夢路の果て
北欧神話によると、ヴァルキリーが勇猛果敢な戦士達の魂をヴァルハラに導くらしい。そして、ヴァルキリー=デュラハンという仮説。一般的にヴァルハラは、あの世とか天国であるという仮説が多いが……その時、私はふと思ったんだ。
もしも、ヴァルハラでも天国でもない、【何処か】へと連れて行くのだとしたら?
もしもその【何処か】が、こことは【別の世界】を指すのだとしたら。
【別の世界】とは【私が元居た世界】だとしたら。
この仮説が正しい場合、セルティが首を取り戻すか、もしくはこの首が目を覚ませば、私を元の世界に連れてって貰う事も可能ではないのか……と。
首を持ち上げ、目を閉じたままの首と一人にらめっこしながら睦月は思う。これは、都合の良い憶測を並べ立てただけで、あくまで一つの可能性の話だ。根拠は無い……が、あの事件の時に自分の身に起こった不思議体験を考えると、強ち的外れな憶測でもないのかもしれない。
でも私は…新羅さんとセルティの間を引き裂くような事はしたくないし、何より…
『…臨也さん』
「何?」
この人を、残して行きたくない。
…嗚呼、違うな。私がこの人から離れたくないんだ。
『私が帰るって言ったら……臨也さんは一緒に付いて来てくれますか?』
セルティの首との不毛なにらめっこを続けたまま、私は何となく臨也さんに訊いてみた。帰る、というのは勿論元居た世界へ、という意味だ。此方の世界に残る事を選んだ今、私にはここ以外にもう帰る場所は無いから。すると、背中合わせに座っていた私の首に彼の腕が回されて、後ろから急に抱きすくめられた。
「ヤだ」
項にすり寄った彼の声は、いつになく弱く感じて。そんな彼の声音が、私の鼓膜を震わせる。それはまるで、甘美な麻薬の様に痺れてしまう。何だかくすぐったくて、ちょっとドキドキしてしまうけれど、それがまた心地良い。
「嫌だ」
でも、腕の力は決して逃げられない位強くて。我が儘な子供が、駄々を捏ねてる様にも思えて。何だか矛盾している。
「君を手放したくない」
耳許で囁かれる、臨也さんの本音。今日は珍しく、甘えてくる。いつもなら、皮肉や嫌味の一つや二つは返されるのに。まさか、寝坊けてる…とか?
どうしょう。臨也さんがいつになく可愛いんだけど。
「俺を置いてかないでよ」
『………、』
今更ながら、彼が本気で言ってる事に気付かされた。ああもう、臨也さんを置いて帰るなんて、一言も言ってないのに。それでも、少し意地悪な事を訊いてしまったという自覚はあるだけに、ちょっとだけ罪悪感が胸を締め付けた。
臨也さんは、本当はただの寂しがり屋なんだと思う。だからこそ、他人に関わりたがる。人間を愛していると博愛主義を豪語しながらも、その実彼の愛は人間から愛されない事への裏返しの感情で。本当の愛だって、本当は知らないのだろう。だからこそ、彼は愛し愛される他人を羨んで。拗ねた子どもの様に臍を曲げて、他人を引っ掻き回すのだ。
高見から色んな人間を引っ掻き回せる特別な人間を気取る反面、自分はそんな特別な存在ではない事を知っていて。自分が特別で在りたいと、誰よりも願う彼は、きっと誰よりも子供なのだろう。
全部私の個人的な見解だけど。
『…私は何処にも行きませんよ』
臨也さんを一人にはしませんし、ちゃんと傍にいますから。そんな想いを込めて、彼の手に自分の手を添えて、睦月はそっと目を閉じる。
私がここに残った一番の理由は、臨也さんと離れたくなかったから。いつぞやかの様に喧嘩でもしない限り、私が臨也さんを置いて帰るなんて事はないと思う。
いつの間にか、私達は互いに互いを依存し合ってしまっていたようだ。それでも、それが幸せだと互いに思えたなら、それはきっと一つの幸せなんだと私は思う。
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デュラハンの件は実は連載のオチに採用された元ネタだったりする。思い付いた時は普通の1話分の扱いだったのに、展開が進むにつれてボツになり、今回ED後設定にリメイクしたという。
夢主に甘える珍しい弱いざや。夢主には、臨也に猫耳と尻尾が見えてそうです(笑