01

 
高等部校舎から出て、大学構内へと入ると、七夕の笹が飾られているのに気が付いた。
既にたくさんの短冊がぶら下がっていて、近くに置かれたテーブルには、短冊とペンが用意してあるので、そこで願い事を書くらしい。

「どうしようかな…」

正一は、あまり願掛けをしたことがない。
お正月は家族で並盛神社へ行くけれども、「今年もいい年でありますように」くらいの無難な願い事だ。
中学入試の年も、特に願いはかけなかった。入試は、実力で受かればいいと思う。

遡って、…ああ、小学校低学年以前ならあった……
サンタさんへの願い事だ。枕元には、サンタさんへのお手紙と、こんなんじゃプレゼント入らないよね…と思う自分の靴下。

翌朝の嬉しさが、微妙な罪悪感に変わってしまったのは、自分と姉のプレゼントが、どうやら宅配便で Ama@on から届いている…らしい、ことに気付いてからだった……

でも、七夕の短冊なら、かなり真面目に書いたことを覚えている。

“好きな人の花嫁さんになれますように”←おともだちにバレないように幼稚園児でも漢字。

「花嫁さん、か…」

正一は、短冊を手に取ってみたものの、しょんぼりとしてしまった。

すきなひとなら、いる。
でも、きっとそのひとには、手が届かない。

だって、あのひとは大学講師で、僕はまだ高校生の教え子で……

叶わない、想い。
でも、正一はふと思った。
叶わなくても、七夕の夜空へと、小さなひとりごとのように、願いを託してもいいのではないかと。

そして、短冊に願い事を書いた。

「どこに結ぼう…」

願い事は、控え目に書いたつもりなのだけれども、何となく恥ずかしいので出来るだけ上の方にしたい。
でも、正一はやや小柄なので、背伸びしても限界がある。
ああ、願い事を書くテーブルに、椅子が付いていてくれれば、踏み台にして上に結ぶのに。

「高いところに結びたいのか?」
「はい。出来るだけ、高い……」

ところに、と言いかけて、正一は真っ赤になって振り返った。

「…幻、せんせい」

まさかの、手が届かない想い人が、既に正一の手から短冊を持って立っていた。
いかにも高いところに手が届きそうな長身の美丈夫は、正一の短冊を見てくすりと笑った。

「入江らしい願い事だな」
「え…?」

正一は、見られて恥ずかしいのもあったけれども、戸惑った。
「あの…。僕の知り合いなら、9割方柄じゃないって言いそうなんですけど」
「そういうものか?では、どういう願いが、入江らしいんだ?」

正一は、大真面目に言った。
「ノーベル賞が取れますように、辺りを言われそうです」
「…………」

幻は、可笑しそうにくくくと笑った。

「壮大な願い事は悪くないが、オレの知る入江のイメージとは違うな」
「そうですか?僕、ガリ勉で学問しか頭にないと思われていそうです」
「入江は、不動の入江と呼ばれる程度に負けず嫌いでも、無欲だろう。名誉を望むとも思えんな。将来の職業や業績に関しても同じだ。神頼みをすることなく、自分の才能と努力で辿り付こうとするのではないか?」
「…………」

正一は、驚きを覚えた。
密かに恋をしている、この幻という恩師が、自分をとても理解してくれているということに。

「ただ、無欲に過ぎるな。どうせ願い事をかけるなら、遠慮をせずに本当の心を書いてもよいと思うのだが」

正一は、どきんとした。
その、短冊の願い事は…

(僕の気持ちが、いつか好きな人に伝わりますように)

「気持ちが伝わるだけでよいのか?両想いとか、恋人同士とか、そういったものになれますように、とは書かないのか?」
「あ、あの…っ」

ヘイゼルの瞳に見つめられて、正一は俯いた。

「無理…なんです。僕は高校生で、そのひとは、おとなで…。僕なんかじゃ、意識してもらえないから…」

生徒、教師。超えられない壁。超えるべきでもない。

「両想いとか、恋人とか、花嫁さんとか…絶対叶わないって知っているのに、書いてしまうと、悲しくなるから……」
「つまり、入江の本当の願い事は、恋人の更に上の花嫁なのだな」
「…………」

正一は、がぁんとショックを受けた。
うっかりと、何を本当すぎることを口走ってしまったのだろうか!?本人の前で!!

幻が、ふと微笑して、小さく呟いた。

(花嫁の指輪…か)

正一は聞き取れなくて、幻に聞き返した。
「え…?今、何て…」
「いや…独り言だ」

幻は、テーブルに近寄ると、新しい短冊にさらさらと何かを記した。
「オレがこう書く分には構わないだろう」

(あ…)

そこには、イタリア語で、「貴女の本当の願いが叶いますように」と書いてあった。
そして、幻は正一の短冊と一緒に、それを上の方に飾った。

「叶うといいな」

大きな優しい手が、正一の癖っ毛を、ぽんと撫でた。
「それに…。入江が高校生なのは、今はそうだというだけだ。いずれ、貴女は花嫁衣装が似合う大人の女性になる。貴女には遠く思えるのだろうが、オレにはあっという間なのだろうな」
「…………」

優しいヘイゼルの瞳に見つめられて、正一は真っ赤になった。
高校を卒業するのは、幻との別れの時でもある。でも、幻は正一のことを、あっという間に大人の女性になるのだと言ってくれる。

(あなたの、花嫁さんに、なれたら…)

「行くぞ。講義を聴きに来たのだろう」
「は、はい!」

正一は、追いかけようとして気が付いた。
幻が、正一の歩く速さに合わせてくれているということに。

「…先生」
「何だ?」

(僕の気持ちが、いつか好きな人に伝わりますように)

正一は、幻を見上げて笑った。
「僕…、そのひとを好きになってよかったって思っているんです」
「…そうか」

微笑み返してくれるヘイゼルの瞳は、優しく。

(貴女の本当の願いが叶いますように)


本当の願い事は…
あなたの、花嫁さん。







〜Fin.〜

 

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