あの夜のいくじなし


これは杉元一行が夕張から離れ、コタンに着く前の話である。

第七師団の追手から逃げるように炭鉱の町を後にした一行は、人気のない森の中を歩いていた。

行く手を阻むように、立ちはだかる森の木々は一本一本よく見てみれば真っ直ぐに天に伸び三角形の形をしている。枝の先にボロ雑巾に似た葉をぶらさげて風に揺れる様は幽霊のようだ。おどろおどろしい木々が何本も立ち並べば、人間を入れさせないただならぬ威圧感を醸し出す。

そんな森の中で日が落ちれば、先に進む事は難しい。松明でも作って先を進むという手段もあるが、足元が危ないのには変わりがない。

いつものように切り開けた森の中で野宿をする事になった一行は、取った動物を調理し腹を満した。

後は火をまあるく囲んで他愛もない話に花を咲かせた。けれど腹が満腹になればおのずと眠気が襲ってくる。

杉元はぱちぱち燃えるたき火に新しい小枝をくべながら、江渡貝邸であった土方という男の事を思い出していた。
あの鋭い眼光、どこかで見覚えがあるような。けれど思い出せない。どこで見たのだろうか。旅を共にしているアシリパに聞いて見ようと声をかけてみても、彼女は何故か牛山にくっついて既に眠っているではないか。しかも、ずいぶん穏やかな寝顔で。誰だってこんな寝顔を見たら起こそうなんて思いもしないはずだ。
見ているだけでほっとする、子どもらしい可愛い寝顔。杉元はふっと笑いをこぼして澄み切った夜空を見上げた。

薄らと立ち上る白い煙の向こう側には吸い込まれそうな暗闇と散りばめられた星々。夜の中に光る星は金にも銀にも見え、砂金を探しに来たというのにえらいことになったものだと一人感慨に耽った。

二人から始まり、白石、牛山と同行者が増え、今や五人となった旅。なんとも不思議な運命である。

ぼんやりと揺らめく火のあかりの元その寝顔を見つめていると、火の爆ぜる音とはまた違う布すれの音がして杉元は音のした方へと首をわずかにひねった。

少し離れた場所で、外套にくるりと丸まってうつらうつらと眠気と戦っていた彼が倒れそうになって慌てて起き上がったようだ。普段ならば彼の隣で危なげな身体を支える尾形は、「偵察にいってくる」と言ったきり戻って来ていない。

杉元の中では常に二人は一緒にいるイメージがあったが、今日は珍しく彼が早めに眠そうにしていたせいか、連れて行かなかったのだと杉元は思った。

「ミョウジ?眠いなら寝ろよ」
「ん……あぁ、わかってる……わかってるんだが、」

目をこすりながら、ふわぁと大きくあくびをするナマエは目の端に薄っすらと涙を浮かべた。目は細められ、少しばかり眉間に皺がよる。

眠いのだろう、杉元の声にも生返事だ。それでも身体を横にしようとはせず、ただ「ふぅ」と火に向かってため息をはく。時折腕を気にするそぶりに、杉元が「腕が痛むのか」と素直な疑問を口にしてみれば「まぁな」と曖昧な返事が返ってくる。

てっきり眠くて顔を顰めているのかと思ったが、どうやら痛みが原因らしい。杉元も夕張でそれなりの怪我を負ってはいたが、ナマエは腕を貫かれているのだ。ろくな処置をしないまま逃げるようにやってきたのだから、今頃傷口がじくじく痛んでもおかしくはない。
時々怪我を気にかけたアシリパには「大丈夫だ」と言っていたが、大人の男であるナマエが彼女に弱音を吐くわけがなかった。

ナマエは身体に巻きつけていた外套布を持って杉元の側。よく燃える火の傍へとやってきた。ぱちぱちと爆ぜる火がぐっと近づくと暗闇の中で、ぼんやりとしていた姿が鮮明に映る。
濃紺の軍服に身を包む彼は服のせいか浮かばない顔色のせいか、明るい所にいないと姿を消してしまいそうな儚さがある。杉元は初めて出会い、そして別れた時の事を思い出して、彼がどこかに消えてしまわぬように自分の手の届く範囲に更にナマエを呼び寄せた。

「包帯、巻きなおしてやるよ。ついでにアシリパさん特製の薬も」
「んー……」
「ずっと同じ包帯も気持ち悪いだろ」
「ん」

こくり。頷いたのか、眠さで頭がふらついただけなのか。ぼやっとしている彼はなんとなく幼く見える。いつもはキリリとしたしっかり者の彼が……、と思えば舟をこぐ姿は微笑ましい。
杉元が幼子を見守るような、穏やかな気持ちになっていると、ナマエはいそいそとおぼつかない手で真鍮のボタンに手をかけた。堅い生地を脱ぎ去って、下の淡い白地のシャツが顔を出す。

ナマエが怪我を負った腕は、袖をまくれば脱がずとも冷たい空気の下に晒された。ぐるぐると巻いてある包帯をとれば、赤く染まったガーゼが見えた。ゆっくりゆっくり、丁寧に血で固まりつつあるそれを剥すとナマエは痛そうな顔をするのだから杉元も少し罪悪感がわいてくる。ガーゼの下の傷は、酷く痛そうに見えた。

杉元の方が身体にはいくつもの傷痕をもっているというのに、火の光に照らされる白い肌についた傷は妙に生々しく、赤い血がてらりと光る。
彼のやわい肌につく傷と自分は話が別なのだ。これは傷痕が残らないようにしなければ。妙な責任感すらわいてくる。

「痛そうだな……」
「尾形や杉元よりはマシだよ。・・・…はぁ、眠い・・・。杉元は?身体、大丈夫?」
「俺は不死身って呼ばれる男だぞ。丈夫なのが取り柄だ」
「そうか。ならいいけど……」

