01
僕は、神様が、きらいだ。
だって、神様は、僕にとって唯一愛しいものを、奪い去ってしまうから。
どの世界に生まれても、僕はその世界に馴染めない。
僕は綺麗な容姿に恵まれていて、社交術も持っていて、大抵の場合資産家で、欠けることのない銀の満月のように生まれてくるというのに。
それなのに、世界は僕を拒む。
心震わせるような感動も、他愛ない毎日の小さな幸せも、僕以外の多くのひとは知っているようであるのに、それらは僕の手をホログラムのようにすり抜ける。
僕は、どの世界でも、いつも硝子ひとつ隔てた向こう側に置き去りにされて。
全てが、窓の向こうの風景のよう。
人もモノも全て、僕には無関係に存在するものに過ぎなかった。
8兆もの世界で、僕は無感動な孤独に立ち尽くしてる。
でも、そんな手応えのない風景に、鮮やかに現れる、唯一の人間がいるんだ。
唯一、風景なんかじゃない、僕に触れてくれるリアリティ。ひとつの例外もなく、僕が生まれてくるなら君も生まれてくる、必ずひとときは僕と一対になる運命の存在。
それが君だよ。…正チャン。
だからこそ、僕は神様が、きらいだ。
僕と正チャンは、8兆分の1の例外もなく巡り会うのに、神様が紡ぐ運命は、必ず僕と正チャンを引き裂くのだから。
出会わせてくれるくせに、決して神様は、僕と正チャンが共に在る日々を、祝福してはくれない。
心優しい、正チャン。
君は、僕の破壊衝動を憐れみながら、決して同情は出来ない。僕の壮大な野望に付いて行くことは出来ない。
その名前の通り、正しい正チャン。
喜怒哀楽という豊かな感情を持つ正チャン。
君は、この世界を愛していて、広く人間の営みというものを愛してる。だから、心が千切れるほど悲しみながらも、僕ひとりよりも世界を選んでしまう。
僕を裏切り、僕を捨てて、去って行ってしまうんだ。
だから、どの世界の僕も、君を殺してしまう。
だって、生きている君を手に出来ない僕は、死んでしまった君を、僕だけの永遠にするしかないんだから。
愛しているよ、正チャン。
だから、いつ君を殺してしまおうかなあ?
正チャンの様子がおかしくなったのは、正チャンが19歳の時だった。
今まで、僕の大親友で…でもきっと、そんな言葉では言い表せないほどに僕を愛してくれていたはずの君の表情に、陰りが出てきた。
僕の野望に、否定的な目をする。隠すのが下手だね?正チャン。
そうして君は、僕の動向を探るスパイだなんて、凡そ不似合いで不向きなことをし始めるんだったね。
「…白蘭サン。僕には、未来の僕から託された使命が有るんです」
「使命だなんて、大袈裟だね。どんなことだい?」
「24歳の僕が、タイムトラベルしてきた14歳の僕の記憶を、5年封印したんです。…僕が、白蘭サンに警戒されることなく出会って、白蘭サンの親友として近付いてから全てを思い出して、白蘭サンのスパイをして、野望を止めるために」
僕は、驚いた。
どうして正チャンの態度が急に変わり始めたのか、その種明かしを、正チャンの方してくるだなんて。
「アハハハッ、今それを僕に話しちゃったら、君は24歳の君の悲願を、裏切っちゃうんじゃない?…まあ、もう遅いよね」
手を伸ばす。本当に、細っこい首だね正チャン?
君を殺すのに、武器なんか要らないよ。僕のこの両手があれば、首を絞められた君は、暴力的な僕の力で、頸椎が折れるまで壊してあげられるんだから。
「いいんです…未来の僕を、裏切っても」
正チャンのあどけない顔が、綺麗な若葉の瞳から、涙を伝わせて笑った。
「僕は、24歳の自分の願いよりも、白蘭サンを選びたいんです」
君の首に伸ばしかけた僕の手が、止まった。
こぼれ落ちる涙と共に、君のことばが紡がれる。
……これから、どんなに貴方の手が、血で汚れても。
どれだけの人間の命と幸福が、散ってゆくのだとしても。
貴方を選ぶ僕の手が、貴方と同じように血で染まるしかないのだとしても……
僕を育ててくれた両親を、悲しませて捨ててしまうのだとしても。
それが、どんなに残酷なことか、分かっているのに。それでも…
「僕は…白蘭サンを選んで、白蘭サンについていきたいんです」
僕の両手は行き場を失ってしまったけれど、正チャンの両腕が、僕の首筋に絡み付いて、そっと触れるだけの、初恋みたいなキスをした。
「僕が貴方以外の全てを捨てて、僕の命の最期の時まで貴方の傍にいることが、僕の幸せなんだって、思ってもいいですか」
ちっぽけで、他愛ない君だけど、しゃくり上げても、君は確かにその言葉をはっきりと言い切った。
「僕では、白蘭サンを止められない。そんな力は僕にないって、分かっているんです。こんな僕でも、貴方を幸せにしてあげたいって、思い続けても、いいですか」
僕は、茫然とした。
こんな世界は、8兆見渡したって、何処にもありはしなかった。
正チャンは、僕を心から愛しながら、それでも去って行く存在だったのに。
僕がどんなに愛しても、他の風景と同じように僕の手からすり抜けてゆく、君は神様の残酷さそのもののような存在であるはずなのに。
「僕は…白蘭サンを、選びます」
今、僕に愛の告白をして、僕を選ぶと泣く君は、透き通るように、とても幸福そうだった。
きっと、僕にこの決断を打ち明けるまで、君は苦しんだはずなんだ。
全てを捨てるなんて、ひどく君らしくない。
君は、破壊する者なんかじゃない、愛して守って、慈しむことを知っている子なんだ。
それなのに、君は…
「だいすきです。白蘭サン。僕を、連れていってください」
だいすき、と。
その言葉はあどけなく、だからこそ純粋で。
もう、君は僕を否定しない。
僕の罪ごと、愛することを選んでくれた君だから。
僕は、8兆分の1の君を、掻き抱いた。
ああ、なんて愛おしいんだろう?このぬくもりを知っているのは、8兆の世界でも、きっと僕だけ。
「愛しているよ。いつまでも…僕だけの、正チャン」
君を連れて行くよ。闇の中へ。
8兆の世界の僕たちのうち、一番幸福な気持ちで。
そして、僕たちふたりは闇に堕ちるのに、唯一君だけが、僕を照らす小さな光であり続けるんだ。
〜Fin.〜
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次項あとがきになります。[ 25/102 ][*prev] [next#]
[図書室63]
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