勿忘雪(5/13) 「サクっ」 『ディストは下がってて。今の状態じゃまともに会話も通じないよ』 何をやっているのですか!?先生を攻撃するなんて…!そう叫ぼうとした声が、カラカラに渇いた喉から出なかった。攻撃しなければ、此方が殺られる。それは苦戦を強いられているこの戦況をみれば、誰が見ても明らかだった。 「な…何故ですか?先生はいつも優しかった!他人を…友達を傷付けちゃ駄目だって、仰ってましたよね!?」 「フフフ、逝かせてあげるわ…フリジットコフィン!」 「っ…ぐあっ!?」 『アッシュっ……キュア!』 もう、自分の声すら届かないのだろうか。今のネビリム先生は、破壊衝動のままに殺戮を繰り返す、血に飢えた獣の様で。そこにはかつての恩師の面影など、何処にも無くて。これでは、かつて作られたばかりの時に起こした破壊衝動による暴走と同じだと、ディストは愕然となる。否、存在が安定し、ネビリムにハッキリとした自我が…殺意がある分、状況はもっと悪い。 ジェイドのフォミクリーと、自分の音機関があれば、ネビリム先生を復活させる事が出来ると思った。その為の研究を、自分は此れ迄怠らずに続けてきた。ジェイドがネビリム先生の復活を諦め、途中で研究を投げ出した後も、ずっと。ジェイドが諦め、肝心要のレプリカ情報が失われし今、かつてジェイドが手掛けた唯一無二のレプリカの存在は……今回の計画は、正に最後の希望だった。ジェイドが作り、サクと私が協力して、ネビリム先生を復活させる。そうしたら、懐かしい時代が戻ってくる。戻ってくる、筈なのに。それなのに、やはりコレも… 「……失敗作だ」 ピタリと、ネビリムの動きが不自然に止まった。彼女が纏う雰囲気がスゥッ…と冷えたのを感じて、これは不味いとサク達は内心焦る。けれど、そんな変化に肝心のディストは気付いていない様で、更に言葉を捲し立てる。 「やっぱりお前も失敗作だったんです!!貴女が先生な訳な…」 『ディストっ!!』 ザシュッ ディストがハッと我に返った時には、既に魔剣ネビリムが目前に迫っていて。思考が停止したまま何も出来ず、呆然と剣が振り降ろされるのを目を見開いて凝視していたら、自分の名前が呼ばれた直後に、誰かが彼女の名を悲痛な声で叫んだ。一瞬、何が起きたのか理解出来ないまま、自分の前に倒れ込んできたのは、 「え、あ…?サク!?」 咄嗟に彼女を抱き止めた己の手に、生暖かい何かが触れる。掌に付いた赤に、彼女の血だと理解し、思わず「ヒッ…!?」という上擦った声が上がった。 ネビリム先生が、サクを斬り付けた。否、私を斬り付けようとしたのだ。先生の生徒である、この私を。 「失礼しちゃうわ。私が失敗作?私は完全な存在になったのよ?私は貴方達が望むゲルダ・ネビリム。本物より本物で、完成された完全な存在よっ!」 「…殺す。お前だけは、絶対に殺す」 「お待ち下さいシンク師団長!サク様はそんな命令…」 「そのサクをこいつは傷付けた。庇う義理も無いしね」 殺気立つシンクと、彼を止める第六師団員の会話が何処か遠くに聞こえる。 ああ…やはり、このレプリカも失敗作だったのだ。どんなに存在が安定しても、精神は破綻したままで、治らなかったと。そう、結論付けるしかなかった。 それでも、諦め切れなかった。だって、ここで諦めたら、ネビリム先生を蘇らせる手掛かりが無くなってしまう。本当に、復活させられなくなってしまう。 「ジェイド、先生が死んじゃうよ!」 「ああ。僕のせいだ。このままだと先生は助からない。だけどフォミクリーなら……」 「そうか! 先生のレプリカを作るんだね! だけどここにフォミクリーの音機関は……」 「僕の譜術でやる。ネフリーの人形で一度成功してるからできる筈だ」 出来ると思った。ネビリム先生が死んだあの時、ジェイドが出来ると言ったから。僕とジェイドが手を組めば、死者を蘇らせる事も出来るのだと。けど…研究は打ち止めになり、ジェイドは諦め、最後の希望すらも、たった今この瞬間に潰えてしまった。 どうしょうもなく泣きたい衝動に駆られ、嗚咽が漏れる。どうして、こんなにも何もかもが上手くいかないのだろう。もう、どうしたらいいのかも分からない。 『…ディスト。目を逸らしちゃ、駄目だよ』 「…っ、うう……」 半ば放心状態に陥ったディストは、聞こえてきたサクの声に促され、力無く顔を上げた。ボンヤリと視界に写るのは、ネビリムのレプリカで。自分の記憶にある先生と全く同じ顔なのに、浮かぶ表情も、言動も、何もかもが全然違った。全くの別人だと、言えてしまう程に。 「あれは、何なのですか…?」 『…ネビリム先生のレプリカ。失敗作なんかじゃない。レプリカと被験者は……どんなに似ていても、別人なんだよ』 違うと、そんなことは無いと、否定しようとしたのに。やはり声は出なかった。 *前 | 戻 | 次#
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