02

「宗教の経典に分かりにくいものが多いのは、ひとつはそれが秘伝だからだよ」
「ひでん?」
「そう。どの宗教でも、布教して多くの人々に広めたいとは思っているけど、だからといって本来の意味は軽々しく明かしていいものじゃないんだ。イエス・キリストも弟子を持っていただろう?相応しい限られた人物にだけ伝授するんだよ」
「にゅ…でも、やっぱり広めたいんでしょ?」
「そうだね。だから、矛盾しているようだけど、多くの人々に広まる段階では、色々な解釈が出てくることを許容したんだと思う」
「どーして?」
「……多分、人間の心に<自由>を残したんじゃないかな」
「じゆう…?」

正一は、柔らかく笑った。
「あくまでも僕の考えだけどね、はじめから決まり切った教えで雁字搦めにするんじゃなくて、人間が自分で考えたり自分で感じたりする自由を残したんじゃないかな」

ブルーベルは、ふと白蘭の白い翼を思い出した。
自由に羽ばたける、時には正一がそうであるように、不思議な時空を飛んでゆける、不思議な翼……

「自由って、本当は難しいんだけどね。それこそ、雁字搦めの方が生きやすい人は多いと思う。こうすれば正しい、こうすれば必ず幸せになれる、っていう1本道だけあればほかに何もいらなくていいとか、自分では何も考えない方が楽だとか。どう生きてもいいよ、って言われると、何を頼りに生きていけばいいのか分からなくて立ち竦んでしまうとか。…そのくらいね、<自由>っていうものは、使いこなすのが難しいものなんだよ。使いこなす強さがないなら、どんどん道を踏み外したり、ただ不安で心細いばかりだったり……そういうものでも、あるんだよ」
「…………」

入江のいう事は、ちょっと難しい。
ブルーベルは自由の方が絶対にいいわって思うけど。

「例えばね、聖書にこんな一説があるんだ。これは、多分旧約聖書だけど“わたしは頑なな心の彼らを突き放し、思いのままに歩かせた”。……好きにしろ、勝手にしろ、っていうこと。自由って、そういうものだよ」
「…………」

ブルーベルは、思い浮かべた。
白蘭が、桔梗が、…正一が、同じことを言って背を向けたら…?

「ブルーベル、泣くわ」
「……うん」

そんな悲しい自由なんて、いらない。
ただ、手を引かれて、ついていきたい。傍にいたい。そうすれば自分は、笑って幸せだと思えると、知っているから。

「泣いた君は、どうするの?」

ブルーベルは、正一の問い掛けに、初めてその光景がありありと目に浮かんで、立ち竦む自分が見えたような気がした。

「……おいかける…。ごめんなさい、って…」
「許して貰えると思う?」

どうして、正一はこんなことを訊くのだろう?
ドクン、ドクン、と重苦しい心臓の音を感じながら、ブルーベルは思い浮かべた。

(次言ったら、殺す)

この声は…冷たくて怖ろしい紫の目は…、だれ…?

(貴方の旧い友人を殺します)

笑ったのは…だれ?
殺されそうになった、緑色の目のひとは…

だれ…だれ。だれなの?
ブルーベルは、知ってるのよ。…なのに、思い出せないだけで。

でも、思い出すのは、こわい…!

ブルーベルは、知らず自分の体を自分で抱き締めていて、でも、ふと呟いていた。

「……入江は、許してくれるわ。必ずよ」

正一は、少し驚いた顔をした。しかし、すぐににこりと笑った。
「うん…必ずだよ。でも、ブルーベルはどうしてそう思ったんだい?」
「い…入江が、ブルーベルの王子様だからよっ!お姫様を助けに来ない王子様なんていないのよっ!!」


(大丈夫だよ)

(ただ、僕の名前を呼んでくれればいいよ。そうしたら、僕は君を助けに行くから。必ず、君を守りに行くから)


覚えている。ブルーベルが、まだ幼かった頃の約束を。
正一なら、ブルーベルが何をどこで好きにしようと勝手にしようと、助けてくれる。許してくれる。

もういちど、手を差し伸べてくれる、きっと…

(ブルーベルは、ブルーベルだよ)

「王子様なのは、入江が、入江だからよ。他に理由なんかないわ。ブルーベルは、ブルーベルだから、入江を信じるのよ。入江を信じないブルーベルは、ブルーベルじゃないのよ」

ブルーベルの青い瞳が、まっすぐに正一を見つめる。その頬を赤らめることなく、ただ真っ直ぐに。
たったひとつの真実を告げる巫女のように、揺るぎなく。

「……やっぱり、君は、僕に辿り付いてくれるひとだね」
「え…?」

ブルーベルは、我に返ったようにきょとんとした。そして、年相応の少女らしく、可愛らしい顔を赤くした。

「あ…、あたりまえでしょ!ブルーベルはね、入江をひとりになんかしてあげないんだからっ!」
「うん…覚えているよ」

まだ、幼かった頃の君が、胸に飛び込んできたぬくもりを。

「僕も、君を信じているよ。君を信じていられる僕はね、幸せなんだよ」
「…ブルーベルだって、しあわせよ」

頬を火照らせているブルーベルに、正一は微笑みかけた。

「白蘭サンと桔梗は?ザクロでもいいけど」
「にゅーっ!ザクロなんか」

途中まで叫んで、ふとブルーベルは思い浮かんだ。

(勝手にしやがれ電波)

(…あ?なーに、メソメソしてやがんだバーロー。メシの時間だぜ)

……ザクロは、許してくれるわ。

(アハハッ、泣かないの。ワガママやめちゃったらブルーベルじゃないんじゃない?)

(仕方がありませんね。そんなに泣いたら可愛いお顔が台無しでしょう。…と入江正一も思うのでは?)

ブルーベルは、呟いていた。
「みんな…ブルーベルをゆるしてくれるわ。ふり返って、待っていてくれるわ」
「僕もそう思うよ。それからね、泣いてしまっても、君はちゃんと自由を使いこなせるひとなんだよ。信じるのも信じないのも自由で、君は、自分で信じることを選ぶことが出来たんだから」

正一が、笑ってくれる。
さっき、思い出すのが怖いと思っていた「何か」が、薄らいで消えてゆく。

「…ね?あの未来を知らなくても、今の白蘭サンだけで十分だろう」
「うん。びゃくらんも、びゃくらんよ」

綺麗で明るい笑顔と、優しいあたたかい手しか知らない。…きっと、それでいい。
 

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