02
微風が木の葉を揺らして、その度に木漏れ日も揺れる。
草のにおい。土のにおい。よく晴れた青い空には、ひつじ雲がゆっくりと流れてゆく。
ふと、ブルーベルは気付いた。
「ねえ、入江。どうして、いつも誰もいないの?」
いつも連れて行ってくれる場所は、とても綺麗な花が咲いている場所で、たくさんの人で賑わっていてもおかしくないはずなのに。
「…どうしてだろうね」
「ブルーベルがきいてるのっ!」
ゆるやかな、風が吹く。
草の匂い。土のにおい。光が満ちる青い空。
幾らかの沈黙の後、正一は、ゆっくりと身を起こすと、もういちど、「どうしてだろうね」と言った。
その緑の瞳は青い空の、ずっと向こうを見つめているような気がして、ブルーベルも思わず身を起こして、正一の首筋にぎゅっと掴まった。
「いい…もういいよ!」
どこか、遠くへ行ってしまうような気がして。
「もう、何もきかないから…!何も言わないで…!」
パンドラの箱には、最後に希望が残ったけれども、この秘密をむりやりにあばくのなら、全てを失ってしまう……そんな気がして。
「…ブルーベル」
「なぁに…?」
「いつか、賑やかな場所に行ってみるのもいいかもしれないね」
にこりと正一が笑った。
「たまには、ふたりきりじゃなくてね」
「…………」
ブルーベルは、ぽかぽかと正一を叩いた。
「眼鏡が歪むんだけど」
「だってーーっ!入江のくせに殺し文句ーーーっ!!…にゅ?」
正一の手が、ブルーベルの細い手首を両方捕まえているので、ブルーベルは動きを封じ込まれてしまった。
「な…なに?ブルーベル、そんなに力を入れてぶってないよ!」
素直に、ごめんねと言えない。正一とは違うのだとブルーベルは思った。
「ごめんね」
「…………」
「好きだよ」
「…………」
ブルーベルは、うひゃあぁぁと両手首を振り解いた。
「にゅにゅーっ!やっぱり殺し文句じゃないのっ!ばかぁーーーっ」
「ごめんね」
「入江は悪くないのに、あやまらないでよっ!」
きっと、言ってくれなきゃ分からないとブルーベルが泣いたから、正一はそうしてくれたのに。
何だか恥ずかしくて、ブルーベルは駆け出した。そして振り返って言った。
「…すき、をあやまらないでよ!後悔なんかしないでよ!もし、入江がそんな気持ちなんだったら、ブルーベルはまた泣いてやるからっ!」
正一も立ち上がって、ゆっくりとした足取りで、ブルーベルに近付くと、緑の瞳は柔らかく笑った。
「……うん。泣かせないようにするよ」
そっと抱き寄せるのは、花にそうするように。
もっと、強く抱き締めてくれてもいいのに。
そのぬくもりが、ふっと離れて、こんなに傍にいるのに寂しくなる。
「…少し、待ってて」
正一はそこに膝を付くと、シロツメクサの花を摘んでゆく。ブルーベルにも、すぐにその意味が分かった。正一の手は、花冠を編んでいるのだと。
「にゅ。おとこのくせに、そんなことできるの?」
「……子どもの頃、母さんと姉さんが編んでいたのを見ていたんだ」
ブルーベルは、今更気付いた。
「入江…、おかあさんと、おねえさんがいるの?」
「いるよ。…遠くに。お父さんもね。元気にしていてくれるといいな」
「…………」
そう言えば、あの未来で白蘭と戦った正一にも、10年前に出会った少年の正一にも、家族の存在を感じたことはなかった。
「……ごめんね」
初めて、あやまったかも知れない。
「いいんだよ。…ほら、出来た」
それは、白い花の綺麗な花冠で。
正一は、それをブルーベルの頭にそっと飾ってくれた。
そして、もう一輪花を摘むと、左手の薬指にもシロツメクサの指輪。
「ダイヤモンドじゃなくてごめんね」
「……ブルーベルは、これがいいの」
「そう。でも、いつか贈るよ」
正一が笑って。ブルーベルが真っ赤になって。
「…約束?」
「約束するよ」
目を閉じれば、唇と唇がそっと触れた。
〜Fin.〜
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