04
武田が城。日の当たるその場所で、彼女はたたずんでいた。
川中島のその長きにわたる戦いが終わり、もうすぐ武田領が広がると皆がバタつく中で彼女の周りはひどく静か。
「具合はどうですか、沙妃殿。」
「蔵…」
「今は海野六郎ですよ」
そんな彼女のもとに、彼が現れる。さみしげにその瞳が揺れているが、さらっと訂正した彼は彼女の横に座った。もともと、同じ里の出身だったという二人がこうしてまた生きて会えるのはある意味の奇跡に近いのだろうが。
「…海…ね。貴方にはお似合いだわ」
「…」
「貴方は海のように広く優しいのに、それを隠していたんだもの。ずるい」
するりと腹を撫でる沙紀。そこは先日、彼女から受けた傷がある。思い出せる姿はぼろぼろになり絶望に染まった愛した娘のような、姫君の姿。それは幼き頃、婆娑羅を暴走させて戸惑い恐れを抱いていた彼女の姿とかぶって見えた。だからこそ、手を伸ばしたかったのに、
「私は、姫様を傷つけてしまった。」
「沙紀殿。」
「その名も、姫様がくれたものなんですよ。なのに、私は…」
きゅっと唇を噛んで視線が下を向く。後悔と懺悔と、いろいろな色が混じった黒の瞳が揺れる。猿飛佐助のように戦う力を失った己に、それでも居場所を作ってくれた彼女を、己は裏切ってしまったのか。そんな複雑な念が、己の中に渦巻いて仕方がない。
「それでも、」
瞳に涙を貯める彼女に、ひとつため息をこぼしながら、彼はいう。
未だ傷だらけの体だが、それでもだいぶ治ったほうだ。あの時、確実に彼は死にかけていた。それでも、生きれたのは…。
「それでも、あの方は優しいから俺たちにすら優しいんです。ヒトとしてみていてだからこそ…俺は、」
ぽんっと、沙紀の頭を軽くなでて苦笑いをこぼす。
ぱちくりと不思議そうに瞬かせる彼女を安心させるように。
「俺は、あの方に救われた。救われて、拾われた。だからこそ、あの人が失ってしまった笑顔を、取り戻したくて、猿飛に頼みこうしてここに居る。あの方に名をつけてもらえなかったのは残念だが、」
「うん。」
「あの方の居場所を守りたいという、お前や真田の仲間たちの意見には、酷く賛成だ。」
「だから、あの方が帰ってきたとき、俺たちがこのように傷だらけでは悲しむ。」と立ち上がりながらそう言った。
腰にさしていた刀を撫でてその場を去った。
「…幸様…」
その後ろ姿を見送って空を見上げてぽつりと彼女はつぶやいた。晴れ渡る大空の下で必死に鍛錬をしていたあの姿はもうない。
子供たちに笑顔を振りまく美しい姫君はいない。
それでも…
「お帰りを、お待ちしてます。」
貴女様の帰りだけを、ただ、ひたすらに
20170901
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