あたしは、そうやって逃げ出した。


「──────、ん…」

漂っていた意識がふと身体に戻ったような感覚。
ぼんやりと鼓膜が震える。
ぼそぼそと聞こえてくる声に、ようやく脳が覚醒してきてゆっくりと目を開けた。

「───っ、…ぁ」

ぼやける視界がだんだんと鮮明になってくる。
見覚えのない天井に、視線だけで周囲を探る。
そこにいたのは。

「ほ…、ずき…さま…?」

何かを感じたのか、そこにいた鬼灯と目があった。

「なまえさん…!目を覚ましたんですね…よかった!」

たたた、と駆け寄ってくる鬼灯がしゃがみ込む。
覚醒した頭で状況を把握する。
そうか、ここは鬼灯様の部屋か。
でも、なんでこんな所に─────。

「それに、なまえって結構可愛いし、僕の相手には丁度良いじゃん」


「─────、」

あぁ、思い出した。
そうだ、あたし白澤様に───。

「大丈夫ですか、なまえさん」

心配そうに覗き込む鬼灯様に少しだけ安心感を覚える。
怖くない、白澤様と似ているけど全然。

「起き上がれますか?」
「…はい」

のそのそと起き上がる。
背中を支えてくれる鬼灯様の優しさに、思わず涙腺が緩んだ気がした。
あぁ、また。
またこの人に助けられた。

「っ、ご迷惑をお掛けしました」
「いいえ、別に迷惑だなんて思っていませんよ」

思い出すだけで、カタカタと身体が震える。
あの時のトラウマと一緒に。
白澤様が、怖い。
なんでこんなことになったんだろう。

「っ、…」

だって、白澤様にとってあたしはただの付き人のはずなのに。
白澤様にはいっぱい女の人がいるのに。

「…なまえさん」

鬼灯様に声をかけられて、ふと我に帰った。
だめだ、どう考えても悪い方向にしか頭が向かない。
でも、あたしこれからどうしよう。

「なまえさん、派遣期間は終わりです。明日からは、前の職場に戻ってください」
「─────、え…?」

鬼灯様の言葉に、一瞬耳を疑った。

「突然で申し訳ありませんがあなたには私の下についてもらいます。」

つまり、鬼灯様の補佐をするということ。
突然の事だった。
…でも、何故だか不思議と吃驚はしなかった。

「あなたの意思を尊重しますが、どうしますか?」
「いいえ、大丈夫です。…やります」

20年前と同じように、鬼灯様が問いかけてきた?
白澤様と会わないのなら、それでいい。
白澤様と会ってまたあんな事が起きたらなんて思ったら、身体が震えてならなかった。

「…あたしの為にありがとうございます、鬼灯様」

その言葉に、鬼灯様が少しだけ悲しそうな顔をしたのを、あたしは見なかった事にした。


あたしは、そうやって逃げ出した。

自分を守りたかったから。
怖かったから。
そうやってあたしは、過去から逃げた。
心の闇から。


ねぇ、誰かあたしの中の心の闇を消して。

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