真面目先輩と宇佐美


俺は、ミョウジナマエは真面目な人間である。自他ともに認める、至って真面目な好青年だ。自分で言うのもなんだが、本当にそうなのだ。

父も、祖父も、代々我が家は堅実に生きてきた一族である。常に公的な仕事に身をささげ一生を終える。それが俺達、いや俺の人生だ。

真面目である俺は現在網走監獄の看守として働いている。看守という仕事は堅実か?と思われるかもしれないが、少なくともこの世から犯罪者が消える日はないと思う。

つまりは真面目に働いていれば、職を失う心配もない。実にすばらしい仕事だ。毎日きっちり時計にあわせて行動する。真面目でないといけない仕事だ。俺にはぴったりである。

「ミョウジ、ちょっと来い。門倉部長がお呼びだぞ」

そんな俺がまさか門倉部長に呼ばれるとは思いもしなかった。何度も言うが俺は至って真面目な人間だ。呼ばれる事に心当たりはない。呼ばれる事が何も怒られることと同意義なわけではないのだが指名されると変に緊張してしまう。

さてさて一体何用だろうか。看守の中でも古株の、すっかりくたびれた看守服の先輩と舎房の見張りを交換してもらい、薄暗い室内から一旦外に出る。

網走監獄は広く、舎房からほどほどに歩いた先に庁舎がある。この時代にしては洒落た洋風の建物は水色でぱっと見は可愛い雰囲気だ。

けれどここには最高責任者である典獄室をはじめ、網走監獄を機能させる部屋が詰まっている。外見とは程遠い、重苦しい建物なのだ。上を見上げればどんよりとした浮かない曇り空だ。光の遮られた中で見れば、より不気味さも増す。

空と同じく晴れない気持ちを抱えて、ギシギシと板張りの床を踏み鳴らした。場所は聞かなかったが、門倉部長も庁舎に一室で書類整理をしていることがある。きっとそこにいるに違いない。

適当に目星をつけて、執務室と札のぶら下がった部屋の前に行くと何やら中からボソボソと話し声が聞こえた。先客だろうか。廊下に誰もいない事をいい事に、ピタリとドアに耳を当てて見てもドアは厚みがあって何を誰と喋っているのかは聞こえない。

仕方がない、呼ばれたからには入らなければ。もしも先輩と話しているようであればまた後でくると言えばいいだけの話である。一度ドアから離れて襟を正した後、拳骨でドアを軽く叩くと我ながらいい音がした。

自分の所属を名乗れば、中からゆるやかな声で許可が下りる。重厚なドアを、音を立てぬようゆっくりと開くと、出入り口の真正面に置かれた座り心地のよさそうな椅子に門倉部長が座っている。
よ、と軽く手をあげる姿はあまり部長、という肩書きを持っているようには見えないのだがこの緩さが看守達にはとっつきやすいと評判なのだ。

それより俺が気になるのは門倉部長と机を挟んで立つ真っさらな看守服だ。こちらを振り向く事なく、ピンと背筋を伸ばして立つ姿には好感が持てるのだが微動だにしない所には少し不気味さがある。あまり隣を見ないようにしながら、門倉部長の前まで歩いていき、踵、手とピシッと揃える。

「仕事中に呼び出して悪いな」
「いえ。何かご用でしょうか?」
「まぁな。その前にまずこいつを紹介しよう」

門倉部長はぽりぽりと指で頬をかいた後、こいつ、と俺の隣に立つ男を指差した。指先を追うように、顔だけ横を向くとパチッと視線が交錯する。

「こいつは宇佐美。宇佐美、お前の先輩のミョウジだ」
「初めまして、宇佐美と申します」

俺よりも幾分か、いやかなり身長が高い。丸い瞳をわざとかと思うほどにっこりと三日月型に歪めて俺を見下ろす。元々可愛らしい顔立ちなのだろう、笑うと人懐っこい雰囲気が助長される。先輩看守どころか獄中の囚人達にもいろんな意味で可愛がられそうだ。加えて両頬のホクロ。人の顔にあれこれ言うのは良くないとは思っているのだが、一瞬目を疑ってしまった。

