01
政宗にあの原稿を見せられて数日。
電話越しで彼の声をきくのもずいぶんぶりだった。
ただ一度目ではでず、留守電に残っていたメッセージを聞いて本人かどうか確認した。
「六郎、忙しいのか?急いでしまってすまない。また、連絡する」とまずは名乗ってください、なんて思ってしまった己はきっと悪くないだろう。
こちらの番号を教えているとはいえ、いきなり知らない人間からこのように電話がかかってきたら即着信拒否案件だ。
ただ、少し電話越しで緊張しているのが伺えたから、彼もまた、緊張してはくれているのだろう。
電話がかかってきたのは、少しだけ前。
だからこそ、まず番号を登録してから、息をついて、リダイヤルを押した。
数コールたって、あぁ、すぐではないから仕方ないかと、停止ボタンを押そうとしたときに通話がつながる音がした。
ただ、しばらくは無言できられたのか、と思ったが向こう側からからんっと何かがおちる音が聞こえて、あぁつながっていたかと思った。
『もしもし?先生ですか?』
平然を装うのは得意だ。けれど内心、緊張していることはばれているだろうかと不安になる。
なるべく楽な体制で、と取ったのはベットの上で寝転がって通話をすることだ。昔では考えられない行動だが、それでも、緊張を悟られたくなかった。
「・・・久しいな。」
『えぇ、そうですね。原稿読みました。』
「そうか。」
淡々とした会話だ。おそらく彼は怒っているのだろう。怒ると必ず口数が少なくなる。
それをわかっているから、六郎は多くを言葉にすることはなかった。
「・・・体調は、大丈夫か」
けれど、彼から告げられたのはその言葉だった。感想よりも何よりも、一番に告げられたその言葉に、六郎は静かに目を閉じた。
あの原稿を見れば、わかる。きっと、彼があそこまで切羽詰っていたのは、過去の想い今の想いとが混ざり合って身動きが取れなくなってしまったからだ。
『はい。なんともありません。』
「・・・そうか」
『なんで残念そうなんですか?』
「孕めばいいと思って、抱いたからな。」
「文章にも書いただろう」と彼は告げる。『そうですね』とただ一言返して、また沈黙が続いた。
『・・・申し訳ありませんでした。若。』
その沈黙に耐えられず、発したのはその言葉だった。
あそこまで読んで、もう彼が記憶もちだということがわかったから、もう今までどうりよんでしまったのは、彼女が望んでいたことだったからかもしれない。
「そうだな。」
『大変、ご迷惑をかけました。結局私は貴方のそばで最期まで仕えることはできなかった』
「最期、か、お前の最期は心底、残酷なものだったな」
まるで、懐かしむように。自嘲にもにた声だった。きっと彼がいう最期とは自分が死んだときの話だろう。
「いい逃げとは、ひどいだろう。おかげで死ぬまでお前を想うことになった」
『・・・ごめんなさい。』
「なぁ、六郎。」
『ごめんなさい、若。私。もう心に決めたヒトがいるんです。』
それはもう過去と決別した。とそういう意思表示だった。電話の奥で息を呑む音が聞こえて、六郎は目を閉じる。
『とても、素敵なヒトなんです。生涯かけて、彼を支えていきたくて、でも、若とあのような関係になってしまったから、彼を裏切った気持ちになってしまって、先生の下から逃げました。申し訳ございません。』
半分は、うそだ。
それでも、まるで恋文のようなその文章を書いた後の彼にとっては複雑な想いだろう。
「・・・会って、話さんと気がすまないな。」
『もう、若に会うことはありません。ごめんなさい。』
「またそうやって置いていくのか。」
『卑怯者だと、言ってください。私は若に合わせる顔がありません。』
今、目の前にいられなくてよかったと想った。
きっと、瞋恚の目で射殺さんばかりににらまれていただろう。そこまで行かなくとも、彼には一度、怒りをぶつけられせっかく書いた書類を台無しにされた記憶がある。うれしくも、複雑だった感情だった。
「なんだ、半蔵にでも衣替えするきか?」
『半蔵は助けてくれただけです。』
「十蔵か?」
『彼は既婚者でしょう。』
「才蔵か、佐助か?」
『若がよく知るヒト。だということだけお伝えしておきます』
つらつらと続けられるたくさんの名に、六郎は苦笑いした。
その苦笑いを悟ったのか「本当に、お前は残酷だな」と彼は言う。
『幸せでした。とても。』
「・・・そうか」
『だから、おしまいにしましょう。若。 もともと、交わるはずのなかった運命だったのです。』
すべてを過去形にして、じゃないと自分が踏み出せないとわかっていたのだ。
前を向かなくてはいけないのならば、することはただひとつ。
『さよなら、若。どうか、お元気で。』
静かに、通話ボタンをきって体を脱力させた。カレンダーに視線を向けて、ため息をついた。
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