鶴と月の密談


「おい、ミョウジ。お前髪長すぎるぞ」
「月島軍曹殿」

月島が通りすがりの男を呼ぶと、その顔がゆっくりとこちらを向いた。

男にしては長い、さらりとした髪が揺れる。室内に入り込む光の元に、その艶やかな黒がさらされるとつるりと光の輪を描く。烏の濡れ羽色というのは、このような髪の色を言うのだろう。全く同じものを食べているというのに、何故こうも違うのか。

いや、今はそんな事は関係ないのだが。

呼び止めた彼は、さほど距離が離れていないせいか長い足を延ばして数歩で月島の元へやってきた。普段はツンとすまし顔の彼は、指摘された事に自覚があるのかへにゃりと眉を下げる。その申し訳なさそうな表情は、呼び止めて悪かったと言いたくなるような心にぐっとくるものがあった。

「すみません、鶴見中尉殿にこれくらい伸ばしておけと言われまして」
「鶴見中尉殿に?」

「という事があったのですが、そうなのですか?」
「あぁ。それは私が言ったな」

簡潔に述べられた報告と疑問に、鶴見は茶を一口ごくりと飲んで、ひとつ頷いた。

鶴見の執務室には、来客用にと西洋風の丸テーブルと二脚の椅子がある。そこらにある無骨な椅子とは違い、角を削り丸みを持たせたひざ置きのある椅子は、鶴見が座ると高級品に見える。長い足を交差させて、湯呑を傾ける姿はきっと彼を心から慕う人間が見たら素晴らしく輝いて見えるのだろう。

しかし、同じ空間にいるのは月島ただ一人であった。月島は鶴見に向かい側に座るように勧められると、上官命令としてそれを素直に受け入れた。見た目通り、据わり心地のよい椅子に浅く腰掛けると、まっすぐに鶴見を見る。

まるで兵士達が順々に地元の話をする時のような、儀式めいたものを感じるが、二人の話題は全く別のとある兵士の事である。

ミョウジナマエ上等兵。
この場の二人ならず第七師団第27連隊において、よく話題にあがる人間の一人だ。

彼は大変見目麗しく良い意味でも悪い意味でもよく目立つ。動かずにじっとしていれば精巧な人形のようであるし、一瞬を切り取れば絵のようでもある。人を惹きつけるその容姿は、人によっては怖いと思えるほどだった。

しかし、月島の前ではどんな人間であれ兵士であることには変わりがない。規律を守る軍曹としては、一兵士としてその髪はいかがなものかと思っていた。

所属する兵士達は皆頭を丸めるか、バリカンで剃ったような短い髪の男達が多いのだが、その中でミョウジは異質だった。
時折町で見かける西洋人のような、まぁ簡単に言えば随分と上品な髪型なのだ。彼の生まれは上流階級であると言うのだから、その品の良さが出ていると言えば聞こえはいいが、ここはあくまでも兵団。階級が上の者の中には、同じように髪を伸ばすものもいる。ともなれば一端の上等兵が上と同じというのはいかがなものか。

真綿に包んでそう問うてみれば、鶴見はそうは思っていないらしい。暖かい茶の入った湯呑で手を温めながら、今はいないその姿を思い浮かべてその瞳はうっとりと天上を見上げる。そして開かれる唇に、月島はそっと耳を傾けた。

「私としてはやはり彼には美しくいて欲しいんだ。その顔も、身体も、全て。彼の美しさをずっと維持したいと思っているのだよ。もちろん頭の形すらも綺麗だろうからね、もしも頭を丸めたとしてもその美しい顔立ちは変わりないのだろうが。今のあの髪形は彼から醸し出される隠しきれない高貴な雰囲気にはぴったりじゃないか?」
「はぁ…」
「それにあのさらさらと薄のように風になびく髪は動く絵画のように見えないか?時を止めたいと何度思った事だろう。輝く艶やかな黒も見事なものだ。触れた事はないが、きっと絡まることなく手の中を通り抜ける、絹糸のような髪に違いない…。月島もミョウジ上等兵が風に吹かれる所を見た事があるだろう?」
「まぁありますが、」
「見惚れるほど美しいと思わなかったかね」
「そうですね…」
「風に吹かれて長い髪を時折鬱陶しそうに耳にかける仕草も私は好きでね。髪が長くなくては見られないからな。あぁして言っているわけだ。黙認されているのだから、上も文句はないという事だろう。……そうだ。月島は見た事があるか?彼が時折一日中ムッとしている事があるんだが。もちろんただの不機嫌な時もあるがね。彼は時折自分で前髪を切っている時があるらしい。それを失敗すると自分の前髪を時折つまんではため息をついているのだ。可愛らしいだろう?」
「えぇ」
「おや。興味がなさそうだな」
「…いえ。そんな事は」

