01

ふわりと、甘い芳香に幻騎士は立ち止まった。
幻騎士は鋭い五感を持っており、嗅覚もまたそうだったが、その芳香は遠くから訪れたものだった。

花の香りだ。
幻騎士のあるじは、男性であっても白銀の奇跡のように花の香りが似合う。だが、幻騎士はまだこの香りをあるじに感じたことはなかった。何という花なのだろうかと、幻騎士は歩を進めた。

そして、見つけたのだった。回廊に出たところで、壁に寄り掛かりぼんやりとしている少女を。

紅茶色の柔らかそうな髪はショートカットで、隊服は男物だ。そして、本当は少女という年齢ではなく、20代前半の妙齢の女であることも幻騎士は知っていた。
だが、少女という言葉が、幻騎士にはしっくり来た。何かと彼女をからかい弄る<神>が彼女を花の妖精と例えた、それは実は戯れではなく、彼女を可愛がる神の本当のことばなのではないかと思うのだ。
幻騎士の目にも、ほっそりとどこか儚げな風情の彼女は、妖精のような少女…と映る。

幻騎士は、迷ったけれども物思いに囚われている様子の少女に声をかけた。

「…あまり、無防備な様子でいらっしゃるのは危ないですよ」

ミルフィオーレファミリーは、一枚岩とは程遠い。
ホワイトとブラックの対立は明らかだが、幻騎士自身もそうであるように、表も裏も裏切りと寝返りが横行している。ホワイト同士だから、或いはブラック同士だからといって、仲間とは限らない。

基地内で暴挙に出る愚かな輩は、厳重な警備システムを逃れることは出来ずすぐに始末されるが、何か事が起こってからでは遅い。況してや、こんな屋外に面する回廊ならば…と幻騎士は気に掛かったのだ。

「幻騎士…」

少女…入江正一は、はっとして幻騎士を見た。
一瞬緊張した様子を見せたのは、何か機密の事柄に思い悩んでいたからなのだろうか。だが<神>の副官であり長年の親友であるというこの少女は、常日頃から<懐刀>の幻騎士には好意的で、柔らかな笑顔を向けた。

「…この場所が、僕は好きなんだ」
「何故ですか?」
「……監視カメラの死角だから」

幻騎士は、何と応えたら良いのか分からなかった。
監視カメラとは、神に叛意を持つ者の言動や、敵の侵入を察知する為にあるのだ。

正一は、そんな幻騎士の困惑を感じ取ったのだろう、言葉を続けた。
「監視システムは、白蘭サン以外の誰のことも監視対象だ。…幻騎士、貴方は白蘭サンへ最も強い忠誠を誓っているから、こんな言葉は不愉快だろうけど、……例外はいない。僕も監視対象だよ。僕はいつも見張られている。カメラだけでは足りずに、チェルベッロまで監視役に付けられて…ね」

幻騎士は、何も応えなかった。応えられなかったのだ。いつも正一に付いている2人組のチェルベッロは、秘書なのだと思っていたし、何よりも…

この少女は、神の親友というのは表向きで、秘蔵の花ではないか。

いつも白蘭サンは僕を弄っては遊ぶ、と正一は不機嫌になるが、その一方で正一にだけは人間の青年らしく接する白蘭の世話を甲斐甲斐しく焼いて、時には姉のように遠慮なく叱り飛ばすという、初めて幻騎士が目撃したときには、驚くしかなかった関係だ。

(面白い子だろう?)

(何かって言うとすぐにムキになってキレるんだよ)

始めは、ばかにするような神の口調に困惑した。あのように、特別に仲睦まじい様子に見えたものをと。
だが、一方で神は言ったのだ。

(あの子は、僕のものなんだよ)

(どうやって、わからせてあげようかなあ?)…

幻騎士は、神はあの素直な少女を、手のひらの上に転がすように可愛がっているのだと思った。
長年白蘭の傍に在り続ける事を自ら選んでいた正一が、神を愛していることは明白だ。神の思うがままに恋人にすることなど簡単だっただろうが、神は意地っ張りで奥手な正一に対して、強引な手に出ることはしなかった。

必要がなかったのだろうと、幻騎士は思う。
表向きであってもふたりとも<親友>と呼ぶほど近い関係を他に持たなかった、その事実が全てなのだと。愛していると、伝え合わなくても、神は全てを知っているのだ。

(……幻ちゃん)

(可愛いよね?正チャンって)

幻騎士は、白蘭の問い掛けに無難に答えたが、己の内心の動揺に、自分でも驚いたのだった。
己の心は、神の秘蔵の花を、客観的に微笑ましく思う心ではない…と気付いたのだ。

また、神は幻騎士が自覚する前から見抜いていて、決して許さぬと釘を刺したのではないか。

……オレは、入江殿を……

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