朝顔
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朝の涼やかな空気の中、私は庭を1人歩く。
まだ蝉も家人も目を覚まさない、静かな静かな時間。あともう少し太陽が昇ってしまったら、照らされた地面が熱くて、こんな風にゆっくりと散歩をすることも出来ない。
夏の間、いつもこの時間に起きるのには理由がある。涼しいからというのと、もう1つ――。
広い庭の隅にある、朝顔が咲くのを見たいからだ。

私がまだこの屋敷に連れられて来てまもなくの頃、寂しがる私を慰めようと、おじさまが朝顔の種を買ってきてくれた。
2人で庭の隅に種を蒔いて、毎年毎年花が咲くのを楽しみにしていた。
いつもは仕事でこの屋敷にいないことの多いおじさまも、夏のこの時期だけは私と一緒に朝の散歩と朝顔が咲くのを楽しみに待っていてくれた。

なのに――。

今年は、隣におじさまの姿が無い。
遠くへ長期に渡って出張する時はいつも、欠かさず私に手紙を書いてくれていたのに、今回は手紙が送られてくることは一度も無かった。
モエとセツのところには届いたのかと聞いてみると、

「僕らのところには届いたよ? しばらく戻れないから、姉さまに迷惑をかけてはいけないって」

と、セツはいつもの冷たい笑みを浮かべて答えた。セツの後ろにぴったりとくっついて離れないモエは、ただゆったりと微笑んだだけだった。
2人には届いたというのに、私にだけ手紙が届いていないということは、私はもうこの屋敷にいる資格が無くなったということなのだろうか。

おじさまは、美しいものがお好き。
魅惑的なものがお好き。
儚いものがお好き。

いつか理想的な女性になりなさいと、囁かれ続けていたのに、私はそのどれもに見合うことができなかったのだろうか。

……おじさまは私に愛想をつかしてしまったのかもしれない。

この屋敷には、モエとセツが――美しくて魅惑的で、どこか儚さをまとった2人がいるから、私なんてもう用済みなのかもしれない。
おじさまの顔を見ることも出来ず、いつも2人でいるモエとセツを見る度に、私の心は言いようのない苦しさと切なさでいっぱいになった。それでも、こうして朝顔の花を見に来る時だけは、その苦しさから解放された。
瑠璃のように柔らかな青い色の花を見ると、私の波立った心は平静さを取り戻すのだった。
だけど、今年の花はいつもとどこか違っている。
いつもならば、丸い大きな花びらが一つ、綺麗な青い色で咲くのに、今年はどこか赤黒い花びらがついているのだ。それも、一枚ではなく、何枚も。
ここで朝顔を育ててもう十年近くになるけれど、こんな風に咲くのを見たことは一度も無かった。

一体どうして……?

おじさまの心が私から遠のいていってしまったから? だから、こうして花もバラバラに咲いてしまうのだろうか。

花びらをそっと撫でる。つるりとしたその感触は、まるで人の肌のようで、私は何度か花びらを撫であげた。つと、指先に小さな痛みが走る。花びらを撫でていただけなのに、どこで切ったというのだろう。指先には、赤い滴がぷくんと浮き上がっていた。
驚いてじっとそれを見つめていると、背後に誰かの気配を感じた。

振り返るよりも先に、その人物が私の手を取った。冷たい、骨ばった掌。

「……おじさま……!?」

けれど、振り返った先に立っていたのは、セツだった。セツは、太陽から私を隠すかのように立っていた。

「ダメだよ、ねえさま。この花に触れたら」

セツはそう言うと、目だけを細めて笑った。そうして、私の手を掴むと、赤い滴が浮かぶ指先に舌を這わせた。
驚いてセツを見ると、セツはじっと私の顔を見つめ、ゆっくりと指先から唇を離した。
どうしてか、心臓が一際高い音を鳴らした。指先が、ドクドクと脈打っているのが分かる。
私はそこから意識と視線をそらせると、早口に言った。

「だけどこれは、おじさまと一緒に育てていた朝顔で……」

最後まで言い終わらない内に、セツは

「おじさまはいないよ」

と、呟くと、冷たく笑った。

「帰られて、枯れてしまっていたら、悲しむわ」

セツのその笑みにどうしてか悔しくなって、私は負けじと言い返した。
セツの瞳をじっと見つめ返すと、まるで吸い込まれてしまいそうだった。

 

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