01
幻騎士がその存在を知ったのは、少年の日。まだ若かった母親が余命幾ばくもなくなった、ある夜のことだった。
(これは、花嫁の指輪…という名の、呪われた指輪なの)
幻騎士は、何と答えたらよいのか分からなかった。
花嫁の指輪、という美しくも祝福された名であるのに、どうしてそれが呪いであるというのか。
(これは、代々、この家の正妻に受け継がれてきたものです)
幻騎士の家系は、由緒ある騎士の家柄で、遡れば貴族でもあった。それが、いつからジッリョネロファミリーというマフィアと関わるようになったのか、誰も知る者は無い。おそらく、何らかの意図によって家の歴史から葬り去られたのだろうと、幻騎士は思う。
ただ、ジッリョネロの者として名を連ねてからは、代々剣士として、最も血を浴びる者として生きる運命を背負うことになった。
第一に優先して守るべきは、ボスである預言者の巫女姫。究極の選択としては、妻子を捨ててでも巫女姫を守り通す、その非情と使命を持つ剣士でなければならない。
故に、妻子には必要最小限の情しかかけぬようにと、跡を継ぐ可能性のある者は、例外なく政略結婚をした。
恋人が居ても、その恋人が釣り合いのある家柄の乙女であっても、特別に愛している事実がある限り、決してふたりが結ばれることはない。
それでも、家系を維持していくのには、子を為さねばならない。
幻騎士の家は、由緒もあり資産家であったので、いくらでも娘を縁づけたいという者は居て、花嫁を迎えるにあたって不自由をしたことは無い。
だが、その花嫁は、夫からは最低限の情しかかけられないという、女としては悲劇の人生を歩むことになる。
そして、母子の絆を深くすることも、巫女姫を第一に守る剣士として相応しくないとされた。産んだ子供はすぐに奪われ、その育児の全ては、乳母や教育係が当たるのだ。
幻騎士の母もまた、高貴であっても不幸で寂しい女だったのだろう。
名家の正妻らしく、余るほどの財を与えられながら、愛の一切を与えられなかった妻。
……ああ、だから、花嫁の指輪とは、代々の正妻達にとっては呪いの指輪だったのだろうかと、幻騎士は久しぶりに会う母のベッドの傍に立っていた。
(これを、いつの日か、お前の正妻に与えなさい)
幻騎士はまだ少年だったけれども、その指輪ケースを開いて、困惑したのを覚えている。
その指輪には、欠片かと思えるような、小さな紅い石が嵌め込まれているだけだったからだ。
名家の女ならば、大粒の宝石が煌めく指輪など、いくらでも持っているだろうに。
(……小さいでしょう?何もかも)
母に言われて、幻騎士は初めて気付いた。
石も小さいが……リングそのものも小さいのだ。まるで子供の指に飾るかのように。
(シンデレラの、靴のよう…)
母は、くすりと、儚く笑った。
(代々の正妻でも、その指輪を薬指に飾ることが出来た女は)
(ひとりもいない……そう伝えられています)
売りに出しても、微々たる額にしかならぬであろう、小さな指輪。
しかしそれは、花嫁の指輪と称されながら、どの花嫁の指を飾ることを許さずに、代々の花嫁を拒み続け、更なる悲しみの底へと突き落としてきたのだ。
(お前は、今日この日からいつでも、その指輪を身に着けていなさい)
(妻となる女と巡り会った日、すぐにその指輪を渡せるように)
母は、だからチェーンにでも通して首から下げていればよい…と言った。
(だって、その指輪は、この家に迎えられるどの女の指にも飾れないのだから)
(鎖ごと…この家に縛り付けるように、渡してしまえばよいのだわ)
(そうして…、お前もいつか、女をひとり、不幸にするのよ)
幻騎士は、黙ってその指輪を受け取った。
間もなく死にゆく母が、不遇であった人生の悲しみを、息子である己にぶつけたいのであれば、そうすればいいと思った。
(でも…。ひとつだけ、覚えて置くといいわ)
母は、ふわりと目を閉じた。
(その指輪を、指に飾れた女だけは、幸福になれる……)
(そう、伝えられています)……
それが、幻騎士が母から聞いた最後のことばとなった。
〜Ring of the bride〜
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[図書室46]
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