01
ふわふわした声。ぼんやり無表情。
「どうして、ちぃは私にやさしくしてくれるの?」
不本意にも黒曜メンバーの主夫と化しているオレは、皿を洗っている手を止めて凪を見た。
「やさしくするって、何のこと?」
「犬とM・Mは、私のことブスって言う。フランは私のことこわい女って言う」
…まあ、犬は本気で言っていないっていうか素直じゃないだけだし、M・Mも骸様を好きで凪が邪魔だからけなしているだけなんだけど。フランはこわい女でもチューしてなんて言ってるんだから、凪を嫌いな訳じゃない。
「骸様は、優しくないの?」
「……分かんない」
「何で?骸様は凪を必要としてたんだし、別に凪の悪口なんか言わないし」
「必要としてた…けど。今は、よく分からない…」
オレは、チラリと凪を見て、一見無表情でもそうじゃないんだって気が付いた。
必要としてた、という過去形の言い方にも。
かつて、復讐者の牢獄に囚われていた骸様にとって、凪は必要不可欠の存在だった。骸様とコンタクトを取れるのは、凪ひとりだけだったから。
でも、今はそうじゃない。
骸様は牢獄から解放されて、凪を介さなくても何でも出来るようになった。
「……骸様は、凪を兵隊にしたいって言ってたよね。その通りにしていれば、必要だと思ってくれるんじゃないの」
凪は、黙っている。
M・Mは途中から加わった仲間だけど、オレと犬は明らかに違う。
まだ幼かった頃、骸様の方からオレと犬に微笑みかけてくれたのだから。
(君たちも一緒に来ますか)
オレと犬はあるマフィアの生体実験に使われて、骸様もそうで、だから骸様はそのマフィアを全滅させた。そして、マフィアを憎んだ。
憎んだけれども、オレと犬には確かに「優しかった」のだし、はっきり表現しないだけで今もそうなのだと思う。
オレも犬も、骸様には何度も利用されたけれども、それを不幸だと思ったことは無い。
オレ達を救い出してくれたひとを、慈愛の手を差し伸べてくれたひとを、オレ達もまた必要としていて、命を賭けても骸様に報いたいと想い続けることが幸福なのだから。
それが、骸様とオレと犬の間にある確かな絆なのだから。
「でも、ちぃはやさしい」
凪が抑揚のない声で言って、オレを見上げる。
オレは、目を逸らして皿を洗い続けながら応えた。
「……オレは“何もしてない”だけなんじゃないの」
洗い終わって片付けて、オレはもういちど凪を見た。
「オレは、ただ凪をけなさないでいるだけだし、骸様みたいに何か要求したこともない。それだけなんじゃないの」
凪にとって、無害な存在。
それが、オレなんだと思う。
……ああ、でも、ひとつだけあったっけ。
「オレは、ブスとは言わないけど、クロームとも呼ばないけどね」
オレは、クロームとふたりだけで話をする時には、凪って呼ぶ。
クローム・髑髏。
明らかに、ロクドウムクロの言葉遊び。凪が自分で思い付くとも思えないから、骸様の戯れなんだろう。
それでも、凪はそのふざけた名前をとても大切にしている…んだと思う。
どうしてか、オレはクロームとも髑髏とも呼びたくなかった。
今でも、その理由は分からない。嫉妬…?とも思ったけれども、違うと打ち消した。骸様がオレの名付けをするなんて、もっとふざけたことになりそうな気がする。犬に柿ピーと呼ばれてもいいから柿本千種のままでいたい。
「凪は、凪が本名なのに、本名で呼ばれるのは嫌いだって言ってただろ。でも、オレはクロームが嫌がる呼び方をしているんだから、優しくないんじゃないの…」
凪が、自分の名前を避ける理由は、オレも知ってる。
事故で大怪我を負って、でも母親の臓器の一部を移植すれば命を繋げるかも知れない、そんな場面でいっそ死ねばいいなんて言われたからだ。
凪が生きていることを誰も望まないって言われたからだ。
凪は、骸様の幻覚の臓器で命を救われてオレ達のところにいるけれども、それが可能なのは中学生の女の子が姿を消したというのに、凪の家族が捜索願すら出さないままだからだ。
「千種は私を凪って呼ぶけど、私も千種をちぃって呼んでるよ」
初めはそれ何だよって思ったけど、犬も勝手にオレを柿ピーって呼んでるんだし、「好きにすれば」って言ってやったら、少しだけ凪は嬉しそうな顔をしたのを覚えてる…けど。
「オレが凪って呼ぶから、ちぃっていうのはやり返した訳?嫌がらせ?」
「ううん。ちぃがクロームって呼ばないなら、何か特別な名前を考えた」
「特別…ね」
オレは、小さく溜め息をついた。
「凪のそういうとこ…」
嫌いだ、って言いかけて、言わなかった。
凪はきっと無表情のままだけど、多分傷付くんだろうって思ったから。
でも、オレは確かに嫌いだった。
そういう、思わせ振りに聞こえる言い方が。
思わせ振りだなんて、思ってしまう…多分思いたい自分が、嫌いだ。
「そういうとこ…なに?」
「…説明するの、めんどい」
きっと、このくらいの距離がいい。
でも、オレは敢えて余計なことを言いたくなった。
「オレが凪に優しいんだとしたら、凪が可哀想だからなんじゃないの」
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