01
「つまんない。ホントすぐにおわっちゃうんだね」
花冷えが少し続いたけれども、その後は一転してあたたかな陽気の花見日和。
なのに、もう花びらはかなり散ってしまっている。
「終わってないし、つまらなくないよ」
正一は、ブルーベルの手を引いて歩きながら、クスリと笑った。
「日本人にとってね、桜は咲いて良し、散って良しなんだよ」
「にゅ。なにそれ?」
「言った通りだよ。咲いていても美しい、散ってゆくのも美しい」
「わかんないんだけど」
「あはは、大陸の人は、そう思うことが多いみたいだね」
散る花は、終わった花。
終わった花は、美しさも終わる。
「日本人は、そうは思わないんだよ。…本気で、綺麗だと思ってる。こうやって、春の名残のように、薄紅色の雪みたいに、たくさんの花びらが舞うのは」
言われてみれば、正一が言うように、ふわりふわりと舞い落ちる花びらは、薄紅色の雪のよう。
でも、ブルーベルの目には、やはりそれは、桜という花の残骸のようにしか見えないのだ。
今、ふたりが歩いているのは大きな堀の畔で、緩やかにしか水が流れないそこには、大量の薄紅色の花びらが漂い浮いているのだ。
ブルーベルと正一以外にも、この桜並木を散策している人々は多く、見上げてみたりピンク色が漂う堀を覗き込んだり、写真を撮ったりしているのだから、確かに正一の言う通りなのだろう。
「やっぱり、わかんない。だって、かびんにかざったはなが、はなびらちっちゃったら、かなしいけどもうおわりなんだなあって、ブルーベルは思うよ」
バラの花びらが散ってしまったら?
いつかプレゼントしてもらった、チューリップの花びらが散ってしまったときも……
やはりそれは「おわり」で、かなしい残骸なのだ。
「それと、どこがちがうの」
「……どこだろうね」
いつものブルーベルなら、「こっちがきいてるの!」とでも言い返すのだけれども、正一の横顔は、雪のように舞い落ちる花びらは、確かに散ってゆく桜を綺麗だと見つめているのが、ブルーベルにも伝わってきた。
「日本人の、命そのもの…だからかな」
「…………」
「命には、限りがある。だから、蕾を見て咲くのを待つのもいいし、咲き誇ってゆくのも美しいし、限りがあるから、散ってゆくのも惜しみながら綺麗だと思う、…のかな」
ブルーベルには、やはり分からなかった。
限りがあるのは、かなしいことだ。
花が散るのは、悲しくて寂しい。
人の命ならば……きっと、もっと、もっと、比べものにならないくらい。
終わりなんて、来ない方がいい。
こうして、正一の隣で、そう思う。
(あたたかいのも、やさしいのも、おわってしまわないで)
風に舞い、ひらひらと堀に落ち、もう二度咲くことはない花びらが、その水面に大量にたゆたう様は、
(……死体、みたい)
ブルーベルは、言えなかった。
せっかく、正一が連れて来てくれたのに。
綺麗だからと、誘ってくれたのに。
「……確かに、限りがあるのは、悲しいことかも知れないね。でも、日本人は、1年の間に数日間しか満開はなくて、その後は一気に散り失せてゆく桜を、“潔い”と思ったんだよ。…いさぎよい、は君には少し難しい言葉かな。思い切りがよくて、ぐずぐずしないこと。心を残さないこと…だよ。日本人は、そういう態度や心を、美しいと昔から思って来たんだ」
正一が伸ばした手に、ふわりとひとひらの花びらが舞い落ちた。
「…万枝の櫻か襟の色」
「なに?それ」
「昔の、軍隊の歌だよ。もう、二度と繰り返してはならないけど、こんな歌があったんだ」
万枝の櫻か襟の色(たくさんの枝に櫻の花が咲いている。その色は櫻か歩兵の襟の色だ)
花は吉野に嵐吹く(花といえば吉野山の櫻で、嵐が来れば一斉に散っていく)
大和男児と生まれては(日本の男子として生まれてきたからには)
散兵線の花と散れ(敵陣と向き合っている塹壕−ざんごうの場所で、吉野の花の様に潔く戦死しよう)
「怖じ気づくな、命を惜しむな。桜の花のように潔く散れ。…って言う意味。守る者も守れずに、…或いは敵兵の捕虜になって“無様に”生き長らえることをするな」
「…ダメだよ!」
ブルーベルは、優しい正一が、何処か遠くに行ってしまうような気がして叫んだ。
「いきるのは、“ぶざま”なんかじゃないよ!しぬのは、かっこいいことなんかじゃないよ!!」
「……僕も、そう思うよ。だから、二度と繰り返してはならないって言ったんだ」
それでも…と、正一は続けた。
「日本人は、おかしいね。生きている間は、欧米人から曖昧な人種だと思われているのに。…ううん、だからかな。咲いて散ってゆく“変化”を、柔軟に受け止められる。終わりは、あっという間に散り失せることも知っている。……そうであることは“美しい”んだよ。…ほら」
急に、強い風が吹いた。
「きゃ…!」
乱舞する桜の花びらの中で、正一が、柔らかく笑った。
「……こういうのを、桜吹雪って、いうんだよ」
正一が、微笑む。
そして、繋がれていた手が、まぼろしのように解かれた。
いつの間にか、散りゆく桜を見に来ていたたくさんの人々は、いなくなっていた。
ふたりきり、だった。まるで、この世界には、正一とブルーベルだけが存在しているかのように。
「綺麗だろう?…デイジーなら、分かってくれるんじゃないかな。滅びゆくものは、美しいんだよ」
ブルーベルには、何故正一が笑うのか、分からなかった。
わからないのに、正一は、そう言ってブルーベルに背を向けた。
(いって、しまう)
いつも、森の中でいつの間にか姿を消してしまうように。
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[図書室58]
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