「…ミョウジです」
「よろしくおねがいします。先輩」

ニコニコ。握手を求める姿は好青年そのものだ。だが何故だろうか。見下ろされるという事をなしにしてもその笑みから薄気味悪いという印象を拭えない。暗闇の中で見る招き猫に似た。立っているだけで怖さを覚える、無機質な雰囲気。こいつは少し苦手なタイプだ。
握手に応じるため差し出された手を握ると、皮膚は固く手のひらにも胼胝がある。武道か何かをずっとやってきたと思われる、それなりに強い人間の手だ。

「というわけで、宇佐美はお前の下につける。仕事を教えてやってくれ」
「は、」
「お前ほど真面目な奴もいないんだ。頼むよ」

きゅ、と握られた手に力が入った。再度顔を見ると、よろしくおねがいします。とにこりと微笑まれる。普通ならば友好的に捉える笑みは、圧をかけられているようで少し怖い。たぶん俺の顔は引きつっていたはずだ。笑うために頬の筋肉を動かそうとしてもうまい事いかない。

こいつと仕事。まだ何も教えていないのだから仕事ができるできないなんて事は分からないが、少なくともこの男が後ろにいるとなんだか落ち着かない気がする。宇佐美の纏う雰囲気は、穏やかそうに見えて何かを背負っているような仄暗さを感じるのだ。

だが門倉部長がお前に頼むと言った手前拒否する事もできない。できるわけがない。俺は真面目な男なのだ。上からの命令は絶対守る。「はい」とひとつ頷くと門倉部長はようやくホッとしたようで「まずは監獄内の案内でもしてやってくれ」と言った。

「…じゃあさっそく行こう」
「はい、先輩」

ひとまず宇佐美を後ろに連れて執務室から出ると、廊下にはちらほらと書類を持って歩き回る同僚達がいる。彼らを横目にスタスタと歩き始めると、後ろにコツコツと等間隔の足音がついて回る。

やはり俺より足も長い。ひとつひとつの音の間が長い。後ろをチラリと振り返ってみれば丸い目があちらこちらに泳いでいた。新入りの看守は皆はじめはこうなる。俺もなったのだからその気持ちは分かるのだが。

「宇佐美。迷子になるぞ」
「すいません」

放っておいたらいつのまにか迷子にでもなりそうだ。ちゃんと説明するから聞けよ、と念押しをしてからこの広い網走監獄の説明を始める。一回りしてこいと部長にも言われたし、覚えられずとも一度見ておく事は大事な事だ。

まずは庁舎の中をぐるりと回り、宇佐美が初めに世話になりそうな部屋を重点的に教えていく。経理、総務。部屋の位置だけ分かれば十分だろう。

次に庁舎を出て、味噌醤油蔵、漬物庫をはしごして、網走監獄の主である舎房に行き見張りをしている先輩方へと軽く挨拶を済ませる。案の定先輩方には可愛らしい顔だとからかわれていた。先輩方は特にこの男が不気味だとは思っていなさそうで、もしかして俺だけが思っているだけなのかもしれないすら感じてしまった。

いやいや、そんなはずはない。こいつはどこからどう見てもただの可愛い顔ではない、と直感が告げているのだ。

適当に舎房の一部を歩いて、また外に出ると、網走監獄の全容がよーく見えた。舎房は斜面に立つ網走監獄の中でも一番上に位置しているのだ。

どんよりとした空を背景にざっくりとあれが職員舎房で、さっき行った味噌醤油蔵とかはあそこ。と位置関係を教えていると、後ろについていた宇佐美がスッと隣に並んだ。その景色を目に焼き付けるようにじっと見つめる横顔は、さっきまでニコニコと笑っていた男とは別人のようにおとなしい。

