君は君のままでいて
「‥千鶴?千鶴ー!千鶴!」
僕は愛しい妻の名を呼ぶ。
何度も何度も何度でも――…
「もう総司さんったら…何か御用ですか?」
…いつもなら、少しだけ呆れたように微笑んで、そう答えてくれる彼女なのに、返事は一向に返ってこなくて…
確かに今、僕達の住んでいるこの家は空っぽで、静寂に包まれていた。
何かがおかしい…。そう思った僕は、急いで家にあがる。
いつも千鶴のいる部屋の襖を思い切り開け放ってみれば、中には誰一人いない。
「…千鶴?何処に隠れてるの?」
そう言って、僕はすぐにそのおかしさの正体に気付く。…家中、何処を探しても、笑顔で迎えてくれる千鶴がいないんだ…。
頭が真っ白になる。僕の胸の中でじわじわと、何かが生まれていった。
千鶴が…消えた……?
大きな不安に襲われて、気が付くと僕は、無我夢中で家を飛び出していた。
必死に町中を走る。甘味処や小物屋…千鶴の行きそうな場所を何軒も回って‥でも彼女の姿は、何処にもなかった。
「巡察のときは、あんなに簡単に見つけられたのに…」
ふと頭に浮かぶ懐かしい思い出に不安を掻き消され、僕はふっと微笑んだ。
‥あの頃は千鶴に恋心なんて、微塵ももっていなかったし、急に千鶴がいなくなったって、気にも止めなかった。
なのに…今の僕は不安という感情をもって、こんなにも必死に彼女を探している――
『総司さん!』
もう一度…名前を呼んで欲しい。花が開いたように微笑む、君の笑顔が見たいんだ。
早く帰って来てよ‥千鶴――…
…久し振りに京の町中を走り回った僕は、息を整える為に立ち止まった。その瞬間、ぶわりと強い風が吹いた。
ふと顔をあげた僕の視界を、鮮やかな薄紅色が舞う――
「さくら…」
僕の視界を薄紅色に染めたのは、1本の大きな桜の木だった。
春が近付いてきているからか、たくさんの美しい小さな花を咲かせていた。
『‥桜はすぐに儚く散ってしまいますね』
…去年の春。祝言をあげたばかりの僕等は、毎日ここに来て一緒に桜を眺めていた。
ふと頭に浮かんだのは桜を見つめながら、小さな声で呟き、少し寂しそうに微笑えんだ千鶴の顔。
でもこの瞬間、僕は桜は儚いものなんかじゃないと思った。
だって…この桜の木は凜として、空に向かって真っ直ぐに伸びていて‥そして、余りにも美しい花を咲かせていたから。
この姿は、まるで…
「…総司…さん…?」
突然後ろから響き渡った声に、僕は反射的に振り返った。
そこにいたのは、僕がずっと探していた千鶴本人で。桜と同じ薄紅色の着物を纏った彼女は、赤くなった目を見開いていた。
「千鶴!?‥千鶴!無事で‥よかった!」
僕はそう言って、少し強引に彼女を引き寄せ、抱きしめた。…そうしないと、千鶴がまたいなくなってしまいそうな気がしたから――
抱きしめた千鶴の体はとても冷たくて、何時間もここにいたということを、物語っていた。
「そ…じさん…」
彼女は肩を震わせる。そして俯き気味に、小さな声で、すみませんとだけ言った。
妙な静寂が訪れ、大きな桜の木だけが僕達を見守っていた。
「ねぇ‥理由を教えてよ…?君がいなくなったことと、その目の赤い理由」
僕は、俯いて何も言わない千鶴の顎を持ち上げ、無理やり上を向かせる。
案の定、真っ赤になっている彼女の瞳を見つめていると――
「…―っ!?」
千鶴の瞳から大粒の涙が溢れ出たんだ。それはもう、今まで我慢してたって分かるくらいの大粒で。僕は思わず固まってしまった。
だって、千鶴は強い女の子だと思ってたから…。羅刹を見たって、土方さんに怒られたって、僕に剣を向けられたって…彼女は涙一つ見せなかった。
…千鶴はいつでも凛としていて、強くて…でも笑ったり、泣いたり…僕にいろいろな表情を見せてくれる、美しい僕の自慢の奥さんなんだ――…
「わ…私…っ。不安…だったんです」
僕が千鶴の背中をぽんぽんと優しく叩けば、彼女は絞り出すように言葉を繋いでいく。
僕は「…それで?」と、彼女の言葉を促す。
「―――私っ…総司さんに…見合ってますか…?」
「…見合う…?」
少し間を置いて、千鶴は震える声で、言葉を吐き出す。彼女の瞳は今にも泣き出しそうに、揺らめいていた。
「…総司さんと祝言をあげて…一緒に生活する日々は幸せです。…でも私…失敗ばかりなんです」
「え?千鶴が失敗…?」
「‥はい。…私…まともに炊事ができません…」
「……。そうだね…いつも真っ黒な塊がお皿にのってたっけ」
「…それに、お洗濯をしても、また汚してしまうんです」
「それは君が転んで、洗濯物を地面に散乱させちゃうからでしょ?」
