共犯と桜


「ナマエ」
「あ、尾形」

雪に支配された、長い冬の季節を終え北海道にもようやく春がやってきた。鶴見率いる27聯隊が滞在する、この小樽にも暖かな春風が通り過ぎていく。風に身を震わせる事もなく、むしろ気持ちがいいと思えるのは久々だ。部屋の窓を開け放ち、草の香りのする空気を胸いっぱいに吸い込むと背後から聞こえた声にナマエはパッと振り返った。

「おかえり。随分予定より早かったな」
「予定が変わったとかでとんぼ返りだった」
「それは大変だったな。お疲れ様」

部屋の入口に寄りかかっていたのは尾形だった。数日前に尾形の所属する班は任務で函館の方へと行っていたはずだが、どうやら骨折り損のくたびれ儲けだったらしい。
少し汚れた外套と、背に背負ったままの荷と銃。帰ってきてそのままの姿で現れた尾形に、ナマエはまた微笑んだ。尾形がいない間、しばらく動かしていなかった表情筋が久しぶりに動いたせいか少しぎこちない笑みだったが、尾形は特に気にした様子もなく部屋の中へと入ってきた。

「函館……は少ししかいなかったんだっけ」
「あぁ。特に変わった事は何もなかった」
「熊にも会わなかった?」
「冬眠明けの奴は一匹見た」

今日も今日とてナマエの同室の男はでかけていて不在だった。ナマエは自分の寝台に、尾形は同室の男の寝台に遠慮なく腰をかける。

その時、窓からまた春風が吹き込んできた。サァァと木々の揺れる心地いい音と一緒に尾形の外套がひらりと翻る。風は一枚の布にそれはそれは綺麗な波を作り、布の切れた場所から抜けていく。ナマエは外套の端が破れているのに気が付いた。中途半端な場所から真っすぐに破れているそれは、どこかに引っかけたのだろう事はすぐに想像できた。

「外套、破れてるぞ。話してる間に縫ってやるから貸せ」

軍に所属している以上自分の服を直せるくらいには皆針が使えるが、任務から帰ったばかりで疲れているだろう。幸い針と糸もこの部屋にはある事だし、代わりに縫ってやろうとナマエは寝台脇に置いてある机の引き出しを漁った。引き出しの中には借りた本や手帳、そして針と糸、鋏が綺麗に並べられている。尾形の返事も待たず裁縫に必要な物だけを取り出し、針に糸を通す事に集中した。その間に尾形が座る寝台からはガサゴソと音がして、きっと背に背負った荷や銃をおろしているのだろうと思っていた。

「よし、通った」

そしてようやく針に糸が通った。糸を通すだけでも達成感があるが、まだまだスタートラインに立っただけだ。さっさと外套を縫ってやらねば。ようやく糸の通った針から視線をあげながら、「外套出せ」と手を尾形の方へ出すと、手のひらにぽんと何かが乗せられた。細長く、所々でこぼこしていて、表面は少しざらついている。明らかに外套ではない。むしろ布ですらなかった。

「これ、桜の枝じゃないか」

それは手折られた桜の枝だった。枝の先端では満開の花弁が押し合って咲いている。一塊になって咲くその花は、まるで毬のように丸く可愛らしい。花の他にも枝には小さな蕾がいくつもついていて、きっとしばらくすればこの蕾も綺麗な花を咲かせるのだろう。

「どうしたんだ?これ」
「土産だ」
「土産、って……」

きょとんと桜の枝を見つめるナマエに、尾形も「お前桜を楽しみにしてただろう」と首を傾げた。

短い時期にしか咲かないこの花を見るだけで人は皆春の到来を目で確認して実感する事ができる。春の訪れは冬の終わり。寒がりのナマエも春の象徴である桜は心待ちにしていた。『早く桜咲かないかな』なんて呟いた事もある。
だからいち早く手元にやってきた思わぬ春と、尾形が自分が言っていた事を覚えていたという事実に微笑まずにはいられなかった。

「函館はもう桜が咲いてた」
「それで手折ってきてくれたのか」
「あぁ」
「綺麗だな。そうか、もう函館は咲いてるのか」

函館が咲いているならば、小樽の桜が咲くのももうすぐだろう。今はまだ蕾の桜の木々が一斉に花開き、雪のように薄紅の花を降らせる美しい景色がやってくる。

これから訪れる景色を脳裏に浮かべながら、ナマエは真っすぐに伸びた枝に咲く桜をぼうっと見つめた。その頃にはこの桜は全て散ってしまっているかもしれない。そう思うとこの桜の枝は愛おしくもあり、ちょっと寂しく思えた。枝先の桜に鼻を寄せると、ほわりと桜独特の香りがする。まだ小樽には来ていない春の香りだ。

「尾形」
「なんだ?」
「今度は桜の枝を折ってこなくていい。桜が可愛そうだし……」

ナマエは桜の枝をそっと寝台の上に横たえてちょっと驚いたような顔をする尾形から今度こそ外套を預かった。引き裂かれた布に針を通し、綺麗に縫い合わせる。完全に破れた痕を消す事はできないが、できるだけ目立たないように目は細かく、真っすぐに。

「お前、木に登ってこの枝手折っただろう。外套が破れたのは枝に引っかかったからじゃないか?」
「…………」
「外套が破れちゃしょうがないだろ」

無言は肯定の意味だろう。ぷい、と明後日の方向を見る尾形は分かりやすい。

「今度、小樽の桜が咲いたら一緒に見に行こう。町でも山でも尾形が好きな方でいい」
「……山だな」
「じゃあ山だな」

団子が好きな上司がいる事だし、おいしい団子屋も聞いて団子片手に天気のいい日にでかけよう。

そう提案すれば尾形がぽそりと「花より団子」と呟いたが、ナマエはごもっともだと反論しなかった。



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拍手ありがとうございました。
猫ちゃんだから取ってきたものは見せるし、時々降りるのも失敗する。
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