共犯の夜
「おい、俺だ」
「今開ける」
消灯を告げる声が聞こえたのはもう一時間ほど前だろうか。扉越しに聞こえた控え目な声に、ナマエは堅い寝台からひらりと降りるとすぐに木製のドアを開いた。開いた隙間からするりと入った人影を見ると、音を立てぬよう慎重に扉をしめる。
それでも夜の静まり返った部屋には、小さく軋む扉の音すらやけに大きく聞こえた。
「全く毎回毎回。お前は一人で寝られないのか?」
「寝られるに決まってるだろ。ただ安心できないだけだ」
単純な挑発にムッと顔をしかめたナマエに、尾形は低く喉を鳴らして笑うと部屋におかれた二台のうち一台の寝台に腰かけた。
この寝台はナマエの同室である男のものであったが、今日は一日この部屋に戻ってこない事を尾形は知っている。と、いうよりは彼が「誰もいないから部屋に来い」と誘ったのだ。
このベッドの持ち主は、第七師団内でもそれなりに有名な女好きである。というのも日夜花町に出かけているからだ。
ナマエにとっては「女が好きだ!!」と大っぴらに公言している同室の男は手を出される心配がなく安心できる人間である。
しかしこうも毎晩部屋を空けられると時々怖くなるのだ。本来ならば部屋を一時でも一人で自由に使えるのだから喜ぶべきところだが、同室というのはナマエにとっては用心棒も兼ねているのだ。
枕元に小さな拳銃を忍ばせていたって開く扉の音に気が付かない事もある。安心して眠れるように、こうして尾形を部屋に呼ぶのだ。
「明日も遠出するんだろう」
「あぁ。明日からは北海道横断だな。月形に行って、網走に行って戻ってくる。網走は遠いな。しばらくは会えない」
ナマエは少し冷えた自分の寝台に戻ると薄い毛布にくるまって身体を縮こまらせる。薄っぺらい毛布でもないよりはマシだ。
冷え切った身体をあたためるように、ブルブルと震えていると、ばさりと一枚の毛布がかけられた。尾形の座る寝台にきちんと端を揃えて畳まれていた毛布だ。
「ん、」
「寒いと寝られるものも寝られないだろう。早く寝ろ」
遠慮なく更に毛布にくるまるとすっかり身体はぽかぽかとしてきた。あたたかいと自然と眠くなってくる。軍の生活は規則正しいのだ。よっぽどの事がなければ消灯時間にはきっちり寝ている。
あたたかい毛布の中で瞼の裏に夜空を浮かべながら、ぱちり。ぱちりと瞬く速度が落ちていく。朦朧とする意識の中でナマエは尾形をぼやっと見つめた。夜の中に溶けるように静かで、けれど目ははっきりと開いてこちらを見つめる。
「なぁ、俺が」
「あ?」
「いなくても……寂しがるなよ」
「ガキじゃねぇんだからしねぇよ」
「あっそ……」
ならば何故、いつものように近づきもしないのだ。同じ空間にいるというのに、その身体は寂しげで孤独に震える迷子のように見える。
そう思ったもののナマエにはもう既に何かを言う事も、考える事もできなかった。眠い。本能がそう身体に訴えるのだ。ついには意識の糸がぷつりと切れて、眠りの中へといざなわれていった。
*
穏やかな寝息だけが聞こえる闇の中、尾形は靴を脱いで寝台の上にのぼると膝を抱えて横になった。自分自身の体温は夜の寒さにすっかり冷えて、布団の一枚や二枚でもなければ温まりそうにない。
けれどその手が彼に与えた布団に触れることも、彼の身体に伸ばされることもなかった。
もう明日からしばらくの間はその体温に触れることはないのだ。触れたらもう一度会える日までずっと、彼の体温を恋しく思ってしまいそうだった。ならばいっそこのまま一度知ったぬくもりを薄れさせてしまえばいい。
「…寂しいか」
そんな気持ちが自分の中にあるのだろうか。
尾形は胸の内に広がる虚無感のような何かに少しだけ息苦しくなって、やすらかな寝息を立てる隣の彼を日がのぼるその時までただただじっと見つめるのだった。