02
それから、何年か過ぎた。
ブルーベルは本格的に水泳に打ち込むようになって、あまり森に行けなくなっていった。
でも、忙しいから会いにいけないなんて、最低最悪の理由だわ。
人間は、いちばん大切なことには、どんなことをしたって、例えほんの少しであったとしても必ず時間を作るものよ。
だから、ブルーベルもそうしたの。でも、入江はなかなか会いに来てくれなくて、ブルーベルはとても悲しくなって、また忙しい日常に戻ってゆく、そんな日々が過ぎていった。
「…入江!」
「久し振りだね」
いつもより入江の緑の目が至近距離で、ブルーベルはほっぺた真っ赤。
だって、入江の言う通り久し振りで、ブルーベルの方から入江の胸に飛び込んじゃったのよ。
「にゅっ!どーして、なかなか会いに来てくれなかったの?ブルーベル、忙しくても、一所懸命森に来ていたのよ!」
「……ありがとう。ごめんね」
入江は、困ったように笑った。
……ううん。困ってない。それは、寂しいお顔なの…?
(ここにいるのに、白蘭サンには見えない。僕に、気付かない。…それだけのことだよ)
ブルーベルは、はっとした。
あれから、びゃくらんは、入江には会えないまんまだって言ってた。ブルーベルも、だんだん会えなくなってきた…
それは、入江はいつでもここにいてくれたのに、ブルーベルの目には映らなかった、ブルーベルが入江に気付けないようになってしまった、っていうことなの…?
「いやよ…」
ブルーベルは、ぎゅって入江にしがみついた。こんなに、あったかいのに。
「入江に気付けないブルーベルなんてイヤよ!そんなブルーベルなんか、いらない!!」
入江は、ブルーベルが来てくれたから独りじゃなくなったって、言ってくれたのに。
傍にいてくれるだけで嬉しいよって、笑ってくれたのに。
「……要らない子じゃ、ないよ」
入江は、やっぱり同じ言葉をくれた。
そして、ブルーベルの薬指に、小さく光る石が付いた指輪を通してくれた。
「…宝石?」
「ダイヤモンドじゃなくて、ごめんね。水晶だよ」
プレゼントしてくれたのは入江の方なのに、時々そうなのよ。入江は何も悪いことをしていないのに、素敵なことをしてくれたときでも、ごめんねっていうの。
「きらきら、きれいだわ」
「君が、喜んでくれたのなら、よかったよ」
入江、鈍いわ。
ブルーベルは、小さい時にもらったシロツメクサの指輪、そのまま枯らしてしまうのがイヤで、びゃくらんに頼んで押し花にして今でも宝物にしているのよ。
「ね…。どうして、薬指?」
「君が、いつか僕を選んでくれればいいのにって思うから。いつか、僕の花嫁さんになってくれればいいのにって思うから」
あんまり真っ直ぐで、ブルーベルはまた真っ赤になっちゃった。
でも…気になったの。
くれればいいのに…って、ブルーベルは入江を選ばないかも知れないっていう風にも聞こえるわ。
「…そうだね。僕は、いつか、とても遠くに行くから」
「とても遠くって、どこ?」
「……どこかな。ここからは、とても遠いところだよ」
「答えになってなぁいっ!」
ブルーベルは叫んだけど、入江はそれ以上の答えをくれなかった。
ブルーベルの左手に触れていた入江の手が、ふっと離れると、ざぁっと森の木々を揺らす風が吹いて、気が付いてみると入江の姿はどこにもなかった。
……どうして?
「入江…!ブルーベルを、置いて行かないで。置いて行かないでよ…!」
「彼は、未来の在り方とは、違う青年のようですね」
「違う…?」
桔梗が言った。
「彼が、普通の人間なのか、違う存在なのか、よく分からないということです。例えば、妖精や精霊がそうですね。子どもの頃には見えても、大人になると見えなくなってゆく……そういう存在は、この世界には沢山あるようなのですよ。尤も、私は大人なので、そう伝えられているとしか、お話し出来ないのですが」
ブルーベルは、茫然とした。
「じゃあ…ブルーベルも、成長していったら…大人になっていったら、入江の姿が見えなくなっちゃうの?」
「分かりません。白蘭様が入江正一と会えない理由と、ブルーベルがだんだん彼に会えなくなっていっていることと、関係があるのかどうかは、彼しか知らないのですから」
入江に聞くしかないって、桔梗は言った。
だから、ブルーベルは出来る限り、どんなに短い時間でも必ず森に通うように頑張った。…でも、長い間、ブルーベルは入江と会うことは出来なかった。
ブルーベルは、今日も会えなかったって、泣きそうになりながら、時々本当に泣きながら、水晶の指輪に触れた。
だって、この指輪が、入江からブルーベルに贈られた、本当の心なんだもの。
そう信じても、いいんでしょう?入江…
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