穏やかに微笑みながら語る鶴見の言葉は、崇拝するものからすればどんな話であろうと大変ありがたいお話なのだが。月島は「よくもまぁ髪ひとつにこんなに語るものだ」と思っていた。

実際仕事には何の関係もない、一人の青年をほめたたえる話であるのだから身を引き締めて聞く話でもないのだが、仮にも上官の話であるのだからしっかりせねばと膝の上で握っていた拳をぎゅっと握る。

顔は相変わらずの真顔であったが。

「幼かった彼の美しさを今こうして間近で見られるのだから、人生は何が起こるか分からんな」
「鶴見中尉殿はミョウジと子どもの頃に出会っていたのですか?」
「あぁ。何度かな。写真もある。見るか?」
「はい」

小さく月島が頷くと、鶴見はそれはもうウキウキした面持ちで、執務室の片隅に置かれた棚の中から一枚の写真をスッと差し出した。

丁度手のひらと同じほどの大きさの紙の上には白黒の世界が広がっている。一人の軍服を着た青年と、ほんのりとはにかむ一人の幼子。どちらとも月島には見覚えのある、若き日の鶴見とミョウジであった。

鶴見はまだ、前頭葉があり髭も今ほど立派なものではなく。はつらつとした若さを感じる、まさに好青年といった印象を受ける。その隣にいるミョウジは今よりもずっと愛らしく、ぱちりとしたまんまるの瞳が可愛らしい。女児が好むような、人形のようだった。髪も今と同じように長く、初々しい。

「可愛いですね」
「そうだろうそうだろう」

鶴見は幼い頃の美しい思い出を現在のミョウジにも重ねているのだろう。つるりとした紙の表面を、優しくなぞる指先から大切に思っている様が伝わってくるようだ。

どうにも鶴見はミョウジを特別に見ている節があると思っていたが、原因は単にその見た目だけではなかったらしい。月島はその過去にわずかに目を見張った。

そして再び鶴見はゆるやかにしゃべり出した。そこにはない本を音読するように、やはり彼を賞賛する言葉がつらつらと連ねられていく。
その言葉を右から左へと聞き流しながら、月島は時折思い出したように相槌を打った。けれど鉄壁の真顔の裏側では、「(なんなのだ、これは……)」と心が遠くなっていくのを自分でも実感していた。

**

「ミョウジ」
「月島軍曹殿」

鶴見の執務室を出て、自室へと戻る途中。なんという運命だろうか、再びミョウジと出会ってしまった。

上官から何かを頼まれたのだろう、荷物を持ったミョウジはピンと背筋を伸ばして、人もまばらな兵舎の中を優雅に歩いていた。これではまるであの日の再現のようだ。
唯一違う事と言えば、月島の目が少し疲れている事だ。普段から目つきが良いとは言えないその目は、今や更に鋭いものとなっている。名を呼ばれた彼はタッタッタッと軽快な足音を響かせながら月島の元へやってくるや否や、その顔をそーっと覗き込んだ。

「どうされたのですか?加減が優れないようですが。医務室へ行きますか?」
「…医務室は平気だ」

やんわりと目尻を下げて、「そうですか?」と心配する美しい顔が今の月島には眩しくて仕方がなかった。延々と鶴見の語りを聞かされたせいだろうか、いつにも増して輝いて見える。

「ミョウジ、お前も大変だな」
「何がです?」
「…いや、なんでもない」

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半端様

『共犯声明主について語る鶴見と引く月島』のリクエストありがとうございました!
お顔については常々言ってそうですので今回はその御髪について語っていただきました。
月島は髪一つにぺらぺら喋ることもそうですが、幼い頃からって…?と内心ドン引きの繰り返しでしょうね。。
それでもついていく漢、月島…。

ありがとうございました。

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