「覚えられそうか?」
「大丈夫です。ありがとうございます、先輩」

話しかければ思い出したかのように目尻を下げる。空から吹いた一陣の風が、その横顔をふわりと撫でた。風に煽られてたなびくような長い髪ではない宇佐美は、細くした瞳をオモチャを見つけた猫のように丸くすると、俺の顔を見下ろす。

「あの、先輩ってよく真面目すぎって言われません?融通がきかないとか」
「…まぁな。突然なんだ?」
「いえ。説明が片っ苦しいのでそうかなと思って」

うふふとうっそりと笑う宇佐美はきっと悪気はないのだろう。素直にそう思ったから、言っただけなのだ。おそらく。遠回しにいう事なく直接いってきたのだから。影であれこれ言われるよりは十分マシだ。

ただ直接言おうが影で言おうが言葉の意味はそのままだ。つまらない人間だと遠回りに言われているように感じられて、俺の眉間には自然と皺が入る。

「この仕事…というよりは人生何事も真面目なのが一番だ。規則通りの時間に規則通りの事をする。堅実が最もいい」
「えぇ、そんな人生つまらないですよぉ」

ぶーぶーと拗ねた様子の宇佐美にハァーと思わずため息をつく。どうやら先ほどの俺の先行き不安の予想はばっちり正解だ。これは俺とは真逆の、不真面目人間だと思われる。門倉部長が俺にこいつを託した意味が分かった。ようは真面目に働くよう目を光らせておけとそういう事だ。

……実に気が重い仕事を請け負ってしまった。意識せずともまたため息が出てしまう。肩の力もだらりと抜けて、瞳を伏せる。

「先輩はまだ、知らないんですねぇ」
「何が」

宇佐美が俺を呼ぶ声が妙に大きく聞こえる。俺は今お前の今後について考えるのに忙しいのだ。そう返事をしようとして顔を上げると、目と鼻の先にあの丸い目が二つ。いつの間にか距離が縮まっていたらしい。俺は動いていないのだから、おそらく宇佐美が近づいたのだろう。少し身をかがめているのが俺と宇佐美の体格差を表しているようで腹立たしい。

だがしかし、一体これはどういう事だろうか。突然の状況に何を言えばいいのか、頭の中の辞書にはこんなに顔が近づいた時の対処法なんてものはない。変則的な事には弱いのだ。

とりあえず距離を取らねば、と思ったのもつかの間。きゅうと目が細められる。まただ。狙った獲物は逃がさないと言わんばかりの不気味で恐ろしい目。まるで蛇に睨まれた蛙の気分だ。その目から視線を逸らす事も、逃げる事もできなかった。

一瞬生まれたこの間に宇佐美が更に近づく。頭では理解しているのに、身体は動かない。

「!?」

生暖かい何かが、唇をぺろりと舐めた。ねっとりと味わうかのような、熱くてぬるりとした…。

「この世にはもっとイイ事があるのに。勿体ない」

何が、一体。どうなっているんだ。そっと自分の唇に触れると、乾いていたはずの唇が湿っている。それは俺が舐めたんじゃない。

恐る恐る隣にいる男の顔を見ようと顔を向けると、屈んでいた姿勢は元に戻っていた。こちらを見下げながら、薄い唇を割って赤い舌がのぞく。自身の唇を舐めるその舌は、間違いなく今しがた俺の唇に触れたもの。だと思う。

「あ、そうだ!」

何故俺は唇を舐められたんだろうか?そもそも舐められたのは事実、だった。間違いない。おかしい、おかしいぞ。ぐるぐるぐるぐる。事実と思考がごちゃごちゃ混ざり合う。

「僕が先輩に教えてあげますね。そしたらきっと、」

その呪いから解き放たれる。


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続くか続かないか分からない真面目先輩と宇佐美の話。
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