近くの川からあらかじめ汲んでおいた水で傷口をしっかり洗い、清潔な手ぬぐいで水分を拭う。アシリパの持っていた傷薬は道中で集められた薬草から作られており、不思議な匂いをまとっていた。嗅ぐ人によっては顔を顰めそうだが、杉元はこの匂いが嫌いじゃない。慣れた、と言っても正しいような気もするが。
それを指で掬ってそっと傷口に塗ってやる。薄く伸ばすように肌を撫でる間、ナマエはとても静かだった。痛みに耐えているのか。杉元が様子を伺おうと顔をそっと見ると、反射的にごくりと息をのんだ。

伏せ気味の黒い瞳にはきらきらと輝く火が反射していた。黒、赤と次々と変わる。ずっと見ていたくなる不思議な色の移り変わりは、どこかで聞いた日の光によって色が変わる外国の宝石を思い出させる。「宝石みたいに綺麗な瞳」だった。

すると宝石のようだと例えたばかりの瞳がパッと杉元を映し出した。まぁるく見開いた瞳に一瞬、自分の呆けた顔がうつり、杉元は首を傾げる。

「どうした?」
「…いや、それは俺の台詞だろう。宝石みたいだって、なに」
「!?」

やわい肌を掴む杉元の手がぴたりと止まる。

いつの間にか綺麗だと、口に出していたらしい。

今度は杉元の目がわずかに見開いて、頬に紅葉のようなあざやかな赤みがさす。全く気が付かなかった。無意識のうちに言葉が口から出ていってしまったようだ。

慌てて「いや、いまのはその、あー…本当にそう思ったんだ」と杉元はんん、と咳払いをしてごまかして再び手を動かした。ガーゼを挟んで包帯をくるくると巻いていく。

杉元の顔は熱かった。身体中の熱が、じわじわと顔に集まる感覚。

いやいや、これは近くにたき火があるからだ。

言い聞かせながら、できるだけ無心を装って手だけを動かす。包帯を巻くのは得意なのだ。きつすぎず、緩すぎず、腕に負担をかけぬよう気を付けて巻けばあっという間に終わりの時間はやってくる。

「はい、おわり」
「…ありがとう」

包帯を巻き終えると、杉元とナマエの目がぱちりとあう。杉元の顔も情けないほどへにゃりとしていたが、ナマエもナマエで頬を染めていた。杉元のストレートな言葉と、ウブな反応に思わず恥ずかしくなってしまったのだ。
堂々と口説かれる事も、影でひっそりとささやかれる事もあったが、そういった事は冗談だの聞こえないフリだのする事ができる。しかしこうも少女のような反応をされてしまっては、聞かずにはいられなかったのだ。

柄にもなくドギマギする心を落ち着けながら、捲った袖を元に戻そうと手をのばすと杉元が「俺がやってやる」とかいがいしく綺麗に袖を戻し、軍衣を肩へぱさりとかけた。自分で着れるのに。世話をやく杉元は過保護そのものである。

杉元からすれば恥ずかしそうにシャツを直す姿は見ているこっちが気恥ずかしいのだから、どっちもどっちであった。

なんだか二人の間が妙にぎこちない、けれど甘ったるい雰囲気が漂う。落ち着かない、そわそわする無言の空気の中、お互いがお互い口を開くのを待つ。

ザァーザァーと風が木々の葉を揺らし、わずかにどちらかの布擦れの音が混じる。夜にお似合いの静寂に、遠くからガサガサと何かが揺れる音が聞こえてきた。

傍に生えていた低い笹の群生が揺れる。高さからしてクマではない。けれど音は中々大きかった。

「なんだ?」

杉元とナマエはそれぞれ置いていた銃にそっと手を伸ばす。タヌキか、キツネか。はたまた子熊だろうか。子熊ならば近くに親熊がいる可能性もある。そうなれば事態は深刻だ。

一体何が出てくるのか、じっと目をこらして見ていればそれは暗闇の中から姿を現した。

「なあんだただの尾形か」
「なあんだ、じゃないだろう。尾形お前どこいってたんだ」

何故か身をかがめて姿を現したのは尾形だった。ナマエは紛らわしい事この上ないと呆れたように肩を落とすと、すぐ瞳に焚火のゆらめく炎を映しなおす。

ガサゴソと遠慮なく音を立てながら火の明かりの元へやってくると、尾形は素っ気ない対応よりも、妙に近しい杉元とナマエにムッと眉をひそめた。

「偵察だ。お前は寝ぼけていたから置いていったんだ」
「ん、そりゃ悪かったな」
「周囲は?」
「誰もいねえさ。おい、冷えたから入れろ」

不服そうな声とともに、尾形の冷えた手はぐい、ぐいと人ひとり入る隙間もない杉元とナマエの間を割る。火にあたりたいのならわざわざ間に入る必要もないのだが、尾形はわざわざそれをやってのけた。強引に杉元を引っぺがし、間に挟まるように座り込む。
「狭い」と杉元が文句を言ってもじゃあお前が反対側に行けと喧嘩を売る始末である。のんきに火の傍に手をかざして、猫のようにくぁとあくびをした。

「……なぁ、うるさいんだけど。アシリパさんが起きるだろ」
「そうだそうだ」
「杉元もな。もうお前ら寝ろよ・・・」
「「嫌だ」」
「…はぁ。もう勝手にやってくれ。俺は寝る」

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くまぶっく様

杉元は少女世界を読んでいるとのことなので、きっとちょっとイイ感じになっても乙女心爆発して手を出すなんてことはできないんだろうなと思いました。そして気に入らない尾形…。書いてて思わず私もにまにましてしまいました。
楽しいリクエストありがとうございました!

title:星食様より

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