01-はじまり

 
ふ〜…と、正一が気怠く溜め息をついたので、幻騎士は溜め息をついた。

「どうかしたのですか?」
「また、なんちゃって陣痛が来た…」

正一が言うのは、前駆陣痛というものだ。
本格的にお産に至る陣痛は、どんどんその間隔が早くなっていくのだが、前駆陣痛は違う。お腹が強めに張るなあ、お産なのかな…と緊張しつつ時計とにらめっこしていても、その間隔は不規則のまま、大抵数時間で収まってしまう。

「イラッとする…」
「そういうものですか?」

初産の正一は、赤ちゃんの誕生を心待ちにしても、それに至るまでのお産については、正直かなり緊張しながら、怖いと思っている。
でも、ここ数日なんちゃって陣痛などと言いたくなる程度に、何だか「騙された!」…というような気分になって、自分の体に苛ついてしまうのだ。正一なりに覚悟を決めようとしていたのに、肩すかしを食らったようで。

でも、それが続いているので、三賀日は道路が混むからいざという時に困ると実家への挨拶は遠慮し、やはり人混みにもみくちゃにされるのは危険なので、並盛神社へのお参りは断念して、三賀日が過ぎて人通りが落ち着いてから近所の神社で手を合わせた。

安産でありますように…と。

「実は、野望だよね」
正一が真剣に言うので、幻騎士はくすりと笑った。
「そうですね。心から願います」

思い出す。きっかけは、結婚前にその神社で見かけた七五三の子どもを連れた親たちが、何を願うのか…ということをふたりで話したことだった。


(何事もないように……というのが、あの親たちが、わざわざ此処に足を運んでまで願う事なのですか?将来立派な人間になりますように、などということではなく)

(…え?きっと、そこまで思い浮かばないよ)
(3歳、5歳、7歳…って、その節目を迎える度に、ちっちゃかった赤ちゃんが、こんなにも育ってくれたんだなあって、みんなそれだけで嬉しいから、ああやって幸せそうなんじゃないかな…?)

……何事も、ありませんように。

それは、無欲であるようでいて、何も願っていないようでいて、とても大きな奇跡の祈りなのかも知れないと。
だから、これからふたりの元へ、赤ちゃんが無事に訪れてくれるのなら、それは世の中では確率的にありふれた出来事であっても、大きな奇跡で、愛おしい幸福なのだ。

「ん…30分周期」
「いつも、そのくらいなのですか」
「うん。30分とか40分とかランダムな感じで、いつの間にか消えてる感じ。でも、これが終わってくれないと、落ち着かなくて眠れないんだよね」

でも、そろそろベッドに入って休む時間だ。
正一の場合、前駆陣痛はどういう訳か夜にやってくるので、収まるまでは気になって眠れない。
お腹が大きいので、ごろごろする事は出来ないが、横向きに寝て、幻騎士が背中から正一を包み込むように抱き寄せてくれる。

毎日のこの習慣が、正一はとても好きだった。いつ、本格的な陣痛になるの!?とイラッとしたり緊張したりしていても、こうして幻騎士の体温を感じていると、だんだん安心して眠くなってゆく。

そして、そのうち前駆陣痛も収まって、優しいぬくもりの中で眠りに落ちて、気が付けば朝を迎えている。
朝が来る度に、赤ちゃんまだかなあ…と大きなお腹を撫でながら、訪れを待つ。

「正一」
「何?」
「時計を見たわけではありませんが、陣痛の間隔が、縮まっている気がします」
「…………」

今日は、幻騎士が正一のお腹に触れながら寝ていてくれたのだ。
陣痛はお腹が張るので、外から触っていてもある程度分かるし、一流の剣士であった幻騎士の体内時計はかなり正確だ。

「大雑把に、今は20分と少しです」
「…………」

まさか。まさか。まさか。

正一は、一気に緊張して、頭がパニックになってきた。
「え、えええ、えっと、何分間隔になったら、病院に行くんだっけ?15分だっけ!?」
「それは経産婦です。経産婦はお産の進みが速いそうなので。正一は初産なので10分間隔ですね」

幻騎士はそう言うと、するりとベッドから抜け出した。
「入院の荷物を車に運んで来ます。一気に産気づいたら、荷物どころではなくなりますから」

この住居は、高層マンション25階。駐車場には少々時間がかかる。本格的に陣痛が来てしまって、唸ってしまうような痛さになれば、その距離が辛いのに決まっている。
幻騎士の冷静な判断は正しいが、正一は一気に不安の余りに動悸がした。

(そばに、いて)

でも、そんなことを言っている場合ではない。正一も、すぐに着替えられる程度のマタニティウェアを身に着けなければならない。

「正一」
「何?…ん…」

幻騎士は、正一の所に一旦戻ると、正一の唇を塞いだ。
正一がぼぅっとしてしまうほどの、深く甘いキス。何度も角度を変える長いくちづけに、正一はとろんとして、唇を解放されると、はふ、と甘えた吐息を漏らした。

「少しは、緊張が解けましたか?」
「〜〜〜〜〜っ」
「出来るだけ早く戻ります」

幻騎士は微笑して、荷物を持って玄関から出て行った。
「緊張が解けるって言うか…」

正一はひとり、真っ赤になった。
僕、腰が抜けそうになったんだけど!

でも、確かにパニックは収まった。
着替えて間隔を時計で計ると、きゅぅっとお腹が強く張る間隔が、15分まで縮まった。

「大丈夫ですよ。オレがいます」
「うん…」

いつの間にか、3匹の猫とミニモスカもソファに集まってきている。

「大丈夫だよ、みんな」

正一は、猫とミニモスカの頭を撫でて笑った。
「帰ってくるときには、赤ちゃんが一緒だからね」

……10分間隔。

「行きましょうか」
「うん…」

正一は、少し痛むお腹を気にしながらゆっくりと歩いて、幻騎士に連れられて玄関に向かった。
「行ってきます、わんわん。赤ちゃんと一緒に帰るまで、待っていてね」

ウェルカムドッグの頭を撫でて声をかけ、ドアの向こうへと出る。振り返れば、ミニモスカがひらひらと手を振っていた。

「行ってくるね」
今、ふたりで出かける。
でも、帰るときには、幻騎士と、赤ちゃんと一緒に、3人で。


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