「他にも…せ…接吻だってっ‥下手くそですし…!」
「そうだね…でもそれはそれで可愛いし」
僕が呑気にそう言ってみせると、千鶴は頬を膨らませて僕を上目遣いに睨む。
明らかに怒ってるのに「可愛いなぁ」とか思ってしまう僕は、やっぱり千鶴依存症なんだろうね。
「…総司さんっ」
「ん?なぁに?」
「…貶してるんですかっ?それとも励ましてるんですかっ」
「…やだなぁ。僕は、千鶴を褒めてあげてるんだよ?」
そう言って、悪戯っ子のような笑みを向けてみるると、千鶴は少し不満げな顔を見せる。でも数秒後には、いつものように微笑んだ。
「総司さんらしい励まし方ですね」と。
「…千鶴は桜みたいだね」
桜吹雪の中に立ち尽くし、微笑む千鶴を見つめていれば、僕は無意識にそう口にしていた。
「桜‥ですか?」
「‥うん。どこまでも真っ直ぐで‥凛としていて、強くて。まるで千鶴みたいじゃない?」
僕がそう言って微笑むと、千鶴は少し頬を赤くして、でも嬉しそうに「‥ありがとうございます」と言った。そんな彼女がとても愛しく思える‥――
昔の僕は"愛情"とか"恋心"とか、何一つ持っていなかった。ただ近藤さんの為に剣を振る――それだけだったんだ。
でも今、こんなにも彼女を本気で好きになって‥恋仲になって‥祝言をあげて。この瞬間が、本当に何よりも幸せだと感じる。
目前で嬉しそうに微笑む彼女に、心の中で感謝しながら、僕は次の言葉を繋ぐ。
「‥千鶴。君は桜の花言葉って知ってる?」
「花言葉ですか?はい、土方さんに教えて頂きました!確か‥高貴とか、純潔‥ですよね」
「そう…でも、それだけじゃないんだよ」
‥よりにもよって、何で土方さん?きっとそれで千鶴を口説こうとしたんだよね。やっぱりあの時、斬っちゃえばよかったかなぁ。
……とか僕が思ったのは、千鶴にも秘密だ。
僕は一度、桜の木を見上げた。千鶴も不思議そうな顔をして同じように桜を見つめた。一陣の風が吹き、薄紅色の花びらが空を舞う。
「あなたに微笑む‥
桜を見て、笑顔になる‥その笑顔が連鎖して、みんなが笑顔になるっていう意味なんだ」
「あなたに微笑む――素敵な花言葉ですね‥!」
そう言って、君は穏やかに笑う。僕もそれを見て、笑う。
僕は腕の中に千鶴を引き寄せて、静かに優しく抱きしめた。
「その笑顔だよ、千鶴」
「私の…笑顔?」
「そう。君はずっと…その笑顔でいて。家事が出来なくたっていい‥接吻も下手くそでいいよ‥何度失敗してもいいんだ」
「それが千鶴でしょ?」と、僕はからかうように、いつもの調子で言ってみせる。
「総司さんは優しすぎるんです‥。でも…私は数えきれない程、総司さんに幸せを頂きました。だから今度は私が――」
そう言いかけた千鶴の言葉が途切れる。
‥何故かって?それは僕が自分の唇で、彼女のそれを塞いだから。‥だって、千鶴が余りにも可愛すぎるから。
長い長い接吻のあと、僕は顔を真っ赤にして、荒い息をする千鶴の耳元で、小さく囁いた。
「‥幸せだよ。十分。君と夫婦になれて‥君が毎日、僕の隣で笑ってくれるから。僕は君の笑顔があるから、笑顔になれる‥幸せになれるんだ」
「…総…司さん……っ」
「…だから、君は――」
その瞬間、一際強い風が吹き、僕の言葉は風に掻き消され、僕等は舞い散る桜の花びらに包まれた。
……僕の言葉は…ちゃんと君に伝わったかな?
桜吹雪の中で見た君は、ゆっくり頷き、まるで桜のように‥優しく微笑んでいた。
君は君のままでいて
(君のその優しい笑顔が)
(僕を幸せにしてくれるから‥)
企画「
共に歩む」様に提出させて頂きました!
先ず、遅くなってしまって、本当にすみません><ホームページの移転やらテストやら、いろいろありまして、結局ギリギリに…。余談ですが、実はこの話、3回書き直したんですね(笑)島原書いてみたり、夫婦生活書いてみたり(笑)なかなか話がまとまらないし、(今もあんまりまとまっていないのですが…;)納得がいかなくて、本当に苦労しました(^^;
この話を書いてて、少し気になったのが桜の花言葉です。花言葉…この時代にあったのかな?← 歴史に詳しいという方、教えて下さい。そしてお見逃し下さいませ←
少し(?)題材からずれましたが、いずれにしても、ハッピーエンドにできて良かったです(笑)今回はあえて、労咳のことには触れてません´`;でも沖千大好きなので、書いててとても楽しかったです!
下手くそな小説ですが、ここまで閲覧、本当にありがとうございました!
10/05
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