクラスメートから『がんばって』と伝えられて困ってしまうような人ではない。ただ、そのクラスメートはただの<Nラスメートじゃなくて、あなたのことが好きっていうオプション付きなんだけど。……そういう子にどんな反応をしてくれるのかは皆目見当もつかない。

私よりも先にその集団に声をかけたのは道宮さんたち女子バレー部だった。
澤村くんだけが足を止めて、他の部員たちは菅原くんに促されるようにして先に歩き始めてしまっている。追いかけようとした足が止まる。あの人たちを通り越して、輪の中にいる菅原くんにコレを渡す、なんてとても難易度の高いミッションだ。当たり前だけど一対一で渡せるシチュエーションなんて思い当たらなくて、壁にぶち当たったような気持ちになっている。

その壁は今まで何度も見上げてきて、その度に私はくるりと踵を返してきた。
先生から頼まれてたくさんの資料を抱えている菅原くんとか、消しゴムをなくしちゃった菅原くんとか、本当はすぐに声をかけたかったのに周りの目を気にしてしまって私からは何も行動できた試しがない。それに比べて菅原くんはずっと優しかった。
私の手元にある山のような量のプリントをひょいと半分以上もさらっていっては、「どこ持ってくの?」と涼しい顔をしていた。家庭科の実習で手こずったときには「俺もそんなに得意ってわけじゃないけどなー」なんて言いながらも手を貸してくれた。

菅原くんはいつだって、誰にだって優しい。
その優しさに私はいとも簡単にころんと落ちて、どんどん落ちて、菅原くんしか見えない世界にまで辿り着いてしまった。
そんな私の大好きな人の晴れ舞台。菅原くんのたくさんの努力が報われる瞬間をこの目で見たいと思った。そして、応援しているよ、という今にも溢れそうなこの気持ちを彼にも、知っていてほしいと思ってしまった。


澤村くんを含む真っ黒なジャージの彼らが体育館の中に入っていった。
道宮さんたちに気づかれないようにしながら私もその後を追うと、入口の辺りで集団の中にいた子が立ち止まって誰かと話しているようだった。肝心な菅原くんは先を歩いていて気軽に声をかけられそうにない。多分一年生のその子がしっかり集団に紛れてから私も背中についていった。

多分だけど、声をかけるタイミングに正解があるんだとしたらどんどん遠ざかっているような気がしている。「上に荷物置いたらすぐにアップ──」と澤村くんの声が聞こえて余計に焦ってきた。モタモタしてる暇なんて全然ない。どうしよう、と思っている間に行ってしまう。またその時≠逃して、いつも通り何もしない私のできあがり、なんて、そんなの。今日だけは絶対、嫌だ。

階段を上がっていく後ろ姿に気持ちがどんどん急かされていく。
お守りを握る手に力が入る。待って、と出た言葉は前の方を歩く菅原くんには届かない。待って菅原くん。言いたいことがあるの。本当はずっと言いたかったの。あのね、私ね。


「す、がわらくんっ!!」


多分、人生で一二を争う大きな声だった。
一瞬で周りの人たちの視線を全身に浴びて消えたくなった。
もちろん目の前の黒い集団も足を止めて何事かとこちらを見ている。先頭辺りにいる菅原くんの表情を確認する自信はさすがになかった。

「え、苗字さんっ?」

思っていたよりも明るい声にホッとする。部員の間を通り抜けて私の前までやって来くると「わざわざ見に来てくれたのかー」といつも通りに笑ってくれた。
心臓がバクバクしているせいでうまく言葉が出てこなくて頷くだけになってしまった。

勝って、春高≠ノ行くんだって、よく澤村くんと話しているのを聞いた。その目標が今、彼の目の前にある。
『がんばって』って言うんだ。私の言葉なんかなくたって菅原くんは絶対がんばるけど、ちゃんと、気持ちを。
菅原くんがふは、と笑った。

「なんか苗字さんの方が緊張してない?」
「えっ、わ、ごめ」
「いーえ。おかげでこちらは落ち着きました。ありがとっ」

ありがと、なんて言われてしまった。私は何もできていないのに。
ニカッと笑って「応援よろしくな!」と菅原くんが行ってしまう。咄嗟に伸ばした手はジャージの裾を掴んでいて、振り向いた彼の目の中にいる私はものすごく必死な顔をしていた。

「あの、あ……っと、えっと、これ!」

情けないほどに口ごもりながらお守りを差し出した。
別に珍しくもなんともない必勝祈願≠フそれを、ぱちぱちと瞬きしながら見つめていた目がこちらに向けられる。

「え、お、俺に?」

あと少し、勇気を出せ。私。
ちゃんと言うって決めたんだから。


「だいす……っじゃな、えと、がんばってね!!」


とりあえず精一杯笑ってみせたけど全く誤魔化せた気がしない。
内心泣きそうになりながらもどうにかお守りを手渡した。いや待って、落ち着いて。普通に考えてこんなことある??消えたい。塵になりたい。顔なんて上げていられないし、菅原くんのなんてとてもじゃないけど見られない。私にはもう足早にこの場を去るという選択肢しか残されちゃいなかった。

「じゃ、じゃあ、がんばって。ほ、ほんと、がんばれ!」

最後の最後まで情けない。半分死にかけながらも逃げ出した。
菅原くんが受け取ってくれてよかった。ていうかもう半ば強制的に受け取らせてしまったのかも。菅原くんは優しいから断りづらかっただろうな。気持ち悪く思われていたらどうしよう。
ネガティブなことばかりが浮かぶのを払うよう頭を振った。当初の目的は果たせた。そうだ、ちょっと代償は大きかったけどお守りは渡せたし、応援の言葉も伝えられた。結果オーライ。そうだよ、結果オーライ!!
自分にそう言い聞かせながら応援席へと向かった。彼の手に渡った、散々願いを込めたお守りに、菅原くんがベストを尽くせますように、と改めて祈った。





「これはもう負けてらんないな?菅原くん?」

ニヤリと笑う大地に「うるさい」と返すも、あの子につられて赤くなったこの顔じゃあ説得力もなにもないだろう。
一生懸命な彼女の気持ちに応えるためには格好悪い姿なんて見せていられない。
一連の流れを目にして後ろで騒がしくしている後輩たちを大地が叱っている。それをちょっとは申し訳なく思いつつも、今しがた俺の手に渡ったばかりのお守りをぎゅうっと握り、一歩一歩踏みしめながら階段を上がった。

end.
2022/05/29
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