02
ブルーベルの知っている緑の瞳では、なかった。
何の感情も宿さないかのような瞳は、ビー玉のようで。あどけない顔も、無表情で。
「入江…なんでしょう?」
「僕はおねえさんを知らないけど、おねえさんは僕を知っているんだね」
肯定するのなら、本当にこの少年は正一なのだ。
「今の入江は、いくつ?」
「…10歳」
もっと、小さいかと思った。
でも、正一は成長期が来るまでは、ずっと小柄だったと言っていたので、本当なのだろう。
「何をしているの?」
「待ってる」
「…誰を?」
「のらねこ」
青い傘と水色の傘に、雨が弾ける。
「僕と同じ、赤茶色の猫」
(小学校の頃にね、似ている仲間を見つけた時には、ちょっとうれしかったんだよ)
ブルーベルは、はっとした。
正一に、聞いたことがある。かつて、自分の髪の色も瞳の色も嫌いだったと。
でも、自分の髪の毛と似た色の「赤茶色の野良猫」を見つけてからは、自分は赤茶色の髪でもいいと思えるようになったということ…
「…野良猫は、嫌われるんだ」
幼い正一は言った。
「ゴミを荒らすこともあるし、庭におしっこをしたせいで、植物が枯れることがあるから。追い出そうとする人が多いんだ。…だから、僕はこっそりえさをあげていたんだ」
それは、大人の正一から聞いた話と同じだった。
そして、今隣にいる正一は、猫のえさが入ったビニール袋を持っているのだと、ブルーベルは気付いた。
「なつっこい猫で、僕にも撫でさせてくれて…ともだち、だったんだ」
過去形だ。
「今は…?」
「ずっと、こない」
正一は、抑揚のない声で言った。
そして、青い傘を閉じると、近くの水溜まりをちょんとつついた。
波紋が広がり、それが収まると、水溜まりはまるで鏡のように、ある光景を映し出した。
それは、赤茶色の痩せた猫だった。瞳は、綺麗な金色。
まるで、正一の飼い猫のようだ。しゃがみ込む正一に、すりすりと体を擦り付けて。えさをやる正一は、とても嬉しそうな笑顔で。
でも、その光景は、雨がどんどん水溜まりに雫を落とし、まぼろしのように消えてしまった。
「…あの猫を、僕は待っているんだ。ずっと待っていたいから、何度も、何度も繰り返し、僕はこの夢を見て、夢の中で待ってる」
降りしきる、雨。
しかし、正一は、いちど閉じた青い傘を、もう一度開こうとはしなかった。
「入江、濡れちゃうよ」
「別にいい」
正一は、雨に打たれながら言った。
「夢の中だから。…どうでもいい」
正一は、灰色の空を見上げた。
眼鏡の上に、雨粒が弾ける。
少し癖のある赤茶色の髪が濡れて額に貼り付く。
「どうでもよくないよ!」
ブルーベルは、正一の手を握った。
……冷たい。
「一体、どれだけ待っていたの!?」
「分からない」
正一は、無表情のまま言った。
「ひょっとしたら、親切なひとに拾われて、飼い猫になって…可愛がられているのかなあって思う。……そうだといいなって、思う。でも、もういちど、お腹をすかせて、ここに来るかも知れない。だったら、僕はここで待っていてあげたいんだ」
いつまでも…と。正一は呟いた。
ブルーベルは、続きを待ったけれども、正一は黙ったままだった。
「濡れちゃうよ…」
ブルーベルは、今更だと思いながら、正一に傘をさしかけた。
「入江が、その猫ちゃんをずっと待っていたいのなら、ブルーベルも一緒にここにいるよ」
初めて、正一が僅かな驚きをその瞳に宿してブルーベルを見た。
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