「副長が……?」
「うん」
日も暮れて薄暗くなった廊下にて斎藤は呆然とした。
「二日くらい前だったかなぁ?仲良さそうに話しててさ。まさか土方さんにそんな人がいるなんて驚いちゃったよ」
「……何かの間違いでは……」
「えー?でも僕、ちゃんと見たよ?」
斎藤の態度が気に入らないというようにむっとする沖田。
一方の斎藤は思いがけない報告に動揺が隠せずにいた。
土方がお茶屋で娘と仲睦まじく話していたという。
しかもあの土方が笑顔で。
斎藤は何とも言えない胸の蟠りに唇を引き結ぶ。
「なんで?何か、間違ってて欲しいの?」
追い打ちをかけるように沖田の言葉が脳に響く。
己は何を思っているのだろうか。
間違っていて欲しいのは、土方を他の誰にも渡したくないから。
素直に考えて辿り着いた結論に目を見開く。
そんなことを自分は思っていたのか。
「やっと気付いた?」
バッと勢い良く顔を上げると眉を下げて笑う沖田がいた。
気付いた、と言うことは、この男は既に知っていたということか。
戸惑っていると沖田は普段通りの笑みになったかと思うと平然と驚愕の事実を言ってのける。
「ちなみに、今の全部嘘だから」
「…………は?」
斎藤はただ間抜けな声を出した。
意味深に笑う沖田にすっかり騙されたと斎藤は渋い顔をする。
「……あんたは何故、俺にそんな真似を、」
「おもしろくないから」
きっぱりと沖田は言い切った。
「いつまで経っても一君気付かないしさ、見てるこっちが苛ついちゃって」
「あんたな……」
肩を竦めて呆れた表情をする沖田に斎藤は言葉を失ってしまう。
感謝したいところなのだがどうにも理由が理由で素直に喜べない。
沖田はふふ、と笑いながら着物を翻し歩いて行き、あ、と声を上げたかと思うと再び振り返り斎藤を焦らせるように仕向けた。
「動かないなら、僕が奪っちゃうよ?」
「総司……最後のあれは言い過ぎだろ」
「ああでも言わなきゃ一君、絶対動かないでしょ」
「そうかもしんねぇけどさぁ、ねぇ?」
「なぁ?」
「いいじゃないですか。……あれで少しは手を休めてくれるようになるといいんですけど」
原田と平助が納得いかないといった顔をしているが沖田は気にせずまた笑みを深める。
まずは、第一歩。
あとは彼次第。
「もたもたしないでよ、一君?」
───────
「…………」
斎藤はしばらく一人で己の気持ちの整理をしていた。
浮かんでくる思いは全て尊敬も含んでいたが、別のものも明らかにあった。
沖田に言われた好きという感情。
あぁそうかと納得して、それからどうしようかと悩んだ。
気持ちが分かったからといって伝えて良いものなのだろうか。
第一に土方も同じだと限らない。
「いや、あり得ないのではないだろうか……」
気付かなかっただけとはいえ先程まで上司と部下の関係だったのだ。
土方が何とも思っていない可能性は高い。
「やはり……、」
「おぉ、斎藤君。どうしたんだこんなところで」
何も告げずに諦めようと考えた時、後ろから張りのある声がかけられる。
振り向くと外に出ていた近藤と、付き添いの山南が並んで立っていた。
「いえ、……ご苦労様でした」
「屯所内で何か問題でも?」
「問題ありません。本当に何でもありませんので……」
「……そうですか」
「そういえば、トシは部屋から出てきたかい?」
近藤から土方の名前が出て反射的に身体を跳ねさせてしまった。
「あの、今日は、姿をお見かけしていません……」
「ふむ……また部屋に篭りっきりか」
しどろもどろに伝えると近藤は眉を顰めて唸る。
土方は一日中部屋から出て来ないで山のようにある書類と睨み合いをしているのだろう。
「トシには苦労をかけてばかりだな」
「局長である貴方に心配をかける土方君もどうかと思いますよ?」
「…………」
斎藤は黙って二人の会話を聞いていたのだが、そわそわと落ち着かない素振りを見せる。
また無理をしているのではないかと心の靄が広がっていく。
「…………」
「そうだ。斎藤君、すまないがトシにお茶を持って行ってやってくれないか?」
すると思いついたように近藤が手を叩き斎藤へ話を持ちかけた。
「俺、ですか……?」
「ん?何か用事でもあったかな?」
「……いえ、行かせてもらいます」
「おぉ、頼んだよ」
近藤は朗らかに笑いながら斎藤の背を見送った。
しばらく無言を貫いていた山南は近藤へ目を向ける。
「どうして貴方自ら出向かなかったのですか?」
「ん?あぁ、いや、俺より斎藤君の方が適任だろうからな」
「……と、言いますと?」
「トシは斎藤君と話す時が一番楽しそうだからな。きっと俺が行くよりも斎藤君の方が気兼ねないだろう」
「そうですか」
やはりこの人は誰よりも彼を見ている。
山南は無意識とはいえ斎藤の背を押してやった満足げな顔をする近藤を見てほくそ笑んだ。
───────
お茶を淹れて土方の部屋の前まで来た斎藤は深呼吸をして気持ちを落ち着かせていた。
「……、副長、お時間よろしいでしょうか」
至極平静を装い声をかけたのだが返事が返ってこない。
不思議に思った斎藤はもう一度声をかけゆっくりと障子を滑らせた。
斎藤は目の前の光景に目を丸くさせる。
「……お休みになられてたのか」
そこには文台に突っ伏し寝息を立てる土方の姿があった。
薄らと出来た隈に斎藤は目を細め、土方の側まで寄り、お茶を隣に置きながら腰を下ろして青白い寝顔を見つめる。
「…………」
この人と共に闘いたい、その思いの中に『守りたい』が加わったのは何時の頃だっただろうか。
思えばその時に恋愛感情というものが芽生えたのだろう。
なのにまったく気づかなかったのは、本能による自己防衛だろうか。
この人に嫌われたくないという、恐怖心。
「……土方さん、好きです」
土方に聞こえているはずもない告白は寝息だけが響くその部屋に溶け込んでいく。
それでも斎藤は声にしたことにより確実となった心に笑みを溢した。
斎藤は静かに立ち上がり起こさないよう上着を土方の肩にかけ、部屋から出て行った。
足音が遠のき、しばらくしてから土方の身体がむくりと起き上がる。
その顔は灯篭の仄かな灯りでも分かるくらい赤く染まっていた。
「……参ったな」
口元を手で覆いぼそりと呟く。
密かに土方も斎藤への関心の強さについて悩んでいたのだが、先程の言葉ではっきりとしてしまった。
ゆらゆらと灯篭の灯りを照らすお茶を見ながら土方は苦笑して湯呑みを手に取り煽る。
「また持ってこさせるか」
彼は面と向かって先程の言葉を告げてくれるだろうか。
そんな期待を込めながら再び筆を取った。
気付く
(お互い鈍さには定評があるようで)
両片思いなこの二人を書くとどうにも一君がヘタレになる。
春菜様、リクエストありがとうございました。